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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

24.廃村へ

 一昼夜を通して荒野を走り続けてきた黒塗りの馬車は、ようやく目的地に到着した。
 そこは、もう何年も打ち捨てられたような小さな村だった。元々、あばら屋のような粗末な家々は、年月を経て、さらにうらぶれた有様になっており、かろうじて潰れずに形を保っている。人間はもちろん、家畜や野良犬すらもいなかった。
 リサは馬車の中から無言で廃村の様子を眺めた。ここがシェーラの話に出てきた異教徒たちの村なのだ。廃墟が持つ淋しい印象と同時に、悪寒を覚えるような不気味さを肌で感じ取る。ここには、まだ数多くの怨念が漂っているからかもしれない。
 シェーラたちの人質となったリサは、解放されることも殺されることもなく、なぜか同行を強要された。今、リサの隣にはシェーラが座っており、相変わらず短刀<ダガー>を向けながら監視している。
 その二人の足下には、毛布にくるまったダグが転がっていた。総本山を襲撃したとき、ヤンの気弾によってやられ、ずっと苦しみ続けているのだ。揺れる馬車の中は、きっと寝心地など最悪に違いない。
 リサはシェーラのときと同じく、聖魔術<ホーリー・マジック>による治療を申し出たが、ダグはそれを頑なに拒んだ。邪教徒の女に治療されるのは真っ平ご免、ということらしい。そのとき、そばにいたシェーラは仕方ないとあきらめ、負傷したままのダグをそのまま馬車に乗せた。
 そして、もう一人の男ロキは、今、御者台に座って、黙々と馬車を走らせている。ウォンロン郊外の隠れ家を昨日の早朝に出発して、一度の休憩もなしにずっとだ。
 廃村の中を走った馬車は、やがて墓地の前で止まった。墓地と言っても、板や棒きれで簡素に作られた十字架が乱雑に立っているだけだ。墓碑銘もなければ手向けられた花などひとつもない。きっと、シェーラたちが十年前に死んだ村人たちを埋葬したのだろう。墓地と呼ぶには、あまりにもお粗末な代物だった。
「降りな」
 シェーラに促され、リサは馬車の外へ出た。御者台から回ってきたロキが、中にいるダグを毛布に包んだまま担ぎ上げる。その手がいささか乱暴だったのか、ダグが苦鳴を上げた。
 ダグを担ぎ上げたロキを先頭に、リサ、シェーラの順で歩いた。これからどこへ連れて行かれるのか不安になり、リサは思わず後ろのシェーラを振り返る。
「どこへ行くの?」
「私たちの司教様のところへさ」
「十年前に死んだという、あなたたちの司教のところ?」
「司教様は復活されたんだ。さらに偉大な奇跡の力を持ってね」
 死んだ者が生き返るなど、普通はあり得ないことだ。しかし、シェーラたちはそれを信じ切っている。
「なぜ、私まで?」
「さあね。司教様にご報告したら、アンタを連れてくるように言われた。何か深いお考えがあってのことだろう。さしずめ、私たちの神を呼び出すための儀式のいけにえか、そんなところだろうね。私たちはそれに従うだけさ」
 いけにえ、という言葉に、リサは身震いした。この先、どんな運命が自分を待ち受けるのか。
 しばらく歩くと、作りかけで放置されたような井戸の前に到着した。井戸の一角が崩されてなくなっており、そのまま下へ通じている。だが、さらに近づいてみると、それが井戸でないことが分かった。地下への入口だ。階段がずっと下まで続いていた。
「これを持ちな」
 シェーラは火を灯したたいまつをリサに握らせた。ロキとシェーラも同じように持つ。
「足下には気をつけるんだね。左手を壁につけながら歩いたらいい。落ちたら命はないよ」
 怖じ気づくリサに、シェーラは忠告した。
 実際に階段を降りてみると、とんでもないところだと分かった。階段はとても幅が狭く、そのくせ段差がある。気をつけないと足を踏み外しそうだった。
 それにも増して、リサに恐怖を抱かせたのは、右側の壁が一切なかったことだ。先を歩く大男のロキがやっと通れるくらいの階段で、右にはぽっかりと空間が広がっている。たいまつの明かりでも反対側を見通すことが出来ない。左手を壁につきながら歩けと言うのは、こういうことだったのだ。
 階段は緩やかに螺旋を描いていた。どうやら巨大な穴の淵を沿うようにして階段が造られているらしい。ちょっと体を右へ傾ければ、そこは奈落だ。恐怖のあまり、その場にしゃがみ込みたいところだが、後ろのシェーラがせっついてくる。リサはほとんど半ベソをかきながら、左の壁にすがるようにして階段を降りた。
 この穴は一体どこまで下へ伸びているのか。どんなに階段を降りても、一向に終点は見えてこなかった。リサの不安は、益々、募っていく。本当に死者の世界へ通じている穴なのではないか、という思いに駆られる。気のせいか、生温かかった空気は、次第に冷気となってリサの体に忍び寄っていた。
