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吟遊詩人ウィル

夢幻の狂死曲<ラプソディ>

15.もう一人のウィル

 天変地異は、夢の中の世界が終焉に差し掛かっている証拠だった。
 夢の消滅まで、あとわずか。
 この夢は、元々、ラナのものである。だが、それは正確ではなく、実際にはデュークの干渉が加わって成り立っていた一種の複合世界だ。そのため、ラナがデュークへの依存を断った今、世界の均衡は著しく崩れてしまっている。ラナの目覚めとは関係なしに、夢そのものの分断が始まっているのだ。
 夢の世界が崩壊していく中、デュークは消えたウィルの姿を捜した。もう、あまり時間がない。夢の世界が完全に崩壊すれば、デュークといえども留まることは不可能だ。そして、このカタストロフィを止める手段も持っていなかった。
 デュークは、もう一度、ラナを見下ろした。
 夢の崩壊に巻き込まれた場合、ラナは現実世界へは帰れず、虚無の中へと呑み込まれる。それは死と同義だ。まだウィルが健在ならば、そんなラナを助け出さないはずがない。ウィルは必ず現れる。
 今か今かと、痺れを切らすデュークがふと頭上を見やったとき、ようやくおかしなことに気がついた。しばしば黒煙に遮られる太陽。デュークの目が見開かれた。
「そこか!」
 夢の世界は現実世界と似て非なるもの。それは夢を見る者によって、現実世界と変わらずに存在するものもあれば、あくまでも想像の産物でしかないものも存在し得る。反対に、現実世界には必要不可欠であっても、夢の世界では必要とせず、それで世界が成り立つことも事実だ。
 ラナが見る夢の世界に、太陽はないはずであった。太陽がなくても明るいという不自然な世界。時間経過によって、星や月は出て、夕焼けも見ることは可能だが、昼間、中天に太陽は存在しない。それが現実では有り得ない、夢の世界たる所以であった。
 その太陽が、今、存在している。なぜか――
「太陽を作り出し、その中に身を潜ませるとは!」
 デュークが看破した通り、それはウィルがカムフラージュのために創造した太陽だった。ウィルは、その中に身を溶け込ませ、デュークの目を欺いていたのだ。
 大鎌<サイズ>を振りかざしたデュークは、太陽に向かって飛翔した。
「だが、ここまでだ!」
 ウィルの首を狙い、大鎌<サイズ>が襲いかかった。その凶刃を《光の短剣》が受け止める。《光の短剣》は力を取り戻したかのごとく、太陽に優るとも劣らない輝きを増していた。
 空中にて、激しい鍔迫り合いが繰り広げられた。
「お前は気づいていないようだな」
「何をだ!?」
 渾身の力を込めながら、デュークは問い返した。
「オレが太陽を作り出した理由を、だ」
「隠れ蓑以外に、どんな意味があるというのだ!?」
「それは――お前の目を封じるためだ」
 ウィルは太陽を背にしていた。デュークは眩しくて、なかなか目を開けていられない。おまけに《光の短剣》が放つ光も強烈だ。見た者を眠りに誘う魔眼も、その効力を発揮できなかった。
「そんなもの――」
「悪いが、長いこと、お前の相手ばかりしていられない」
 ウィルはデュークの腹部を蹴り飛ばし、一旦、離れた。その隙に呪文の詠唱に入る。
「デドラ・ナム!」
 それは黒魔術<ダーク・ロアー>の重力魔法だった。いきなりデュークは見えざる巨人の手によって押し潰されるような衝撃を受け、飛行もままならず墜落する。
「くっ! ぬうううううううっ……づあああああっ!」
 無論、デュークは抵抗したが、そんなものは徒労にしかならない。そのままひび割れる大地に突っ込み、なおも加わる猛烈な力によって、地中へとめり込んでいった。
 魔法の効果が持続しているうちに、ウィルはラナの救出に向かった。火口の淵に座り込んだラナは、いつ噴火の炎に呑まれるか分からない状況に少しも動くことが出来ない。
「つかまれ!」
 ウィルは手を差し伸べた。それに気づいたラナも、ウィルの手をつかもうとする。
「ウィル!」
 しかし、それよりも前にラナの足場が崩れた。あと少しのところでウィルに届かず、マグマに満ちた火口へと落ちていく。その瞬間、ラナは悲鳴すら発することができなかった。
「――っ!?」
 目をつむり、死を覚悟したラナであったが、突然、右腕を強い力で引っ張られた。ウィルだ。ラナは宙吊りのまま、自分が落ちるはずだった火口を覗き込んだ。
「帰るぞ」
 ラナの腰へ手を回したウィルが短く言った。
 二人は空高く昇った。瓦解する夢の世界を後にして。それはいつしか遠のき、眩しい光が周囲を包みこんだ。



