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吟遊詩人ウィル

死者の復活祭

37.聖刻の護封剣

 ウィルが怪物の餌食になったのを見て、リサは全身の力が抜けそうになった。
 十年前、この怪物をやっとの思いで封印に成功したのは、ウィルの力があったればこそだ。しかし、今、リサの父、ピエルたちはおらず、頼りのウィルもまたやられてしまった。
 ウィルを呑み込んだ怪物は、まるで何事もなかったかのように、再び《死者の門》を覆い隠した。表面が静かにさざめく。
「リサさん、もっと上に登って!」
 そうこうしている間にも、怪物の水かさは増加していた。タウロスが上へ登るよう、リサを促す。リサは気落ちしている間もなく、それに従った。
 しかし、空洞の壁をよじ登っていくというのは、女の力ではかなり難しかった。どこへ手をかければいいかも分からず、少しもしないうちに行き詰まってしまう。見かねたタウロスがリサを背負うことにした。
「さあ、オレの背中に」
「早くしてくれ! あまり持ちこたえられない!」
 タウロスが急かし、ハーヴェイが切迫した声を出した。触手は無限に出現しては、三人に襲いかかってくる。ハーヴェイ一人で応戦するのも限界だ。
 リサは言われたとおり、タウロスの背にしがみついた。リサを背負ったタウロスは、その重厚な体躯に似合わず、するすると空洞の壁面を登っていく。ハーヴェイも剣を振るいながら、それに続いた。
 液状化した怪物はどんどん膨れ上がっていた。《死者の門》より続々と死者が流入してきている証拠だ。この世界は本当に死者によって滅ぼされてしまうのか。
(神様──)
 リサが心の中で神への祈りを捧げたとき、怪物の中心部が光り始めた。それは次第に眩い閃光となる。
 ドォォォォォォォォォォン!
 突然、閃光が爆発を生んだ。ちょうどウィルが呑み込まれた《死者の門》の辺りだ。光は高出力のエネルギーとなって、空洞の天井をぶち抜いた。
 何事が起きたのかと、リサたち三人は壁面を登るのも忘れた。空洞全体が揺れ、天井の岩盤が液状化した怪物へと降り注ぐ。三人を追いかけていた触手は、ひるんだように引っ込んだ。
 高出力エネルギーの放出によって、空洞の天井には地上への穴が出来上がった。そこから太陽の光が射し込み、一瞬、怪物の動きを鈍らせる。闇の中に長くいた死者に、外界の光は強すぎた。
 そして、その光の中にひっそりと浮かぶ美影身をリサは見つけた。そのシルエットを目にし、なくしかけていた希望が胸に戻ってくる。
「ウィルさん!」
 それは吟遊詩人ウィル。
 美しき黒衣の魔人。
 そのウィルの左手には怪物からの脱出を可能にした《光の短剣》が輝いていた。
「少々、危険な賭けだったが、『ドラゴンの卵を得るには炎を涼む』。《死者の門》は閉じさせてもらった」
 ウィルが冷たい双眸で睥睨すると、液状化した怪物はまるで悔しさを表すかのように震えた。
 だが、《死者の門》を閉めたとはいえ、まだ怪物を形作る死者の数はおびただしかった。再び攻勢に出る。
 怨念のこもった触手がウィルに襲いかかった。ウィルは空中を自在にたゆたいながら、それらをかわしていく。
「バリウス!」
 真空の刃が次々に触手を切断した。いくつもの断末魔がこだまする。死者たちが消滅する間際に発する呪詛だ。
 怪物は液状化から巨人へと形態を変えた。ウィルの前にのしかかるようにして立ちふさがる。無数の目が見開き、憎むべき敵を凝視した。
「左手一本でどこまでやれるか」
 そっと独り言を呟き、ウィルは果敢に向かっていった。左手には《光の短剣》。一度は怪物を真っ二つにした伝説の剣だ。
 巨人の左手が払われた。風圧にコントロールを失いそうになりながらも、ウィルはそれをかいくぐる。
 《光の短剣》の切っ先が怪物の胸に突き立てられた。だが、その攻撃は無情にも跳ね返される。
 空中でバランスを崩したウィルへ怪物が右拳を見舞おうとする。直撃を受ければ、さすがのウィルもひとたまりもないだろう。
 ブオッ!
 怪物のパンチが空気を唸らせた。戦いを目撃していたリサたちには、怪物の右手がウィルに当たったように見える。華奢な吟遊詩人の身体が吹き飛ばされた。
 しかし、実際にはウィル自ら怪物の拳を蹴り、衝撃を緩和していた。ダメージを受けなかった証に、空洞の壁面すれすれで急制動をかけて止まる。それを見たリサたちはホッと息を吐き出した。
 間髪を入れず、怪物の左拳が飛んできた。ウィルがかわすと、パンチはそのまま壁面を貫く。岩盤が砕け散り、またしても空洞が揺れた。
「やっぱり、苦戦しているようですね」
 戦いの最中には不似合いなのんびりとした声がかかった。それも頭上──天井に空いた穴からだ。
 見上げたタウロスが驚きの声を上げた。
「あ、あなたは──!?」
「やあ」
 いささか間の抜けた返事がした。にこやかに手すらも振っている。
 それは北の僧院で僧正を務めているヤンだった。
 大僧正よりも神に認められし男。
 しかし、ヤンは総本山でウィルたちと別れ、首都ウォンロンに帰ったはずではなかったか。
「少し心配になりましてね。いや〜、こうして来てみて良かった」
 ヤンは微笑を絶やさずに言った。ふざけているのか、真面目なのか分からない。
 怪物との戦いを続けながら、ウィルが頭上を振り仰いだ。するとヤンが僧衣を腕まくりする。
「ちょっとだけ助太刀しますよ。あとはお任せします、吟遊詩人さん」
「……了解だ」
 いささか無愛想にうなずくと、ウィルは穴の真下へ怪物を誘い込んだ。
 その瞬間、ヤンの身体に強力な魔力が蓄積されていく。これが神の代行者の力なのか。
 下から見上げるリサたちには、後光すら射しているヤンが神に等しく思えた。
 ヤンの両腕に強大な奇跡の力が宿る。
「リ・ドラ・ヴァース!」
 穴から射し込む太陽の光が、ヤンの放つ聖光へと変じた。浄化の光。それは怨念に凝り固まった死者たちを灼いた。
 オォォォォォォォォォォォォォォン!
 怪物が苦しみだした。巨体がふらつき、それでいて動きが鈍る。全身に無数の目が浮かび上がり、それらが血を吹いて破れた。
 ヤンの力。その奇跡を目の当たりにし、リサたちはただ圧倒された。
 しかし、それでも怪物を滅ぼすには至らなかった。全身を聖光で灼かれながらも、まだ死者たちの怨念はこの世界に留まろうとする。
 その怪物の頭上をウィルが押さえた。そして、未だに動かすことも満足に出来ない右腕を見つめる。
「やはり右腕も必要だな」
 ウィルはそう言うと、《光の短剣》を持つ左手に完治していない右手を添えた。その瞬間、《光の短剣》の輝きが漆黒の宇宙をも照らす超新星と化す。
 ヤンはそれを真上から見下ろしていた。
「《光の短剣》──またの名を《聖刻の護封剣》」
 苦しむ怪物めがけて、ウィルは急降下した。飛行速度に落下速度をプラスして、《光の短剣》──《聖刻の護封剣》を怪物の脳天に突き立てる。
 カッ!
 その刹那、世界はホワイトアウトした。色彩が白熱となって、何も見えない。音でさえも白い世界に呑み込まれたかのようだった。
 だが、それも一瞬。すぐに元の世界が戻ってきた。そのときすでに、怪物は頭頂部から一刀両断されていたが。
 オォォォォォォォォォォォォォォン……!
 遅れて、怪物の断末魔が空洞一杯に反響した。闇色の体が光の中に溶けていく。そこには凝り固まった怨念も、生に対する醜い妄執も存在しなかった。
 やや時間をかけて最後の一片まで跡形もなく消滅すると、地下空洞に静けさが戻ってきた。リサたちは、たった今まで悪い夢を見ていたのではないかと思うほどに。それくらい現実感に乏しい気がした。
 しかし、夢ではない。空洞の中心部には怪物を呼び出した魔法陣が残され、そこに黒衣の吟遊詩人が、一人うずくまっている。十年前と同じように、この謎めいた旅人は冥界の怪物を撃退したのだ。
 リサたちは登っていた壁面から滑り降りるようにして、奇跡を起こした美しき魔人へと駆け寄った。



