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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

36.地下空洞の激闘

 リサは悲鳴も上げずに落下した。無表情のままウィルを空虚に見つめている。
 ウィルはすぐさま急降下し、リサを救おうとした。しかし、怪物がそれを阻もうとする。振るった巨大な腕が二人の間を遮った。
 ──間に合わない。
 しかし、リサの命運はまだ尽きていなかった。
「リサさん!」
 地表に激突する寸前、筋骨逞しい巨躯がリサへ跳んだ。東の僧院の修行僧<モンク>、タウロスだ。タウロスは空中でリサをがっしりと受け止めると、自らの体で守るようにして、地面を転がった。
 タウロスはすぐさま腕の中のリサを揺すった。
「大丈夫ですか!?」
「あ、あなたはソーマ師の……」
 ショックがリサの自我を取り戻させた。東の僧院で出会った顔に驚きを隠せない。タウロスがここへ来ているとは知らなかった。
「良かった、どうやらご無事のようですね」
 リサがケガしていないようだと分かり、タウロスは安堵のため息をついた。
「おい! 何をしてやがる! 早くリサさんを安全なところへ!」
 そうタウロスに怒鳴りながら、二人の横を駆け抜けていったのはハーヴェイだ。手には広刃の剣<ブロード・ソード>を持ち、無謀にも巨大な怪物へ斬りつけようとしている。
「ハーヴェイさん!?」
 リサは若い官憲まで駆けつけたことに目を丸くした。こちらは名前を憶えられていたようで、リサを抱きかかえていたタウロスが渋面を作る。
 どちらもシェーラやダグとの死闘で傷ついていたが、さらわれたリサの救出と怪物を地上へ出さないために、こうして歯を食いしばって辿り着いたのだ。思わぬ加勢の登場に、さすがのウィルも驚いた様子だった。冷たいことに、どうやら最初からアテにしていなかったらしい。
「お前たち……」
「ゼブダさんのためにも、お前にばかり任せていられるか!」
「その通り! オレもソーマ師を失った! 弟子として、師匠の仇を討つ!」
 体力的には限界を超えていたが、ハーヴェイとタウロスが持つ不撓不屈の闘志は、なおも燃え上がっていた。怪物が発する死への恐怖と絶望をも振り払う。
 しかし、冥界の怪物にとっては、たった二人の人間が増えたところで大差はなかった。ただ、その魂を喰らうことしか考えていない。まず、無謀にもかかってくるハーヴェイを踏みつぶそうとした。
 ウィルが呪文を唱える。
「フェムゾン・ラ・カリテ!」
 ハーヴェイの広刃の剣<ブロード・ソード>に魔法の輝きが宿った。魔力の付与だ。これで通常の武器では傷つけられないものにもダメージを与えることが出来る。
「はあぁぁぁぁっ!」
 怪物に踏みつけにされるところを飛ぶようにしてかわし、ハーヴェイは頭から一回転して剣を振るった。怪物の体表面に浮き出た不気味な目玉を三つほど斬り裂く。耳を塞ぎたくなるような死者の悲鳴が迸った。
 だが、ハーヴェイの一撃は、怪物にとって蟻に噛まれた象のようなものだった。ほとんど効果なし。
 その隙に、ウィルはラピの呪文で《光の短剣》を抜き、飛燕のごとく左手で斬りかかった。光が闇を凌駕する。
 ズザッ! ズザザザザザザザザザザザッ!
 《光の短剣》は怪物の右肩から左の腰へ袈裟斬りにした。こちらはハーヴェイの剣の比ではない。傷口から巨人の体が二つに裂け、足下のバランスが崩れた。
「おおっ!?」
 リサを安全なところへ運びながら、振り返ったタウロスが声を上げた。
「やったか!?」
 ハーヴェイも頭上を見上げる。
 怪物はまるで溶けるようにして、形を崩した。黒い粘塊質の液体がハーヴェイへ降り注ぐ。
「うわっ!」
 ハーヴェイが頭を伏せた刹那、いきなり左脇を抱え上げられ、足下が宙を浮いた。ウィルに引っ張り上げられたのだ。間一髪のところをハーヴェイは救出される。
 怪物は汚泥物のようにドロドロに魔法陣の上へ広がった。タウロスは空洞の壁際まで追いやられ、リサを高い所へ登らせる。タウロスもジャンプしたところで、波のように押し寄せてきた怪物のなれの果てはようやく止まった。
 ウィルによって吊り上げられながら、ハーヴェイは沼地のようになった眼下を睥睨した。
「何だ、割と呆気なかったじゃないか」
 ハーヴェイは率直な感想を漏らした。だが、ウィルがそれに異を唱える。
「いや、まだだ」
「え?」
「今の一撃では力不足だ。やはり左腕一本では……」
 歯噛みするウィル。
 それを裏づけるかのように、黒い液体に動きが生じた。