 延々と続く階段に足が悲鳴を上げかけた頃、不意に終着点が訪れた。ようやく地面らしきものに足を落ち着けることができ、リサはホッと胸を撫で下ろす。そこからは六つの方向へ道が伸びていた。まるでダンジョンだ。先頭を歩くロキは迷うことなく一本の道を選択し、リサたちを誘導した。
 階段に比べると、今度はあまり歩かずに済んだ。進んで間もないところで、動物の骨を埋め込んだ入口が造られており、そこから別の部屋に通じているようだった。特に扉のようなものはない。
 ロキが立ち止まり、後ろのシェーラを振り返った。シェーラはうなずくと、ロキよりも先に部屋の中に入って行く。その代わりに、リサはロキによってガッチリと肩を押さえ込まれた。
「戻ったか、シェーラ」
 闇の中から、かすれたような男の声が聞こえた。それが司教に違いないと、リサは目を凝らしてみる。が、部屋の中はこれまでと同様に真っ暗闇であった。
「はっ。司教様、とうとうすべての“鍵”をそろえました」
 シェーラはうやうやしく司教に報告した。そして、オラフが持っていたペンダントと大僧正イゴールが持っていたペンダントを差し出す。すると闇の中から手だけが伸びてきて、二つのペンダントをつかみ取った。
「おお、まさしくこれは! でかしたぞ、シェーラ、ロキ、ダグ」
 司教から讃えられ、三人はかしこまった。リサは本当にシェーラたちが、この司教という男を崇拝しているのだと感じる。
「これで我らの神の復活は間違いない。そうなれば、お前たちの死んだ家族も甦るであろう」
 リサには、姿の見えない司教の言葉が禍々しく聞こえた。死者の眠りを覚まそうというのは、神への冒涜ではないか。だから父たちは、それを阻止しようとしたのだろう。ただし、そのために村人たちを皆殺しにしたというのは、事実であれば行き過ぎた方法だったと言わざるを得ない。いや、きっと何か事情があったのだろう。リサは自分の父が為したことを信じようと思った。
「司教様、総本山から“鍵”を奪う際、ダグが負傷いたしました」
 シェーラは後ろのダグをちらりと振り返って言った。
「うむ。──ダグ、近くへ」
「はっ」
 司教に招かれ、ダグはロキから降りた。痛む体を押して、司教のところまで歩く。シェーラの隣まで辿り着くと、力尽きたように倒れた。
「ダグ!」
「下がれ、シェーラ」
 再び闇の中から司教の手だけが現れた。その手を倒れたダグの上にかざす。
「今、その痛みを取り除いてやろう。──メイヤー!」
 司教の手が光ると、ダグの身体も光った。リサは大きく目を見開く。今のは聖魔術<ホーリー・マジック>。どうして、邪神を奉じる司教が神の奇跡を起こせるのか。
 ダグの傷はたちまち癒えた。司教の聖魔術<ホーリー・マジック>によって完全に治ったダグは、何事もなかったかのようにむくりと起き上がる。ダグは司教の起こした奇跡に感動し、額をこすりつけるようにして何度も礼を述べた。
「ありがとうございます、司教様! ありがとうございます!」
 ダグは司教にすがりつきそうなくらい喜んだ。だが、司教の腕はそれを避けるようにして、また闇の奥へと消えてしまう。
「ところで、人質にしているというピエル僧正の娘とは?」
「連れて参りました」
 自分のことを呼ばれていると知り、リサは身体を強張らせた。だが、ロキによって強引に突き出され、闇の中にいる司教の前へ引き出される。本当にいけにえにされてしまうのかと、リサは目をつむった。
 しばらくの沈黙の後、司教は口を開いた。
「では、他の者は下がってよい。この娘は私が預かる」
 司教の言葉に、シェーラたち三人は顔を見合わせた。
「しかし、この者は聖魔術<ホーリー・マジック>の使い手。司教様と二人きりにするのは……」
 シェーラが異を唱えた。すると闇の中から昏い笑い声がする。
「案ずるな。私がこのような小娘に遅れを取ると思うか?」
「い、いえ……」
 シェーラは出過ぎた発言だったかと控えた。ダグとロキも一礼する。
「では……」
 三人は司教の部屋から出て行った。
「さて、もっとこっちへ来い。これでは顔を見て話すこともできん」
 司教はそう言って、リサを促した。リサは躊躇する。一体、この得体の知れない男に何をされるか。しかし、その一方で、この司教がどんな人物なのか知りたいという好奇心もうずいた。考え抜いた末、結局、リサは歩を進める。
 段々と、司教の姿がおぼろげになってきた。黒い僧衣に身を包み、入口と同様に動物の骨で形作られた椅子に座っている。
「さあ、おいで」
 司教の言葉に誘われるようにして、リサはさらに近づいた。そして、いよいよ司教の顔が明らかになってくる。
「──っ!?」
 その瞬間、リサは息を呑んだ。


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