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部屋の入口でどう話しかけていいものやら分からないアレスに対し、白髪の男は立ち上がり、歩み寄ってきた。
その男は髪の色こそ白かったが、別に老人というわけではなかった。まだ三十の半ばか四十くらいだろう。あまり背は高くなく、どちらかというと痩せた体をしており、これがダクダバッド軍と戦っている解放軍のリーダーなのかと、アレスには意外に感じられた。もっとロックのように戦士らしく、それでいて統率力のある年輩を想像していたからだ。しかし、目の前の人物は柔和な表情をし、学者か芸術家の類に見える。
白髪の男は右手を差し出して握手をすると、反対の手でアレスの肩を叩いた。見かけ通り、どちらも力強いものではない。アレスは伯爵に手を引かれるまま、地図が広げられたテーブルへ近づいた。
「そんなに緊張しなくていい。さあ、ここに座って。ちょっとキミと話をしてみたいのだ」
白髪の男はそう言うと、再び自分の席へ戻った。アレスと向かい合う形だ。アレスは居心地が悪そうに、腰をむずがらせた。
そんなアレスを真っ正面から見据えて、白髪の男は微笑んだ。
「私は“男爵”。みんなから、そう呼ばれている」
「男爵……?」
「そうだ。私を呼ぶときは男爵だけでいい。本当の名前など、私には無意味だからね」
解放軍のリーダー、男爵。彼はひょっとすると、ガリ公国時代には公王の臣下だったのかも知れない。名前を伏せているのは、彼の素性が明らかになると何かまずいことがあるからか。およそ闘士に見えない容貌同様、アレスには謎の多そうな人物に思えた。
「アレスくんはリブロの村から来たそうだね? ロックから聞いたよ。リブロといえば、ダクダバッドの国境に近い村だ。彼らが攻めてきたとき、真っ先に襲撃されたんじゃないのかい?」
「はい……」
アレスはそのときのことを思い出したのか、グッと拳を握りしめた。
リブロの村はとても平和な──悪く言えば、とても退屈なところだった。その平穏が、突如、侵攻してきたダクダバッド軍によって破られたのだ。
元々、ダクダバッド共和国とガリ公国は敵対関係にあったわけではなく、隣国同士の交流が少なからずあった。であるからこそ、いきなりのダクダバッド軍の侵攻はガリ公国にとって晴天の霹靂であり、ロクな手段を講じる暇もないまま、蹂躙されてしまったのである。ここ、首都であるジノは街を囲い込む城壁のおかげで侵攻から三ヶ月間もちこたえたが、その他の領土は七日のうちにほとんどが制圧され、散発的なゲリラ戦で抵抗するのが精一杯だった。
この非道なる侵略は、ダクダバッド共和国の評議会が決定したものではなく、コールギン・テスラーという一人の将軍による暴挙だったと伝えられている。コールギンは若き頃より野心を抱き、それにともなう才知を兼ね備えた人物で、度々、ガリを始めとする隣国への侵攻を訴えていたという。それはネフロン大陸の西方において、強い権勢を誇る五大王国──カリーン王国、ブリトン王国、リルムンド王国、エスクード王国、ルッツ王国──に対するためには、小国にすぎないダクダバッド共和国を少しでも大きくしようという考えからだったのだが、長年、話し合いによる解決を重んじてきたダクダバッドの評議会には受け入れてもらえず、とうとう実力行使に訴えることになったらしい。
当初、評議会はコールギン将軍の暴走を止めようとしたが、瞬く間に戦局はダクダバッド側優位に傾き、対外的にも引くに引けない状況になってしまった。結局、不本意ながらもコールギンの独断を容認。ダクダバッド共和国はガリ公国を滅ぼしたのである。
「僕はダクダバッド軍に家族を殺されました。ヤツらはいきなり襲ってきたかと思うと、問答無用で村人たちを殺し、村を焼いたんです。それはもう、今、思い出すのもおぞましいくらい、ひどい光景でした」
アレスはうつむきながら、声を絞り出すようにして喋った。その言葉は怒りと哀しみにかすれている。
その話を聞いた男爵は、やや目線を下に落としながらテーブルに両肘をつき、口許のところで骨張った指を組んだ。
「そうか……。彼らにしてみれば、とにかく時間との勝負だったのだろう。奇襲とはそう言うものだ。そして、侵攻作戦がガリの中央へ知られないよう、村人を根絶やしにしようとしたに違いない。実際、公王たちががダクダバッド軍の侵攻を知ったのは、その四日後だと言われており、そのときには国の半分以上が、すでに彼らの手によって落ちていた。この戦いを仕掛けたコールギンという男、好戦的というだけでなく、かなり戦略や戦術の点でもキレる人物のようだ」
男爵の言葉に、アレスは思わず腰を浮かせた。
「そんな……! あなたは敵の──血に飢えた悪魔のような、あのコールギンを賞賛するんですか!?」
アレスはいきり立った。無理もない。彼の家族は、コールギンさえガリ侵攻を決断しなければ、殺されることはなかったのだから。
