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ダグよりも先に本殿へと入り込んだロキは、たった一人で警護の修行僧<モンク>たちを次々に始末しながら、とうとう大僧正イゴールの部屋の前まで来ていた。
これでやっと目的が達成できる。長かった苦難の日々がようやく報われるときが訪れ、ロキの表情は自然と緩んだ。すでに必要なくなった僧衣を脱ぎ捨てる。そして──
「《縛霊術》!」
ロキは死霊を呼んだ。ここに至るまでの間、大勢の修行僧<モンク>たちの魂を喰らい、今、死霊たちは活気づいている。このまま部屋の中にいると思われる大僧正をも屠るつもりだった。
だが──
「ぬっ!?」
死霊が重々しい扉をすり抜けようとした途端、目に見えない障壁に阻まれた。いや、それどころか、障壁にぶつかった死霊は、突然、力を失ったかのように苦しみながら消滅してしまう。ロキはそれを見て、驚きを隠せなかった。
「大僧正の仕業か!?」
「いいえ」
さらに驚愕すべきことに、ロキの疑問に対して答える者がいた。本殿を守っていた修行僧<モンク>をすべて始末したものと思っていたのに。
「誰だ!?」
ロキは慌てたように周囲を見渡し、声の主を捜した。本殿の内部は音の反射が響いて、容易に位置を特定できない。
大僧正の部屋へ至る回廊には巨大な柱が林立しており、その陰に隠れることは可能だった。姿を見せない何者かに、ロキは苛立つ。
「出てこい! さもなくば、オイの死霊が出迎えに行くぞ!」
ロキは再び《縛霊術》で死霊を解き放った。回廊の柱を縫うようにして、隠れている者を捜し出そうとする。
しかし、またしてもロキから五本離れた柱のところで、死霊は見えない壁に衝突し、あえなく霧散した。その柱の陰から、一人の僧侶が姿を現す。
「あなたのその技は、私には通用しません。たった今、それを証明して見せたはずです」
多くの修行僧<モンク>たちを殺害した相手にも関わらず、姿を見せた僧侶の声音はあくまでも穏やかだった。
一見、若く見えるが、どことなく年齢不詳な男だった。その言葉と同様に表情もとても穏やかで、高貴な気品すら漂わせている。この僧侶が怒りを表すことなどありえないのではないかと思えるほどに。
その僧衣は、他の修行僧<モンク>たちとは異なっていた。もっとたっぷりとした形で、色彩も意匠も凝らされている。
信仰心に厚いロハン共和国の人々であれば、その僧衣を見ただけで、この僧侶の地位を言い当てられるだろう。僧正だと。
マトス師たち三人がいなくなった今、このロハン共和国に僧正と呼ばれているのは一人しかいなかった。
「貴様は……」
ロキの細い眼が精一杯、見開かれた。
僧侶は場違いとも思える礼儀正しさで会釈をした。
「お初にお目にかかります。私はヤン。北の僧院の僧正を務めております」
ヤン──神の代行者。
マトス、ピエル、ソーマの三僧正より若いにも関わらず、次期大僧正は彼だと誰もが信じて疑わなかった。彼は神に選ばれた者。幼少の頃より高レベルの聖魔術<ホーリー・マジック>を体得しており、生まれながらの聖職者だった。その人格も立派なもので、身分の隔てなく苦しむ人々を救い、世界の平和と安寧を常に祈り続けてきたのである。その神々しさに、誰もが口にした。彼こそ、創造母神アイリスがこの地上に遣わした“神の代行者”であると。
ウォンロンの北の僧院にいるはずだったヤンが、今、目の前に立っていることに、ロキは少なからず動揺した。彼らの標的としてヤンは入っていない。いや、いずれは自分たちの敵になることは分かり切っていたが、ウォンロンから離れた総本山にこうしていることは信じがたいことだった。
