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ウィル、ハーヴェイ、タウロスの三人に追いつめられ、ダグは思わず後ずさった。
切り札だったはずの四体のワイトは、あっさりと美しき吟遊詩人によって葬られてしまい、ダグに残されたのは二本のサイだけ。すでに《死者創生》の術の乱用で、ダグの生気は著しく消耗され、今は立っているのもやっとといった感じである。それでも、逃げる素振りを見せようとはしなかった。
「大人しく降服しろ。そうすれば、命だけは助けてやる」
ハーヴェイが広刃の剣<ブロード・ソード>を向けながら言った。元衛兵らしく、勧告を忘れない。しかし、ダグはそれを頑なに受け入れなかった。
「誰がお前らなどに屈するものか。もうすぐ……もうすぐ、世界は我々の神によって作り替えられるのだ!」
ダグは精一杯の虚勢を張った。しかし、すでに司教が奪った六つの“鍵”で封印を解こうとしているのも事実だ。少しでも三人を足止めし、時間を稼ぐのがダグの役割だった。
そこでタウロスが前に出た。
「まだやるってんなら仕方ねえ。お前たちは先に行け。ここはオレが引き受ける」
後ろの二人に向かって、タウロスが言った。ハーヴェイが目を丸くする。
「突然、何を──」
「大僧正様がおっしゃっていただろう。地下に眠る悪しきものを復活させてはならないと。こうしている間にも、復活の儀式が進められているかもしれないんだ。今は一刻を争う」
「だが──」
「何をためらう必要がある? オレがこんなチビに遅れを取ると思うか? ここはオレ一人で充分だ。すぐに片づけて、追いついてやる」
タウロスのはグッと拳を握りしめた。二の腕の筋肉が盛り上がる。確かに、今のダグならば、タウロス一人でも大丈夫だろう。
とはいえ、ハーヴェイは心配を拭えなかった。まだ、シェーラやロキがどこにいるか分からない。もし、この近くにいるようなら、さすがのタウロスも危険だ。
「行くぞ」
そんなハーヴェイの肩を叩くように、ウィルが短く促した。そして、地下への階段へと向かう。
確かに、タウロスが言うように、大僧正が恐れる悪しきものが復活してしまえば、この世界は一巻の終わりだ。ここは儀式の阻止が優先される。最終的にハーヴェイもそちらを選んだ。
「じゃあ、先に行っているぞ」
「おう」
ハーヴェイは迷いを振り切ると、ウィルの後を追うようにして急いだ。
残されたのはタウロスとダグ。
するとダグがニヤリと邪な笑みを見せた。
「いいのか? 仲間が行ってしまったぞ」
「フッ、仲間か」
ダグに言われ、タウロスはおかしくなった。ハーヴェイとは東の僧院の前で、警備の有無について押し問答をした間柄だ。今も、それを水に流したとは言えない。ウィルに至っては、確かに命を助けてくれた恩人ではあるが、未だに得体の知れない存在で、本当に味方なのか疑っている部分もある。そんな二人が仲間とは。
「オレがヤツらを信じているように、ヤツらもオレを信じてくれたということさ。お前なんか、オレ一人で充分だとな」
タウロスは肉体を斜にし、軽くフットワークを取った。
「ほざけ! その驕りが間違いであったと気づかせてやる!」
ダグは武器であるサイを器用に手の中で回した。一方のタウロスは素手。
「そのセリフ、そっくりそのまま返してやらあ!」
タウロスは武器を持つ相手に、真っ向から突進していった。
体格差では、圧倒的にタウロスが勝る。しかし、ダグは決して臆さなかった。小さい頃からシェーラやロキを相手に、格闘の訓練を独自に積んできたのである。普通の者よりも小さなこの体格をどのように生かすべきか、その術を身につけていた。
ダグは一発の破壊力を秘めるタウロスの拳をかいくぐった。懐に飛び込んでから、サイをタウロスの脚に突き刺そうとする。動きを止めてしまえばこっちのものだ。
すると眼前から丸太のような膝蹴りが襲ってきた。タウロスもダグの狙いを読んでいる。ダグはそれを両手で防ぐようにし、力に逆らわず、自らも跳ぶような形で、そのまま弾き飛ばされた。
タウロスの力を利用して、ダグは後方に着地した。少しふらついたのは、《死者創生の術》を使いすぎたため。だが、まだやれるはず。すぐにサイを構えた。
なおもタウロスの攻撃は苛烈だった。決して相手を休めようとはしない。すぐに間合いを詰めて、ダグの腕をつかもうとした。
ダグからすれば、捕らえられたらお終いだ。力勝負では勝ち目はない。ダグはサイを持つ手をひるがえし、その手を拒んだ。鋭く尖ったサイがタウロスの手を牽制する。すると今度は反対の手が伸びてきて、パンチを見舞おうとしてきた。ダグは、何とかそれも払いのける。そして、もっと間合いを取ろうと後退を図った。
だが、タウロスは自分の間合いを常に保った。武器を持っているダグに対しひるむことなく、明らかに押している。さすがはウォンロンの修行僧<モンク>の中でも一目置かれる武芸の達人だ。ダグもこれほどの相手だとは予想外の様子だった。
「我が師匠、ソーマ師から教え込まれた拳法の極意、とくと味わうがいい!」
