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吟遊詩人ウィル

夢幻の狂死曲<ラプソディ>

14.崩壊し行く世界

 死んだ三頭のロウガは、元通りの一頭に戻ると、スッと霞むように消えた。夢の世界で生まれた存在とは、そのように儚いものなのだろう。
 ウィルは短剣<ショート・ソード>を鞘に収めた。そして、ラナを振り返る。
「さすがだな」
 いつの間にか、ラナを人質に取る格好でデュークが立っていた。まだ偽り姿である青年のままだ。かつての恋人に動きを封じられて、ラナの顔は引きつっていた。
「それは《光の短剣》だな? ある時代、小癪な人間が作ったという最強の武器、だったか。どうして、お前がそのようなものを持っている?」
 デュークは尋ねた。しかし、ウィルは答えない。それどころか、ラナを盾にされたというのに、わずかな動揺すら見せなかった。そんな不遜な態度に、デュークは苦々しさを覚える。
「お前は一体、何者だと言うのだ?」
「何者でもない。ただの吟遊詩人だ」
 静かな佇まいの中に、対する者を圧する鬼気のようなものが、黒衣の美青年から発せられていた。ラナを奪い返し、優位に立ったはずのデュークが、痺れたように動けなくなる。ただの吟遊詩人、ただの人間風情に。
「くっ!」
 その呪縛を振りほどくように、デュークは目を瞬かせた。そして、萎えかけた闘志を自らを奮い立たせる。
「いいだろう。今度こそ、その首をもらいうける! ついてこい!」
 背中からコウモリの翼を出したデュークは、ラナを連れて、空へと舞い上がった。ウィルもそれを追いかける。
 デュークは山頂を目指した。そこは火口になっており、その底には煮えたぎるマグマが生き物のように蠢いている。デュークはその淵にラナを降ろした。
「動くなよ。動けば、下へ真っ逆さまだぞ。夢の世界だから死なない、などという常識を持ち込むのはやめておいた方がいい。ここは、君の夢の世界だが、同時に僕の影響力も及んでいる。僕は人間の夢を自らの力に変えられる夢魔だからね」
「夢魔……」
 これまでの態度と打って変わって、いよいよ本性を現したデュークは、自らの正体を明かした。ラナは怯えた目で、理想の男性だと思い込んでいた青年を見つめる。
「ヤツは魔族だ」
 追いついて来たウィルが言った。
 魔族。それは四千年前に神々と敵対し、今も物質界へ進出しようと目論んでいる人類最大の敵――もっと分かりやすく、“悪魔”と言い換えてもいい。デュークは、その眷属だった。
「特に、女性の夢に棲む夢魔を“インキュバス”と呼ぶ」
「インキュバス……」
「夢の中で誘惑を仕掛けて堕落させ、代わりに己が力を増大させる悪魔。この夢はそいつによっていいように創り替えられている。そして、現実の世界へもその影響力が出始めていることから、かなりの力をつけてきていると言えるだろう」
 それがウルの村に出現した薔薇の花や、撤去した岩などが元に戻っていた原因だった。
「インキュバスか。お前たち人間は、男を誘惑する“サキュバス”と区別しているようだが、それは正しくない。僕ら夢魔は、どちらの人間にも取り憑けるし、それによって姿を使い分けられる」
「そうか。それは教えてもらって何よりだ。勉強になる」
 戦いの最中だというのに、ウィルは真顔でうなずいた。デュークは闘志を削がれそうになる。
「冥土の土産、というヤツだ。有り難く受け取っておけ」
「土産なら、持ち帰らねば意味がない。彼女とともに現実世界へ帰らせてもらおう」
「それは出来ない相談だ!」
 ラナをその場に残し、デュークは飛行した。腕をひと振りすると、どこからともなく巨大な鎌<サイズ>が現れる。ウルの村で一度はウィルの首をはねたデュークの得物だ。
 一旦、距離を取りながら、ウィルは呪文を唱えた。
「ヴィド・ブライム!」
 デュークめがけ、ファイヤー・ボールが撃たれた。それをデュークは大鎌<サイズ>を一閃させ、ぶった斬る。両断されたファイヤー・ボールが二カ所で爆発した。
 その爆発の中より、デュークが肉薄した。魔の大鎌<サイズ>が黒い影を切り裂こうとする。しかし、それよりも速くウィルは回避し、デュークの攻撃を空振りに終わらせた。
「ガ・ゴーラ!」
 ウィルが唱えた白魔術<サモン・エレメンタル>によって、山肌の小石がデュークに向かって飛んだ。それは無数のつぶてとなって、デュークに痛打を浴びせる。正面のウィルからではない、予想外の方向からによるストーン・ブラストに、さすがのデュークもひるんだ。
「むおっ!? そんな小癪な手で、この僕を斃せると思うなよ!」
 ストーン・ブラストを耐え忍んだデュークは、ウィルを睨み返した。だが、ウィルの攻撃はこれで終わりではない。
「まだだ! ガ・ゴーラ!」
 デュークに命中した石つぶてが、まだ地表に落ち切らないうちに、再び命を宿した。今度は下からの一方向だけでなく、全方位よりストーン・ブラストが着弾する。さっき以上に防ぎようがなかった。
