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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

16.人質のリサ

 薄闇の中で、女の苦鳴が漏れていた。
 耐えようとしても耐え難い痛みにのたうち回っている。もう、どのくらい長くそうしているだろうか。
「シェーラ」
 少し離れた場所から、もう一人の女が名を呼んだ。後ろ手に縛られ、部屋の隅にうずくまっているリサである。シェーラによって人質にされたというのに、その声は誘拐した相手を気遣っていた。
 だが、リサの呼びかけに応えず、シェーラはただ呻くばかりであった。
「シェーラ、大丈夫なの?」
 どれくらい具合が悪いのか、リサからはシェーラの表情を見ることは出来なかった。部屋が暗いせいと、床に座っているリサからは、テーブルの上にうつぶせになっているシェーラの顔が死角になっているせいだ。だが、シェーラの脚は、痛みを堪えるかのように小刻みに震えていた。
 ここはロハン共和国の首都ウォンロンの郊外にある廃屋だ。かつては炭焼き小屋として使われていたらしいが、今は主もなく、空き家になっている。
 今、廃屋にはリサとシェーラの二人しかいない。ダグはソーマ師から奪ったペンダントを届けに、どこかへ消えている。ロキは、負傷して動けないシェーラに代わり、五つ目のペンダントを手に入れるため、同じように出掛けていた。
 初め、ロキとダグの二人は、ここへシェーラとリサだけを残していくことに難色を示した。
 何しろ、シェーラはウィルの放ったマジック・ミサイルによって深手を負っている。まともな治療を受けさせないと、最悪、死を招くだろう。しかも、さらってきたリサを始末せずにこのまま置いておくとシェーラは主張した。だが、怪我人であるシェーラがどこまで見張っていられるか怪しい。二人が危惧するのも無理はなかった。
「大丈夫なのか、シェーラ?」
 大男の割におろおろした様子を見せたロキは、傍目からすると滑稽ですらあった。
 しかし、そんなロキに対し、シェーラは毅然として振る舞った。
「私のことなら心配するな。すぐに死ぬようなことはない。それよりも次の《鍵》を一刻も早く奪うことが先決だ。あれだけ派手にやらかした後だ。そろそろ、ウォンロンの連中も本格的に動くだろう。そうなれば、いずれ私たちの素性がバレるのも時間の問題。今度こそ、ヤツらに邪魔されるわけにはいかないんだ」
「それはそうだが……」
「もう一息だよ……もう一息で、私たちの復讐が完成するんだ。忘れるんじゃないよ、あの惨劇の日を。私たちはヤツらに復讐するためだけに、苦しみに耐え抜いて、今日まで生きてきたはずだ。それを台無しにしてたまるもんかい」
 シェーラは眼は復讐の炎に燃えていた。それは彼女の身を案じるロキとダグをも圧倒させるに充分なもの。その言葉にうなずくしかなかった。
「分かったよ、シェーラ」
「よし、じゃあ、ここで分かれよう。ロキは私の代わりに次の《鍵》を奪いな。所有者も必ず殺すんだ。ダグは司教様のところへ、この《鍵》をお届けしろ。いいかい、もう一度言うけど、これからは時間との勝負だ。抜かるんじゃないよ」
「ああ」
 こうして、ロキとダグは散って行った。
 だが、二人が去った後、それまで張りつめていたものがなくなったせいか、それとも傷が悪化したのか、シェーラは苦しみもがいていた。リサにしてみれば、いくら悪人とは言え、一日中、その苦鳴を聞かされたら、憐憫の情が湧いてくるというものだ。
「シェーラ、どこか痛むの? ねえ、シェーラ」
 リサは何度も呼びかけた。シェーラが歯ぎしりしながら、ようやく顔を上げる。
「うるさいね! あんまり騒ぐと傷に障るじゃないか!」
 シェーラは八つ当たりをするように叫んだ。どこまでも気丈な女だ。
「私が傷を診てみるわ。だから、この縄をほどいて」
 リサは自由にならない体を揺するようにして言った。シェーラは青白い顔でせせら笑う。
「ふざけんじゃないよ。どこに人質の縄を解いてやるお人好しがいるんだい? どうせ、逃げるための口実だろ?」
