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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

15.訃  報

 今では瓦礫の山と化した東の僧院前で、疲れ切った表情の衛兵たちが座り込んでいた。
 ダグが差し向けたスケルトン軍団を何とか全滅させた直後である。さすがの猛者たちも傷だらけになり、へばっていた。
 しかし、目の前には、まだ仕事が残っていた。東の僧院が瓦解したことによって、中にいた多くの修行僧<モンク>たちが下敷きになっているはずである。その救出は急務だった。
「みんな、戦いが終わったばかりで悪いが、もうひと仕事だ。負傷者は北の僧院で治療を受けろ。残りの者は生存者の捜索だ。かかれ!」
 ビルフレッドが馬上から命令を下した。すると、誰一人、それに対して不満を漏らさず、重い腰を持ち上げて、各自の仕事に戻っていく。ひとつひとつ手作業で瓦礫をどかしていった。
 救出作業開始からしばらくして、ビルフレッドを呼ぶ声があった。ビルフレッドは馬上から降りて、そちらへ向かう。
「どうした? 生存者か?」
 一体、僧院で何が起こったのか。それを聞き出すことが先決だった。ビルフレッドは足が悪いのに加えて、瓦礫で歩きづらいところを急ぐ。
 数名の衛兵が下敷きになった修行僧<モンク>を発見したところだった。
「生きているのか?」
 ビルフレッドが尋ねると、部下の一人が首を振った。
「いえ。すでに息はありません。それよりも……見てください」
 部下の言葉にはためらいのようなものが含まれていた。ビルフレッドがさらに近づいて、死体を覗き込む。
「──っ! これは!?」
 ビルフレッドは絶句した。
 幸か不幸か、瓦礫の隙間に埋まっていた修行僧<モンク>の死体は、生前の姿が想像できないほどに痩せ衰えていた。まるで長い間、重病で床に伏せっていたような感じである。骨と皮ばかりで、顔はおぞましいほど恐怖に歪み固められていた。
「こんな死に方があるんでしょうか……? どうして、こんな姿に……?」
 死体の脇で茫然と立ち尽くしている部下の呟きに、ビルフレッドも答えられるわけがなかった。ただ言えるのは、こんな死に方だけはしたくないということだ。
 時間が経つにつれ、次々に犠牲者発見の報告が入った。その度にビルフレッドは確認して回ったが、どの遺体もミイラのような有様で、尋常な死に方ではなかった。そして、なおさら、ビルフレッドたちがスケルトンの一団と戦っている間、東の僧院で何が起こったのか、謎ばかりが深まった。
 そこへハーヴェイが戻ってきた。どこかへ行っていた仲間の帰還に他の衛兵たちが声をかけようとするが、それは寸でのところで止められる。ハーヴェイの様子がおかしかったからだ。
「ハーヴェイ」
 ビルフレッドがハーヴェイの前に立った。
 だが、上司であるビルフレッドを前にしても、ハーヴェイの目の焦点は合っていなかった。まるで魂でも抜かれたようである。
「おい、ハーヴェイ。しっかりしろ」
 ビルフレッドはハーヴェイの肩を強くつかみ、揺り動かした。ハーヴェイの首が力なく、ガクンとなる。
「一体、どうしたと言うのだ? ゼブダは一緒じゃないのか?」
 ビルフレッドがその名を口にした途端、ハーヴェイの目に感情が戻った。それは深い怒りと悲しみ。涙が頬を伝った。ハーヴェイはその場にひざまずく。
「すみません! オレが不甲斐ないばっかりに!」
 ハーヴェイは叫ぶように言うと、両拳を地面に叩きつけた。何度も、何度も。
 その様子に、ビルフレッドは悪い報せであることを感じ取った。深く息を吐き出す。それでも胸を圧迫されるような苦しさを覚えた。
「ハーヴェイ、事情を話せ。お前には報告の義務がある」
 ビルフレッドは努めて事務的に喋った。
 上司から促されたハーヴェイは、ぽつりぽつりと話し始めた。ゼブダと共に僧院を破壊した賊を追跡したこと。リサを人質に取ったシェーラとダグと名乗る者たちと剣を交えたこと。そして、シェーラの特殊能力《影渡り》によって、ゼブダが命を落としたこと。ペンダントが敵の手に渡ったこと。
 それを聞かされたビルフレッドは沈痛な面持ちになった。
 スケルトンとの戦いの最中に、勝手に持ち場を離れたことは迂闊な行為だ。命令違反を犯したハーヴェイを処罰せねばなるまい。しかし、あの乱戦の中、ビルフレッドに指示を仰ぐことは難しかっただろう。死んだゼブダもそう考え、単独行動を取ったに違いない。あのとき、スケルトンを敵の陽動だと見抜けていれば、無用な犠牲を出さずに済んだかもしれないと思うと、ビルフレッドは自分の至らなさを責めた。
 同僚の死にやるせない思いを胸に抱きながら、衛兵たちは救出作業を続けた。そのうち本部からの応援も駆けつけ、報せを聞いた他の僧院の修行僧<モンク>たちも加わる。人手が増えたことによって、ビルフレッドは自分たちの部下を集め、本部で休息を取らせることに決めた。なにしろ戦いの後である。皆、疲れ切っていた。
「戻るぞ、ハーヴェイ」
 まだ現場から動こうとしないハーヴェイを見咎めて、ビルフレッドが声をかけた。ハーヴェイは歩きかけたが、すぐにまた止まってしまう。
「オレ、ゼブダさんの家に行って来ます……」
「ゼブダの奥さんに会うつもりか?」
 ビルフレッドは傷心の部下を見つめながら尋ねた。
「……オレの責任です。オレが」
 ハーヴェイの声は今にも消え入りそうだった。するとビルフレッドがかぶりを振る。
「立場上、私が行くのが筋だ。お前は本部で休め」
「いえ……ゼブダさんの最期を看取ったのは一緒に組んでいたオレですから……失礼します」
 ハーヴェイはビルフレッドに一礼すると、ゼブダの家へと駆け出した。



