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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

34.裏切り

 シェーラはハーヴェイによって斃されたはずであった。しかし、彼女はその恐るべき執念によって立ち上がり、司教であるチャベスの窮地に現れたのだった。
「司教様!」
 シェーラは落ちていた封印の“鍵”を拾い上げた。その刹那、表情が苦悶に歪む。ハーヴェイによって負わされた傷は、決して浅くはない。こうして動けるのが不思議なくらいだ。
 過去の自分を知るウィルの出現によって茫然自失だったチャベスは、シェーラの声にやっと我に返った。そして、その立場を思い出したかのように、慌てて立ち上がる。
 そのとき、シェーラは初めてフードの下の司教の顔──つまりチャベスの顔を見ることとなった。これまでは暗闇の中でハッキリと見ることがなかったからだ。十年前の子供時代も、直接、拝謁したことはない。
 そんなシェーラに違和感が広がった。これが司教なのか、と。声の感じや想像よりもかなり若い。いや、それよりも、どこかで会ったような気がする。
 一瞬、司教の顔に気を取られたシェーラの隙を突いて、ウィルは“鍵”を奪い返そうとした。しかし、それを簡単に許すシェーラではない。飛び退きざま、短刀<ダガー>で牽制した。
「近寄るんじゃないよ!」
 シェーラは威嚇した。と同時に気を引き締める。
 ウィルは左手を突き出した。
「レノム!」
 《影渡り》のあるシェーラに、なかなか攻撃魔法が通用しないのは、総本山での戦いで立証済みだった。そこでウィルが選択したのは眠りの呪文。シェーラの動きを封じて、“鍵”を取り返そうというのだ。
 突然、シェーラは猛烈な眠気に襲われた。即座に魔法の仕業だと悟り、精神を集中させる。だが、ケガをした今のシェーラに、ウィルの魔法に抵抗するだけの気力は残されていなかった。意識が遠のきかける。
「ラッカー!」
 シェーラの危機を救ったのはチャベスだった。ウィルの背後から気弾を発射する。ウィルはそれを身体を回転させるようにして回避した。黒いマントがちぎれ飛びそうになる。
 ウィルの集中が乱されたことによって、シェーラは睡魔から脱することが出来た。シェーラはすぐさま《影渡り》でチャベスの横に移動する。
「司教様、これを!」
「でかしたぞ、シェーラ」
 封印の“鍵”は再びチャベスの手に戻った。邪悪な笑みがこぼれる。
「シェーラ!」
 そんなシェーラに向かって、リサが声をあげた。シェーラはチャベスが復活した司教だと信じ込んでいる。だが、チャベスはシェーラをただ利用しているにすぎないのだ。
 シェーラはリサへちらりと視線を走らせたが、それをすぐにチャベスの言葉が引き戻した。
「シェーラ、封印を解くまで時間を稼げ」
「はい、司教様」
 命令通り、シェーラはウィルへ向かっていった。リサは歯噛みする。
 シェーラの短刀<ダガー>がウィルに襲いかかった。魔法を唱える隙を与えない。連続攻撃だ。ウィルはそれを後退しながら回避した。
 激しい動きはシェーラに苦痛を伴わせた。傷口が開き、出血がひどくなる。すぐにスピードが落ちた。
 ウィルは左手でマントの裾をつかむと、そのまま腕を回した。シェーラの突き出した短刀<ダガー>がウィルのマントに絡め取られる。引き戻そうとしても、びくともしなかった。
「このぉ!」
 シェーラは反対側の手を使って、ウィルから離れようとした。その刹那、天地が逆さになる。ウィルがシェーラの身体を投げたのだ。
 マントによってつながれたまま、シェーラは地面に叩きつけられた。と同時に、鳩尾へウィルの膝がめり込む。流れるような体術。シェーラはうめき声を上げた。
 その間にチャベスは《死者の門》へ手を伸ばした。封印を解くつもりだ。リサはシェーラと戦っているウィルを見て、自らチャベスを追った。
「チャベスさん、待って!」
 リサも聖魔術<ホーリー・マジック>の使い手だ。気弾くらいは発射できる。チャベスが本当に《死者の門》を開くつもりなら、リサはこの手で阻止しようと思った。
 しかし、リサは非情に徹しきれなかった。つい躊躇してしまう。それに対し、チャベスは恋慕する相手にも容赦しなかった。
「ラッカー!」
「きゃあっ!」
 振り向きざまに放ったチャベスの気弾がリサを吹き飛ばした。邪魔者は排除する。例えそれが幼なじみであっても。今のチャベスの頭には封印の解除しかない。
 それを見たウィルは、すぐさまチャベスを阻もうとした。だが、左腕がガッとつかまれる。
 それはシェーラの仕業だった。血の気のない顔色をしながらも、その目はまだ屈していない。
「司教様の邪魔はさせないって言ったろ」