巨体の割に動きに鈍さは感じられず、まだまだタウロスのスピードは上がっていくようだった。次第にダグは防ぐので精一杯になってくる。
そのうち、タウロスの大きな手がダグの頭を鷲づかみしそうになった。ダグは反射的に頭を低くした。
しかし、しゃがんだのは失敗だった。体重を下半身にかけたことによって、後退していた足が鈍る。その刹那、タウロスの眼が光った。動きが止まったダグに容赦のない蹴りが浴びせられる。小さなダグの肉体は大きく吹き飛んだ。
「ぐはっ!」
受け身も取れぬ姿勢で、ダグは地面に叩きつけられた。まともにタウロスの脚が入ったのか、激しく咳き込み、口から吐血する。たった一撃で大ダメージだった。
タウロスはゆっくりとダグに近づいた。そして、倒れ込んでいるダグの胸ぐらをつかみ、力ずくで立たせる。ダグは朦朧とした様子で、タウロスの顔を見つめた。
「さあ、観念しろ」
「こ、殺せ……」
ダグは弱々しい声を発した。タウロスが胸ぐらをつかんだ手を乱暴に揺する。
「もう戦えない者を殺しはしない」
するとダグは血に染まった歯をニッと見せた。
「何を言いやがる……十年前、お前たちの仲間は、か弱いこの村の人たちを殺したじゃないか」
ダグの眼は過去の惨劇を許してはいなかった。タウロスはかぶりを振る。
「大僧正やソーマ師は、そんなことをしていない。するわけがない」
「いいや! 殺したんだ! ささやかな幸せを望んでいたオレの父や母、そして村人を邪教徒と決めつけ、問答無用に殺したんだ!」
ダグは物凄い形相で叫んだ。タウロスは再び反論しようとする。だが、それは非情にも遮られた。
グサッ!
おもむろに背中へ激痛が走り、タウロスは動きを止めた。力が入らなくなり、胸ぐらをつかんでいた手が離れ、ダグが地面に倒れ込む。その顔は勝ち誇ったように笑い、タウロスを見上げていた。
「どうやら、形勢逆転のようだな」
タウロスは必死に首を動かし、後ろを振り返った。そこには首が大きく傾いたゾンビが立っており、蹴り飛ばされたときに落としたダグのサイをタウロスの背中に突き立てていた。どうやら、仕留め損なったゾンビが、一体残っていたらしい。ゾンビは無表情のまま、サイをさらに深くタウロスの背中へ抉り込んだ。
「があああああああああっ!」
タウロスは苦鳴を上げた。まったくの油断である。まさか、ゾンビごときに背後を取られるとは。
「ハハハハハハハッ! 叫べ! 喚け! 村人たちもそうやって死んでいったんだ! お前も同じ苦しみを味わえ!」
ダグはそう罵りながら、もう一本の落ちていたサイを拾い上げた。その先端をタウロスに向ける。
「何が僧侶だ。何が神官だ。お前たちの信じる神が本当にいると言うのなら、なぜオレたちの両親は殺されねばならなかった!? オレは憎む! ウォンロンの──いや、この世界でのうのうと生きている人間たちを! そして、お前たちが信奉する神を! ──さあ、そいつを跪かせろ!」
ダグはゾンビに命令した。ゾンビは突き刺したサイを使って、タウロスを跪かせようとする。その激痛のあまり、タウロスは屈服せざるを得なかった。
初めて、小男のダグと巨漢のタウロスの目線が同じような高さになった。その喉元へダグはサイを突きつける。
「さっきオレを殺しておかなかったことが仇となったな。オレはお前のような甘さを見せんぞ。せいぜい、今のうちに神へ祈っておけ。どうせ、お前の行き先は地獄だろうがな。心配はいらん。すぐにお前の仲間も送ってやるよ」
ダグはサイを突き刺そうと手に力を加えようとした。タウロスはここまでかと観念しかける。だが──
ここで死んでは、命を落としたソーマ師や多くの同門の仲間たちに申し訳なかった。彼らの無念を晴らすのは自分しかいないではないか。あきらめてはいけない。あきらめたら、そこで本当に終わりだ。
タウロスは最後の気力を振り絞った。一か八か。タウロスは賭けに出た。
「死ね!」
ダグが突き刺そうとした瞬間、タウロスは両腕を頭の後ろへ伸ばし、曲がったままのゾンビの首をつかんだ。そして、肩へ担ぐようにして、強引に抱え上げる。背中に突き刺さったサイがさらに傷口を広げたが、それすらも厭わない。
「うおおおおおおおっ!」
タウロスはダグに向かって、ゾンビを投げた。
いきなりのことにダグは避けることが出来なかった。投げつけた刹那、不安定だったゾンビの首がもげる。首なしのゾンビはまともにダグとぶつかった。
「がはっ!」
ゾンビに押し潰されたダグは、そのまま気絶してしまった。起死回生の策がうまく功を奏し、タウロスは安堵の息を吐く。しかし、膝立ちでいることも難しくなり、すぐに手をついて四つん這いになった。
「お、オレは……絶対にお前を殺さない……オレたちの神がそれを望むとは思えないからな……生きたまま、ウォンロンに連れ帰る……」
タウロスは気絶したダグに対してそう言うと、とうとう地面に突っ伏した。そして、なんとか顔だけをウィルたちが降りていった階段の方へ向ける。
「あとは……頼んだぞ……」
そう言い残して、死闘を終えたタウロスは力尽きた。
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