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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

28.ミイラの呼び声

 ダグの相手をタウロス一人に任せ、ウィルとともに地下への階段を降りようとしたハーヴェイだったが、数段降りたところで思わず足を止めてしまった。
 どのくらい下まで続いているのだろうか。階段は穴の淵に沿って大きな螺旋を描きながら、地の底へ吸い込まれていた。しかも恐ろしいことに、右側には壁がない。代わりに、真っ黒な穴がぽっかりと開いており、ハーヴェイは背筋が凍るような思いをした。
 そんなハーヴェイをウィルが振り返った。
「大丈夫か?」
「あ、ああ」
 ハーヴェイは強がって見せた。ここまで来ておいて、引き返せない。
「じゃあ、オレは先に行く。お前は安全に降りてくるがいい」
「なに?」
 一瞬、ハーヴェイはウィルの言っている意味が分からなかった。しかし、その直後、ウィルが階段ではなく、底なしの穴の方へ足を踏み出そうとしているのを見て、ギョッとした。
「お、おい!?」
「運が良ければ下で会おう」
 ウィルはそう言って、階段から穴へと飛び降りた。止める間もない。黒衣の吟遊詩人の姿は、アッという間に暗い穴の中へ消えてしまった。
「な、なんてヤツだ……」
 自分が飛び降りたわけでもないのに、むしろハーヴェイの方が、心臓が飛び出したようなショックを味わった。まさか気が触れて、自殺を図ったのではあるまい。ウィルは魔法の使い手だ。きっと魔法を使って、無事に降り立っているとは思うが、それでも見ている方が肝を潰す。
 当然、同じことができぬハーヴェイは、一人で階段を降りなければならなかった。右側の奈落に落ちぬよう、なるべく左の壁に寄り添うようにして、一段一段を確かめていく。何しろ、足下を照らすたいまつすら持ち合わせていないのだ。自然に足は慎重になった。
 それからどのくらいの時間が経過したか。上を見上げると、入口の光が豆粒のように小さくなっていた。ハーヴェイの周囲を完全なる闇が支配している。もし、こんなところを敵に襲われたらひとたまりもないだろう。ハーヴェイは暗闇の中で、見えない敵と転落への恐怖心を増大させていった。
 しかし、それと同時に、早く下へ辿り着きたいという焦りも覚えていた。先に下へ降りたウィルは、すでにシェーラたちと戦っているかもしれない。それを想像すると、いつまでもこんなところでモタモタしていられなかった。ハーヴェイがここまでやって来たのは、死んだゼブダの仇討ちをしたいがためだ。それを成し遂げずに、ウォンロンへ帰ることはできない。何より、ハーヴェイの妻であるアンヌと、その娘のマヤに顔向けできなかった。
 そのハーヴェイの想いが通じたのか、突然、下の方から螺旋階段に沿って、ゆっくりと光が昇ってきた。最初は何か分からなかったが、どうやら、壁に備え付けられている照明が何者かによって灯されたらしい。そのお陰で、まったく見えなかったハーヴェイの足下が灯された。
 階段の照明はハーヴェイにとって有り難かったが、同時に警戒心も強めた。この照明を灯したのは誰なのか。おそらく機械的な仕組みによるものなのだろうが、それを操作した者がいるはずだ。ウィルか。それともシェーラたちの仕業か。もし、後者であるとするなら、何かを仕掛けてくる前触れかもしれない。ハーヴェイは壁に左手をついたまま、右手は広刃の剣<ブロード・ソード>の柄に伸ばした。
 明かりが灯ったことによって、ハーヴェイの降りるスピードは、やっとまともになった。しかし、だからといって階段の長さは変わるものではなく、相変わらず果てしなく続いている。時折、下を覗き込んでも、まだ穴の底は見えなかった。
 不意に、地面の下から突き上げられるような感覚を覚えた。地震かと思い、ハーヴェイはふらつく身体を壁側に寄せようとする。ところが、突然、足場を失った。階段が崩れたのだ。
「うわーっ!」
 自分の身体が奈落の方へ倒れていくのをハーヴェイはどうしようもなかった。照明の炎が螺旋を描きながら下へ伸びているのが見える。それは途方もない長さだった。
 ハーヴェイは死を覚悟した。



