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吟遊詩人ウィル

夢幻の狂死曲<ラプソディ>

12.意識と制御、あるいは支配

 ミックの死体を中心にゆっくりと血が広がっていくのを跨ぎながら、デュークはラナが寝ているベッドに近づいた。
「呆気ないものだな」
 ウィルに比べれば、ミックの魔法など子供だましに等しかった。いや、あの吟遊詩人が特別だったのだ、とデュークは思い直す。そのウィルもすでに死んだ。ミックを殺害したのは気まぐれのようなものである。
 デュークがここへ来たのは、ラナの夢の中へ帰るためだった。夢から抜け出すのは簡単だが、いかにデュークでも特定の人物の夢に戻るには、その触媒となるものが必要になる。それがラナの首にある《ナイトメアの石》であった。
 デュークは長い間、《ナイトメアの石》の中に封じられていた。それが渡り渡って、マンセルの露天商がペンダントとして売りに出し、購入したミックがラナに贈ったのである。久しぶりに人間に触れたおかげで、デュークは甦ることが出来た。
 いずれ、眠ったままのラナは緩やかな死を迎えるだろう。その頃にはデュークも本来の力を取り戻すはずだ。そうなれば《ナイトメアの石》からも解き放たれ、自由を取り戻すことができる。
 ウィル亡き今、あとはこれまで通りにラナの夢の中に棲み、彼女を虜にするだけでよかった。デュークは今後に思いを馳せながら、ラナがつけている《ナイトメアの石》に触れる。
 瞬く間に、デュークはラナの夢の中へ戻った。白亜のヴァルハラ宮と薔薇の庭園が出迎える。ウィルのファイヤー・ボールの痕跡など、きれいに消えていた。
「ラナ。どこにいるんだい、ラナ」
 デュークはラナの元へ急いだ。彼女はまだ、ウィルのことを気にかけているかもしれない。しかし、それを忘れさせることは可能だとデュークは考えていた。ここは夢の中なのだ。たっぷりと時間はある。これまでのように甘美な言葉と刺激に満ちた愛撫で、ラナを籠絡させるのはデュークにとって簡単なことだった。
「ラナ」
 デュークは私室のドアを開けた。ここにラナがいる。デュークは最高の笑顔を作って、中に入った。
 ところが、その表情は次の刹那、凍りついた。
「デューク……」
 ベッドに腰掛けるようにしてラナが待っていた。そして――
「来たか」
 その傍らに立つ黒い影。一瞬、デュークは自分が幻を見ているのかと疑った。
「ば……バカな……」
 ラナと共にいたのはウィル。黒衣の吟遊詩人である。
 そんなはずがなかった。
「なぜ、ここに――!?」
 確かにウィルは死んだはずだ。デューク自ら首をはねたのである。間違いない。
 では、目の前にいる、この男は誰だというのだろうか。
 勝ち誇ったような素振りもなく、相変わらず無表情のままで、ウィルはデュークを見つめていた。
 それを見て、デュークは確信する。この男は本物だと。
「無限回廊。あれはなかなか厄介だった。お前の干渉が薄らいでいなければ、さすがにどうなっていたことか」
 窮地に陥ったとは思えぬ口調で、ウィルは淡々と喋った。確かに、デュークがラナの夢から離れたせいで、その影響力が及ばなくなり、無限回廊の効果が薄らいだ。ウィルが脱出できても不思議はない。
 だが、それよりも本体たる現実世界のウィルを殺害したのに、どうしてまだラナの夢の中に存在していられるのか。そのことの方がデュークには不可解だった。
「どうして、ここに存在し続けられる?」
「オレも彼女と同じ夢を見ているからだ、と前に言ったはずだ」
「そうじゃない! お前は、この僕の手で――」
 殺した。首を大鎌<サイズ>ではねて。その感触はまだデュークの手の中に残っている。死んだ人間が夢を見続けられるはずがない。
「どうやら、保険が効いたらしいな」
「保険だと?」
 ウィルの言っている意味が、デュークにはまったく分からなかった。なおも訊ねかけたが、その前にラナが立ちあがり、ジッと目で訴えかけてくる。
「本当なの?」
「えっ?」
「私、このままここでデュークと一緒にいたら死んでしまうの……?」
 すでにウィルから色々と聞いていたのだろう。ずっと夢の世界に耽溺してきたラナにとって、急に突きつけられた現実。ここは夢の中に過ぎず、現実世界の時間は無情に流れていく。
 それでもまだラナには、どちらを信じていいか判断がつかないようだった。理想の男性であるとデュークと夢への異邦人たるウィル。彼女の揺れる逡巡は手に取るように分かった。
 デュークはあくまでも虚言を弄して、ラナを惑わせようとする。
「そんなことはない。ラナは何も心配しなくていいんだ。ここでずっと過ごせる。僕と一緒にね」
 理想を演じる以上、デュークにはラナが望むものは何でも分かった。彼女を信じさせるための言葉。彼女を安心させるための表情。すべてが完璧だ。
 その証拠に、ラナは半歩、デュークの方に近づきかけた。デュークは迎い入れようと、手を広げる。
