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吟遊詩人ウィル

夢幻の狂死曲<ラプソディ>

16.夢の終わり

 二人のウィルを見て驚いたのは、ラナばかりでなく、デュークも同じだった。同時に謎のひとつが解ける。
「どうやら、僕が斃したのは本体ではなかったようだな」
「その通り」
 最初に登場したウィルがうなずいた。もう一人のウィルは、デュークの右手を踏みつけたまま、反撃に出ないかを警戒している。二人は合わせ鏡のようにそっくりであったが、こちらの方が嗜虐性を秘めた笑みを浮かべていた。
「オレが眠っている間を狙われては、ひとたまりもないのでな。護衛兼身代わりを立てておいた」
「それがコイツか」
「昨日はよくもやってくれたな」
 もう一人のウィルが踏みつける足に力を込めた。デュークは歯を食いしばって耐える。悲鳴をあげたら相手に屈することになると、自分に言い聞かせながら。
「言っておくが、あんな騙し討ちに遭わなきゃ、オレはお前を斃せていたんだ。それに、最終的にはお前を逃がすよう命令されていた。それがなきゃ、今頃……。首をはねたくらいで、いい気になるなよ」
 それでも一度はデュークにしてやられたことが悔しいのか、もう一人のウィルの言葉には苦々しさが含まれていた。
 だが、それよりもデュークが引っかかったのは、別の部分だ。
「首を……では、あのときの男だと……!?」
 デュークを見下ろしているウィルの分身は、また別物だと思っていた。しかし、首をはねられたことに怨みを抱いているということは、同一の存在だと考えられる。
「そうとも。だが、オレは人間じゃねえ。お前と同じ魔族のドッペルゲンガーだ」
 ドッペルゲンガー。
 魔族の中でも、最も変身を得意とする魔族として有名だ。その変身能力を利用し、誰かになりすまして悪事を働いたり、その人物を貶めるような行動を取ったりする。また、言い伝えには、自分と瓜二つのドッペルゲンガーを目撃した場合、その者は死に至る、ともあり、それを信じている人間は数多い。
 思わぬ告白に、デュークはなおさら信じられない目を向けた。
「ドッペルゲンガー……僕と同じ魔族……!? なぜだ!? なぜ、魔族であるお前が人間の手先になる!?」
 そうデュークに問われると、ドッペルゲンガーのウィルは痛いところを突かれた、といった表情になる。
「そ、それは……」
「そいつはオレの使い魔だ」
 ドッペルゲンガーが言いにくそうにしているうちに、ウィルがあっさりと明かした。それを聞いたデュークは、益々、混乱してしまう。
「つ、使い魔!? 人間が魔族を、か!?」
「そうだ」
 前代未聞だった。確かに、人間と魔族は契約を結ぶことがある。魔族の力を人間が得るために。だが、その対価として失うものは、人間にとって大きく、決して割に合うものではない。場合によっては、それこそ悪魔に魂を売るようなもので、生命を奪われる危険性すらあるのだ。
 にもかかわらず、このウィルという男は、見た限りでは五体満足の状態で、魔族を使役しているという。それは人間であるウィルが、魔族たるドッペルゲンガーよりも上位の存在であるという信じ難い事実を示していた。
「ば、バカな……お前は、一体……」
「だから、そんなことをこの男に訊いたってムダなんだよ。どうせ、『ただの吟遊詩人だ』としか答えやしねえんだから」
 ドッペルゲンガーが吐き捨てるように言った。
 デュークは愕然とするしかなかった。
 ――吟遊詩人ウィル、恐るべし。
「さて――おい、ウィル。コイツの始末はオレに任せてもらうぜ」
「好きにしろ」
 ウィルは背を向けると、家のドアから覗くラナを促し、中へと消えていった。もう、デュークのことなど眼中にないかのように。
 その黒ずくめの吟遊詩人に化けたままのドッペルゲンガーは、デュークの手から大鎌<サイズ>を奪うと、すでにほとんどの力を失った相手に対して振り上げた。
「さあ、覚悟しろよ。あの一撃、死ぬほど痛かったからな。お返しさせてもらうぜ」
「ま、待て。お前、曲がりなりにも魔族だろ? このまま人間の言いなりでいいのか?」
 デュークは悪足掻きをした。ドッペルゲンガーは渋い顔になる。ウィルそっくりの顔で。
「そりゃあよ。魔族であるこのオレが人間の下につくってのは屈辱だ。でもよ、今のあいつにオレじゃあ刃向かえねえ。契約のこともあるし、あいつがこれまでに何匹もの魔族を葬ってきたことも知っているしな。とにかく、逆らわねえ方が身のためだ。あのウィルって男にはよ」
 まだ、デュークには信じられなかった。魔族を恐れさせ、従属させる人間がいることに。これは何かの間違いだ。まるで悪い夢でも見ているような――
 ドッペルゲンガーによって最期を迎えるまで、夢魔のデュークはその現実を受け止められなかった。



