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守衛本部の執務室で部下から新たな報告を受けたビルフレッドは、一瞬、驚愕に言葉を失った。だが、すぐにいつもの冷静沈着さを取り戻す。事態は思ったよりも深刻な展開を見せている。そう考え、ビルフレッドは一刻の猶予もないと感じていた。
「では、昨日、自宅で何者かに殺されていたオラフという老人は、かつてマトス師、ピエル師、ソーマ師と同じく、僧正であったと言うのか?」
ビルフレッドは、今一度、部下に確認するように尋ねた。
事件が発覚したのは、昨日の朝──東の僧院が襲われてから二日後──だ。通いで身の回りの世話をしていた近所の女性がオラフの家を訪ねると、中で激しく争った形跡と奇怪な死に方をしている家主を発見したのである。発見者である女性は、すぐ官憲に通報した。
駆けつけた衛兵が検分すると、オラフの体に目立った外傷はなかったが、一目でその異常性は明らかであった。オラフはかなりの高齢であったが、それにも増して、異様に老け込んでしまったように見えたのだ。まるで生気を吸い取られたかのように。
変死したオラフは、瓦解した東の僧院から発見された修行僧<モンク>の遺体と、まったく同じように思えた。そこでビルフレッドは、死んだオラフとこれまで犠牲になった僧正たちの関係を洗い直すよう命じたのである。マトス師たちの死に方──背後から鋭利な刃物で首を掻き切るというやり方──とは異なるが、ピエル師の娘リサを連れ去った三人組が関与していることは疑いなかった。
そのオラフについて、ようやく報告が届いた。それによると、オラフはヤン師の前任として北の僧院の僧正を務めていたことが判明。三年前に体力と気力に衰えを覚え、僧正の座を辞したが、他の僧院のマトス師らとも同門で、顔見知りであることも分かった。おそらくはオラフも他の僧正たちと同様、三人組が狙っているペンダントを所持していたのだろう。そして、新たな犠牲者となったのだ。
マトス、ピエル、ソーマ、オラフ。それに加えて、マトスの息子チャベスの五人は、ペンダントを持っていたがために狙われた。しかし、ビルフレッドにとって分からないのは、そのペンダントが何を意味し、三人組にとってどう重要なのか、だ。そして、他にもペンダントは存在しないのか。もしも存在するのであれば、次はその所有者が襲われるということである。
報告に訪れた衛兵は、手元のメモを見ながら喋った。
「四人は十年前に、それぞれ東西南北の僧院付き僧正となられました。オラフ師が引退なさるまで、四人は親しく交流があったようです」
「ちょっと待て」
ビルフレッドは部下の言葉を遮った。
「何か?」
「今、十年前と言ったな? 四人は十年前に、そろって僧正になったのか?」
「はい、記録ではそうなっております」
「なぜだ? なぜ、同時に……」
「さあ、そこまでは当人たちが死んでいますし、任命した当時の大僧正も逝去されていますから」
「ん? 確か、現大僧正でおられるイゴール猊下も、十年前に大僧正になられたような憶えが……」
ビルフレッドは遠い記憶を探った。
「偶然でしょうか?」
「そんなはずがあるわけなかろう!」
ビルフレッドが思わず声を大きくしたので、報告の部下は身を縮み上がらせた。
それに構わず、ビルフレッドは思案した。
同じ時期に四人が僧正になり、大僧正も替わった。これにはきっと何か理由があるはずだ。そして、その理由を知る人物は、今やただ一人しかいない。
イゴール大僧正。
ビルフレッドは決断した。
「猊下に直接お会いしよう。──私は総本山へ行く」
ビルフレッドは杖をつきながら、足早に執務室を出た。
すると廊下で、ちょうど執務室を訪れようとしたハーヴェイと鉢合わせした。
「隊長!」
「ハーヴェイ」
相棒であるゼブダを失い、ろくに寝てもいないのだろう。ハーヴェイの顔色は悪く、目も落ちくぼんでいた。だが、その目の輝きだけは熱を帯びたようにギラギラしている。ゼブダの仇を討ちたい。その一心が見て取れる。
ビルフレッドは、そんな若者の姿に心を痛めた。
「隊長! どうかオレを現場に復帰させてください! 家でじっとしていられないんです!」
ハーヴェイには命令違反の罰として、自宅謹慎を命じていた。もちろん、今のハーヴェイでは、まともな捜査ができないだろうというビルフレッドの判断からである。復讐心に駆られたハーヴェイは、きっと危険を冒す。それこそ取り返しのつかない危険を。だからビルフレッドは、ハーヴェイを捜査に復帰させるわけにはいかなかった。
「勝手を言うな! お前は処分を受けている身なんだぞ!」
ビルフレッドは敢えて厳しく言った。
しかし、それで大人しく引き下がるハーヴェイではない。何かをしなければならない衝動に突き動かされていた。
「処分なら、この事件が終わったあと、いくらでも甘んじて受けます! 何なら、オレをクビにしてくれても構いません! でも、この事件だけはやらせてください! 隊長、お願いです!」
