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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

17.十年前の惨劇

 ロハン共和国の南西、インディバーン聖王国の国境近くに名もない小さな村があった。
 その村は、自ら新しい世界の創造主を名乗る一人の僧侶<プリースト>によって興され、やがて彼の目指す世界に希望を見出した人々が集うようになっていった。
 僧侶<プリースト>が唱える新しい世界とは、すべての死者を現世に呼び戻そうというものだった。
 人には天命というものがある。だが、それは必ずしも平等に分け与えられたものではない。
 ある者は、生まれてから間もなく、自分の母親の顔も知らぬまま死んでいく。
 ある者は、これから幸せになろうという矢先に、不慮の事故や病魔に冒され、無念の死を遂げる。
 ある者は、ひとつとして生きる喜びを見つけられずに、齢だけを重ねて果てていく……。
 この世界で本当の幸せをつかむことができる者の何と少ないことか。
 そして、残された者たちの深い悲しみは、いつの時代にも絶えることはない。
 すべては死という生命のピリオドによって引き起こされる悲劇だ。その悲しみの連鎖を断ち切ろうと叫んだのが、その僧侶<プリースト>であった。彼はやがて多くの信奉者を集め、司教と呼ばれるようになった。
 しかし、ロハン共和国は創造母神アイリスに対する信仰心が高い国だ。その創造母神が定めた人の天命というものを無視し、死者を甦らせようとする考え方は、邪義であると断じられた。よって、その司教と信奉する村人たちに対し、共和国の僧侶<プリースト>たちは、すぐさま改宗するよう通告を重ねたのである。
 シェーラの両親も親交が深かった知人を生き返らせて欲しいと願い、その村へとやって来た。だが、村は共和国に認められていないため、近隣との交流や物流が一切なく、厳しい自給自足生活を余儀なくされた。
 シェーラの両親は、彼女とまだ幼い妹のエルチを抱え、馴れない農作業や井戸掘りをして生活した。すべては親しかった知人を取り戻すため。他の村人たちも、それぞれ亡くした者たちのために苦労を重ねていた。そんな両親の背中を見て育ったシェーラは、妹のエルチの面倒を見ながら、ジッと貧しさに耐えた。
 ある日のこと、シェーラが母の働く畑の近くで妹を遊ばせていると、井戸掘り作業をしていたはずの父が血相変えて走ってきた。
「またヤツらが来た!」
 父の言うヤツらとは、共和国の使いで来る僧侶<プリースト>たちのことだ。まだシェーラには大人の会話を理解できなかったが、彼らが来ると司教と村の者たちが集まり、僧侶<プリースト>たちと激しい口論へ転じることは知っている。その後、家に帰ってきた母が泣いていて、父が慰めるという光景も多く目にしていた。だから、幼いシェーラも彼らの来訪を快く思ってはおらず、不安と怒りが重く胸を満たした。
 実際、母の顔には怯えと悲しみの色が混ざっていた。
「そんな……どうしてウォンロンの人たちは私たちをそっとしておいてくれないの?」
「司教様がなさろうとしていることが、ヤツらには目障りで仕方ないのだろう! もし、司教様が奇跡を起こし、私たちが待ち望んだ新しい世界が来れば、ヤツらの安寧としていられる地位はなくなってしまうのだからな! ──とにかく、我々は司教様をお守りしないと! 司教様を失えば、私たちはおしまいだ!」
「そうね。──シェーラ」
 母はそばにいたシェーラを呼ぶと、しゃがんでよく言い聞かせるようにした。
「あなたはエルチを連れて家に帰って。いい? お母さんやお父さんが帰るまで、絶対に外へ出ちゃダメよ! 分かった?」
「うん」
 シェーラはうなずいた。そして、幼い妹の手を引く。
「あとはお願いよ、シェーラ」
 母はそう言い含めると、父と共に村の入口の方へと急いだ。
 妹のエルチと一緒に帰ったシェーラであるが、いくら待っても母たちは帰ってこなかった。シェーラは両親のことが心配になった。ひょっとしたら、もう二度と帰ってこないのではないかという不安に駆られる。だが、母と交わした約束を忠実に守り、家から出ることはしなかった。
 やがて、日が暮れ始めた頃、恐ろしい惨劇は起きた。
 母の帰りが遅いとぐずっていた妹をようやく寝かせつけたとき、外から身の毛もよだつような悲鳴が聞こえてきたのである。それはひとつではなかった。悲鳴は連鎖的に起こり、まるで村中から聞こえてくるかのようだ。シェーラは思わず耳を塞ぎ、たった独りで恐怖に耐えた。
 しばらくすると、悲鳴は途絶えた。今度は打って変わって、水を打ったような静けさが村を支配する。シェーラはこの家に妹と二人だけで取り残されたような気になった。母は。父は。先程の悲鳴の中に両親がいたのではないかと考えると、怖くてたまらなくなった。
 妹は外の悲鳴にも気づかず、ぐっすりと寝ているようだった。シェーラはそっと首だけ出して、外を窺ってみる。だが、何も分からない。母たちが行った村の入口の方へ行ってみようか、と思案する。しかし、妹を放ってもいけない。いや、少しだけなら。シェーラの思考は堂々巡りした。
 結局、様子を見てくることにした。何しろ、両親が心配だ。無事ならば、それに越したことはない。
 シェーラは思い切って外へ出た。そして、村の入口へと走る。母たちに何もないことを信じながら。
 だが、村を二分するように作られた大通りまで来ると、シェーラの足は、突然、止まった。
 道端に倒れ込んでいる人、人、人。その異様な光景は、夕陽が村全体を血のように染めているのも相まって、まだ少女であるシェーラの身体をすくませた。
 倒れている人々は起き上がる気配をまったく見せなかった。どうしたのかと、恐る恐る近づいてみる。震える手で背中を揺すってみた。反応なし。
 他の人も揺さぶってみた。同じく何の反応も返ってこない。三人目に触れようとしたとき、初めて倒れている人の顔を見た。
「ひっ!」
 おぞましいほど恐怖に引きつった顔。それが固まってこびりついているようだった。死んでいる。シェーラは初めて人の死に直面した。
 あとはどこをどう走ったのか憶えていない。ただ泣きながら、母と父を呼びつつ、死体が累々としている小さな村落のあちこちを駆けずり回った。もしかして、母と父も死んでしまったのではないか。恐ろしい考えに気が狂いそうになりながら、必死に両親の姿を捜した。
 両親たちは新しく掘っている井戸の近くにいた。折り重なるようにして倒れて。駆け寄ってみると、やはり母も父も死んでいた。
 シェーラは両親の遺体にすがりつくようにして号泣した。まだ幼い少女であるシェーラに、その現実は残酷すぎた。
 そんなシェーラに近づく影があった。
「チッ! まだ生き残りがいやがったのか」
 怯えた顔で振り返るシェーラ。
 それは僧衣を着た男だった。逆光で顔がよく見えないが、頭をケガしているのか、顎から首筋にまで血が流れている。その凄惨さにシェーラは悲鳴を呑み込んでしまった。
「邪教徒のガキが!」
 男は吐き捨てるように言うと、シェーラの襟元をつかんで持ち上げた。まるで捨て猫のような扱いだ。
 シェーラは足をバタつかせたが、男は手を離そうとしなかった。そのままシェーラを掘りかけの井戸まで連れていく。
「くたばれ! この悪魔!」
 男は雑言を浴びせると、シェーラを井戸の底へと落とした。真紅の世界から暗闇の世界へと放り出される。墜落したシェーラは頭を打ちつけ、気絶してしまった……。