 その瞬間、ラナの表情が怯えに引きつった。反射的に近くにいたウィルの後ろに隠れてしまう。彼女の手はしっかりと黒いマントを握りしめていた。
 一体、何が起きたのか。デュークには分からなかった。
「後ろを見てみろ」
 ウィルが言った。ここで素直に従い、わざわざ敵に隙を見せるのは愚かなことだ。であるのに、デュークは振り返らずにいられなかった。
 そこには元々なかったはずの鏡があった。それがデュークの真の姿を映し出している。ラナが理想としている青年のものではない。羊に似た巻き角とコウモリのような大きな翼。臍から下を黒と青の剛毛に包まれた禍々しき魔族の姿だ。
 デュークは慌てて自分の身体を見た。首から下は青年デュークのままだ。背中にも翼はない。デュークはもう一度、鏡の自分を覗いた。
「それは《真実の鏡》だ」
「《真実の鏡》……」
「それに映るものは、すべてが真実。偽りの姿など見破られる」
「どうして、そんなものがここに……!?」
「オレが置いた」
 ウィルは平然と言った。しかし、ウィルがそんなものを隠し持っていたようには思えない。確かに背中のマントは膨らんでいるが、そこにあるのは吟遊詩人としての商売道具である竪琴のはずだ。鏡など、どこにあったのか。
「そんなに驚くことはないだろう。誰もがここでは可能のはずだ。このヴァルハラ宮が彼女の想像の産物なら、この《真実の鏡》もオレの想像の産物だ」
 デュークは信じられぬといった顔でウィルを見た。もちろん、青年デュークのままで。
「ま、まさか……まさか……」
「ようやく分かってきた。この夢への干渉の仕方を」
 ウィルは事もなげに言った。もちろん、その意味を理解できたのはデュークだけ。ラナには何のことだか分からない。
「ここは彼女の夢であり、同時にオレの見ている夢でもある。夢は無意識が作り出すものだという。だが、それを夢と知覚することはできるし、意識的な影響力を及ぼすことも可能になる。それがオレの作った《真実の鏡》だ。無論、現物は持っていないし、見たこともない。そういう古代王国期のマジック・アイテムがあるという話を聞いただけだ」
「じゃあ、あれは偽物なの?」
 今度はラナが尋ねた。ウィルは首を振る。
「偽物じゃない。この夢の中では本物だ」
 とりあえず答えは得られたものの、ラナにはまだよく理解できなかった。
「人間が、勝手なことを……」
 ラナに真の姿をさらされ、デュークは歯ぎしりするほどウィルに憎しみを向けた。夢を操るのは自分だけでいい。
「勝手だと? では、他人の夢に入り込み、思うがままに堕落させるお前は何だ? お前は他人の夢に棲まう夢魔だろう」
 ウィルの鋭い視線がデュークを射た。デュークは舌打ちする。
「きゃあっ!」
 突然、ラナの身体がふわりと浮いた。そのまま天井付近の壁に磔になる。ウィルがそちらへ気を取られた瞬間、今度はその足下に穴が開いた。
「出て行け! この夢の中から! そして、二度と戻って来るな!」
 ところが、ウィルは穴に落ちず、そのまま立っていた。いや、宙に浮いていたと言うべきか。咄嗟に魔法を唱えたのでもない。まるで足下の穴など存在しないかのようだ。
「ムダだ。もうコツは分かっている。いかに、この夢を制御すればいいか」
 それは夢を操る夢魔のデュークにとって、何よりも屈辱的な言葉だった。
「ふざけるな! この人間風情が! ちょっと夢をコントロールできるくらいで――」
「まだ分からないか。ならば――」
 ウィルは右手を上げ、前に伸ばした。その途端、デュークもラナと同様に飛ばされ、壁に押しつけられてしまう。デュークはもがいたが、見えない力は凄まじく、逃れられなかった。
「くっ!」
 これも魔法ではない。ウィルがこの夢を制御しているのだ。あるいは支配していると言い換えてもいい。だが、この程度で屈服するわけにはいかなかった。デュークは別の方向からアプローチを試みる。
 部屋が軋みを立てた。地震などではない。その証拠に床は揺れていない。ゆっくりと部屋の四隅が離れ、壁が外側に倒れていく。デュークの仕業だ。
「きゃああああああっ!」
 壁に磔状態のラナが悲鳴をあげた。まるで箱が開く様に似ている。それぞれの壁は音を立てながら四方に倒れた。
 どのような夢の作用なのか、ラナの私室が解体されると、そこは薔薇の庭園だった。周囲にヴァルハラ宮は残っていない。いつの間にか消えていた。
「大丈夫か?」
 花園に包まれるようにして倒れていたラナをウィルは助け起こした。倒れるまであったはずの部屋の壁までも消失してしまっている。しかし、ここは夢の中だ。どんな不条理なことも起こり得る。
「デュークは……?」
 ラナはデュークを捜したが、見つからなかった。
「それよりも、ここを出るぞ」
「どうやって?」
 ウィルが答えかけたとき、低い唸り声が聞こえた。
 それは確かめるまでもなく、デュークが差し向けた三つ首の魔犬ケルベロスだった。


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