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外が騒がしくなったのは、リサがソーマ師の寝所へ足を踏み入れた瞬間だった。
何かが起きたのは明らかだ。やはり、ソーマ師を狙って、賊が現れたのか。ただならぬ様子に、リサは思わず足を止めた。
「リサ殿はここにいてください」
案内してくれた修行僧<モンク>のタウロスは、不安げなリサに言った。しかし、彼自身も表情は固くなっている。
「……リサ……こちらへ」
ベッドの横たわったままのソーマ師もリサを呼んだ。リサは再び、おずおずと進む。
「ここなら安全です。賊など、我らが捕らえてみせましょう!」
タウロスは力強く約束すると、寝室のドアを閉めて、立ち去った。廊下を走る足音が遠ざかっていく。
「リサ……」
もう一度、ソーマ師が呼んだ。リサは外の様子が気になりながらも、それに従った。
部屋はカーテンが閉め切られ、枕元にある小さなロウソクだけが唯一の明かりだった。その炎に照らされたソーマ師の顔は、かなり痩せ衰えた感じで、元気だった頃の面影はない。タウロスが言うように、ソーマ師の死期は近いように思われた。
「こんな夜更けに訪れて、申し訳ございません、僧正様」
変わり果てたソーマ師の顔を間近で見るのはつらいことだったが、それを表に出さないよう努めながら、リサは挨拶した。するとソーマ師は、口許をほころばせ、小さくうなずいて見せる。
「構わぬよ……お前は子供のいない私にとって、娘同然だ……こんな格好で失礼するよ」
「いえ。そのままお休みになられていてください」
「リサ……ピエルは元気か?」
父のことを尋ねられて、リサは言葉に詰まった。父ピエルは殺されてしまった。タウロスはそのことをソーマ師に知らせていないと言う。
「げ、元気にやっております。父も僧正様のお加減を心配しておりました」
リサはウソをついた。ソーマ師に気づかれぬよう祈りながら。
だが、ソーマ師もすでに目の具合がよくないのか、リサの曇った表情を見逃したようだった。リサの言葉に、柔和な笑みを浮かべる。
「そうか……それは何よりだ……」
ソーマ師は安心したように言った。本当にリサを実の娘のように思い、これまで接してきたのだ。彼女の幸せを心から願っているのだろう。
しかし、リサにはソーマ師に尋ねなければならないことがあった。椅子を一脚運んできて、ソーマ師の枕元に座る。
「僧正様、今日はお尋ねしたいことがあります」
リサは切り出した。
「何だね……?」
「父やマトス師がしているペンダントのことです。あれは僧正様もお持ちなのですか?」
一見したところ、ソーマ師の首には何もかけられていなかった。ひょっとすると、ソーマ師は関係なく、リサの思い違いかも知れない。ハーヴェイによれば、北の僧院のヤン師はペンダントのことを知らないと言うし。
だが、ソーマ師はリサの言葉にうなずいた。
「私の机の引き出しを開けなさい……右の一番上だ……」
リサは言われたとおり、ソーマ師の机の引き出しを開けた。中には聖職者が用いる、黒革に金字という装丁の《神書》が一冊だけ収められている。リサは使い込まれた古い《神書》を手に取ってみたが、ページにペンダントが挟まれているようなことはなかった。怪訝に思って、リサはソーマ師を振り返る。
「その引き出しは二重底になっている……」
リサは引き出しごと抜くと、そっとひっくり返した。すると二重底が外れ、中からペンダントが現れる。父と同じ物だ。リサはペンダントを握りしめた。
「これは……一体何なのですか?」
リサは声を震わせながら、ソーマ師に尋ねた。だが、ソーマ師はすぐに答えない。というより、体調が思わしくなく、長く喋ることはソーマ師に負担をかけていた。
少し性急すぎたかと悔やみながら、リサは枕元へと戻った。
「すみません、僧正様。私……」
詫びるリサに、ソーマ師は布団から手を出した。その手だけは、壮健な頃とまったく変わらぬ、武道家の鍛え上げられたものだ。父の手に似ている。リサはそれを両手で包み込むようにして握った。
「ピエルは……何も話さなかったのか?」
「はい……」
「そうか……ヤツらしいな……」
「このペンダントを狙っている者がいます。一体、これは何なのですか?」
リサはもう一度尋ねた。すると、そのときだけソーマ師の目が見開かれる。