「そんな……ウソよ……」
 シェーラから話を聞いたリサは、弱々しく言った。シェーラの両親はおろか、いくら異教徒たちとはいえ、村中の人々を皆殺しにするとは。父のピエル師がそんなことに荷担したとは、到底、信じられるわけがなかった。
 だが、その一方で、シェーラが作り話をしているとも思えなかった。語り終えたシェーラの表情は悲しみと怒りに深く彩られている。噛みしめる唇からは、今にも血が滲み出しそうだった。
「信じようが信じまいが、それはアンタの勝手さ。だが、私は忘れないよ、十年前のあの日のことを。私の両親や司教様を始末したアンタの親父たちは、その功績が認められて、揃ってウォンロン寺院の要職である僧正に推挙されたのさ。多くの人間を犠牲にしてね」
 リサは呼吸をするのも忘れて、シェーラの話を聞き続けた。
「井戸の底で意識を取り戻した私は、急いで家に戻った。でも、そこに妹のエルチの姿はなかったよ。きっとヤツらの手によって連れ去られ、殺されてしまったに違いない。その後、私は同様に生き延びたダグとロキと共に、司教様が残しておられた秘術を体得し、復讐の機会を狙っていたのさ」
 十年間、両親の復讐のためだけに生きてきたシェーラ。リサは、そんな彼女を不憫に思った。
 しかし、ここでシェーラは笑った。
「ところが、最近になって、かつて村だった所へ、死んだはずの司教様が戻ってこられた。なんと、司教様は復活なされたんだ」
「復活? 生き返ったと言うの?」
 リサには、にわかに信じられないことだった。司教がアンデッドならいざ知らず。
 だが、シェーラは司教の復活を神の奇跡として、微塵も疑ってはいなかった。シェーラは完全に司教の下僕として、心酔している。それは異常な熱を帯びた狂気ですらあった。
「そうさ! そして、司教様は私たちに新しい世界の到来を予言なされた。もうすぐ、多くの死者の魂が復活すると! 母も、父も、妹も、そして、ウォンロンの僧侶<プリースト>たちによって殺された我が同胞たちも! 十年前、村を壊滅に追いやった僧正たちの命を捧げ、偉大なる我が神を封印から解き放つのだ! そのときこそ、このウォンロン──いや、創造母神などという無能な神を奉じるネフロン大陸の人々を滅ぼす!」


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