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「キシャアアアアアアアッ!」
朝靄<もや>の中で、不気味なハーピィの啼き声だけが響いた。バージルはウィルの背に隠れるようにして、身を固くする。
突然、ウィルが頭上を振り仰いだ。そして、マントをはねのけ、その方向へ右手を突き出す。
「バリウス!」
素早く唱えられた呪文は真空の刃を幾重にも呼び、白い靄<もや>を切り裂いた。続いて、ハーピィの断末魔が聞こえる。
「グエエエエエエッ!」
致命傷を負ったハーピィがドサリとバージルたちの目の前に落ちてきたのは次の刹那だった。一瞬にしてハーピィの位置を捉え、攻撃呪文を放ったウィルの技量。それを目の当たりにしたバージルは驚愕に喉を鳴らした。
昨日、この村へ現れたときに三匹のハーピィを斃した手並みも鮮やかだったが、この美しき吟遊詩人はいとも容易く戦いをやってのける。その外見と同様、どこか人間離れしたところがこの男にはあった。
だが、感心ばかりはしていられなかった。この最悪の靄<もや>の中、襲来したハーピィは数知れない。
突如、バージルの背後で翼の羽ばたきが聞こえた。振り返ろうとするバージル。が、それよりも早くウィルに突き飛ばされていた。
「ブライル!」
手荒くバージルをかばったウィルの指先から小さな火の玉が迸った。炎は赤い尾を引き、バージルに襲いかかろうとしていたハーピィを直撃する。
「ギャッ!」
ハーピィの短い悲鳴。魔法の炎はハーピィの全身を覆う羽毛を燃え上がらせ、たちまち火だるまにした。
その様を横から見ていたバージルは、炎に包まれたハーピィがウィルへ激突するように感じられ、ヒヤリとした。だが、実際には、ウィルは完全に見切っており、ハーピィがすぐ横をかすめても、冷淡な表情を崩すことはしなかった。
ウィルのファイヤー・ボルトを喰らったハーピィは、井戸の囲いに激突して息絶えた。だが、炎はそのまま死骸を焼き尽くそうとする。
その頃には鳴り響く警告の太鼓の音とハーピィたちの啼き声に目が覚めた村人たちが、怖々、家の戸口から首を出すようになっていた。それにバージルがハッと気づく。
「みんな、家から出るんじゃない! 戸締まりをして、ハーピィを中に入れないようにしろ!」
バージルは大声で叫んだ。その警告に従って、すぐに扉を閉める者もいたが、朝靄<もや>によって状況を把握できず、しばらく様子を窺う者もいた。そこへハーピィたちが襲いかかる。村人の悲鳴が聞こえた。
「言わないこっちゃない!」
バージルはほぞを噛んだ。
ウィルは悲鳴がした方向へ走った。バージルも負けじと、それに続く。
不運な家屋の入口には二匹のハーピィが押し掛けていた。慌てて扉を閉めようとしたのだろうが、どうやら遅かったらしく、ハーピィが中へ押し入ろうとしている。一方、家人の方は必死に扉を閉じようとしていた。
「ディノン!」
ウィルは走りながら呪文を唱えた。二つの光弾がハーピィたちの背をえぐる。絶命する寸前、恨みを込めたものか、ハーピィの鉤爪が扉に傷跡を残した。
「だ、大丈夫か!?」
少し走っただけなのに息が上がったバージルは、一旦、言葉を呑み込むようにしながら扉越しに家人へ尋ねた。
ハーピィが死ぬのを間近で見た家人は、扉をつかむようにしながら、その場にへたり込んでいた。ケガをした様子はなく、おそらくは安堵で力が抜けてしまったに違いない。
「そ、村長……」
それきり言うと、家人は泣き始めた。バージルはその手を扉から剥がしてやり、家の扉を閉めようとする。
「家の中の方が安全だ。戸締まりをして、騒ぎが収まるのを待つんだ。いいね?」
バージルの言葉に、家人は何度もうなずいた。バージルは家人を中に押し込めるようにして、扉を閉めてやった。そして、ウィルを見る。
「ウィルさん。私はみんなに家から出ないよう注意して来ます! ですから、ハーピィの方はお願いします!」
これまでにないハーピィの大襲来に対し、こちらは一人の吟遊詩人に頼るしかなかった。それがどれだけ無謀なことか。ウィルが依頼を途中で放り出しても文句の言えない状況だ。
しかし、吟遊詩人ウィルは決してそのような男ではなかった。
「分かった。村長、気をつけてな」
これから何百、ヘタをすれば何千というハーピィを相手にしようかというのに、ウィルには少しも悲愴感など見られなかった。あるのは冴え渡る美しさのみ。このとき、バージルは必ず村が救われるのだと確信を得た。
「ウィルさんもお気をつけて」