ハーヴェイは深く頭を下げて懇願した。ビルフレッドは、そんなハーヴェイを見下ろす。彼の気持ちが分からないわけではない。だが──
「私怨で動こうとする者など使えん。仲間をゼブダのような危険にさらすわけにいかんからな」
ハーヴェイの頭がぴくりと動いた。痛烈な一言だった。ハーヴェイの内心は、怒りと悲しみがない交ぜになる。
口を真一文字に結び、ビルフレッドはその横を通り抜けた。部下を慰めてやりたい気持ちをグッと抑えて。
ビルフレッドが完全に立ち去るまで、ハーヴェイは廊下で頭を下げた姿勢を保っていた。やがて、その頭を上げると、何かを吹っ切ったような表情でビルフレッドの執務室に向かう。
中に入ると、ハーヴェイは襟元から衛兵の証である記章を外した。それをビルフレッドの執務机の上に置く。
「お世話になりました」
ハーヴェイは誰もいない執務室で一礼すると、帯剣したまま出て行った。
首都ウォンロンから北東の方角に、ロハン共和国の信仰の中心である総本山があった。
ここには多くの高僧<ハイ・プリースト>や修行僧<モンク>がおり、日夜、神への祈りと己の鍛錬を行っていた。共和国中はもちろんのこと、他国から参拝に訪れる人も多く、ネフロン大陸の東方では“聖地”として認識されている。
大僧正イゴールに面会するため、ビルフレッドは総本山を訪ねた。馬を走らせても、到着したのは日が落ちてから。しかし、参拝客の来訪は絶えることはなく、門扉も常に開放されていた。
さすがに総本山の中に馬を入れるわけにはいかなかったので、下馬したビルフレッドは杖をつきながら、幅の広い緩やかな階段を登った。階段の両脇に立ち並ぶ灯籠には火が灯され、周囲を包み込む薄闇も相まって、幻想的な雰囲気を作り出している。この先が総本山でも一番大きな建物である大聖堂だ。一般の参拝客は、そこで祈りを捧げていた。
大僧正がいるとすれば、大聖堂よりもさらに奥にある本殿であろう。総本山には他にも僧侶たちが起居する僧房や、信者たちが宿泊する宿坊、客殿などがあり、それらが数多く隣接していた。
広々とした総本山の中を歩くのは、足の悪いビルフレッドにとっては骨が折れた。それでも早く大僧正に面会しなくてはいけないと考え、精一杯に急ぐ。
ようやく本殿の入口が見えてくると、ビルフレッドは異変に気づいた。本来いるはずの見張りが立っていない。
さらによく目を凝らしてみると、見張りは確かにいた。ただし、地面に横になって。
その見張りに対して、かがみ込んでいる者が二名いた。何やらゴソゴソとやっている。
「おい! 何をしている!?」
ビルフレッドはたまらず声を上げた。怪しい人物二人が振り返る。
「チッ! 邪魔が入ったか」
どちらも人相の悪い男たちだった。一人は厳つい顔と体つきをした総髪の大男で、もう一人は背が低く、骨と皮だけの病的な小男だ。ビルフレッドは二人と初対面だったが、すぐにハーヴェイが報告していた三人組のうちの二人だと察した。
「おのれ! もうここまで入り込んでいたか!」
ビルフレッドは剣の柄に手をかけた。だが、怪しい二人の男──ロキとダグは、杖をついたビルフレッドを見て、せせら笑う。
「ウォンロンの衛兵か。だが、その足でオレたちを捕まえられるか?」
ロキとダグは悠々と斃された見張りから僧衣を剥ぎ取ると、それを自ら着込んだ。きっとこれを着て、本殿の中に侵入するつもりに違いない。
ビルフレッドは足を引きずりながら、その距離は縮めた。
「もうお前たちの好き勝手にはさせない! 大人しく縛につけ!」
足を負傷するまでは、ウォンロンの衛兵の中でも一番に恐れられていた男だ。今の自分を顧みて、怖じ気づくようなことはしない。
大男のロキは残忍な笑みを見せた。
「お前もオイの《縛霊術》で始末してやる!」
そのロキを小男のダグが制した。
「待て、ロキ。ここはオレがやろう。お前は先に行って、大僧正を殺るんだ」
「……分かった」
ロキはダグに従った。足の不自由なビルフレッドを相手にするよりも、大僧正を殺した方が楽しそうだと考え直したのだろう。
「行かせはせん!」
ビルフレッドは剣を抜いた。ダグが唾を吐き出す。
「それはこっちのセリフだ。──《死者創生》の術!」
ダグの身体から、白い煙のようなものが発生した。そして、それは倒れている見張りたちの身体にまとわりつく。白い煙が消えると、二人の見張りはおもむろに立ち上がった。
「──!」
ビルフレッドは身構えた。二人の見張りは、東の僧院で見た修行僧<モンク>の死体と同じく、ミイラのような姿になっていたからだ。
ロキの《縛霊術》によって命を奪われ、そして今また、ダグの《死者創生》の術でゾンビとして甦った見張りたち。彼らは突然、ビルフレッドへ襲いかかった。
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