 真夜中だというのに、ゼブダの家の明かりは点いたままだった。ハーヴェイはそれを見て、足を止める。
 いざ、悲報を伝えなくてはならないとなると、ハーヴェイの心は重くなった。一体、何と言えばいいのか。慰めの言葉すら見つからない。
 考えがまとまらないうちに、玄関の前まで来ていた。もし、家の明かりが消えていたなら、出直そうという気持ちになったかもしれない。だが、扉の向こうにはゼブダの妻と、その赤ん坊が今もゼブダの帰りを待っているのだ。ここで帰るわけにはいかなかった。
 ハーヴェイはドアをノックした。中から女性の声が応じる。
「はい、どなた?」
「夜分遅くにすみません。ゼブダさんの同僚で、ハーヴェイと申します」
 緊張で声が震えていた。
「ああ、ハーヴェイさん。今、開けますわ」
 鍵が外される音に続いて、玄関のドアが開いた。中からゼブダと同じくらいの年頃の女性が現れる。ゼブダの妻で、確か名をアンヌと言ったはずだ。ハーヴェイは神妙な面持ちで頭を下げた。
「本当にすみません、こんな時間に。失礼かとも思ったんですが……」
「いえ、起きてましたから、どうぞ気になさらないで。それにしてもハーヴェイさん、久しぶりですね。私と主人の結婚式以来でしょ? 主人はまだ帰っていないんですが、よろしかったら中へ」
 アンヌはハーヴェイを招いた。だが、ハーヴェイは遠慮する。
「いや、ここで結構です」
「でも、立ち話もなんですし……」
「すぐに帰りますから」
 すると、いきなりアンヌは笑いだした。ハーヴェイはなぜ笑われたのか分からず、怪訝な顔をする。アンヌは口元を押さえた。
「ごめんなさい。いつも主人とあなたの話をしていて、『アイツはどうしてもウチに寄りつかない。先輩の誘いをいつも断りやがる』って言っていたものですから。本当にその通りだと思って」
 よくゼブダからは自分の家に来いと誘われていた。妻の手料理をごちそうしてやるとか、愛娘の顔を拝みに来いとか。再三に渡って、それこそしつこいくらいにハーヴェイを招待しようとしていたものだ。
 だが、ハーヴェイからしてみれば、まだ結婚して一年の夫婦の家へ、おいそれとお邪魔するのは悪いと思い、遠慮してきた。それでなくとも衛兵の仕事は、いざ事件が起これば、いつ家に帰れるか分からないのである。仕事が終わったときくらい、家族水入らずの団らんを楽しませてやりたいと思ってきたのだ。
「主人が言ってましたわ。『アイツは両親が死んでから、家族の温かさに触れたことがない』って。だから、『少しは家族の有難みってものを教えてやりたい』なんてね。ハーヴェイさんからしたら、余計なお世話かもしれないのにね」
 そう言って、アンヌは笑った。
 ゼブダがそんな風に自分を見ていたと知らされ、ハーヴェイは胸が詰まった。いつもは手を焼かせてくれる先輩だと、ほとほと呆れ返っていたのだが、ゼブダはハーヴェイを実の弟のように思っていたのかもしれない。これまでゼブダと過ごしてきた日々が、脳裏に甦った。
「どうされたんです?」
 アンヌはハーヴェイの様子がおかしいのに気づき、怪訝そうに尋ねた。
 ハーヴェイの目に涙が込み上げる。
「実は……」



 赤ん坊の夜泣きの声を背に受けながら、ハーヴェイはゼブダの家のドアを閉めた。
 アンヌは愛娘の元へ駆け寄って行ったに違いない。そして、赤ん坊と抱き上げながら、アンヌもまた悲しみの嗚咽を漏らしていることだろう。
 ハーヴェイは夜空を見上げた。星の瞬きが幾億にもにじみ出す。
 ゼブダはもう、この家に帰ってくることはない。アンヌの手料理にありつくことも、愛娘のマヤをあやすことも出来ないのだ。
 あのとき──
 ゼブダの最期の瞬間が何度も何度も浮かんできてはハーヴェイを苦しめた。
 どうして、ゼブダを救えなかったのか。力のない自分。ゼブダのパートナーであったはずなのに。まるで自分の半身を無くしたような喪失感。この後悔は、一生、消えることはないだろう。
 ハーヴェイは走った。ひたすらがむしゃらに。このまま心臓など破れてしまえと思うほどに。自分で自分を苦しめる行為だけが、悲しみをまぎらわせてくれるような気がした。


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