[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]
暗闇の中で、ウィルはシェーラの気配を探った。
しかし、ウィルの鋭敏な超感覚をもってしても、シェーラがどこにいるのか、まったく分からなかった。まるで、この室内にはいないかのようだ。だが、シェーラは必ずいる。決して逃げたのではないと、ウィルは確信していた。
「う、ウィル」
不安そうな声で大僧正がウィルの名を呼んだ。暗闇と暗殺者の存在に怯えているのだろう。この姿を門下や信者たちが見たら、失望を禁じ得ないに違いない。
「じっとしていろ。怖いのなら神に祈っておけ」
ウィルは冷淡とも思える口調で大僧正に言った。シェーラを捉えることが出来ぬ今、さすがのウィルにも余裕がないのだ。
大僧正はウィルの言葉を真に受けたらしく、呟くように神への祈りを捧げ始めた。
「──!?」
唐突にシェーラの気配が感じられた。それもウィルの目前。
いかにして近づいたのか、ウィルには分からなかった。いくら真っ暗な室内とはいえ、この男が、そこまでの接近を許すわけがない。
シェーラの短刀<ダガー>がウィルの首を掻き斬ろうとした。ウィルは反射的に身を反らせ、不意討ちを逃れる。シェーラの舌打ちが聞こえた。
「この暗闇で見えるのかい!?」
「いや、残念ながら」
ウィルは正直に答えていた。駆け引きなど微塵もない。
「そうかい。生憎、こっちは夜目が利くもんでね」
「だが、斬りつけてくるときの殺気は消せない」
ウィルは見えないシェーラに向かって言った。シェーラが鼻で笑う。
「ならば、これでどう!?」
シェーラの気配が消え、またしてもウィルの近くに現れた。ウィルの超感覚は、まるで瞬間移動をしたようなシェーラの動きを捉える。
ウィルはマントを振り払うようにして、シェーラの攻撃を防ごうとした。だが、次の瞬間、シェーラの気配が消失し、逆方向に出現する。有り得ない動きだった。
右腕の使えないウィルは反対側への対応が遅れる。
バランスを崩しながら、ウィルは後ろ回し蹴りを放った。これが精一杯の反撃だ。後ろ回し蹴りは、シェーラに当たるはずだった。ところがウィルは愕然とする。空振り。シェーラの気配をしっかりと捉えていたはずなのに、手応えはまるで実体のない幽霊のようだった。
後ろ回し蹴りが不発に終わり、床を転がるようにして攻撃を避けたウィルだったが、すぐさまシェーラの追い討ちが襲いかかる。いや、それは追い討ちではなく、むしろ待ち伏せ。ウィルが動いた方向にシェーラがいた。そして、次々とシェーラの凶刃がウィルを切り刻もうとする。
まさに神出鬼没。ウィルの動きを予測していたかのように、シェーラは現れた。さすがのウィルも間断のない攻めに表情が厳しくなる。暗闇のせいで、誰にも見られないことがせめてもの救いだろう。
「シャッ!」
「──っ!」
とうとうシェーラの短刀<ダガー>が、ウィルの右腕を切り裂いた。傷は浅いが、徐々に追い込まれているのも確かである。やはり、この暗闇の中では、ウィルの不利は否めなかった。
「エメナ!」
ウィルが呪文を唱えると、空中に魔法の光が浮かび上がり、室内を照らした。シェーラの姿がようやく見えるようになる。ウィルを追いつめて、シェーラは満足そうな表情をほころばせていた。
「光の呪文かい。でも、まだ明かりが足らないね」
シェーラの言うとおり、魔法の光は部屋全体を照らすには小さく、壁際はまだ闇のベールに覆われていた。シェーラはゆっくりと後退すると、その闇に同化していく。
「バリウス!」
ウィルはシェーラに向かって、真空の刃を飛ばした。シェーラはそれから逃げようともせず、笑って受け止めようとする。真空の刃は、シェーラの五体をバラバラに切り刻む──はずだった。
ところが、真空の刃はシェーラを素通りした。シェーラはまるでそよ風でも吹いたのかといった様子で、涼しげな顔をする。
「どうしたの? 得意の魔法もそれでお終いかい?」
ウィルの攻撃魔法が通用しなかった。にも関わらず、ウィルはまったく動揺を見せない。むしろ、今のでシェーラの秘密を看破した。
「影に身を潜ませる術か」
ウィルはようやくシェーラの《影渡り》の術を悟った。シェーラが影の中に隠れている間は、さすがのウィルも気配をつかめない。だからシェーラの動きがまったく感知できず、まるで瞬間移動をしているように感じられたのだ。
そして、ウィルの後ろ回し蹴りも、バリウスの呪文も通用しなかったのは、シェーラが体の一部を影に溶け込ませていたためだ。影が相手では、蹴っても斬っても無意味である。シェーラは体全体でなくとも影と同化することができ、それによって攻撃を素通しさせるという奇怪な戦法を取ったのだ。
