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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

33.死者の門

 リサはチャベスと並んで、地下へと伸びる洞窟を歩いていた。
 封印を解くすべての“鍵”を手に入れたチャベスに促され、司教の部屋から儀式の間へ移動させられているのだ。
 リサは逃げることができなかった。なぜなら、彼女の周囲には群れるようにして、おびただしい数のグレムリンが取り囲んでいたからだ。
「安心したまえ。キミを傷つけるつもりなんて、私にはない。キミには私の良き伴侶として、共に新世界で暮らしてもらうのだから。すべてはキミのためだ」
 チャベスは怯えた表情のリサに向かって、色情めいた笑みを見せた。
 歳は十以上離れているが、このところ、チャベスはリサに交際を迫るようになっていた。互いの両親が親友と言うこともあって、物心がついた頃から知っている仲だが、リサが段々と美しい女性に成長してくると、チャベスが一方的に恋慕し始め、ただの幼なじみという関係が崩れ始めたのだ。おそらく、リサが兄のように慕っていたことを誤解したに違いない。一応、男女関係はキッパリと断ったリサであったが、チャベスはとても執拗であり、その粘着質な性格にはほとほと参らされていた。だが、そのことで父に心配をかけるわけにもいかず、リサはこのことを誰にも話していなかった。
 今のリサが、チャベスに逆らえるわけがなかった。彼の命令に忠実なグレムリンたちがキィーキィーと鳴き喚き、行く手には世界を滅ぼすという化け物が封じられているというのだ。昔から知っているはずのチャベスも、今は底知れず恐ろしい邪悪な化身のように思えた。
 どれくらいの時間を歩いたか。永劫とも感じられた下り道は、ようやく終着点を迎えた。
 そこは今まで通ったことがない広大な空間だった。真っ暗で確かなことは言えないが、グレムリンの鳴き声が緩和されたように聞こえたところをみると、かなり天井が高いらしい。広間の中心には、巨大な魔法陣がボーッと淡い光を放っていた。
「ようこそ、《死者の門》へ」
「《死者の門》……」
 気取ったような物言いのチャベスに対し、リサは息を呑んだ。
「そう。この下に、地上へ出たがっている死者たちがうごめき、ひしめいているのだ」
 チャベスは一人で広間の中心である魔法陣へ向かった。
 取り残されたリサは、グレムリンに囲まれたまま身動きできない。
 チャベスは魔法陣の中心に立った。
「ついに、このときが来た!」
 チャベスの顔が狂気に歪んだ。懐から六つの金属片を取り出す。封印を解く“鍵”だ。
 リサはおしまいだと思った。この地下にいるモノが復活したら、世界は滅んでしまうのだと。リサは目をつむった。
「リサ、ちゃんと目を開けているんだ!」
 チャベスに強い口調で命じられ、リサは目を開けた。有無を言わせぬ語気。恐ろしいのに、チャベスの言葉に従ってしまう。
「この瞬間に立ち会える私たちは、最高に幸せなのだよ! さあ、そこで“アレ”の姿を崇めるがいい!」
 チャベスは芝居がかった口調で、両の手を広げた。
「待て」
 第三者の声が響いたのは、次の刹那である。チャベスもリサも驚いた表情をした。
「誰だ!?」
「あなたは──!?」
 二人以外に誰もいないと思われていた広間の入口に黒い孤影が立っていた。
 そこからゆっくりと白く美しいものが現れる。
 伏せ目がちだった顔が上げられ、黒い旅帽子<トラベラーズ・ハット>の鍔の下から眉目麗しい相貌が覗いたものだった。
「お前──いや、アンタは──!?」
 チャベスの顔が凍りつく。
 反対にリサの表情は氷解した。
「ウィルさん!」
 吟遊詩人ウィル。
 冷徹なる黒衣の魔人。
 前司教ジャミラに憑依されたロキを倒したウィルは、間一髪、チャベスたちに追いついたのである。
 侵入者の出現に、グレムリンたちが騒ぎ出した。リサから離れ、ウィルへと襲いかかる。
 だが、いくら小さな邪妖精たちが群れようとも、この吟遊詩人ウィルの敵ではなかった。ウィルの左手が静かに上げられる。
「ディル・ディノン!」
 バババババババッ!
 ウィルの左手から閃光が走った。無数の標的を瞬時に捉えるマジック・ミサイル。それは幾条もの光線となって拡散し、飛来するグレムリンを掃討した。
 あまりにも呆気なく、一匹残らずグレムリンは撃ち落とされた。チャベスが気色ばむ。
「ば、バカな……!」
