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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

21.最後の一人

 ロキがヤンたちの目を引きつけているうちに、シェーラは《影渡り》を使って大僧正イゴールの部屋へ忍び込んでいた。
 リサの聖魔術<ホーリー・マジック>によって、すでに傷は癒えている。《影渡り》のおかげで、ここまで何の障害もなく入り込め、シェーラはほくそ笑んだ。
 ロキと同様、この任務ですべてが終わると思うと、自然に高揚してくる自分を抑えられないシェーラであった。しかし、今回の相手は大僧正だ。これまでの僧正よりも手強い相手かもしれない。シェーラは自分を戒めるように言い聞かせ、気を引き締めた。
 本殿にある大僧正の部屋と言っても、特別、華美な装飾があったり、高級な調度品が置かれているわけではなかった。広さも高さも充分にあるが、意外と質素な室内で、必要最低限の物しか用意されていないようだ。加えて、外の音がまったく聞こえてこず、肌寒いくらいの空気がピンと張りつめている。大僧正はどこにいるのか。シェーラは回廊と同じくらいの太さがある柱の影から頭だけを出し、様子を窺った。
 いた。最後の一人が。
 大僧正は部屋の奥に造られた祭壇に向かって祈りを捧げている最中だった。ちょうどシェーラに背中を向けている格好である。ひざまずき、一心に祈る姿は、まるで一枚の宗教画を見るような神々しさが感じられた。
 シェーラは大僧正イゴールの荘厳さに対し、慌てて頭を振った。相手に畏敬の念を抱いて何とするか。これから、その者の命を奪おうというのに。
 目の前の男は、マトス師らと同様、父や母を殺した輩だ。それなのに、今ものうのうとして生き、何も知らぬ信者たちから尊敬と賞賛を集めている。弱い者を犠牲にして築き上げた地位と名誉。そんなものを断じて許せるわけがなかった。
 シェーラは怒りと憎しみを燃え上がらせた。殺すんだ。あの首を私の短刀<ダガー>で掻き斬って、過去の非道を懺悔させてやる。
 復讐心をたぎらせたシェーラは、もう一度、大僧正と自分の位置を測った。ここからでは遠すぎる。もっと近づかなければ。だが、大僧正のいる場所に影はない。いや、大僧正自身の影は伸びているのだが、《影渡り》で移動するには影と影がつながっていないと無理だ。さしずめ、一番、大僧正に近そうな影は、祭壇の両脇に立つ柱のものか。しかし、そこから現れるとなると、大僧正に気づかれそうだ。
 そのとき、部屋の扉に何かが激突したらしく、空気を震わせるくらいの、ドン、という大きな音がした。突然のことに、シェーラは跳び上がらんばかりに驚いたが、しっかりと声は押し殺しておく。
 音に反応したのは大僧正も同じだった。祈りを中断し、何事かと扉を振り返る。
 ひょっとすると、すでにロキがここまで辿り着いたのかもしれないと、シェーラは想像した。鍵のかかった扉をぶち破ろうとでもしているのか。だが、ロキの《縛霊術》なら、そんなことは造作もないはずだ。それともロキたちの侵入に気づいた修行僧<モンク>が大僧正に危険を知らせに来たのか。しかし、今の音はノックなどという生やさしいものではなかった。
 大僧正は怪訝な顔をして、立ち上がった。扉の様子を見に行くつもりらしい。シェーラは、しめた、と思った。向こうからこちらへ近づいてきてくれるのだ。こんなに有り難いことはない。
 シェーラは一旦、影に身を潜め、大僧正が近づくのを待った。
 大僧正の足音が近づく。真っ直ぐ扉へ。ここにシェーラがいるのも知らずに。
 影の中にいても、シェーラは外の様子を見ることが出来た。足音ばかりでなく、大僧正の姿が視界に入ってくる。あと少し。もう数歩……。
 大僧正が扉の前に立った。シェーラに対して背中を向けている。今だ!
 シェーラは影から飛び出した。
「死ね! 大僧正!」
 その刹那、頭上から舞い降りる黒い影があった。シェーラの目が驚愕に見開かれる。
 それは──
 吟遊詩人ウィル。
 黒衣の魔人はシェーラの前に立ちふさがるようにして降り立った。シェーラは慌てて、後ろに飛び退く。
「お、お前は──!?」
 信じられなかった。この魔法を操る男は、ロキが始末したのではなかったか。瓦解した東の僧院の下敷きになったのではなかったのか。
 しかし、目の前のウィルは幽霊でも何でもなかった。その美しき相貌を見間違えるわけがない。
「また会ったな」
 ウィルは無感情に言った。その眼は容赦なくシェーラを射抜く。
「貴様、不死身か!?」
 シェーラは驚きを呑み込みながら、声を荒げた。一度ならず二度までも邪魔に入るとは。短刀<ダガー>を構え、戦闘態勢を取る。
 それに対し、ウィルは大僧正の盾となりながらも、ただ立っていた。武器を手にしたシェーラを前にしても、まったく動じた様子を見せない。余裕ということか。シェーラの癇に障った。
「どうやら死にきれなかったようだね。いいよ。今度こそ私が冥途へ送ってあげる。心臓をひと突きがいい? それとも、その白い首を掻き斬ってもらいたい?」