しかし、神出鬼没の相手なら、ウィルはかつて戦ったことがある。その相手は影すら必要とせず、自在に姿を消したり現したりして見せた。そういう意味では、まだシェーラとの戦いようはある。
もっとも、そのときと違って今のウィルは右腕を使えない。まだシェーラには気づかれていないようだが、決して左腕だけで簡単に斃せるような相手ではなかった。
とにかく、闇や影の存在はシェーラを有利にさせるだけだ。ウィルは次の呪文を唱える。
「ブライル!」
それはファイヤー・ボルトの呪文。目標はシェーラではなく、吹き消されたロウソクだ。次々に柱のロウソクへ発射していく。
消えていたロウソクに再び火が灯り、室内は最初の明るさを取り戻した。シェーラの体にまとわりついていた闇のベールも消え去る。
「これで隠れる場所は限定されたな」
ウィルはシェーラの方へゆっくりと踏み出した。
しかし、シェーラはまだ強気な姿勢を崩さない。
「影を消したつもりかい? 言っておくけど、影を作り出すのは光さ」
「そのとおり。そして、影をかき消すのも光だ──ディロ!」
それを証明するかのように、ウィルはマジック・ミサイルを発射した。光の矢が影を照らす。
「くっ!」
シェーラは柱が作り出している、もっとも濃い影へ飛び込んだ。マジック・ミサイルもそれを追うが、わずかに及ばない。シェーラの代わりに、床に穴を開けただけだった。
再びシェーラの気配が断たれ、ウィルはその場に立ち尽くした。
「やってくれるじゃないか。でも、まだ!」
天井の方で声がしたかと思うと、いきなりウィルの顔の横から短刀<ダガー>が突き出された。しかし、ウィルはそれを鋭く察知し、軽くいなす。
「ムダだ」
ウィルは蹴りを放った。今度は完全にシェーラを捉える。シェーラはとっさに左腕を出して身をかばったが、それでもウィルの蹴りは強烈で、軽々と吹き飛ばされた。
「くうっ……」
床に転がったシェーラが苦鳴を漏らした。
光とともに、形勢はすっかりウィルへと傾いていた。シェーラは身を起こし、唇を噛みながら黒衣の吟遊詩人を見上げる。光は影を凌駕するというのか。
「すでにこの部屋の影の位置は把握済みだ。お前が現れるのは、その影のいずれか。予測はしやすい」
もはやシェーラの《影渡り》はウィルに見切られていた。シェーラは体を引きずるようにして、一番近くにある影へ逃げ込もうとする。だが、その行く手をウィルのファイヤー・ボルトが遮った。
「逃がしはしない。さて、教えてもらおうか。お前たちの後ろにいる者のことを」
「な、何のことだい?」
「とぼけるな。誰が十年前の儀式を復活させようとしている?」
「十年前?」
シェーラはまじまじとウィルの顔を見つめた。この吟遊詩人は、十年前の出来事を知っているというのか。
だが、十年前を知っているとなれば、その頃、ウィルはまだ十代半ばくらいだったはず。一体、この男はいくつなのか。シェーラはいろいろな疑問が浮かんだ。
そのとき、派手な音とともに部屋の扉が吹き飛んだ。それと一緒に、もつれ合った二名の男が転がり込んでくる。
それはシェーラの仲間のロキと、東の僧院唯一の生き残りである、修行僧<モンク>のタウロスだった。
二人は相当、殴り合ったらしく、互いの顔が腫れ上がり、唇を切っていた。格闘の末、勢い余って部屋に飛び込んできたのだろう。部屋の外から呆れた様子で、北の僧院のヤンが覗き込んだ。
「まったく、よくやりますねえ」
武術に興味がないヤンが感心したように呟いた。
このハプニングは、シェーラにとって救いになった。ウィルの気が逸れた隙に、影の中へ逃げ込む。ウィルが気づいたときは遅かった。
ウィルは大僧正のイゴールを振り返った。案の定、イゴール自身の影からシェーラが現れる。手には短刀<ダガー>。イゴールは気づかない。
シェーラは本来の使命を優先させた。それは大僧正の命と“鍵”の奪取。これが最後のチャンスだった。
素早く呪文を唱えるウィル。
「ディロ!」
マジック・ミサイルが飛んだ。寸分の狂いもなくシェーラの手元に当たる。
「チッ!」
ウィルの魔法により、シェーラは短刀<ダガー>を取り落とした。間一髪、大僧正の命が助かる。だが、短刀<ダガー>の刃はイゴールの首を掠めていた。
大僧正が首から下げていたペンダントが床に落ちた。シェーラの短刀<ダガー>が、イゴールの首の代わりにペンダントを断ち切っていたのである。それをシェーラは見逃さなかった。
そして、ウィルもまた、シェーラがペンダントを拾おうとするのを阻止せんとした。ところが、ファイヤー・ボルトを発射しかけた刹那、シェーラの襲撃に驚いたイゴールが慌てふためき、射線軸を遮ってしまう。その一瞬が明暗を分けた。
シェーラはとうとう最後の“鍵”を手にした。
[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]