「ぐおおおおおっ! おのれ、おのれぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 ストーン・ブラストの集中砲火を浴びたデュークは、完全に二枚目の仮面が剥がれ、憎悪剥き出しの悪鬼と化した。血の滲む様が、なおのこと凄絶さを物語る。遂にデュークは変身を解き、夢魔本来の姿をさらした。
 それは《真実の鏡》が暴いたのと同様、悪魔じみた姿だった。それを火口の淵より見上げたラナは、いかに自分がこれまで化け物とおぞましい行為を繰り返してきたのかを思い出し、怖気を震う。もし、美貌の吟遊詩人が助けに来てくれなければ、ラナはこの夢の世界に捉われたまま、魂を悪魔に喰らわれていたに違いない。
 両者の戦いが苛烈を極める中、ラナが立つ火山に変化があった。まるで近づいて来るように地鳴りが聞こえたかと思うと、いきなり足下が揺れ始める。ラナは火口に落ちそうになり、慌ててしゃがみ込んだ。
 火口を覗くと、マグマの活動が活発になっていた。噴火しそうなことがラナにも分かる。だが、逃げたくても、一歩も動けない状況だった。
「う、ウィル!」
 ラナが助けを求める相手は、上空で魔族と戦っていた。
 もちろん、ウィルも地上の異変には気づいていた。しかし、目の前のデュークを無視するわけにもいかない。風を切り裂く大鎌<サイズ>の唸りが格段に大きくなっていた。
「殺すっ! 殺すっ! 殺すぅぅぅぅぅっ!」
 ウィルを討とうと、デュークは躍起になっていた。だが、あくまでもウィルは距離を保ち、魔法で応戦する。マジック・ミサイルや電撃の直撃を受けても、デュークはひるまなかった。
「生憎だが、本来の姿に戻った僕に、魔法は通用しないぞ!」
 どうやら、デュークが言うように、夢魔の能力を全開にさせた今、魔法抵抗<レジスト>も強力になっているようだ。元々、魔族は魔力が高く、並の魔術師では足下にも及ばない。
 ウィルは奥の手として、《光の短剣》を抜いた。ところが刀身が発する光が、先程に比べて弱々しい。それを見て、デュークはニヤリと笑った。
「やっと抜いたか。しかし、手遅れだと思うが」
 デュークの仕掛けに対し、わずかにウィルの回避が遅れた。切っ先には触れなかったものの、こんなことは珍しい。
 次の攻撃もウィルは躱し損ねた。危ういところを《光の短剣》で受け止めるが、デュークの鋭い攻撃に屈し、身体が大きく弾き飛ばされる。ウィルは頭を振った。
「これは……?」
「どうやら、効いてきたみたいだな」
 デュークは唇の端を歪めて、笑みを浮かべた。どうやら次第に冷静さを取り戻してきたらしい。
 ウィルの瞼は、半分、閉じかかっていた。今、この美しき吟遊詩人に猛烈な睡魔が襲っているのだ。デュークの攻撃に追い詰められ始めたのは、そのせいだ。
「その目か……」
 呻くように、ウィルは言葉を漏らした。デュークの微笑は邪悪さを増す。
「見破ったか。だが、少し遅かった。僕は夢魔。夢を司ると同時に眠りも司る。僕の目を見た者は、必ず眠りに落ちるのさ。まっ、人間の割には、意外に耐えた方じゃないか」
「………」
「さあ、これで終わりだ」
 デュークは大鎌<サイズ>を振りかぶった。
「ガープ!」
 最後の気力を振り絞り、ウィルは黒魔術<ダーク・ロアー>を使った。すると、突如として夜が訪れたかの如く、周囲が暗闇に包まれる。デュークの目の前から、ウィルの姿が覆い隠された。
「ムダなあがきを!」
 デュークは無闇に大鎌<サイズ>を振るったが、すべて空振りに終わった。魔族は夜目が利くが、この暗闇は魔法によるものである。魔族であっても見通すのは不可能だ。
「こうなったら――リ・マナ!」
 業を煮やしたデュークは、同じく黒魔術<ダーク・ロアー>の魔法解除をかけた。たちまち、ウィルが作った暗闇は消滅する。しかし、近くにいたはずの吟遊詩人の姿は忽然と消えていた。
「どこだ!? どこに行ったんだ、ヤツは!?」
 火口から動けずにいるラナを見下ろしてみたが、そこにもウィルはいなかった。
 その間にも、火山活動は激しさを増していた。いつマグマが噴き上げてもおかしくない。ラナは激しい揺れの中、燃え盛る火口に落ちまいとするのに必死だった。
「神様、お願いです……助けてください……!」
 ラナはひたすら祈った。これまでになかったくらい、神の慈悲にすがる。
 だが、願いも虚しく、事態はさらに悪化した。
 ラナがいる火山だけでなく、世界が鳴動していた。大地が引き裂かれ、無数の地割れから天を突くほどの火柱が次々と立ち昇る。それは徐々に火山へと迫り、この世の終わりを思わせた。
「ああっ……ああっ……」
 山頂より見渡せる壮絶な天変地異の前に、ラナはあまりにも無力だった。


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