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ハーヴェイとシェーラが剣を交える一方で、ウィルとロキの対決も新たな局面を迎えていた。
ウィルによって窮地に立たされたロキは、事もあろうに《縛霊術》を自分に対して使ったのだ。
《縛霊術》で呼び出された死霊は、触れただけで生者の生気を吸い取り、死へ至らしめようとする。その死霊を自らの肉体に取り込むことは、自殺行為に等しかった。
現に死霊の憑依を許したロキには異常が見られた。体はまるで耐えられない悪寒に震え、目は白目を剥き、口からは泡を吹いている。ロキの肉体から生気が抜き取られているに違いなかった。
その様をウィルは黙って見つめ続けていた。美しき吟遊詩人は、このロキの突拍子もない行動をどう思ったのだろうか。その芸術品のような顔からは窺い知ることはできない。
やがて、ロキの体の震えが、ぴたりと止まった。そして、一つ大きく息を吐き出す。すると完全に落ち着いたようだった。
ロキは目を閉じながら、首をゆっくりと左右に動かした。同時に手の指も閉じたり開いたりしている。まるで自らの五感を確かめているようだ。
「お前は誰だ?」
ウィルが奇妙な質問をした。目の前の男はロキ。そんなことは分かっているはずであった。
ところが、ロキは目を閉じたまま、ニヤリと笑った。
「どうやら、私がこの男ではないと分かったらしいな」
ロキもまた妙なことを言った。しかも、なぜか声が別人に変わっている。
「お前はこの男に憑依した者だろう?」
ウィルは淡々と尋ねた。それを聞いたロキは満足げだ。目を開く。
「ご明察の通り。私は今、この男の肉体を借りている」
「名は?」
「ジャミラ。かつて、この地下で“あるもの”を復活させようとした男だ」
「十年前に死んだ、前の司教だな」
もし、ここにハーヴェイやシェーラたちがいたら、きっと驚いたであろう。しかし、そのことを看破したウィルは平然としたものだった。
するとロキ──いや、その肉体に憑依した前司教ジャミラは、そこまで見抜いているのかと感嘆しつつ、自分を知る者に出会えたことを喜んでいるようだった。
「ああ。十年前、私は“アレ”を呼び出したが、それはウォンロンの坊主どもが踏み込んできたために急がざるを得なくなったもので、不完全な儀式だった。そのせいで私まで命を失うことになろうとは……。しかし、このロキという男のお陰で、こうしてまた肉体を得ることが出来た。こいつは、かつて一度だけ、死霊を自分の肉体に取り込み、その死者の力を自分のものにする術──《憑霊術》を編み出したのだ。だが、その術は自らの寿命も縮めることになる。そこでなるべくなら使わないでおこうと思ったのだろう。ところが、お前相手に苦戦したこいつは、とうとう奥の手を出さずにいられなくなった。それによって、この地に漂っていた私が、取り憑けるチャンスが生まれたのだ。お前には感謝せねばならないな」
「礼には及ばない。なぜなら、お前はすぐにまた、この地下を漂うことになるからだ」
ウィルは無情にも、《光の短剣》をジャミラに向けた。それでもジャミラの笑みは止まらない。
「大人しくそれに従うわけにはいかないな。ようやく私は戻って来られたのだ。この先にいる私のニセモノに成り代わって、今度こそ、“アレ”の力を我がものにする!」
「させん」
ロキに取り憑いたジャミラに、ウィルは斬りかかった。しかし、ジャミラはウィルの剣を紙一重で見切る。
「私とて、若い頃は武術の稽古に励んでいたのだ!」
ジャミラは口角から泡を飛ばした。予想もしなかったジャミラの軽快な動きに、さすがのウィルも、一瞬、目を見張る。
「ハッ!」
鋭い裏拳がウィルの顔面を襲った。寸でのところでウィルはかわす。ジャミラは続けて、攻撃を繰り出した。
ウィルもまた、ジャミラの攻撃をかいくぐると、少し距離を置いた。ジャミラは自分の拳を見て、惚れ惚れとする。
「ほう、いい肉体だ。鍛えてある」
「お前のものではない。返してやれ」
「お断りだ」
「では、そこから追い出すまで──ディロ!」
ウィルはマジック・ミサイルを発射した。
だが、ジャミラも素早く呪文を唱える。
「ラミーラ!」
するとジャミラの前にまるで鏡のような銀幕が生じた。それにウィルのマジック・ミサイルがはじき返される。
「!」
決して狙いを外さないマジック・ミサイルは、術者であるウィルを直撃した。思いもよらない反撃に、さすがの魔人もよろめく。
「どうだ、自分の魔法を喰らった感想は? 私をこの肉体の持ち主と同じつもりでいると、痛い目に遭うぞ。私は聖魔術<ホーリー・マジック>も黒魔術<ダーク・ロアー>も使えるのだ。今のは黒魔術<ダーク・ロアー>の魔法反射<リフレクター>の呪文。今、もっと強力な攻撃魔法を使っていれば、呪文をかけたお前のほうが斃されていただろう」
そう言って、ジャミラは表情から笑みを消した。余興は終わりといったところだろうか。
これで無闇に攻撃魔法を使えなくなったウィルは、肉弾戦を挑むしかない。再び《光の短剣》を左手に取ったウィルは、ジャミラと相対した。
そのジャミラが、隙なく、ウィルの反対の右手を見た。
「お前、右手をどうした?」
「………」
未だにウィルの右腕は完治しておらず、肘を曲げるくらいならともかく、手首から先はまったく感覚がない。そのことをジャミラは看破したのであった。驚嘆すべき眼力である。
「左手一本で、私に勝てるかな?」
ジャミラは先程の手合わせで、自信を持っている様子だった。グッと上体をねじり、右腕を背中に隠す。ウィルは警戒した。
「我が拳、受け止められるか?」
ジャミラはウィルに突っ込んだ。ウィルは待ちかまえる。ギリギリで見切ろうというのだ。
しかし、ジャミラの右腕はなかなか背中から出てこなかった。間合いに踏み込んでも、まだ出ない。
「喰らえ! 猛虎百撃拳!」
ドドドドドドドドドドッ!