 リサとタウロスの近くまで押し寄せた黒い液体から、まるで毒蛇のように四本の触手が伸びた。触手の先端には気味が悪いことに一つずつ目玉がついている。それがリサたちに襲いかかった。
「何しやがる!」
 タウロスはリサの前に立ちはだかり、触手を手刀で払いのけようとした。だが、三本目に左足をつかまれると、そちらに気を取られてしまい、続いて右手、左手、右足に絡みつかれてしまう。力任せに引きちぎろうとしても無理だった。
「ぬぬっ!」
 触手はタウロスを引きずり込もうとした。タウロスは足を踏ん張らせ、それに抵抗する。リサも後ろからタウロスの腰にしがみつくようにして持って行かれまいとした。
 しかし、新しい触手が飛び出すと、今度はリサの両手両足を拘束した。悲鳴を上げるリサ。このままでは二人とも怪物の餌食になってしまう。
「手を放すぞ」
「おう!」
 リサたちのピンチに、ウィルたちが急行した。危機に陥っている二人のところへ、まるでハーヴェイを投下するようにウィルが手を放す。ハーヴェイは落下しながら、剣を頭上に振り上げた。
「やあぁぁぁぁぁぁっ!」
 ズバッ!
 ハーヴェイの広刃の剣<ブロード・ソード>が、見事に二人を拘束していたすべての触手を断ち斬った。ところが着地まではうまくいかず、下へ落ちそうになる。
「うわっと!」
 とっさにタウロスが手を出し、ハーヴェイの体を支えた。足下の小石が落ちて、黒い粘塊の中に没する。寸でのところを助けられ、ハーヴェイは肝を冷やした。
「危ねえ……」
「おおっと、お互い様だ。礼は言いっこなしだぜ」
 タウロスが笑いかけた。もとより、東の僧院の前で押し問答をした仲だけに、ハーヴェイもその気はない。ただ、歯を剥き出しにして笑って見せた。
 なごんだのも束の間、第二、第三の触手が三人を襲った。息をつかせる暇もない。
「ディノン!」
 ババババババババッ!
 マジック・ミサイルの斉射が触手を吹き飛ばした。三人は首をすくめる。
「油断するな」
 ウィルは頭上から冷ややかに三人へ言い捨てると、マントを翻して、魔法陣の方へと向かった。
 飛行するウィルへも怪物は魔の手を伸ばした。先端に目がついた触手が海面から首を出す海竜<シー・サーペント>のように次々に現れ、美しき吟遊詩人へと襲いかかる。ウィルはときにそれをかいくぐり、ときに《光の短剣》を振るいながら、怪物から繰り出される攻撃を回避した。
 また、リサたちにも受難は続いていた。ウィルのマジック・ミサイルによって吹き飛ばされても、触手は執拗に伸びては、三人に絡みつこうとしてくる。
 三人は体勢を整えた。ハーヴェイが広刃の剣<ブロード・ソード>で対抗し、タウロスが討ち漏らした触手を相手にしていく。その間にリサは、二人に回復呪文を唱えた。
 足場の確保が難しい壁面にへばりついての戦いは熾烈を極めた。
「クソ、これじゃキリがねえ!」
 タウロスがヤケを起こした。隣のハーヴェイが喚く。
「ボヤく暇があるなら、ちゃんと戦え!」
「やかましい! ちゃんと戦ってらぁ! そっちこそ討ち漏らすなよ!」
「お前と一緒にするな!」
「皆さん、下を!」
 悪態をつきながら必死に戦っていたハーヴェイとタウロスは、リサに促されて、チラリと下を見た。徐々に怪物の水かさが増している。決して気のせいなどではない。
「お、おい、冗談だろ!?」
 三人は青くなった。
 空中のウィルも怪物の変異に気づいていた。怪物は決して冥界に潜む邪神の類ではなく、おびただしい死者の怨念が作り出した負の権化だ。集まりくる死者の数が多ければ多いほど、その力は増していく。そして、《死者の門》が開かれた今、こちらの世界へ流れ込んでくる死者は絶え間なかった。
 これ以上、怪物の力を増大させないためには、早急に《死者の門》を閉じる必要があった。しかし、肝心の《死者の門》は怪物の下になっている。
「ヴィド・ブライム!」
 魔力を高めたウィルのファイヤー・ボールが怪物の中心で爆発した。闇色の液体と化した怪物に風穴を開ける。その下に《死者の門》が見えた。
 そこを目指してウィルが猛スピードで急降下した。
 しかし、それこそが怪物の罠──
「ウィルさん!」
 リサはそのとき見た。吹き飛んだはずの怪物の破片が、本体に戻りつつ、まるで食虫植物のようにウィルを包み込もうとするのを。
「あっ!」
 瞼を閉じることも、目をそらすことも、リサには出来なかった。逃げ場を失った黒衣の吟遊詩人は、冥界の怪物に呑み込まれてしまったのである。


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