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俗に“不死者”と呼ばれるアンデッドだが、その姿形は様々である。
人々から最も恐れられているアンデッドは、“闇の貴族”、もしくは“裏の貴族”と呼ばれている吸血鬼<ヴァンパイア>だ。彼らは、かつてネフロン大陸で栄華を極めた天空人の変わり果てた姿だと言われている。
《銀黎<ぎんれい>の時代》で一大魔法王国を築き上げ、神にも匹敵する力を得た天空人だが、世界を襲った《大変動》という天変地異によって、多くの者たちが命を奪われた。そこで生き残った者たちは、魔法技術の粋を集めて、都市そのものを空へと浮かべる大事業に取り組んだのである。
しかし、すべての者が天空へと逃れたわけではなかった。様々な事情で、地上に残った者たちもいる。彼らが《大変動》の地上で生き延びるためには、自分たちの肉体を過酷な環境にも耐えうるものに造り替える必要があった。
こうして、不死の肉体を得たのが吸血鬼<ヴァンパイア>だ。もっとも、その代償として、人間の生き血をすすらなくてはいけない呪われた宿業をも背負うことになってしまったが。
とはいえ、吸血鬼<ヴァンパイア>はアンデッドの中でも特異な存在で、ほとんどは生前の怨念や闇司祭による儀式魔法によって、一度死んだ人間が甦るケースが多い。また、幽霊<ゴースト>として、実体を持たずにさまよい出る場合もある。このウィルたちの前に現れた屍食鬼<グール>は、前者である動く死体<リビングデッド>の類だ。
こうして甦った死者たちは、生者への強い憎悪を持っており、問答無用で襲いかかってくる。中でも屍食鬼<グール>は人肉を好むことで知られ、その犠牲となった者は新たな屍食鬼<グール>となって、仲間を増やしていく厄介なモンスターだ。また爪には、獲物を捕獲しやすいように麻痺毒が仕込まれており、引っ掻かれた程度の軽い傷でも全身の自由を奪ってしまう。
霊柩馬車の棺桶から現れた屍食鬼<グール>は、空洞になっている眼窩に赤い光を妖しく灯し、ぎこちない動きで足を踏み出した。
「ギギギギギギギッ……」
頬骨が軋むように鳴った。そのおぞましい姿を見て、リサは震え上がる。隣にいた父ピエル師の僧衣を握りしめた。
その二人を守るかのように、美しき吟遊詩人が間に立ち塞がった。左腕でマントを跳ね除ける。
「襲われるような心当たりはあるのか?」
ウィルは屍食鬼<グール>から視線を外さず、後ろのピエル師に尋ねた。ピエル師の顔色は悪い。
「いささかな」
「それはオレに頼もうとしていたことに関係があるのか?」
「……そうだ」
「分かった。事情は後で聞くことにしよう。お前たちは下がっていろ」
ウィルはピエル師たちを促した。屍食鬼<グール>に対峙し、相手の出方を窺う。
しかし、ピエル師はそれを良しとしなかった。
「何を言う。私だって戦えるぞ」
アンデッドを再び冥界へ送り返すのも聖職者<クレリック>としての務めだ。老いたとはいえ、日頃の鍛錬は怠っていない。
ウィルはチラリと後ろを振り返った。有無を言わさぬ鋭い眼。それを見た瞬間、さすがのピエル師もすくんだ。
「下がれと言った。行け」
まるで冷たく突き放したような言い方。
吟遊詩人ウィル。
彼は戦いにおいて、その魅惑的な美しさを凄絶なる鬼気へと変える。それは魔人への変貌。抗うことは難しい。
そのようにウィルが顔を後ろに向けたのを油断と見たのか、屍食鬼<グール>はいきなり素早く動き、その後ろのピエル師へ襲いかかろうとした。
だが、美しき魔人がそれを許すわけがない。
バッ!
