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吟遊詩人ウィル

聖拳の継承者

4.それぞれの夜

 星が瞬くように輝き、ひんやりとした空気が身を包む冬の夜。
 ルジェーロは見張り台の上で身を縮ませるように毛布にくるまり、澄んだ夜空を見上げていた。
 村の者たちは、もう寝静まったのだろう。カダックがある辺りはほとんど明かりが消え、聞こえてくるのは風の音ばかりだ。
 こうしていると、死んだヘンリーとの思い出ばかりが頭に浮かんだ。この村で生まれ育った者同士である。それこそ兄弟のように、いつも一緒だった。その友がいなくなってしまった喪失感に、身に沁みるような寒ささえ忘れていた。
 楽しい思い出の数々は、やがてヘンリーの最期の光景で幕を閉じられる。ハーピィに吊り上げられ、怯えたヘンリーの顔。そのとき、何も出来ず終いだった自分。思い返すだけで、あのときの焦燥感で身がキリキリした。
 そして、決まって膨れ上がっていくのは、警告の太鼓を鳴らし遅れたヨハンへの憎しみだ。彼がちゃんとハーピィの襲来を知らせていてくれれば、村人たちは素早く家の中に避難できたはずなのに。そうすれば、ヘンリーだって命を落とさずにすんだかもしれない。それをヨハンは、よりにもよってエルザと昼食を共にしていて怠ったのである。
 エルザは自分が連れ出したようなことを言っていたが、大切な任務の最中に持ち場を離れたヨハンのうかつさこそ責められるべきものだった。それをかばうエルザの気が知れない。
 どうしてエルザは、あのような軟弱な男に好意を抱いているのだろうか。ルジェーロにはまったく理解できなかった。エルザは村の中でも一番の美人である。彼女ならば、村長の娘ということもあり、もっといい男を選べるはずだ。それをよりにもよって、過酷な生活を強いられる山村ではとても役に立ちそうもないヨハンとは。ルジェーロ自身もエルザを好いているだけに、不条理なものを感じて腹立たしさを禁じ得なかった。
 ルジェーロが一人、頭に血を昇らせていると、見張り台へと誰かが上がってくる気配がした。何者かと思い、ルジェーロは下を覗き込む。
「私だ、ルジェーロ」
「村長」
 やって来たのはバージル村長だった。手には布にくるんだ皮製の水筒と小さな包みを抱えている。バージルは見張り台へ上半身だけ出すような格好で登り切ると、ルジェーロの方へ持ってきた荷物を差し出した。見張り台は大人一人がやっとというスペースのため、一緒に立って並ぶと窮屈になってしまう。だからバージルは梯子のところで立ち止まっていた。
「差し入れだ。水筒には熱いハーブ茶が入っている。火傷に気をつけて」
「すみません、村長」
 ルジェーロはバージルから水筒と包みを受け取った。バージルが言うように、水筒はくるんである布を通しても温かく、かじかんだ手にむずかゆいほどだ。そして包みの方は、多分、パンでも入っているのだろう。バージルの心遣いに、ルジェーロは先程までのイヤな気分を紛らわせることが出来た。
 早速、ルジェーロは水筒のハーブ茶をいただくことにした。火傷しないよう、少しずつ口に含む。温かさが体の中からしみわたった。
「あー、美味しい」
 率直な感想に、持ってきたバージルも顔をほころばせた。
「良かった。さっきは娘が失礼なことを言って、すまなかったな。どうも早くに母親を亡くしたせいで、私も甘やかして育てすぎたようだ。だが、根はいい子なのだよ。分かってくれ。娘も少しは反省したようで、そのハーブ茶も娘が煎れたものだ。あと、パンもあるから、食べてくれたまえ」
「ありがとうございます」
 ルジェーロは頭を下げた。
 だが、エルザが煎れたお茶というのは、おそらくルジェーロを慰めるために使ったバージルの方便に違いない。ルジェーロが先刻の一件で落ち込まぬよう、気を遣っているのだ。もし、エルザが本当に反省し、ルジェーロに詫びたいと思っているなら、本人が直接ここへ来るだろう。ルジェーロをそれを察しながら、あえて嬉しそうな顔を作った。
 ルジェーロが元気そうなのを見て、バージルは安心した。だが、吹きさらしの見張り台は、冷たい夜風がまともに襲ってきて、梯子の上でジッとしているだけでもきつく、身を縮ませる。今し方やって来たバージルでさえこれなのだから、見張り台に立ち続けているルジェーロは、もっとつらい思いをしていたはずだ。それを思うと、バージルは申し訳なくなってくる。
「本当にすまなかったな、娘の件は。しかし、だからと言って、キミがこうして見張り台に立つことはなかったのに。娘の言ったことは気にしないでくれ」
 父親として、そして村長として詫びるバージルに、ルジェーロは首を横に振った。
「別にエルザに言われたからじゃありません。たまたまオレの番だっただけです。みんなで交代で立つのが決まりですから」
 そう答えるルジェーロの顔を、バージルはジッと見た。ルジェーロは表情を窺わせないように、さらに水筒のハーブ茶を飲み、白い息を吐き出す。そして、もう一度、笑みを作った。
「大丈夫ですよ、村長。あとはオレに任せてください。それに夜じゃ、ハーピィも村へ降りてくることはないでしょうし。村長は家へ帰って、早く休んでください。──パンとお茶、ありがとうございました。エルザにもよろしく伝えてください」
「……分かった。じゃあ、後は頼むぞ」
 バージルはそう言い残すと、見張り台の梯子を慎重に降りていった。
 村への道を下りながら、バージルは娘エルザのこと考えた。
 最近はすっかり死んだ母親に似て、美しい女に成長してきた。そろそろ結婚のことを考えても、早くはないだろう。
 エルザは幼い頃から活発な娘だったが、どういうわけか一緒に遊ぶ相手は、決まって大人しそうな少年ヨハンであった。エルザはかなりヨハンを気に入っているようで、まるで姉弟のように育ってきた間柄だ。いつかは、そのまま二人が結ばれることもあるだろうと漠然と考え、またそれを当然のようにも思っていたバージルだが、今の過酷な状況もあって、本当にそれが娘のためになるのか自問してしまう。
 決して安穏な生活が保障されているわけではない、このノボス山での暮らし。エルザが幸せになるには、あのひ弱なヨハンでは非常に頼りなく思える。確かに、ヨハンは優しく、知識も豊富に持ってはいるが、ハーピィの襲来が危惧される村で、それらがどれほどの役に立つだろう。それで娘を守ることが出来るのか。
 例えばルジェーロに嫁がせれば、その安心感はかなり違ってくる。彼は行動的で、リーダーシップがあり、いずれは自分が村長の座を受け渡してもいいと思える青年だ。エルザに困難が降りかかっても、彼ならば守ってくれる気がする。
 また、ルジェーロがエルザに好意を持っていることは、バージルも薄々は気づいていた。だが、当のエルザがヨハンにべったりでは、ルジェーロの想いが叶えられることはないだろう。それでも父親として娘の幸せを考えるとき、このままでいいのか悩まずにはいられない。これが普通の平穏な村であれば、娘の自由にさせてやりたいところなのだが。
 バージルは山上から吹き下ろしてくる冷たい風に凍えそうになりながら、シルエットとなって岩山と同化している見張り台を振り返った。

