[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]
「久しぶりだな、リサ」
しわがれたような声は、若く張りのあるものに変わっていた。リサは司教の顔を見て、その場に立ちすくむ。
「そんな……」
信じられなかった。死者を甦らせようという邪教徒の長が、まさか自分のよく知っている人物だったとは。
司教はかぶっていたフードを降ろすと、リサに自分の顔をよく見せた。
「うれしいよ、リサ。キミとまた会えて」
「チャベスさん……」
それはマトス師の一人息子チャベスであった。
リサは幽霊でも見たような青白い顔でチャベスを見つめた。それもそのはず。チャベスは十日ほど前から行方不明になっていて、官憲のハーヴェイが捜索していたのだ。
しかし、その直後にマトス、ピエル、ソーマ、オラフとペンダントの所有者が次々と殺される事件が起き、チャベスもすでに殺害されたのだと思われていた。それが今、こうして邪悪な司教となって、リサの目の前に現れるとは。リサは自分が悪い夢でも見ているのかと思った。
チャベスは舐めるような目つきでリサを見つめながら、そばに近づいてきた。そして、リサの手を取り、優しくさする。リサは急に手を引っ込めた。その反応に、チャベスは一瞬、不機嫌そうな顔をしたが、すぐ元に戻った。
「怖がっているのかい? 私は間違いなく、キミがよく知っているチャベスだよ」
確かに、顔はチャベス本人だった。
リサはイヤイヤをするように首を振った。
「う、ウソです! そんなはずがありません! チャベスさんがシェーラたちの黒幕だなんて!」
「本当さ。今は私が新しい司教となって、あいつらを束ねているんだ。もっとも、あいつらは前司教が甦ったのだと信じているようだがね」
チャベスは皮肉めいた顔を作った。リサは拳を握ると、それを震わせる。
「じゃあ、チャベスさんがすべてを命令したんですか!? 私の父やソーマ師を殺すように! その中には、チャベスさんのお父上であるマトス師も含まれていました! それを殺すように言ったんですか!?」
「そうだ」
チャベスはゾッとするほど穏やかに言った。リサは愕然とする。
「そんな……なぜ……」
「十年前のように邪魔をされたくなかったからね」
「十年前……」
「そう。十年前、この村ではある儀式が行われようとした。それを知った前大僧正は、父たちに命じて、それを阻止させたんだ」
その話はシェーラから聞いていた。
「じゃあ、父たちが村の人を襲ったというのは本当なんですか?」
リサは真実を知るということが、これほど勇気を必要とするものだとは思わなかった。チャベスは十年前のすべてを知っている最後の一人だ。
「それは少し違う。司教を引き渡すよう求めた我々に、狂信者である村人たちが頑強に抵抗したのは確かだがね。私たちは何とか彼らを説得しようとした」
「でも! ここの村の人たちの多くは殺されたって……」
「ん? どうやら、シェーラにでも話を聞いたようだね?」
チャベスの目が細められた。そして、おかしそうに笑う。
「私やキミの父上が村人たちを惨殺したとでも言われたのかい? なるほど、あのシェーラなら、キミにそう言うだろう。シェーラ自身、そう信じているからね。だが、真相は違う」
「違う?」
「ああ。村人たちを殺したのは前司教さ。正しくは、いけにえにしたと言うべきだろうけど」
「いけにえ……」
「そう。それは凄まじい光景だったよ。今でも思い出すと震えが止まらなくなる。前司教は禁呪を用いて、大勢の死者をこの世に呼び戻そうとした。しかし、その死者が欲するものとは何だと思う? 魂さ。生きた人間のね。だから、死者を復活させるために、生きた人間をいけにえにしたのさ。どうだい、なかなか矛盾した儀式だと思わないか?」
チャベスは楽しそうだった。すっかり何かに取り憑かれている。
「禁呪が発動した際、村人がバタバタと死んでいった。もがき苦しみ、断末魔の叫びをあげてね。その様はさながら地獄絵図のようだったよ。おぞましかった。そして、“アレ”が地の底から出てこようとした」
「“アレ”……?」
「言葉では例えようがないものだよ。“アレ”と呼ぶしかない。まるで無数の怨念がひとつになったような存在さ。それを見ただけで、全身の生気が吸い取られるような感覚を覚えた。その儀式は死者を甦らせるのではなく、“アレ”を召喚させるものだったんだ。つまり前司教の儀式は間違ったものだったのさ。おかしいだろ? なんとも、お粗末な話さ。しかし、現れたモノはかなりヤバいものだった。もし、“アレ”が完全に地上へ出てしまっていたら、今頃、この世界は滅んでいたかもしれない」
「………」
リサは言葉を失った。世界が滅ぶ。そんな危機が十年前に訪れていたとは。
「だが、我々は力を合わせて、“アレ”を追い返すことに成功した。そして、二度と地上へ出られないよう封印を施したのだ。その封印も決して解かれることのないよう“鍵”を六つに分け、皆がひとつずつ守るようにしたのさ」
そう話したチャベスは、懐から六つの“鍵”を取りだした。六つのペンダントがリサの目の前で揺れる。それは四人の命を奪って手に入れたものだ。
「そんな恐ろしいものを封じている“鍵”を、どうしてチャベスさんは集めたりしたんですか!? それも父たちの命を奪ってまで!」