「どうして、貴様が……!?」
ロキはうろたえずにいられなかった。
そんな大男を前に、ヤンは穏やかな表情を崩さない。
「三人の僧正が殺されたことから、次に狙われるのは私か大僧正しかいないだろうと考えました。調査を進めている官憲の話によると、どうやら犯人は奇妙なペンダントを狙っているとのこと。私には身に覚えがありませんでしたので、ならば次は大僧正だろうと結論に達したわけです。もっとも、私の前任者だったオラフ師までが殺されたのは誤算でしたが。残念です」
そう言いながらも、ヤンの口調はあくまでも淡々としたものだった。神の代行者というものは感情の起伏に乏しいのだろうか。
それに対し、頭に血を昇らせたのはロキだ。予期せぬ邪魔者の登場に、ようやく怒りが湧いてくる。
「つまり大僧正を助けに来たというわけだな?」
「はい」
「ならば、貴様を斃してから、大僧正を殺るまで!」
「しかし、あなたの死霊は効きませんよ。大僧正の部屋の結界同様、聖なるバリアによって私の身は守られていますから」
「そんなことは百も承知!」
ロキはヤンに向かって仕掛けた。巨体も軽やかに、拳を振り上げて突進する。《縛霊術》が通用しないのなら、力ずくでヤンを排除しようというわけだ。
「それは弱りました」
どこまでを本気で喋っているのか、ヤンは柱の陰に隠れた。その柱をロキが砕く。素手とは思えない破壊力だ。
ヤンはよろめくようにして、柱の陰から出てきた。易々と柱を砕いたロキの攻撃に驚嘆する。
「ああ、あんなのに殴られたらひとたまりもない」
「貴様ぁ、オイをおちょくっているのか!?」
ロキは激怒した。しかし、ヤンにそのつもりはなかったらしい。
「いえいえ、私は聖魔術<ホーリー・マジック>は使えても、他の方のように武術や拳法はからっきしでして」
「じゃあ、一発で決めてやるよ! 痛みなど感じる間もないほど一瞬でな!」
「それは願い下げです。ここはバトンタッチすることにします」
ヤンは僧正の威厳などどこへやら、回廊を迂回するように大僧正の部屋の方へ逃げた。ロキが追う。
だが、それを遮る者がいた。柱の陰から飛び出してきて、ロキは危うく、その者の蹴りを喰らいそうになる。不意打ちをかろうじて躱したロキは、巨体を回転させるようにして構え直し、その者を見た。
「! ──貴様は!?」
見覚えがあった。それもそのはず──
「僧正様の仇!」
ロキを激しく憎みながら睨みつけているのは、東の僧院でただ一人生き残った修行僧<モンク>、タウロスだった。ロキの《縛霊術》にやられ、さらに瓦礫の下敷きとなったのだが、奇跡的に救出され、ヤンの手によって治療されたのである。ヤンが大僧正を守りに行くと聞き、タウロスが同道を申し出たのは、ソーマ師の仇であるシェーラやロキを自分の手で討ちたいがためだった。
「貴様、あのときの……生きてやがったのか!?」
「お前たちを斃すまで、オレは死んでなどいられん! 覚悟しろ!」
「ほざけ!」
二人の巨漢の持ち主は、堂々と睨み合った。
「タウロスくん。死霊のことは気にしなくていいですよ。キミにも聖なるバリアをかけてありますから」
そんな緊張感を台無しにするような調子で、ヤンが言った。ロキを油断なく見据えながら、一瞬、目線を投げかけるタウロス。
「すみません、ヤン師! ──さあ、妙な小細工なしに闘ってもらおうか!」
体格的にはいい勝負だった。タウロスとロキはじりじりと間合いを計りながら接近する。
「ハッ!」
鋭い呼気を発し、対決の火蓋は切られた。拳と拳の応酬。目にも留まらぬスピードだ。
どちらも一撃必殺の破壊力を秘めたパンチである。それを互いに躱し、受けながら、なおも連打を叩き込む。
