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吟遊詩人ウィル

聖拳の継承者

5.急  襲

 いつの間にか眠ってしまったらしい。
 毛布にくるまって座り込んでいたルジェーロは、見張り台の上でハッとし、慌てて思考を覚醒させた。
 夜の闇は消え去り、代わりに白い靄<もや>が視界を遮っていた。すでに夜が明けたらしい。だが、うつらうつらしていたルジェーロが目を覚ましたのは、朝方の冷え込みのせいだけではなかった。
 ルジェーロの頭上──つまり山の頂上で、耳障りな啼き声を聞いたのだ。
 ルジェーロは毛布をはねのけ、見張り台の手すりをつかむように立ち上がると、懸命に目を凝らした。しかし、朝靄<あさもや>は完全に山頂を覆い隠してしまっている。それでもルジェーロは、靄<もや>の向こうにいるものの正体を察知していた。
「ハーピィだ……それも物凄い数……」
 思わず息を飲むほど、ハーピィたちの啼き声が重なり合っていた。まるで大樹を住処としている小鳥の群れが、一斉に飛び立ったような騒がしさだ。
 ルジェーロは上空を警戒しつつ、村へと知らせる太鼓を手探りで探した。この靄<もや>の中にいるハーピィの数は、一体、如何ほどか。間違いなく、ルジェーロも目撃したことのないような大群だろう。ひょっとすると、巣からすべてのハーピィが降下しつつあるのかもしれない。それを想像すると、ルジェーロは戦慄に震えた。
 上空ばかりを注意していたため、警告の太鼓はなかなかルジェーロの手に触れなかった。忌々しげに舌打ちし、太鼓をかけてあるところへ視線を逸らす。すると太鼓は、ルジェーロが探していた位置よりも少し左にあった。それを手荒く、ひったくるようにする。
 その刹那──
「クイィィィィィィィィィッ!」
 ハーピィとは異なった啼き声が、ルジェーロの動きを止めさせた。何事かと頭上の靄<もや>を注視する。だが、続けては聞こえてこなかった。むしろ、ハーピィたちの騒がしさが、さらに大きくなっている。
 今のハーピィと違う啼き声は何だったのか。このノボス山で生まれ育ってきたルジェーロも初めて聞くものだった。ハーピィたちは、それを警戒して騒いでいるのか。ルジェーロには、それがハーピィよりも恐ろしいもののように思えた。
 そんなことを考えているうちに、靄<もや>の中に巨大な影が見えた気がした。それはほんの一瞬の出来事で、ルジェーロの見間違いだったかも知れない。が、そうでないとすればハーピィなどとは比較ならない大きさだ。人間とさして変わらないハーピィを物差しにするなら、馬の五、六倍はあったのではなかろうか。当然、山育ちのルジェーロがそのような生き物を知るはずもない。頭の中で伝承や逸話に出てくるドラゴンを思い浮かべる。もし、その影の正体がこの靄<もや>の向こうにいるとすれば、人間に対しても充分な脅威であると言えた。
 ルジェーロは村へ警告を発しようと、太鼓を叩く棒を握りしめた。だが、頭上に気配を感じ、反射的に振り仰ぐ。
 見ればハーピィがルジェーロ目がけて急降下してくるところだった。ルジェーロは慌てて飛び退く。しかし、ここは小さな見張り台の上。下がった拍子に手すりにぶつかったルジェーロは、そのまま背中から落ちた。
「──っ!?」
 無我夢中で伸ばした右手が、見張り台の骨組みをつかんだのは僥倖。だが、それも一瞬、落下の勢いは片腕一本では到底支えられず、ずるりと滑った。
 ドサッ!
「あぐっ!」
 背中から落ちたルジェーロは、息が詰まるような声を漏らし呻いた。見張り台の下は平らではなく、ごつごつとした岩場だ。その上に叩きつけられたルジェーロは、全身がバラバラになったような気がした。
 それでも気絶することなく、ルジェーロはすぐさま体を起こそうとした。せめてもの救いは頭を打たなかったことだろう。多少なりとも骨組みに手が掛かったのが功を奏したに違いない。
 防寒用にたくさんの服を着込んでいたこともあって、それがうまくクッションとして働き、どうやら大したケガはないようだった。命拾いし、改めてルジェーロはハーピィが急降下してきた見張り台を見上げる。
「──!」
 ルジェーロは声を失った。
 ハーピィはルジェーロを襲ったのではなかった。その証拠に、見張り台の床下から血塗れになったハーピィの頭が突き破っている。一目で死んでいると分かった。おそらくは巨大な天敵に襲われ、たまたまルジェーロの上に墜落してきたのだ。その光景にルジェーロは全身の痛みも忘れてしまった。
 しかし、長くはそうしていられなかった。ルジェーロの頭上では、天敵から逃れようとする多数のハーピィが散り散りに飛び交っている。その中にはカダック村の方角に降下しているヤツもいた。
「チクショウ、また村を!」
 ルジェーロは憤りの声を上げると、警告の太鼓を叩こうとした。だが、落下の拍子に、手には太鼓を叩く棒しかつかんでいない。慌てて辺りを探す。あった。見張り台から村へと降りる坂道に太鼓が転がっている。ルジェーロはそれを拾おうとした。
「キシャアアアアアッ!」
 再び頭上からハーピィの啼き声と翼の羽ばたきが聞こえた。とっさに身を伏せるルジェーロ。間一髪、ハーピィの鋭い爪が背中をかすめた。その後、ハーピィは再上昇し、靄<もや>の中に消えていく。
 だが、そこに謎の天敵が待ちかまえていたらしく、思わず耳を覆いたくなるようなハーピィの悲鳴がした。グシャッという肉と骨を砕くような音。白い靄<もや>の中で、どのような惨劇が繰り広げられているのか、ルジェーロは好奇心に駆られながらも、それを見ずにすんだことを神に感謝した。
 ルジェーロは起き上がると、今度こそ太鼓を拾い上げた。そして、渾身の力で叩く。
 太鼓の音は山にこだまして、遠くまで鳴り響いた。ルジェーロは太鼓を叩きながら、必死になってカダック村へと走る。もう二度とヘンリーのような犠牲者を出さないよう願いながら。