 時間はわずかに遡る。
 たった一人で奈落の底に飛び降りたウィルは、浮遊呪文を唱え、まるで風に舞う羽根のように軽やかに着地した。素早くウィルの眼が周囲を見渡す。
 穴の底には、上に通じる階段と、六方向に伸びた洞窟があった。
 ウィルはまず、階段のところへ行くと、くぼみに設置されていた鎖を引っ張った。すると、自動的に螺旋階段に沿って灯明台に火が灯っていく。上に行くまで少し時間はかかるが、これでハーヴェイが闇の中に取り残されることはないだろう。
 それにしても、どうしてウィルはこの仕掛けのことをすぐに看破したのか。
 さらに驚いたことに、ウィルは六つある洞窟の一つを遅滞なく選び出した。まるで最初から決めてあったかのように。何か確信でもあるのか、ウィルは黙然と進んだ。
 しばらく行くと、洞窟は下り始めた。どうやら、穴はさらに下へ伸びているらしい。ウィルは、そのまま歩き続けた。
 ウィルが立ち止まったのは、それからほどなくしてだった。洞窟はまだ先へ伸びている。だが、その左脇になぜか石造りの棺が無造作に立てかけられていた。
 石棺に不審なものを感じながらも、ウィルは再び歩き出そうとした。だが、石棺の手前まで来たとき、ウィルを呼び止める声がした。
「ここを通りし者よ、我が名を言え」
 それはくぐもったような声にも関わらず、洞窟全体から響いてくるような感じだった。
「罠<トラップ>か」
 ウィルは不機嫌そうに呟いた。もう一度、声が響く。
「さあ、ここを通りし者よ、我が名を言え」
「知らん」
 いささかぶっきらぼうにウィルは答えた。「我が名」とは合い言葉みたいなものだろう。
 すると、また声が聞こえた。
「そなたを“死者の門”へ通すわけにはいかない」
「だろうな」
「そなたは我が怒りに触れた。償いは──死あるのみ!」
 手も触れていないのに石棺の蓋が開いた。中から全身を包帯に包まれたミイラが現れる。ミイラと言っても痩せ細ってはおらず、ロキやタウロスに負けないくらい立派な体躯であった。
 ウィルは攻撃魔法を唱えようとした。しかし、それよりも先に、ミイラは手にしていた石棺の蓋をウィルへ投げつける。呪文を中断し、飛び退くウィル。重たい石棺の蓋は地響きを立てて、洞窟の壁にめり込んだ。
 狭い洞窟内での戦いは動きが制限される。ミイラのパワーをもってすれば、さすがのウィルも危険だと思われた。
「ブライル!」
 捕まる前に勝負をつけようと、ウィルは再度、魔法攻撃を仕掛けた。
 だが、その瞬間、ミイラに向けられた左手はあらぬ方向へねじ曲げられてしまった。何と、ミイラからほどけた包帯がウィルの左手を絡め取り、射線軸をずらしたのだ。すでに発動したファイヤー・ボルトは、ミイラの横を掠めて、後方に着弾した。
「償いは、死あるのみ……」
 ミイラは不気味な繰り言をしながら、ゆっくりと左手を封じた吟遊詩人へ近づいた。
 ケガの影響で、まだ右腕も動かせないウィルにとって、この状況は圧倒的に不利だった。何とか左手を動かそうとするが、ミイラの包帯は拘束を緩めない。
 ミイラの手がウィルへ伸びようとした。
「ラピ!」
 ウィルは短い呪文を唱えた。物体を手元に引き寄せる魔法だ。今、ウィルが呼んだものは──
 《光の短剣》がひとりでに鞘から抜き放たれた。ウィルの左手に納まる寸前、拘束していた包帯を切断する。ウィルの左手が自由になった。
「償いは、死あるのみ……」
 ミイラの包帯が次々とウィルを襲った。今度は左腕だけでなく、全身を絡め取るつもりらしい。ウィルは左手で《光の短剣》を振るった。
 《光の短剣》によって、ミイラの包帯は散り散りにされ、洞窟内に細かくなった切れ端が飛び散った。それでもミイラは近づいてくる。
 ウィルの眼が鋭く細められた。《光の短剣》を逆手に持ち替え、腰を落とし、両脚に力を蓄積する。
 次の刹那、美しき魔人は死の守人へ、猛然と斬りかかった。《光の短剣》が暗い洞窟の中で、一条の流れ星と化す。
 光一閃。
 ズバッ!
 《光の短剣》は、ミイラの胴を難なく真っ二つにした。包帯に包まれた巨体が、二つになって地面に倒れる。ウィルは仕留めたという確かな手応えを感じていた。
 ところが、ミイラはまだ死んでいなかった。いや、すでに死んでいるのだから、もう一度、死ぬことはないのかもしれない。
 真っ二つにされたミイラの身体は、包帯が結合し合って、再び一つになろうとしていた。
「償いは、死あるのみ……」
 上半身をあがくように動かしながら、ミイラの口から呪いにも似た言葉が吐き出される。
 ウィルは再生しようとするミイラを肩越しに見つめ続けた。
「死は永遠の安息ではないのか……」
 憂いを帯びたような口調で、ウィルは呟いた。そして、改めてミイラに向き直る。
「オレが本当の眠りにつかせてやろう」
 そう言って、ウィルは《光の短剣》を鞘に戻すと、左手をミイラへ向けた。
「ヴィド・ブライム!」
 ウィルの左手に大きな火球が作り出された。ファイヤー・ボールの呪文だ。しかし、この狭い洞窟内で使うには、あまりにも威力が大きすぎる魔法だと言えた。爆発を起こせば、落盤を引き起こしかねない。術者も巻き添えを食らうのは必至だ。
 まさかウィルは、ミイラの死出の旅路に付き合おうというのか。
 ミイラの包帯がウィルの左手を絡め取ろうとした。だが、今さらファイヤー・ボールの発射を逸らしても意味はない。
 ドォォォォォォォォォォン!
 洞窟内でファイヤー・ボールが炸裂した。爆発は周囲の岩盤を破壊し、地鳴りを呼び覚ます。
 爆炎に包まれたミイラは、同時に落盤の直撃を受け、生き埋めになった。
 そして、至近距離でファイヤー・ボールを放ったウィルは──


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