「ついに……来たのか……そのときが……だが……私にはもう守ることは出来まい……」
「守る? このペンダントをですか?」
「いや……世界を……だ……」
「世界?」
そのとき、外の喧騒がひときわ大きくなった。リサは堪らず窓へ駆け寄り、カーテンの隙間から外を窺う。すると、驚きに身をすくませた。
東の僧院の外では、衛兵たちと動く白骨体による壮絶な戦いが繰り広げられていた。白骨はアンデッドに違いない。南の僧院を襲ってきたとき、手始めとして屍食鬼<グール>を差し向けてきたように。
やはり賊の襲撃だったのだ。だが、これだけの厳重な警護であれば大丈夫であろうという安心があった。それがまさか、このような大軍でやって来ようとは。外にはハーヴェイたちが、中にはタウロスたちがいるが、ここも安全ではないかもしれない。
「どうやら、外が騒がしいようだな……」
苦しそうにソーマ師が言った。出来れば、ソーマ師を他の安全なところへ移したいが、こんな状態ではそれも難しい。リサは何かいい方法がないか考えた。だが、焦れば焦るほど、考えはまとまらない。
「……どうやら狙いは、私とそのペンダントにあるようだ……リサ……どこか安全なところに隠れていなさい」
「え?」
ソーマ師の言葉に、リサは戸惑った。病床に伏していても、やはりロハン共和国の僧正。何事が起きようとしているのか、すでに察しているようだった。
しかし、だからといって、すぐに従えるものではなかった。
「でも、僧正様──」
「お前に何かあっては、ピエルに申し訳が立たん……そのペンダントを持って、隠れているんだ……何があっても、出てきてはならんぞ……」
「僧正様……」
「さあ……早く!」
最後の言葉には力がこもっていた。リサは言われたとおり、身を隠す場所を探す。机の下はペンダントを物色されたとき、真っ先に見つかりそうだ。あとはカーテンの裏ぐらいしかない。
幸い、この寝室のカーテンは丈が長く、リサの足下まですっぽりと覆ってくれそうだった。リサは意を決して、カーテンの後ろに隠れる。
それは絶妙なタイミングだった。
突然、二人だけだったはずの寝室に、三つ目の気配が生じた。
リサはそっとカーテンの隙間から中を窺った。いつの間にか、小柄な人影がソーマ師の枕元に立っているのが見える。
果たして、どこから侵入したのか。窓にはリサがいる。扉も開けられた様子はなかった。
侵入者はまるで神出鬼没だった。
ロウソクの明かりに、きらめく光があった。短刀<ダガー>だ。
「ソーマ師……今にも死にそうな顔をしているわね」
それはしゃがれた女の声だった。顔まではリサから見えない。
「お、お前は……?」
声は出しづらいようだったが、ソーマ師は殺されようとしているのに、妙に落ち着いているように思えた。すでに覚悟が出来ているのか。
女は冷酷にソーマ師を見下ろしていた。
「これから死んでいくアンタに教える必要はないわ。十年前の私たちの恨み、晴らさせてもらう!」
女は無抵抗な病人であるソーマ師を、無情にも口を塞ぎ、その首を短刀<ダガー>で一気に掻き切った。その残忍な行為を目撃し、リサは危うく声を上げかける。女は生暖かい返り血を身じろぎもせず浴びていた。
出血が少なくなるまで、女はソーマ師を押さえつけたままだった。そして、ようやく短刀<ダガー>を戻し、絶命したソーマ師の首元を探る。
彼女が探しているのは、ソーマ師のペンダントに違いなかった。首にかけられていないと知ると、ひとつ舌打ちをして、机へ向かう。
やはり、あそこにリサが隠れていたら、すぐに見つかってしまっていただろう。リサは少しだけ安堵しながら、早く女が立ち去ってくれることを願った。
しかし、机の前まで来た女の動きが止まった。机の上には、ひっくり返された引き出しが。ペンダントを取り出したとき、リサが元へ戻し忘れたのだ。
それは女に不信感を抱かせたようだった。物色せず、短刀<ダガー>を構えて、警戒の姿勢を取る。
「誰かいるの!?」
女の誰何の声。何者かが先にペンダントを手にしたと悟ったらしい。
リサは目をつむった。
すると女はゆっくりと、ゆっくりとリサが隠れている窓の方へと近づいてきた。
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