ウィルにお辞儀をすると、バージルは両手にシャベルを握りしめながら他の家々に向かった。
二十歩も進まぬうちに、ウィルの姿は靄<もや>の中に消えてしまった。視界は相変わらず最悪だ。いくら村の配置がすべて頭の中に入っていると言っても、道を踏み外すようなことがないとは言えない。バージルのスピードは自然に落ちた。
その間にも、怖気立つようなハーピィたちの断末魔が背後から聞こえた。ウィルが奮戦しているに違いない。
そして、山の方角からは、今も警告の太鼓の音が鳴り続いている。ルジェーロだ。きっと太鼓を叩きながら、こちらへ向かっているのだろう。一人では心許ないだろうと思い、バージルは各家に警告を与えながら山の方角へ向かい、ルジェーロを出迎えようと考えた。
しかし、そう簡単に村を回ることは出来なかった。ハーピィたちは靄<もや>に包まれた村の中に多く侵入し、あちこちからバージルに襲いかかってきた。シャベルを武器に応戦するのだが、とてもじゃないが飛んでいるハーピィに対して、こちらの攻撃は当たらない。
結局、バージルは逃げるしかなかった。所々、ハーピィが道を寸断しているため、山の方向へ行くことも出来ず、同じような箇所をぐるぐると回る。ときには村人の家に駆け込んでやり過ごし、ときには木桶を頭にかぶりながら走った。
バージルが村の山側近くまで辿り着いたときには、全身のあちこちにかすり傷が出来ていた。心臓は苦しく、足腰もガタガタだ。それでもバージルはシャベルを杖代わりにして進んだ。
いきなり靄<もや>の中から人影が飛び出してきたのは、そのときだった。バージルは反応できず、まともにぶつかってしまう。尻から地面に倒れた。
「痛たたたたっ! ──誰だ!?」
バージルは苛立ち気味に誰何した。ぶつかってきた相手もバージルに吹き飛ばされ、地面に転んでいる。むくりと起き上がる気配があった。
「そ、村長!?」
「その声は……ヨハンか?」
先に立ち上がったのは相手の方だった。靄<もや>の中から見慣れたグリーンのチューリップ帽が現れる。バージルが言ったとおり、それは娘のボーイフレンドであるヨハンだった。
バージルにとって、それは最も意外な人物だった。ヨハンは争いごとを好まない青年だ。それなのに、このハーピィが大襲来した中、外を出歩いているとは普通では考えられない。普段の彼なら、頭の上から布団をかぶりながら、家の中で閉じこもっているだろう。まさか、ハーピィの襲来に気づいていないわけでもあるまい。
「どうしたんだ、ヨハン? こんなときに」
驚くバージルに、ヨハンは助け起こすよう手を差し伸べた。バージルはその手をつかむ。それは女性のように華奢な手だった。
「もう、ヘンリーのような犠牲を出したくないんです……」
ヨハンは青ざめた顔をして言った。それでようやくバージルは理解する。昨日、ルジェーロに責められたことが、ヨハンには堪えていたのだろう。
そのヨハンの手には、薪割り用に日常から使っている手斧が握りしめられていた。おそらくは護身用に持ち出したものだ。
「だから、ボクも何かしなくちゃって……」
そう話すヨハンは震えていた。このカダック村で育ってきたのだ。ハーピィの怖さを知らぬワケではない。それでもこうして何かをしようと外へ飛び出してきたのだ。ヨハンにとっては、相当の勇気を振り絞ってきたに違いない。
立ち上がったバージルは、ヨハンの肩を叩いた。
「そうか、ありがとう。じゃあ、キミにも手伝ってもらおう。今、村にはハーピィたちがやって来ていて、とても危険だ。村のみんなに家からでないよう伝えてくれ。そして、戸締まりに気をつけるように。できるか?」
「は、はい」
ヨハンは震える声で返事をした。バージルは力強くうなずくと、もう一度、ヨハンの肩を叩いた。
「よし! じゃあ、こっちの方を頼む! くれぐれも気をつけるんだぞ。無理はするな。危なくなったら、どこか近くの家に入れてもらうんだ」
「は、はい」
ヨハンはうなずいた。
行きかけようとするバージルだったが、すぐヨハンに呼び止められた。
「村長!」
「何だ?」
「あの……エルザは?」
娘を心配するヨハンに、バージルは自然と笑みがこぼれた。
「大丈夫だ。家から出ないよう言ってある」
「そうですか」
ホッとした様子のヨハンを見て、バージルは娘の選択が正しかったことを認めるしかなかった。そして、それはとても喜ばしいことだとも。
バージルとヨハンは二手に分かれ、朝靄<もや>の中に消えていった。
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