「違うわ! 誓ってもいい。自分でも変だとは思うけど、あなたが心配なのよ。何とかしてあげたいの。私も少しは聖魔術<ホーリー・マジック>を使うことが出来るわ。両手さえ自由になれば、その痛みを取り除いてあげられると思うの」
 リサの目は真剣だった。真っ直ぐで、揺るぎがない。シェーラはその澄んだ瞳を見つめた。
「私は悪党だよ」
「ええ」
「アンタたちの敵だよ」
「分かっているわ」
「アンタの父親であるピエル師を殺し、あの顔見知りだったらしい官憲も殺った女だよ。それでも助けるって言うのかい?」
 少し間があった。
「それは……それは確かに許せません」
 後ろ手に縛られたリサの拳がギュッと握られた。唇を噛みしめる。しかし、今一度、シェーラを見据えた。
「──でも、あなたを救いたいという気持ちも本当です。いくら悪人でも、このまま見捨てるなんてことは、私には出来ません!」
「………」
 シェーラは痛みを堪えながら、テーブルから立ち上がった。そして、やっとという感じで歩き、リサに近づく。
 短刀<ダガー>を取り出した。その刃をリサの喉元に突きつける。
「聖魔術<ホーリー・マジック>が使えると言ったね?」
「ええ」
「もし、ウソだったら、そのときは容赦しないよ。逃げようとするなら、なおさらだ」
「どうぞ、勝手にしてください」
 凄むシェーラに対し、リサは一度も目を逸らさなかった。
 そんなリサの目に偽りはないと感じたのか、シェーラは短刀<ダガー>で縄を切った。リサの手が自由になる。が、その刃はすぐさまリサへ向けられた。完全には信用しないと言うことだ。
 リサはそれに動ずることなく、両手を重ねるようにして、シェーラの患部にかざした。そして目を閉じ、精神を集中させる。
「メイヤー!」
 呪文を唱えると、リサの手が光った。それは温かく、シェーラの傷を癒す。シェーラは不思議な心地よさを感じた。
「これで大丈夫のはずです」
 魔力を消費した疲労感を見せながら、リサは言った。シェーラは信じられないといった顔つきで、鳩尾の辺りを触る。
「これがお前たちの言う神の奇跡か」
 シェーラは独り言のように呟くと、唇を噛んだ。それを見たリサが、まだ傷が痛むのかと心配する。
「まだ痛みますか?」
「いや、治った。礼を言う」
 シェーラは短刀<ダガー>を向けたまま、無愛想に感謝した。リサの表情も少しは和らぐ。
 だが、シェーラはすぐに新しい縄を持ち出すと、再びリサを縛った。リサも抵抗しない。シェーラは冷めた眼でおかしな人質を見下ろした。
「まったく、変なヤツだな。自分をさらった相手を治療してやるなんて」
「苦しんでいる人を放っておけないのが人間というものでしょう。そう言うあなただって、もう必要のない私を殺しもせずにいるじゃないですか」
「それは……」
 真っ直ぐなリサの眼差しに、シェーラはひるんだ。踵を返し、テーブルを挟んで反対側の窓まで歩く。窓は外から板を打ち付けられていて、ほんの少ししか隙間がなかった。そこからシェーラは外の様子を窺う。
「私には妹がいた。生きていれば、アンタと同じくらいの年頃だろう。それを思い出しただけだ」
 リサからシェーラの顔を見ることは出来なかったが、きっと今、遠い眼をしていることだろう。
「生きていればって、もう亡くなられたんですか?」
「さあな。十年前、離れ離れになってから会っていない。今も生きているのか、それとも死んでいるのか……」
「そうですか、お気の毒に」
 リサはシェーラの境遇に心を痛めた。だが、シェーラはそれを鼻で笑う。
「お気の毒に、だって? バカも休み休み言ってくれよ。一体、誰のせいで妹と別れ別れになり、両親を失って、私の住んでいた村の連中が死んだと思っているんだい?」
「だ、誰のせいって……死んだ?」
 シェーラは振り返った。その眼には憎悪が満ちている。あまりの豹変ぶりに、リサはたじろいだ。
「アンタの親父から聞いていないのか? 十年前、ウォンロンの僧侶たち──つまり、アンタの親父たちが、私の村の人々を皆殺しにしたのさ!」


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