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ウィルの放ったファイヤー・ボールの威力は凄まじかった。紅蓮の炎が双方向に膨れ上がり、爆風がミイラの入っていた棺を軽々と吹き飛ばす。おまけに、ただの横穴でしかなかった洞窟の天井は崩れてしまい、完全に通路は遮断されてしまった。
ミイラはもちろん、呪文を使った当のウィルでさえ生き埋めになったか、あるいは炎に巻かれてしまったことだろう。あの爆発の中では逃げる暇などなかったはずである。
爆発の余韻が納まった頃、通路の奥からロキが現れた。
「まさか、自滅するとはな。不死身のミイラを相手にして、冷静さを欠いたか?」
呆気ない幕切れに、ロキはいささか物足りなさそうな顔をした。ウィルがミイラを斃したら、今度はロキとシェーラが二人がかりで決着を着けるつもりだったのである。そのためにシェーラは通路の反対側から挟み撃ちをしようと待機していたのだが、これではこちらへ来るのに遠回りしなければならない。
「まあ、いい。ヤツをこの手で始末できなかったのは残念だが、これで儀式を邪魔される心配はなくなった」
「それはどうかな」
「──っ!?」
聞き覚えのある声に、ロキは身を強張らせた。凍てつく氷雪を思わせる声は、間違いなくウィルのもの。まさか、あの爆発と落盤の中を生き残ったというのか。
ロキは土砂で埋まった通路を振り返った。無論、洞窟には人一人通れる隙間などない。では、どこに。
ロキの近くに転がっていた棺の蓋がガタリと音を立てた。儀式を行う“死者の門”を守るため、ダグが侵入者排除用に置いておいたミイラの棺だ。だが、そのミイラもすでに生き埋めになったはずである。では、中に何が入っているというのか。
蓋が開くと、まず血の気を失ったような白い手が現れた。次に黒い旅帽子<トラベラーズ・ハット>に魔性をたたえた美貌。
ロキは驚愕に表情を引きつらせた。
吟遊詩人ウィル。
壮烈なる魔人は、死の世界からも舞い戻って来られるのか。
ウィルは、たった今、眠りから覚めたかのように、気だるそうに棺から立ち上がった。そして、立ち尽くすロキに一瞥を与える。
「ど、どうやって、あの中から……」
ロキが尋ねたくなるのも当然だった。あの状況で助かるとは、とても信じられない。
しかし、ウィルは魔人。不可能を可能にする男だ。
いや、奇跡すら、この男にとっては造作もないことなのかもしれない。
「この棺のおかげで助かった」
ウィルは何の感慨も込めずにひとりごちた。
あのとき、ファイヤー・ボールを使ったウィルは、自らの身体を棺の中に押し込めた。そして、爆炎に包まれる前に、即座に物体を引き寄せるラピの呪文を用い、棺の蓋を閉めることに成功したのである。あとはファイヤー・ボールの爆発がウィルの入った棺を吹き飛ばし、崩れ落ちた土砂からも逃れることができたというわけだ。
しかし、それを説明しても、到底、ロキには信じられなかったに違いない。そんな奇術まがいの芸当が出来る人間などいるわけがないのだから。──ウィル以外は。
美しき吟遊詩人が生きていることに少なからず動揺したロキであったが、すぐに平静を取り戻した。否、それどころかアドレナリンが全身を駆けめぐり、強敵との再会を、心底、喜び始める。
「そうこなくちゃな。あんなマヌケな死に方は、貴様には似合わねえ!」
東の僧院でウィルを始末し損なったロキは、再戦に意欲的だった。シェーラたち三人の中で一番好戦的な男である。
「《縛霊術》!」
ロキはおびただしい量の死霊を呼び出した。その数は東の僧院や大聖堂のときよりもはるかに多い。通路が狭いこともあるが、重なり合う死霊たちのせいでロキの姿が霞んで見えた。
「この村はオイたちの故郷だ。ここでオイたちの家族や仲間が、大勢、無念のうちに死んでいった。だから、ここにはまだ現世に未練を持つ死霊たちが多い。おかげでオイの術もいつもの三倍増しで呼び出すことが出来るぜ」
すでに勝利を確信しているのか、ロキは得意げに喋った。しかし、対するウィルは特に驚きも恐れもしない。いつものように平然と立っていた。
「言っておくが、今まで使ってきた手は使えないぞ」
ウィルはロキに忠告した。今までの手とは、東の僧院や総本山の本殿を崩壊させた大規模なポルターガイスト現象のことであろう。確かに、逃げ場のないここで同じことをすれば、ウィル諸共、ロキも生き埋めになるだろう。
「その必要はない。オイの死霊たちの怖さ、とくと教えてやる」
ロキはそう言うと、早速、死霊たちにウィルを襲わせた。
生きている者を憎むかのように、死霊たちはウィルに群がった。触れるだけで人間の生気を吸い取る死霊たちである。たった一人のウィルに勝機はあるのか。
「ラピ」
右腕を使えぬウィルは、魔法で《光の短剣》を手にした。聖なる輝きが強烈に放たれ、一瞬、死霊たちをひるませる。ロキも元から細い目を、益々、細めた。
シュバッ!
