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「狭いところですが、どうぞ、休んでいってください」
村長のバージルはそう言いながら、自分の家にウィルを案内した。
滅多に旅人も来ないこの村では、宿屋などという気の利いたものはなかった。それゆえ、村の中で他人を泊めることの出来る家など限られてくる。バージルは即座に、ウィルを自分の家へ招いた。他の村人に比べれば、泊める余裕があることと、村長としてウィルに頼みたいことがあったからだ。
扉を開けると、そこには先程までルジェーロと口論をしていた娘のエルザと、非難を受けていた少年ヨハンがいた。ルジェーロのせいでケガを負ったヨハンを、エルザが治療しているところだ。父の帰宅に、エルザは振り返った。
「あっ、お父さん、お帰りなさい」
「ただいま。──エルザ、今晩、客人を泊めることにしたよ」
エルザは父の後ろで立っている人物に初めて気がついた。そして、ウィルの顔を見た途端、瞳が潤み、頬が紅潮する。
「吟遊詩人のウィルだ。厄介になる」
ウィルは短く挨拶をすませると、旅帽子<トラベラーズ・ハット>も取らずに、エルザの向かいに座り、マントの下に背負っていたと見られる竪琴を降ろした。それは見事な細工が施された《銀の竪琴》。しかし、エルザが見取れるのは、それよりもウィルの顔であった。
さっきも顔を合わせているはずなのだが、すっかりヨハンをかばうのに夢中で、ウィルの存在に気づかなかったエルザだ。こうして改めて間近にしてみると、他の女性たちと同じく、虜のようになってしまう。隣にいたヨハンがエルザの目の前で手の平を振った。
「エルザ? どうしたの、エルザ?」
ヨハンに声をかけられ、ようやくエルザは我に返った。そして、羞恥心に顔を染めて、慌てたように治療薬を片づけ始める。
「ご、ごめんなさい。今、お茶をお出ししますから」
「お構いなく」
遠慮するウィルに、益々、エルザの熱は上がり、半ばぼーっとした状態で席を立った。そんなエルザの様子に、父親のバージルも、そしてヨハンも唖然とする。それくらい、異性を前にして、こんなに舞い上がっているエルザを見るのは初めてのことだった。バージルは、先刻のルジェーロとの一件について娘をいさめるつもりだったが、これでは断念するしかなかった。
しかし、それも無理はないだろう。このウィルという男の美しさを前にしては。
ウィルは正面に座っている若者ヨハンを見た。
「傷の具合はどうだ?」
ウィルに尋ねられ、ヨハンははにかむように、唇の傷に触れた。
「大したことはありません。ルジェーロがボクを殴ったのは当然ですし……。何しろ、ボクは取り返しのつかない過ちをしてしまったのですから」
バージルはそんなヨハンの後ろに回り込むと、その肩を優しく叩いた。
「ヨハン、あまり自分を責めるな。人間、どうにもならないこともあるんだ。必要以上に気に病むことはない」
「すみません、村長……」
バージルに慰められたヨハンは、また泣き出しそうな顔をしていた。
次にバージルは、ウィルへと向き直った。
「それにハーピィのことだが……私はウィルさんに村を守ってもらえないかと思っているんだ」
「ウィルさんに村を?」
煎れ立てのハーブ茶を運んできたエリザが、父の考えを耳にして、驚いたような表情を作った。客人であるウィルに、まず湯呑みを置き、バージルを見やる。
「お父さん! 初めて村へ来た人に、そんな大変なことを頼むだなんて!」
どうやらエルザは父の考えが突拍子もないものに思えたようだ。口調も強く、父の非常識さに呆れる。だが、バージルはかぶりを振った。
「お前たちは見てなかっただろうが、このウィルさんは魔法をお使いになるんだ。そりゃあもう、アッという間に三匹のハーピィを斃してしまったんだぞ。あの見事な手並み。ウィルさんが村にいてくれれば、これほど心強いことはない」
バージルに力強く言われ、エルザもウィルの方を見た。しかし、ウィルは何か考え込んでいる様子だ。
バージルが慌てて付け加える。
「もちろん、タダでとは申しません! 村人全員で、出来る限りの報酬は用意させていただきます。領主が我らの願いを聞き届けて、ここへ兵を送ってくれるまでの間で結構なんです。不躾とは思いますが、どうかお引き受けいただけないでしょうか?」
ウィルはそれに答えず、思案を続けた。やがて、
「報酬の話は別として、オレがこの村に留まっても、根本的な解決にならないのではないか? もっと効果的な策を練らないと」
と、逆に提案してきた。バージルたちは顔を見合わせる。
「と言いますと?」
「例えば、ハーピィの巣そのものを取り除いてしまうとかだ」
ウィルが出した解決策に、バージルたちは目を丸くした。確かに、それが出来れば一番だろうが。