 ようやく服を着たラナは、立ったままでいる黒いマントの背中を見て、胸が締めつけられる思いがした。
 ラナは、この男が誰なのか、未だに思い出せなかった。しかし、ふと口にした「ウィル」という名前。思い出せないのだが、きっと自分はこの男のことを知っているのだと思う。そして、さっき助けられたように、何度もこの男によって救われたのだろうという確信があった。
 だが、この旅人は、またどこかへ去ってしまうらしい。ひとつの場所にずっと留まっていられるような男ではないのだ。そんなことが何となく察せられた。
「……行ってしまうの?」
「ああ」
 予期した答えだった。ラナの目に涙が込み上げる。
「私も連れて行って」
 男の背にラナはしがみついた。まだ十五歳のラナと比べても、そんなに大きくはない。しかし、こうしていると不思議なことに安らぎを得られた。
「お父さんもお母さんも死んでしまった。今度は叔父さんまで。私、一人ぼっちになってしまったの。このまま生きていくことなんて出来ない」
 首のない死体がラナの叔父、ミックのものであることを教えられた。なぜ、全裸の状態で死んでいたかは分からないが、これでラナは唯一の身内をも失ったことになる。あまりにも短い間にすべてのものが奪われ、弱冠十五歳の少女には生きる希望など見出せなかった。
 男は振り向いた。そして、ラナの肩に手をかける。
「悪いが、連れて行くことは出来ない」
「どうして?」
「君はまだ十五歳だろう。村から一歩も出ていない女の子が想像するほど、旅は甘いものではない」
「でも――」
「それに君は一人ではない。君を助けてくれる人は他にもいる」
「そんな……そんな人なんているわけが……」
「ラナ?」
 不意に男の子の声がした。ミックによって今まで眠らされていたイミールだ。眠そうな目をこすりながら、ラナを見つめている。すると、次第にぼんやりとした意識がはっきりしてきたのか、表情がほころび、ついには破顔した。
「わあ、ラナだ! ラナが目を覚ました! よかった! これ、夢なんかじゃないよね? 本当によかったよ、ラナ!」
 イミール少年は飛び跳ねんばかりに喜び、ラナに抱きついた。イミールの様子に、ラナは驚いて、何と返していいか分からない。イミールはその場でステップを踏んだ。
「僕、僕、本当に心配してたんだよ! このままラナが目覚めなかったらどうしようって! でも、よかった! こうして、また目を開けてくれたラナに会えて!」
「ちょ、ちょっと、イミール! やめて! 落ち着いてちょうだい!」
 すぐにいつもの調子を取り戻したラナは、強い口調でイミールに言った。はしゃぎすぎたイミールは、ラナに拒絶されて、ハッと我に返る。ラナからも離れた。
「ご、ごめん、ラナ。あまりにも嬉しかったものだから」
 イミールもまた、内向的な少年に戻った。ラナに抱きつくという大胆な行為に、今さらながら赤面してしまう。
 いつもくっついて歩くイミール少年のことを甘えん坊の弟のようにしか見ていなかったラナは、自分がどれだけ見守られていたかを初めて知ったような気がした。ちょっと頼りないが、イミールなら、いつでもラナが困っているときに助けてくれるだろう。そんな風に思った。
 すっかりとイミールに気を取られてしまったラナは、危うく、もう一人の存在を忘れてしまうところだった。イミールのことを紹介しようと、ラナは振り返る。だが、そこに黒いマントの旅人はいなかった。
 ラナは慌てて外へ出た。どうやら別れも告げずに出て行くつもりだったらしい。遠ざかり行く背に、ラナは声を張り上げた。
「ありがとう! 私、この村で頑張って生きてみる!」
 旅人は立ち止り、振り返った。これまで一度も見せなかった微笑みが返される。ラナは声を上擦らせた。
「ねえ! いつかまた、会えるでしょ?」
 吟遊詩人はうなずいた。
「ああ、またいつか夢の中で」



 ピーターは朝早くからジャガイモの収穫に追われていた。
 やっと畑を覆っていた薔薇のいばらを撤去し終わり、本来の仕事が出来るようになったのだ。休む間もなく働かないと、せっかくの収穫時期を逃してしまう。普段から頭が上がらない嫁からも尻を叩かれていた。
「ああ、チクショウ! あの薔薇騒動さえなきゃ、今頃、収穫も終わっていたはずなのに!」
 ぶつくさ文句を言いながらも、ピーターはせっせと作業していた。
 そこへ村の方角から、誰かがやって来た。ピーターはその気配を感じてはいたが、とにかく気が急き、忙しい。そのため、誰なのかも確かめず、必死に手を動かし続けた。
 すると、その人物がピーターに声をかけてきた。
「昨日はウルの村を教えてもらい、助かった。礼を言わせてもらう」
 最初、ピーターは何のことかと思ったが、そう言えばそんなことがあったな、と思い出した。嫁も、珍しく村に旅人が来た、という話をしていたような気がする。どんな男かは、仕事疲れのせいで早めに寝てしまったから聞いていないが。
「もう行っちまうのか」
 作業を続けたまま、ピーターは尋ねた。べっぴんならともかく、男に興味はない。
「ああ。行くところがあるのでな」
「そうかい。まあ、気をつけて行くこった。近頃、ここいらは山賊が出るっていう噂だからよ」
「気をつけるとしよう」
 そのまま、その人物は村とは反対の方向へ去っていった。
 ふと、ピーターは曲げていた腰を伸ばし、道を見やった。黒い影法師のような後ろ姿が遠くに見える。結局、昨日も今日も、男の顔を見ず終いだった。
「まあ、いいか」
 その後、ピーターは美しき吟遊詩人の話をあらゆる人から聞かされるはめになった。


<Fin>



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