跳ね除けたマントが屍食鬼<グール>の行く手を阻んだ。足止めを喰らう屍食鬼<グール>。
「早くしろ」
屍食鬼<グール>を牽制しつつ、ウィルはピエル師に命じた。しかし、ピエル師も頑として動こうとしない。
「邪魔者扱いするな。これでも私は──」
「オレへの治療にかなりの魔力と精神力を使ったはずだ。本来なら立っているのもやっとではないか?」
「………」
ウィルの言うとおりだった。平静を装ってはいるが、年齢的なものもあり、ピエル師の疲弊は著しい。下級アンデッドとはいえ、今、屍食鬼<グール>と戦うのは厳しいだろう。ウィルの冷たくも見える態度は、それらを見抜いてのものだった。
「父上……」
リサがピエル師の袖を引いた。
ピエル師はあきらめたように、娘のリサをともなって、僧院の裏手へと逃げた。
それを確認したウィルは、改めて屍食鬼<グール>に対す。
「さて、誰によって送り込まれた?」
「ギギギギギギギッ……」
屍食鬼<グール>は目の前の吟遊詩人を斃さねば、ピエル師を追うことは出来ないと認識したのか、差し当たっての目標を定めた。ひび割れ、紫色に変色した爪から麻痺毒がしたたり落ちる。
「死人に口なし、か」
ウィルは左手でマントの裾をつかみ、全身を覆うような姿勢を取った。言わばマントが壁。ウィルがどのような動きを取るのか、相手からは見ることが出来ない。
屍食鬼<グール>は何の策も弄せず、闇雲に突進した。麻痺毒の爪をウィルに向かって振るう。
その直前、ウィルは後方へ跳んでいた。そして、マントを跳ね除け、右手を突き出す。
「ブライル……!」
ウィルが唱えたのは白魔術<サモン・エレメンタル>の攻撃呪文ファイヤー・ボルト。動く死体<リビングデッド>である屍食鬼<グール>の弱点が火であることからの選択だ。しかし、その刹那、ウィルの眉がひそめられた。
右腕の手首から先が硬直したかのように動かない。
魔法の発動には指先の一本一本にまで神経を使う必要がある。だが、今のウィルはケガの影響で、まったく右腕に感覚がなかった。これではファイヤー・ボルトの発射は不可能だ。
屍食鬼<グール>はそれをいいことに、猛然と襲いかかってきた。ウィルはかろうじて、爪の一撃を交わす。
吟遊詩人ウィルともあろう者が、たかが屍食鬼<グール>一体に圧されるとは。
ウィルの眼が鋭い殺気を帯びた。
今度は左手に意識を集中させる。
「ブライル!」
炎が矢のように放たれた。それは屍食鬼<グール>に難なく命中し、たちまちその全身に引火する。腐った死体である屍食鬼<グール>は、アッという間に火だるまになった。
ファイヤー・ボルトの直撃を受けた屍食鬼<グール>は、腐肉をドロドロに溶かしながら、よろよろと後退した。その背後には黒塗りの霊柩馬車。そのまま、棺が出てきた後ろ扉に背中から倒れるような格好で、半身を突っ込んだ。
屍食鬼<グール>を焼く炎が、たちまち霊柩馬車にも燃え移った。火に驚いた馬がいななき、後肢で立ち上がる。恐慌を来した馬は炎から逃げようと、北──街の中心部へと駆け出した。炎に包まれた霊柩馬車は猛スピードで僧院から離れて行く。
呆気なく屍食鬼<グール>を屠ったウィルであったが、まだ戦闘態勢を解いてはいなかった。
今の屍食鬼<グール>が、何者か──おそらくは闇司祭のような暗黒神に与する者だろうが──によって操られたものだとすれば、命令を下していた者がこの近くにいる可能性は高い。なぜなら、屍食鬼<グール>への命令は単純なものしか与えられず、応用が利かないからだ。屍食鬼<グール>を自由に操るには、その都度、命令を与えてやる必要がある。だからウィルは、どこかに真の敵が潜んでいると睨んだのだ。
ウィルは静かに敵の気配を探った。
僧院周辺は暮色蒼然に染まり、沈黙が降りた。
そして──
「ディノン!」
ウィルは突然、僧院の表に立つ大きなケヤキの木に向けて、マジック・ミサイルを発射した。だが、光の矢はケヤキの葉を散らしただけで、そのまま上空へ突き抜けてしまう。手応えはなし。
ウィルが感じ取った気配は、急速に遠のいていった。
「逃げられたか」
ウィルは誰にともなく呟いた。
すると──
「キャアアアアアアアッ!」
耳をつんざくような女性の悲鳴が聞こえたのは、その刹那である。リサだ。
ウィルはマントを翻し、僧院の裏手へと走った。
そこでウィルが見たものは、倒れ込んでいるピエル師と、それを泣きながら抱き起こそうとしているリサだった。駆けつけたウィルは、ぐったりとしたピエル師を見て、無念そうに目を伏せる。
南の僧院を治めていたピエル師は、首を斬りつけられ、すでに息絶えていた。
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