 チャベスはわななく手でウィルを指差した。声も震えている。
「どうして、アンタが!?」
 するとウィルは顔を上げ、チャベスに目を向けた。
「十年前と同じだな」
 その言葉に、リサは怪訝な顔をした。どうして、ウィルが十年前のことを知っているのか。
 チャベスは化け物を見るように、ウィルを恐れていた。
「あのときも、アンタはそうやってふらりと現れた……」
 あのとき。それは十年前を指しているのか。では、ウィルもまた十年前に。
 ウィルはゆっくりと魔法陣の中心にいるチャベスへ近づいた。
「チャベス」
 ウィルの眼光は鋭かったが、どこか悲しみをたたえているような部分も垣間見えた。チャベスが事件の黒幕と知り、それを憂いているかのようだ。
 チャベスはまるで子供がイヤイヤをするように首を振った。
「来るな……来るなよ……」
「………」
「十年前、“アレ”が現れようとしたとき、多分、オレや親父たちの力だけでは封じ込められなかったろう。ここに“アレ”を封じたのは、突然、オレたちの前に現れたアンタだった。この世界を滅ぼそうとする“アレ”を、アンタは難なく地の底へ追い返してしまった……何だよ……? 何なんだよ? アンタ、人間じゃねえ! その姿、十年前とまったく変わっていないじゃないかぁ! 一体、何者なんだよ!?」
 チャベスは発狂するかのように叫んだ。
 ウィルは静かに答える。
「ただの吟遊詩人だ」
 ──と。
 リサは固唾を呑んだ。もし、チャベスの言うとおりであれば、十年前、ウィルは父ピエルらに加勢し、地上へ現れようとしたこの地の底に眠るものを封じたことになる。そして、その封印が解かれようとした今、再びこうして姿を現した。とすれば、ウィルが訪れたのは偶然ではなかったのか。さらに驚くべきは、この美しき吟遊詩人の容姿は十年前と同じらしいということだ。まさか、自然の摂理に反して、歳を取らないなどということが有り得ようか。
 しかし、ウィルの魔性のごとき美しさを目の当たりにすると、それもなんとなく受け入れられてしまうような気になってしまうから不思議だ。この黒衣の吟遊詩人は、そんなオーラを身にまとっていた。
 ウィルはチャベスに近づきながら、左手を差し出した。
「さあ、“鍵”をよこせ。今度は誰かに託すようなことはせず、誰の手も届かぬところへ捨ててしまうことにしよう」
 ひょっとすると、ウィルは後悔しているのかも知れなかった。恐ろしい化け物の封印を解く“鍵”を六人の僧侶たちに託したことを。もし、初めから“鍵”をどこかに捨てたりしていれば、チャベスが邪悪に魅入られることも、戦友たちが命を落とすこともなかったかもしれない、と。この戦いはウィルの償いなのか。
 “鍵”の引き渡しを求められたチャベスであるが、それに従おうとしなかった。ウィルの実力、恐ろしさは、十年前の事件でよく知っている。それでも懸命に抗おうとした。
「ラッカー!」
 ウィルがある程度近づいたところで、チャベスは聖魔術<ホーリー・マジック>の気弾を放った。この距離ならば当たる。そう踏んだのだ。しかし──  ウィルは首を左に傾けただけで、チャベスの気弾をかわした。顔の横をかすめた証拠に、ウィルの長い黒髪が風を受けたようになびく。だが、その間にも、近づくウィルの足が止まることはなかった。
「ち、チクショウ!」
 チャベスはもう一度、気弾を発射しようとした。しかし、すでに目の前にウィルが立つ。チャベスは呪文を唱えられなくなった。
「あの世でマトスが嘆いているぞ」
「う、うるせえ!」
 震える声で、チャベスはまだ反抗心を見せた。父の名を出されて癪に障ったようだ。
 すると、そこにウィルの平手打ちが飛んだ。容赦なくチャベスの頬を張る。
 ピシャッ!
 チャベスは呆気なく倒れ、手から封印の“鍵”がこぼれた。
 ウィルが情けない姿で倒れ込んでいるチャベスを冷ややかに見下ろす。
「いい加減、目を覚ませ。こんなことをしても、世界の王などになれはしない。身の破滅を招くだけだ」
 ウィルはそう言って、落ちている“鍵”へ手を伸ばそうとした。
 だが──
「──っ!?」
 何を感じ取ったのか、ウィルは伸ばしかけていた手を引っ込め、その場から飛び退いた。そこにひとつの影が、突如として立ちはだかる。
「司教様には、指一本、触れさせやしないよ!」
 その人物を見たリサの目が見開かれた。
「シェーラ!?」
 それは腹部の傷を左手で押さえながら、短刀<ダガー>を構えるシェーラだった。


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