 ラナは目覚めた。
 窓からは朝日が差し込んでいる。何か、とてつもなく長い夢を見ていたような気がするが、今の今まで憶えていたはずの内容がスッと消えてしまっていることに戸惑う。だが、すぐに身体が冷え切っていることと、かなりの空腹感に苛まれ、夢を思い出すことも忘れてしまった。
 しかも奇妙だったのは、目覚めた場所が自分の部屋の中ではなかったことだ。両親が死んで以来、ずっと自室に引きこもっていたはずである。眠る前の記憶と違っていた。
 さらに、自分が裸で寝ていたことにも驚いた。布団や毛布もかけておらず、こんな格好で寝ていたら、身体が冷え切っているのも当然だ。
 ぼんやりと働かない頭で部屋を見回すと、床に血のようなものが広がっているのを見つけ、ギョッとした。しかも誰かが倒れている。おびただしい血の量からして、その人物が死んでいるのは間違いない。しかし、それを詳しく確かめようとする勇気はラナになかった。
 死体のない反対側からベッドを下り、とりあえずラナは着る物を探そうとした。そこで部屋の入口に、もう一人が倒れているのを発見する。イミールだ。彼も死んでいるのかと思い、ラナは両手で口を覆った。
 そこへ現れたのは――
「戻れたようだね」
 部屋の入口に姿を現したのは、ラナの知らない男だった。いや、何となく知っているような気もする。ラナ好みの二枚目だ。体格も逞しい。だが、なぜか恐ろしげな大鎌<サイズ>を肩に担いでいた。
「だ、誰?」
「悲しいな。僕を忘れてしまったのかい? デュークだよ」
「デューク……」
 青年が名乗るのを聞いて、何となく知っているような気分になる。以前、どこかで会ったような――
「まあ、僕のことなんてどうでもいい。もう君は用済みなんだから。それよりも、僕が君の叔父さんと同じところへ送ってあげよう」
 目の前の男――デュークの言っている意味がラナには分からなかった。ただ、身の危険を覚えて後ずさる。だが、大して下がりもしないうちにベッドにぶつかり、その拍子に倒れ込んでしまう。全裸で、何も身を守る術もなく、異常な言動の青年に殺されようとしている自分。
 ラナは悲鳴をあげた。
「た、助けて! ウィル!」
「ディロ!」
 まるでタイミングを量っていたかのように、デュークの横腹に光の矢が直撃した。マジック・ミサイルだ。不意討ちを喰らったデュークは顔を歪め、横腹を押さえながら魔法が飛んできた方向を見やる。
「つっ! まさか……やはり、本当に死んでいなかったというのか……」
 ラナからは、隣の部屋の様子がドアの開いている部分だけしか分からなかったので、それが何者なのか見えなかった。ただコツコツという近づく靴音だけが耳に響く。
「オレも驚きだ。お前は夢の崩壊に呑まれたのではなかったのか」
 気圧されたように部屋の奥へ消えたデュークに替わり、ドア越しには黒ずくめの旅人が姿を現した。この旅人が自分を救ってくれたのだということは分かるが、やはり誰なのかは分からない。けれども、自分は助けを求める際、「ウィル」という名を呼んだ。村にはいない名である。ひょっとして、この旅人がウィルなのではないか、とラナは直感的に思った。
 黒いマントの旅人は、一瞬だけラナを一瞥すると、すぐに大鎌<サイズ>を持った青年デュークに視線を戻した。長い黒髪に隠れがちの横顔だが、とても男性とは思えぬほどの美形だ。身体つきもデュークに比べると華奢である。にもかかわらず、どこか何者も寄せつけない鬼気のようなものを身にまとっていた。
「忘れては困るな。僕を誰だと思っているんだい? 夢魔だよ。あんな状況でも、夢の世界から抜け出すことなんて簡単なことさ」
「そうだったな。しかし、かなり力を使い果たしたようだ。それでオレを殺せるか?」
「殺せるさ!」
 大振りの大鎌<サイズ>だけがドア越しに見えた。危ない、と思った刹那、黒ずくめの男は攻撃をかいくぐり、デュークと立ち位置を入れ替える。たたらを踏んだデュークが振り返るや、二つ目の魔法が飛んだ。
「ベルクカザーン!」
 青白い電光が部屋を横切った途端、デュークの身体が弾けたように、大きく吹き飛ばされた。その後を追うように、旅人が悠然と歩き出す。ラナはどうなったのかと、部屋の出口から頭だけを出して覗いてみた。
 どうやら電撃は、デュークを家の外まで吹き飛ばしたようだった。玄関前で倒れたデュークが、同じく外へ出てきた黒マントの男を見上げる。得物である大鎌<サイズ>は、まだ手放していない。倒れて動けないふりをしておきながら、武器を握り直すや否や、騙し討ちで旅人を斬り殺そうとした。
「ぐわっ!」
 ところが、それよりも早く、その腕を踏みつける足があった。もちろん、デュークは大鎌<サイズ>を振るうことができず、苦痛に顔を歪める。その光景を見て、ラナは目を丸くした。
 なぜならば、デュークの攻撃を封じた者こそ、黒マントの旅人と瓜二つの人物――もう一人の吟遊詩人ウィルだったからだ。


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