 井戸に見せかけた階段を登りきると、地上ではいつもの微笑を絶やさずにヤンが四人を出迎えた。
「よくやってくださいました、皆さん。さぞ、お疲れのことでしょう」
 ヤンのねぎらいにウィルが冷めた視線を投げた。
 冥界の怪物を滅ぼしたウィルの消耗ぶりはひどいものだった。しかし、今はリサの聖魔術<ホーリー・マジック>によって、体力は回復している。それでも無理をして使った右腕は、ほとんど使い物にならなくなっていた。
「最初からここへ来るつもりでいたな?」
 責めるようにウィルが言った。ヤンはとぼける。
「いや、気が変わっただけですよ」
「そんな! ヤン師がいてくだされば、我々ももっと安心して戦えたことでしょうに!」
 タウロスも思わず、不満を口にする。この戦いで、何度、命を失ったと思ったことか。
 すると、ヤンはくすりと笑った。
「言ったでしょう? 私は戦いが苦手だと」
「神は我々への干渉を恐れているのか?」
 鋭い一瞥を向けてくるウィルの言葉に、ヤンは答えず、意味深な笑みを残すだけだった。
 そんな中、ハーヴェイが皆を急かした。
「さあ、とにかく早く帰りましょう! 怪物をやっつけたとイゴール大僧正やビルフレッド隊長にご報告しないと!」
 すべての事件が終わり、ハーヴェイの顔は晴れやかだった。これでゼブダの残された妻子にも顔向けが出来る。するとタウロスがハーヴェイの肩にもたれかかってきた。
「あれ? お前はもう官憲を辞めたんじゃなかったのか?」
 タウロスに痛いところを突かれ、ハーヴェイは言葉に詰まった。リサがくすくすと笑う。
「大丈夫ですよ、きっと。この功績で元に戻れると思います。何でしたら、私が推薦して差し上げますから」
「あっ、ありがとうございます!」
 リサの言葉に、ハーヴェイは感激した。
「ところで吟遊詩人さん。あなたのその腕、私が治してさしあげましょうか?」
 ウィルのちぎれそうな右腕を見咎めて、ヤンが申し出た。するとウィルは右腕を引っ込める。
「もう頼む人物は決めてある」
 そう言って、ウィルはリサを振り返った。美しい相貌に見つめられ、リサは陶然とする。
「父上を継いで、あなたに治してもらいたい」
「え、でも……」
 聖魔術<ホーリー・マジック>の腕前なら、考えるまでもなく僧正であるヤンの方が上だ。リサではこんな重傷を癒しきれるかどうか。
「どれだけの時間をかけてもらっても構わない。頼めるか?」
「は、はい。分かりました」
 リサはうなずいた。父の代わりにウィルの腕を治すのだ。
 ヤンは嫌われたものだという風に肩をすくめた。
 五人は廃村を後にし、首都ウォンロンへの帰路へ就いた。


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