ウィルが《光の短剣》を振るうたびに、死霊たちは瞬く間に斬り裂かれ、次々に霧散していった。その華麗なる美技の前に、数の上では圧倒的に上回る死霊たちがウィルに指一本触れることが出来ない。それはまるでウィルが見事な舞踏を披露しているかのように見えた。
「こしゃくな!」
確実に一枚一枚、死霊たちのカーテンが取り払われ、ロキには霞んで見えていたはずのウィルの黒衣が色濃くなり始めた。実体のない死霊すらも断ち斬る《光の短剣》という武器があってこそだが、それにも増してウィルの動きは常人をはるかに凌駕している。どのような剣の達人であっても、この美しき吟遊詩人には敵わないだろうと思われた。
吟遊詩人ウィル──この男は黒衣の魔人だ。
多くの死霊たちを斬り捨てたことによって、ようやくウィルの前に空間が出来た。すかさず呪文の詠唱に入る。
「ベルクカザーン!」
《光の短剣》を持った左手から、空気をも震わせる青白い電光が迸った。それは死霊たちの中を走り、その向こうにいたロキすらも貫く。
バリバリバリバリバリッ!
ライトニング・ボルトの直撃を受けた死霊は、瞬時に蒸発した。ロキもとっさに魔法抵抗を試みたが、とても緩和できる威力ではない。思わず前のめりになり、巨体が膝を折った。
「ぐうううううっ……お、おのれぇ!」
電撃を浴びたショックで、一瞬、心臓が止まりそうな負荷がかかり、ロキは呻いた。どこか灼けたのか、きなくさい臭いもする。ウィルの放ったたった一撃により、死霊たちの群れはすっかり散り散りになっていた。
「降参しろ。命まで取ろうとは言わない」
ウィルが冷徹に告げた。ロキは悔しさに唇を噛む。
十年前のあの日と光景がダブった。ウォンロンから来た僧侶たちが、司教の引き渡しを求めてきた惨劇の日である。幼心の中にも、あのとき両親たちが懸命に僧侶たちを追い返そうとしているのを見て、たまらないつらさを感じた。どうして自分たちの平和な生活の中に見知らぬ男たちが土足で踏み込んでくるのか、それが許せなかった。
大人たちの醜い争いを見ていられなくなったロキは、その場を逃げ出した。悲劇が起きたのは、その後だ。どうしてあのとき、その場に踏みとどまらなかったのか、ロキは今でも後悔する。もっと自分に勇気があれば。ロキは弱さを持った自分を責めた。責めて、責めて、責め続け、そして強くなろうと思った。自分と同じように生き残ったシェーラやダグと共に。もう逃げる必要がないくらい強く──
「降参するのは、貴様の方だぁ!」
ロキは絶叫した。それが自分を奮い立たせる。もう逃げないと、あの日、誓ったのだ。
それが合図だったかのように、伏兵がウィルに襲いかかった。洞窟の壁や天井、床に忍び込ませていた死霊を呼び寄せたのである。ウィルの前に出現させた死霊は囮。この前後左右上下、全方位からの急襲に対し、ウィルの逃げ場はなかった。
ウィルは《光の短剣》を振るう暇もなく、死霊たちに取り込まれた。身動きできないウィルから死霊たちが生気を吸い尽くす──
「?」
勝った、と確信したロキであったが、すぐに様子がおかしいことに気づいた。死霊に取り込まれたはずのウィルは、苦悶の表情も浮かべず、泰然自若としている。むしろ、死霊たちの方が声にならない悲鳴を上げていた。
「何ぃ!?」
ロキは自分の目を疑った。ウィルは何もしていないはずなのに、取り憑いた死霊たちが次々と消滅していく。
ウィルは最後の一体を《光の短剣》で無情に斬り捨てると、愕然とするロキへ一歩踏み出した。
「今までの手は使えないと言っただろう」
まるで頭の悪い子供を諭すようにウィルは言った。
しかし、ロキには未だ何が起こったのか分からない。
「ど、どうして……?」
「どうやら、これが役立ったようだ」
ウィルは胸元からペンダントのようなものを取り出して見せた。それこそ、総本山を出発する前に、北の僧院のヤンが念のためにと三人に持たせた護符<アミュレット>だった。ヤンの力が宿った護符<アミュレット>が、奇襲を仕掛けた死霊たちを退けたのだ。
「うおおおおおおおおっ!」
ロキは両拳を地に叩きつけた。怪力が地面に亀裂を走らせる。むざむざと死霊たちを失い、自分の力のなさを嘆いた。
「さあ、無益な殺生はしたくない。大人しくしろ」
もう一度、ウィルが告げた。ロキはのっそりと立ち上がる。
「まだだ……まだ終わっちゃいねえ……」
「お前の死霊はオレには通じない」
「ならば……オイに使うまでよ! ──《憑霊術》!」
ロキは再び死霊を呼んだ。ウィルの持つ護符<アミュレット>の前には無力な霊体を。
しかし、それをウィルへ向けようとはしなかった。それどころか、自分の肉体に死霊を取り込む。まさか、自滅の道を選んだのか。
「うわああああああああっ!」
ロキは白目を剥きながら、絶叫を迸らせた。
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