ただの殴り合いは、次第に下半身の動きによって変化してきた。パンチに足技の膝蹴りなどが混じる。すると両者は間合いを取るように、距離を置くようになった。
ほんの少しの間に、とてつもない手数が繰り出されたにも関わらず、まだどちらも相手の攻撃を喰らっていなかった。双方が格闘術に秀でている証拠である。そして、それは互いに認識していた。
「意外にやる……」
タウロスはロキをねめつけながら呟いた。敵ながら認めざるを得ない。
タウロスは僧院で日々、鍛練を積み、修行してきた。どちらかというと聖魔術<ホーリー・マジック>は不得手なので、その分、武術に力を入れてきたと言ってもいいだろう。その甲斐あって、東の僧院では並ぶ者がないほどの使い手になった。だから武術にはかなりの自信がある。その自分と互角に闘うのだから、このロキという男も大したものだ。
一方、ロキもロハン共和国が誇る修行僧<モンク>の武術を目の当たりにし、接近戦において、いかに力を発揮するか身をもって感じていた。これまではロキの《縛霊術》によって、呆気なく勝負がついており、修行僧<モンク>など物の数ではないと一笑に付してきたが、実際に手合わせしてみると、伊達に日頃から鍛えていないのだと分かる。ロキも我流で武術を体得したつもりだが、稽古の相手がいつもシェーラかダグでは、つい闘い方が型にハマってしまい、実戦向きとは言えなくなってしまう。ロキは初めて強敵と対峙したことに気づいた。
二人は相手の出方を窺いつつ、横に移動した。平行に走っていくと、両者の間合いを大きな柱が遮る。互いに相手の姿が見えなくなったところで、同時に足を止めた。
「やあああああああっ!」
ロキは柱に向かって突進した。そして、おもむろに柱へ強烈な突きを喰らわす。それは石造りの柱を跡形もなく破壊した。
砕けた柱の破片が飛び散った。ロキの狙いは、タウロスの不意を打つことだ。粉々になった破片が少しでもタウロスをひるませるのに役立てば、決定的な隙を作れる、と。
しかし、そのロキの読みは甘かった。
タウロスはロキがどう仕掛けてくるか予測していた。ヤンへ向かっていったとき、柱を砕いたところも見ていたのだろう。ロキは柱を破壊するはず。その読み通りだった。
なればこそ、タウロスもまた柱に突進していた。そして、砕け散った破片を浴びながらも、自らを投げ出すようにしてロキに躍りかかる。
これには、さすがのロキも虚を衝かれた。柱の反対側からタウロスが飛び込んで来たのだから。
「だああああああああっ!」
タウロスの右拳がロキの顎を捉えた。吹き飛ばされたロキは、もんどり打って倒れる。一撃を決めたタウロスは軽やかに前転すると、すぐに立ち上がった。
最初の一発を見舞ったのはタウロスの方だった。ソーマ師と仲間たちの無念を背負うタウロスは、鼻息も荒く、倒れ込んだロキを見下ろす。
「さあ、立て! まだまだこんなもんじゃないぞ! お前には絶対、大僧正様を殺らせはせんからな!」
パンチを喰らったロキは顎を大仰に撫でさすりながら、ニヤリと邪悪な笑みをこぼした。それをタウロスが見咎める。
「何がおかしい!?」
「フン! これが笑わずにいられるか! 貴様はもう忘れちまったのか? オイたちには仲間がいるんだぜ。それも結界などものともしない仲間がな。すでに大僧正の首を掻き斬っているかもしれんぞ」
「ま、まさか!?」
タウロスは青ざめた。
《影渡り》のシェーラ。彼女ならば、結界にも引っかからず、中へ入ることは可能だ。まさか、今の今まで失念してしまうとは。
「大僧正様!」
タウロスは悲愴な面持ちになって、部屋の大僧正へ呼びかけた。
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