「どちらも遠慮しよう」
「そう言いなさんな、色男!」
 シェーラは仕掛けた。対するウィルは素手。まさか修行僧<モンク>のような武術が使えるとは思えない。ウィルが得意とするのは魔法のはずだ。それは厄介なものだが、要は呪文を唱えさせなければいい。
 向かってくるシェーラに対し、ウィルはスッと体を躱した。まるで道を譲るような動きだ。しかし、シェーラはスピードを緩めず、真っ直ぐに走る。ウィルがどいた向こうには、大僧正イゴールが立ち尽くしたままだったのだ。
 目的はあくまでもペンダントを奪い、大僧正を殺すことである。ウィルなど二の次だ。シェーラはその横を駆け抜けようとした。
 ところが、突然、シェーラの視界が暗転した。ウィルの黒いマントがシェーラを包み込んだのである。
「チッ!」
 シェーラはいまいましげにマントを振り払った。もがきながら顔を出すと、もう大僧正はウィルによってかばわれている。軽くあしらわれて、シェーラは憤怒した。
「やるね、アンタ」
「相手はオレだ。来い。それとも去るか? それも賢明な判断だ」
 ウィルは少しの気負いも見せずに言った。シェーラの闘志が燃え上がる。
「いいだろう。やってやるよ!」
 シェーラは短刀<ダガー>を油断なく構えながら、体を左右に揺らした。どちらから攻撃を仕掛けるか、相手を惑わせようというわけである。しかし、相手はウィル。そんな小細工は通用しない。
「シャッ!」
 鋭い呼気を発し、シェーラは仕掛けた。低い姿勢で、女豹のように、下から上に短刀<ダガー>を振るう。ウィルは身を逸らすようにして、それを避けた。
 ここまで接近してしまえば、ウィルが魔法を使うことは難しい。呪文を唱える隙を与えず、シェーラは攻撃を素早く繰り返す。
 後退しながらも、シェーラの短刀<ダガー>をことごとく見切るウィル。しかし、それがシェーラのひとつの狙いでもあった。
 シェーラの伸び上がるような攻めは、ウィルの上体を次第に立たせていった。それが繰り返されることによって、意識は上半身にばかり集中する。そこへシェーラは、不意打ちとして足払いをかけた。このコンビネーションに、大抵の者ならば引っかかる──はずであった。
 しかし、ウィルは軽やかに跳び上がった。空中にバッと黒いマントがあでやかな花のように咲く。後方宙返り。
 着地したウィルをシェーラは憎しみを込めて睨みつけた。残念ながら、この黒衣の青年は魔法だけを扱う優男ではなく、剣術や体術をも身につけた戦士のようだ。一対一で果たして敵うかどうか。
 だが、シェーラにはまだ奥の手がある。
 シェーラはおもむろに身を翻し、柱の陰に隠れた。当然ながらウィルが追う。しかし、そこにシェーラはいなかった。ウィルは室内を見渡す。が、どこにもシェーラはいない。
 ウィルは警戒しながら、柱から離れた。不安そうな大僧正がウィルへ近づこうとする。ウィルはそれを手で制した。まだ危険は去っていない。
「シャッ!」
 そのとき、突然、ウィルの背後からシェーラが現れた。短刀<ダガー>をウィルの背に突き立てようとする。
「──!?」
 間一髪、ウィルは身をひねって、凶刃から逃れた。床を転がり、すぐにシェーラと対峙しようとする。だが、ウィルが顔を上げたとき、またしてもシェーラの姿は消えていた。
「どこへ行った?」
 ウィルは大僧正を見た。シェーラがどこへ行ったか、見ていなかったかと言うのだ。しかし、大僧正は首を横に振るばかり。
「お捜しかい?」
 別の柱の陰から、シェーラは不敵に姿を見せた。ウィルよりも大僧正に近い。
「ディロ!」
 ウィルは呪文を唱え、マジック・ミサイルを発射した。シェーラは素早く柱の陰に身を隠す。だが、マジック・ミサイルは自動的に追尾し、絶対に標的を外さない。マジック・ミサイルは死角に隠れたシェーラに向かって曲がった。
 シェーラに当たったかどうかは、大きな柱のせいで見えなかった。ウィルは駆け寄って、確認する。
 そこにシェーラはいなかった。マジック・ミサイルは柱に当たっただけで終わったようである。破片だけが床に散らばっていた。
「アッハッハッハッ! どうやら私を捕まえられないみたいだね」
 いつの間にか、シェーラは庶務机の脇に立っていた。机の上のランプを持ち上げる。
「だが、本当の恐怖を知るのは、これからさ!」
 シェーラはランプを床に落とした。割れたランプが一気に燃え上がる。シェーラはその炎とウィルとを交互に見やりながら、ゆっくりと柱の方へと歩いた。再び柱の陰にシェーラが姿を消す。
 壊れたランプの炎は、最初こそ派手に燃えたが、すぐにこぼれた油を舐め尽くし、下火になった。続いて、それぞれの柱にあるロウソクの炎が一本、また一本と消えていく。段々と室内が暗くなっていくにつれ、大僧正はうろたえが大きくなった。ウィルはただそれを見上げるばかり。
 とうとう最後の一本が消え、ランプの炎も鎮火し、部屋は闇に閉ざされた。それがさらなる死闘の幕開けであったとは。


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