 シェーラはかすれた声でそう言うと、《影渡り》でウィルを影の中に引き込もうとした。
 ウィルとシェーラは絡められたマントによってつながれている。シェーラの身体が影に埋没していく。ウィルは引きずられた。ただウィルは影の中に入れない。その代わり、倒れた格好のまま身動きできなくなった。
「よし。いいぞ、シェーラ。そのままヤツを押さえておけ」
 再び《死者の門》の中心に立ったチャベスは、ウィルが動けなくなったのを確かめて、その場に膝をついた。
 そこには六芒星の形をしたくぼみがあった。チャベスはそこへ“鍵”である六つの金属片を埋めていく。一つ一つがいびつな菱形をした“鍵”は、六つ正しく合わせると六芒星を形作った。
 すべての“鍵”が納まると、地面に描かれた巨大な魔法陣が強い光を放ち始めた。今まさに、《死者の門》が開こうとしているのだ。
「やめて!」
 うつぶせになりながらリサが懇願した。右腕をいっぱいにチャベスへ伸ばす。だが、チャベスはそれを聞いていなかった。
「ハッハッハッハッハッ! ついにこの時が来た! もう誰にも止めることは出来ない!」
 チャベスは狂喜していた。実の父親と十年前の仲間を殺し、地の底へ封印されていた悪しきものを復活させようというチャベスは、もはや人間としての理性すら持っていない。リサには悪魔に見えた。
 ウィルは満足に動かない右腕を懸命に動かした。指先を首元にあるマントの留め金へかける。なかなか言うことをきかなかったが、うまく指が引っかかってマントを外すことが出来た。
 マントが外れれば、ウィルが左腕を抜くのは造作もなかった。ようやく自由の身になり、立ち上がる。
「ディロ!」
 ウィルはマジック・ミサイルを発射した。だが、決して目標を外さぬはずの光の矢は、チャベスの手前で大きく逸れてしまう。封印の解放が見えない障壁となり、チャベスを守っているのだ。
 ウィルに逃げられたシェーラは影の中から姿を現した。そして、まばゆい輝きに目を奪われる。そんなシェーラにチャベスが気づいた。
「シェーラ! お前には感謝しているぞ! お前は私のためによく尽くしてくれた! その礼として、お前にひとつ教えておこう! 十年前の出来事を、お前はこう話していたな! 『村に来た僧侶の一人に井戸へ落とされた』と! その僧侶というのは、実は私なのだ!」
 チャベスの告白に、シェーラは自分の耳を疑った。司教は一体、何を喋っているのか。理解しかねた。
「十年前、私は大僧正から使命を受け、父たちとともにこの村へ来た! 邪教徒の司祭が邪悪なものの召喚を企てているというからだ! 村の者たちは、その司祭に騙され、私たちに抵抗した! そのとき、私も頭を殴られ、大ケガをしたよ! その直後、司教は“アレ”を呼び出そうとして失敗した! 村人のほぼ全員をいけにえにしてな! 私とお前が出会ったのは、不完全な“アレ”がウィルによって封じられた後だ! まだ子供だったお前を私は邪教徒の少女として恐れ、憎悪した! 私は衝動的にお前を井戸へ落としたのだ! 愉快だな! お前がその話をしてくれるまで、私はすっかり忘れていたよ! しかも、そのお前が十年後、私の手足となって働いてくれるとは、何とも皮肉な話じゃないか!」
 シェーラの脳裏に十年前のあの日がフラッシュバックした。
 頭から血を流した僧衣の男。つまみあげられ、そのまま掘りかけの井戸へ落とされた衝撃と恐怖。
 ──あのときの男が司教だったとは。
 一番憎いはずの男にまんまと騙された屈辱は筆舌に尽くし難かった。自分はこんなヤツのために働いてきたのか。それとともに十年来の質問を投げかける。
「エルチは!? 私の妹はどうなったの!?」
 シェーラは生き別れになった妹のことを尋ねた。たった一人で家に置き去りにした後悔がずっとシェーラを苦しめている。妹のエルチは生きているのか死んでいるのか、その答えを求めた。
 チャベスは鼻で笑った。
「お前の妹だと!? さあ、知らんな! ただ、ピエルが一人の幼い女の子を見つけて、そのまま育てたらしいが」
 そのとき、チャベスはチラリとリサの方を見た。リサはドキリとする。確かシェーラは、妹が生きていればリサと同じくらいだと言っていた。
 リサはシェーラを見た。シェーラもこちらを見ていた。もしかして、という思いが二人の胸中に湧く。
 だが、それは長く続かなかった。
「さあ、シェーラ! 最後の仕事だ! お前の命を冥界の狂王に捧げろ!」
 突然、シェーラの胸が光った。服の下から禍々しい刻印が浮かび上がる。チャベスがシェーラたち三人に忠誠を誓わせたときに刻んだもの。それはいけにえの印だ。
「シェーラ!」
 リサが悲鳴のような声を上げた。


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