リサはチャベスに向かって叫んだ。すると、それまで笑みさえ浮かべていたチャベスの顔から、スッと表情が消えた。それはリサでさえ知らないチャベスの顔であった。
「十年前、私は英雄となったはずだった。他の五人と一緒に“アレ”を封印し、この国を救った英雄に! 事実、他の五人はその後、それぞれ要職に就いた! イゴールは次期大僧正に、他の四人もウォンロンの四僧正となった。だが、私はどうだ!? 父マトスの後継者と言われながら未だ僧正にもなれず、ただ父の下で、毎日毎日、代わり映えしない同じ修行の繰り返し! この待遇の差は何だ!? 私はあの任務を果たせば出世できると思ったからこそ、無理矢理、父に同行を申し出たのだ! それを! それをっ! だから私は“アレ”の封印を解き、この世界の支配者となる決意をしたのだ!」
リサは自分の耳を疑った。まさか、そんなくだらない自己顕示欲のために世界を滅ぼすかもしれない怪物を呼び出そうというのか。そして、自らの父親まで殺すように仕向けたのか。
だが、所詮、人間とは愚かな生き物である。国同士の争いにしても、発端は権力者たちによる些細な欲望が引き起こしているのだ。
たとえば、領土の拡大による富と名声。
あるいは、自尊心を傷つけられたことに対する報復。
または、単なる力の顕示。
それを圧倒的な力で実現させようとすると、罪もない人々が巻き添えになっていき、多くの血が流れていく。チャベスも、それらの暗愚な為政者たちと何ら変わることのない人間に過ぎないのだ。
リサは人間の暗黒面を目の当たりにしていた。
「もしも、父たちにそれを知られたら、きっと邪魔されていただろう。バカなことはやめろって。いつまでも私を子供扱いして。それに“アレ”の封印を解くには、六つの“鍵”すべてを手に入れる必要もあった。だから殺したのさ。これでもう誰も私を止められる者はいない! 私は今の世界を滅ぼし、新世界の支配者となる!」
チャベスは高らかに笑った。その狂気の様に、リサは怖気立つ。
「ここまで辿り着くまで大変だったよ、リサ。まず、私は司教が使おうとした禁呪について学ばねばならなかった。そして、この村へ来て、“アレ”の復活のために準備をする必要があったんだ。幸い、ここにはシェーラたち村の生き残りがいて、私の仕事を手伝ってくれたがね。私が甦った司教だと信じ込ませるのは造作もなかった。何しろ、十年前のあいつらはまだ幼く、当時の司教の顔をろくに憶えていなかったのだから。そこで私は十年前の惨劇をあいつらに語り、ウォンロンの連中への憎悪を植え付けた。あいつらは簡単に私を復活した司教だと信じ込んだよ。どうだい、滑稽じゃないか。本当は、私があいつらの憎んでいるウォンロンの人間だとも知らず、忠実な下僕となって動いてくれたのだから。あいつらには、まったくいくら感謝しても感謝しきれないよ。“鍵”を入手してくれたばかりか、邪魔者の始末もし、なおかつ、“アレ”の復活のためにいけにえにもなってくれるんだから!」
「そんな!? シェーラたちがいけにえに……!?」
チャベスの話を聞いて、リサは表情を凍りつかせた。チャベスは片眼をつむってみせる。
「もちろん、本人たちは知らない。真の信徒になる証だと言って、あいつらの胸──つまり心臓の上に契約印を刻み込んでやっただけだからな。それこそ、“アレ”のいけにえとなる印! 十年前、あいつらの両親が同じように前司教によってつけられた印だ!」
リサは青ざめた。親しい知人であったはずのチャベスは、今や悪魔に等しい。自分の目的のためにシェーラたちを騙し、利用したのだ。そして最後には、その命すらも奪おうと言う。
「そんなこと、私がさせないわ!」
リサはそう言い放つと、チャベスに背を向けて、部屋を出て行こうとした。
「どこへ行く?」
「決まっているわ! シェーラたちにこのことを教えるのよ!」
「そうはいかない。キミにはここでおとなしくしていてもらおう」
だが、部屋にはリサの行く手を妨げるような扉はない。リサはチャベスの制止など振り切って、出て行くつもりだった。
そのとき、キィーキィーという耳障りな鳴き声のようなものをリサは聞いた。思わず足が止まる。
それは暗い部屋のあちこちから聞こえてくるようだった。
「リサ、私はキミを傷つけるつもりはない。私とともに、新しい世界の到来を迎えようじゃないか」
「やめてください」
「おっと、そこからは一歩も動かない方がいい。じゃないと、少し痛い目を見ることになるよ」
チャベスがそう言うや否や、リサの肩に何か重いものがのしかかった。リサはビクッと身体を震わせる。その正体を確かめようとすると、暗闇の中でも爛々と輝く瞳がこちらを凝視していた。
「キャッ!」
リサが悲鳴を上げると、そいつは床に降り立った。大きさも姿もコウモリに似ているが、もっと醜悪な小悪魔のように見える。尖った尻尾を生やしたその生物は、先程も耳にしたキィーキィーという鳴き声を発した。
「そいつはグレムリンだ。ここでは私の忠実なペットでね。小さいからといって、侮らぬ方がいい。いくら聖魔術<ホーリー・マジック>を使えるキミといえども、これだけ多くのグレムリンを相手には出来ないからね」
リサはようやく気がついた。暗い部屋の中には、数え切れないほどのグレムリンが棲息し、こちらを見つめているのだ。
リサは自分が闇の中に囚われたことを改めて痛感した。
[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]