「ハーピィの巣は、この村よりもさらに高い所にある、断崖絶壁の岩棚だと言われています。とてもじゃありませんが、人間が登れるような場所ではありません」
ハーピィを巣ごと排除しようという考えは、昔から村で何度となく繰り返されてきた議論だ。命がけで断崖を登り、ハーピィの巣を確認してきた者もいる。しかし、実現不可能な策だった。
「それに巣の近辺は、半端じゃない数のハーピィがいるという話です。いくら魔法をお使いになるウィルさんと言えども、何百匹というハーピィを一度に相手にするのは……」
気を悪くさせないかと控えめにしながら、バージルは言った。簡単にハーピィを排除できるのなら、とっくにそうしている。それが出来ないから長年の悩みの種になっているのだ。
だが、それに関して、ウィルは何も言わなかった。特にバージルの言葉を不快に思った様子もない。ただ、「そうか」と静かにうなずいた。
「ところで──」
ウィルはハーブ茶の入った湯呑みを手にしながら、
「この山でカーンが亡くなったという話を聞いたのだが?」
と、三人の反応を窺うように尋ねた。
「カーン!?」
それに一番食いついてきたのは、ハーピィの件では口を閉ざしていたヨハンだった。沈んでいたはずの表情が、パッと輝き出す。そんなヨハンを見たエルザも、つられたように笑った。
「あなたはカーン様の伝説を知って、ここへ来たの?」
「そうだ」
尋ねるヨハンに、ウィルはうなずいた。それを聞いたヨハンが、なぜか喜ぶ。
「もしかして、カーン様の歌を作るためとか?」
「ああ」
「それはすごい! 完成したら、ぜひボクにも聴かせてよ!」
ヨハンはウィルの手を取らんばかりにはしゃいだ。エルザが苦笑する。
「ホント、ヨハンは昔からカーン様のことが好きねえ」
「当たり前じゃないか!」
ヨハンは思わず席を立った。そして、両拳を握りしめる。
「伝説のマスターモンクだよ! ロハンの英雄伝でも一番有名じゃないか! 『その拳は空を裂き、苦しむ万人に癒しをもたらす』。最高だよ! もう何回、あの人の本を読んだことか!」
ヨハンは興奮気味に話した。普段は大人しいのに、マスターモンク・カーンを語るときは、いつもこうだ。
かつてロハン共和国が小さな国々に分かれ、長年、戦乱に明け暮れていた五百年ほど前のこと、リシュウという国に己の肉体を鍛え上げた修行僧<モンク>の一派がおり、独自の武術を編み出したと言われている。その僧兵を率いていたのがカーンだ。
カーンは一切の武器を用いず、自らの拳のみで敵と戦ったと伝えられている。その力は、ヨハンがそらんじたように、空を切り裂くほどのもので、まさに一騎当千の強者であったらしい。また、高位の聖魔術<ホーリー・マジック>も修得しており、民たちからも神のようにあがめられた聖人と言われている。
ロハン共和国では、マスターモンク・カーンは英雄だ。その後、リシュウ国がロハン統一への道筋を作ったこともあって、今でも共和国が最強を誇る僧兵たちは、カーンが体得していた武術を受け継いでいる。その武力こそが、ロハンをネフロン大陸の中でも五大王国に匹敵する東の大国として知らしめている所以であった。
「晩年のカーンは、このノボス山にこもり、一人で悟りを開きながら、生涯を閉じたと聞いている。もし、その場所が残っているのなら、ハーピィの件と引き替えというわけではないが、教えてもらえないだろうか?」
ウィルの話に、バージルとエルザの顔が曇った。ただ一人、ヨハンだけが明るさを絶やさない。
「残念だけど、カーン様がどこで亡くなられたのかは分からないんだ。カーン様は他の人たちから遠ざかるようにして、山にこもられたからね。──でも、ボクも昔からカーン様が亡くなられた場所を探したいと思っていたんだよ! その場所は絶対にこの山のどこかにある! それは間違いない! だから、ボクも協力するよ! 一緒にカーン様の最期の場所を探そう!」
ヨハンは勢い込んで言った。いつもは内気な少年が、このように積極的なところを見せるのは珍しい。バージルばかりか、ヨハンをよく知っているはずのエルザでさえ驚いた。
そんなヨハンに、ウィルは優しい表情を向けながらうなずいた。
「そうか。では、ハーピィの件は早く片づけて、手伝ってもらおう。そのときはよろしく頼む」
「うん、任せてよ!」
ヨハンはドンと胸を叩いて見せた。
今度はバージルが立ち上がる番だった。ウィルの方へ身を乗り出すようにする。
「う、ウィルさん! じゃあ、ハーピィの件は引き受けていただけるのですね!?」
すると、もう一度、ウィルはうなずいた。
「ああ。これもカーンの歌を作るためだ。引き受けよう」
ウィルは村長の依頼を受諾した。
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