 夕食後、バージルがすぐに外出した後、エルザとヨハンはウィルを囲んで、彼の詩<うた>を拝聴した。
 とても男性とは思えないほど澄んだ美しい歌声。《銀の竪琴》によって奏でられる夢のような調べ。時間は瞬く間に過ぎていった。
 演奏後、さらにヨハンは伝説のマスターモンク・カーンについてウィルと語り合うと、すっかり夜更けになっていた。まだ話し足りなそうなヨハンであったが、昔から何度となく聞かされ続けたエルザにとっては退屈であり、また、すっかりウィルに恋人を獲られた格好だったので面白くもなく、そろそろ帰ったらどうかと水を向けたのであった。
「そうだな、話なら明日も出来るだろう」
 もし、ウィルがそう言い添えてくれなかったら、ヨハンは夜を徹しても語る気だったに違いない。名残惜しげにようやくテーブルから離れると、ウィルに別れを告げ、ヨハンは外へと出た。その後ろからエルザも着いてくる。
「送ろうか?」
 普通、男が女を送るものだが、この二人の場合は違っていた。いつもなら、夕食を共にした後、エルザが一人暮らしのヨハンの家まで送っていく。
 しかし、珍しくヨハンは遠慮した。
「大丈夫だよ。一人で帰れるから。それより、エルザはお客様を一人にしておくわけにもいかないだろ? 戻った方がいいよ」
 ヨハンの気遣いは嬉しかったが、その言葉に少し鈍感な気もしたエルザだ。普通、ウィルのような美形と二人きりになったら、自分の恋人がどうなるか心配するものだが、ヨハンの場合、そういうところがすっかり欠落している。これを信頼されていると思うべきか、単に無頓着なだけか。ヨハンらしいと言えば、それまでだが。
「分かった。じゃあ、気をつけてね。──それからルジェーロが言っていたこと、気にしちゃダメよ。ヨハンは悪くないんだから」
「うん」
 念を押してくるエルザに、ヨハンは弱々しく微笑んだ。トレードマークであるグリーンのチューリップ帽を少し目深にかぶると、上目遣いでエルザを見る。そんなヨハンを見ていると、エルザはたまらなく守ってやりたい衝動に駆られた。ウィルに聞かれないようドアを閉め、苦労を知らない女のようなヨハンの手を握る。
「カーン様の最期の場所を探すのもいいけど、くれぐれも危険なことはしないで。ヨハンの身に何かあったら、私──」
「大丈夫だよ。エルザはホント、心配性なんだから」
 深刻な顔をするエルザに、ヨハンは苦笑した。
 そのヨハンに向かって背伸びするように、エルザは顔を近づけた。二人の唇がそっと触れる。いつもの別れの挨拶。
 キスの後、エルザは顔を赤らめた。ヨハンはにこやかに手を振る。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ、ヨハン」
 エルザはヨハンの姿が闇の中に溶け込むまで見送り続けた。


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