信じられないスピードで、ジャミラの拳が繰り出された。一瞬にして百発ものパンチがウィルを見舞う。さすがのウィルも、それらすべてを避けることは出来なかった。
物凄い勢いでウィルは吹き飛ばされた。その衝撃で崩れた土砂に、半ば体がめり込む。まだ不安定な天井が揺らぎ、また少し崩れた。
猛虎百撃拳を放ったジャミラは、肩で息をしながら、自らの拳を見つめた。その拳はひどく傷ついている。鋭い眼光をウィルに向けた。
「急所だけは外したか」
ジャミラは半ば感嘆したように呟いた。土砂に倒れ込んだウィルは動かない。
攻撃を受けた刹那、ウィルはすべての攻撃を受け止めるのは不可能と判断し、急所を狙った十数発を《光の短剣》で防いだのである。まさに魔人ならではの神業であった。
しかし、いくら急所は免れたとはいえ、ジャミラからダメージを受けたのは確かだった。
それでもウィルは指先を微かに動かすと、体を起き上がらせようとした。膝へ力が入らないにも関わらず、《光の短剣》を支えに立ち上がる。その姿は見るも無惨なくらいボロボロだった。
ジャミラは再び猛虎百撃拳の構えを取った。そして、ウィルに向かって、
「まぐれは二度と続かないぞ」
と忠告する。
だが、
「まぐれではない。それにもう、その技は見切った」
半死半生のくせに、ウィルの強気な姿勢は変わらなかった。ジャミラの表情が初めて剣呑になる。
「ほざけ。そのような体で、百発の拳をかわしきれるものか」
「確かに、すべてをかわすのは不可能だろう。しかし、対処法はある」
そう言って、ウィルは《光の短剣》を握り直した。
ジャミラはその左手を見つめる。
もし、猛虎百撃拳に弱点があるとすれば、それは最初の一撃を繰り出す瞬間だ。それよりも先に攻撃を受ければ、猛虎百撃拳は敗れる。
ならば、ウィルの武器をまず奪ってしまえばいい。最初の一撃の狙いは、ウィルの手から《光の短剣》を弾き落とすこと。ジャミラは決めた。
「行くぞ! 猛虎百撃拳!」
ジャミラは仕掛けた。猛虎百撃拳を繰り出そうとする。
その刹那、ウィルは思いもよらぬ行動に出た。かぶっていた旅帽子<トラベラーズ・ハット>をつかむと、それをジャミラの顔に向かって投げたのだ。
「こざかしい!」
ウィルの策は、ある程度、予測していた。ジャミラの攻撃を遅らせるための手段である。
ジャミラは旅帽子<トラベラーズ・ハット>に視界を塞がれそうになるのを素早く左手で払った。狙いはウィルの左手の《光の短剣》──
《光の短剣》が宙に放り出された。
驚愕したのはジャミラだ。ジャミラはまだ《光の短剣》をはたき落としていない。ウィルはどういうわけか、自ら《光の短剣》を手放したのだ。
そのとき、まったく無警戒だったウィルの右手がジャミラの頭に伸びた。ジャミラがアッと思ったときは遅い。
次の瞬間、ジャミラは頭から突っ込むように地面に倒れ込んだ。そして、全身が灼けるような痛みに悲鳴を上げる。
「うぎゃああああああああっ!」
首に伸ばした指が何かに触った。それはジャミラの首に掛けられたもの。
その正体は、ウィルたちがヤンからもらった、死霊よけの護符<アミュレット>だった。それは、元来、死霊であるジャミラにとって、最も忌むべき品であった。
ウィルが旅帽子<トラベラーズ・ハット>を投げつけたのは、ジャミラへの目くらましだけではなく、この護符<アミュレット>を外すためでもあったのである。そして、ジャミラが動かないと決めつけていた右手で、まんまとかけることに成功したのだった。
「だ、騙したな……」
口惜しそうにジャミラは呻いた。ウィルは悠然と落ちた旅帽子<トラベラーズ・ハット>を拾って、かぶり直す。
「決めつけたのはお前だ。それに、満足に動かないのは本当のことだ」
ウィルは右腕を力なくブラブラさせて見せた。これは賭けに等しかったのである。
「くっ、無念……」
護符<アミュレット>の力によって、ジャミラはロキの肉体から消滅した。そして、ジャミラの死霊が取り除かれたロキは、かなりの生気を吸われたため、そのまま気絶状態に陥る。だが、かろうじて一命は取り留めていた。
「しばらく、ここで寝ていろ」
ウィルは気を失っているロキに一言かけると、《光の短剣》を鞘に収め、真の敵が待つ洞窟の先へと進んだ。
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