そんなアレスに、男爵は静謐な眼差しを向けた。この男は、常に感情的になることはなく、冷静さを保ち続けているのかも知れない。アレスは、そんな風に感じた。
「私はただ、コールギンという男を正しく評しているつもりだ。ダクダバッドはもちろん、ガリや五大王国を見渡しても、これほど軍人として有能な人物を私は知らないからね。だからといって、私も故国を奪われた者の一人だ。憤りを感じぬわけではない。あのとき、私はほとんど何もできなかった。指をくわえて、ダクダバッドの侵攻を見ているしかなかった自分が悔しくてならない。だからと言うわけではないのだが、今は少しでも私が出来ることを精一杯にしている。二度と後悔しないためにもね」
「それが……解放軍のリーダーなんですね?」
アレスに見つめられ、男爵は苦笑を口許に浮かべた。そして、肩をすくめる。
「リーダーなんて大層なものじゃない。私はロックたちのように剣を振るって戦うことは苦手でね。その代わり、私は策を練ることによって戦うことが出来る。いかにして、この街からダクダバッド軍を追い出すかを。そして、それを実現させるためには、ロックたちのように戦ってくれるたくさんの仲間が必要だ。今は一人でも多くの戦力が欲しい」
するとアレスが勢い込んで立ち上り、テーブルの上に身を乗り出すようにした。
「僕を仲間に加えてください! 絶対、お役に立ちます!」
「まあまあ、落ち着きたまえ。まだ私は何とも言っていないよ」
男爵はアレスの気負いをかわすかのように、やんわりと受け答えた。やはりアレスのことをまだ子供だと思っているのか。
だが、男爵は真剣な眼差しをアレスに向けてきた。
「キミは家族の仇として、コールギンを討ちたいのだろう?」
男爵はいきなり核心を突いてきた。アレスは闘士タイプのロックとは違う鋭さを、目の前の白髪の男に感じた。
「も、もちろんです!」
「だから、このジノへ来た」
「いけませんか?」
「生憎だが、コールギンはもう、ここにはいない」
「えっ?」
アレスは戸惑った。やっとジノへ辿り着いたというのに、肝心の仇がいないとは。
「どういうことですか?」
アレスは尋ねた。すると男爵は、
「ジノを占拠し、事実上、ガリ公国を滅ぼしたコールギンは、しばらくここにとどまっていたが、二ヶ月ほど前、評議会によって査問委員会にかけられることになり、帰国したんだよ」
と説明した。アレスは脱力したように、再び着席してしまう。
「そんな……」
「まったく、共和国の連中もやり口が汚い。まんまとガリを手に入れておきながら、その功労者を裁くとは。悪くすると、コールギンは軍から追放されるかも知れないな。いや、処罰される恐れもある。そうなれば、ここへ戻ってくることは二度とないだろう」
初めて聞く話だった。アレスは肩を落とした。
男爵は話を続ける。
「その二ヶ月前からコールギンと入れ替わりにやって来たのが、スカルダ将軍という男だ。この男はコールギンとは異なり、評議会とも深い関わりがある門閥貴族の出で、武勲よりも家柄と競争相手を蹴落とすしたたかさで出世してきた、という話が私の耳に入ってきている。我々にしてみれば、知略に長けたコールギンよりも組みやすい相手と言えるが、スカルダ将軍になってから軍の統率が乱れ始め、ダクダバッド兵の横暴さが目立つようになってきた。早く彼らを追い出さないと、これまで以上に街の人々が苦しめられることになるに違いない」
そう言って男爵は、また指を組み、アレスがどう答えるかを待った。アレスはすぐに顔を上げる。
「やっぱり、僕も一緒に戦わせてください!」
アレスはキッパリと言い切った。男爵の眉が上に動く。
「いいのかね? キミの家族の仇であるコールギンはこの街にいないんだよ?」
そんなことは、すでに承知の上だった。アレスは胸を反らす。
「ヤツだけを斃しても意味がありません。それよりも、このジノからダクダバッドの連中を追い出し、ガリ公国を復活させることの方が大事です!」
「公王の血筋が絶えた現在、ジノを解放しても、ガリ公国が復活するかは疑問だが……」
「それでも侵略者であるダクダバッドの圧制に苦しむよりは、かつての自由を取り戻した方がはるかにマシです!」
「そうか。分かった」
男爵はアレスの目を見て、彼の決意の程を知った。そして、椅子から立ち上がる。
「ならば我々は、アレスくん、キミを歓迎しよう。今、このときからキミは我々の一員だ。今後、他の者たちよりも年少だからといって遠慮はしないから、そのつもりでいてくれたまえ」
「はい!」
アレスは感激して立ち上がった。気分が高揚し、顔が上気する。
二人はまたガッチリと握手をした。今度は、先程よりも男爵の手に力が込められているようにアレスには感じられた。
「実は、近々、我々は大きな作戦を決行しようと思っている。アレスくんにも、充分に働いてもらいたい」
「はい、一命を賭して!」
こうしてアレスは、男爵率いる解放軍に加わることになった。
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