 ルジェーロが鳴らした太鼓の音が聞こえる少し前、ウィルは泊めてもらったバージルの家のベッドからむくりと起き上がった。布団の下は、黒い旅装束のまま。まるで、万事に備えていたかのようだ。
 ウィルは枕元に置いていた《銀の竪琴》を背負い、武器である短剣<ショート・ソード>を身につけ、椅子にかけていたマントを羽織うと、とても寝起きとは思えないくらいの機敏な動作で寝室を出た。
「どうしました?」
 物音に目が覚めたのか、バージルが別の寝室のドアから顔を出した。こちらはまだ寝間着姿だ。
「ヤツらが来た」
 ウィルは短く答えると、家の入口の脇にかけてあった旅帽子<トラベラーズ・ハット>をかぶって外へ出た。
 少し間をおいてから、バージルはウィルの言った意味を理解する。
「まさか!?」
 警告の太鼓が聞こえてきたのは、その直後だった。
 バージルは一気に目が覚めた。
 まず走ったのは娘の寝室だ。
「エルザ!」
「……なあにぃ、お父さん」
 エルザは完全に寝ぼけ顔だった。布団に入ったまま、眠い目をこすっている。
 バージルは大声で言った。
「ハーピィだ! お前はここにいなさい! 家の中なら安全だ! それから窓には近づかないように!」
 そう言って、バージルは行きかけた。
 さすがにエルザも父の血相と、遠くから聞こえてくる太鼓の音に事態を悟る。
「お父さんは!?」
 バネ仕掛けのように上半身を起こしたエルザは、鋭く父を呼び止めた。振り向くバージル。
「まだ朝方だから、外へ出ている村人は少ないと思うが、とりあえず見てくる! 心配するな。ウィルさんもいる」
 娘を安心させるような穏やかな表情をちらりと見せ、バージルは一旦、自室に戻った。そして、手早く着替え、昨日と同じように武器代わりのシャベルを持って、外へ出る。
 日の出まであとわずか。村を白い靄<もや>が覆っていた。視界は極めて悪い。それでもバージルはこの村で生まれ育ってきた者だ。村の見取り図を頭に描きながら行動に移る。
 まずは襲来するハーピィの確認だ。一体、どれほどの数が村へ飛来してくるのか。
 山の様子が窺える村の中央までバージルは小走りに駆けた。
 その間、山からは依然、太鼓の音が聞こえ続けていた。鳴らしているのは見張り台に立っていたルジェーロだ。そして、太鼓が鳴り続いているということは、ルジェーロ自身も無事ということである。何とか村まで辿り着いて欲しいとバージルは願った。
 おおよそ目的地と思われる所まで来ると、バージルの目の前に人影が見えてきた。先に出ていたウィルに違いない。
「ウィルさん!」
 バージルはウィルの背に呼びかけた。それに対し、美貌の吟遊詩人はちらりと振り返っただけ。その注意は山の方角に向けられていた。追いついたバージルもウィルにならう。
 靄<もや>のせいで、やはり山頂の様子を見ることは出来なかったが、ルジェーロの太鼓の音とともに、ギャーギャーという不気味な啼き声が聞こえてきた。ハーピィたちのものに間違いない。それが徐々に太鼓の音よりも大きくなる。村へ近づいて来ているのだ。
 バージルは固唾を呑んだ。
「凄い……一体、どれだけのハーピィが……」
 ハーピィの啼き声は、村長のバージルでさえも聞いたことがないほど、大きくなっていた。すでに太鼓の音もかき消されてしまっている。それでいて、肝心の姿はまったく見ることが出来なかった。それだけに、余計、恐怖が増幅される。
「──! 来るぞ!」
 不意にウィルが知らせた。


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