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ダクダバッド共和国のガリ総督府は、ジノの北西寄りに置かれていた。
元々は王族の宮殿として利用されていたものだ。ジノを占領した際にダクダバッド軍が接収し、総督府とした。ちなみに王宮は、ガリの敗北を民衆に知らしめるために跡形もなく打ち壊されている。
総督府の二階にある執務室では、スカルダ・バーグソン将軍が外を眺めていた。その眼下にはよく手入れされた庭園が広がっている。ただし、総督府を囲う壁があまりにも高いため、街の様子を眺めることは出来なかった。
スカルダ将軍は恰幅のいい赤毛の男だった。非常に毛深く、顔は髭だらけの印象だ。着ている軍服も窮屈そうで、胸を反り返せばボタンがはち切れそうだった。
ジノを占拠したコールギン将軍に代わり、ガリの総督に就任したスカルダ将軍は、大変な出世と言えた。ダクダバッド共和国に五人いる将軍の中でも、これだけの権力を持つ者はいないだろう。出世欲の強いスカルダ将軍には、これ以上ない役職であったはずだ。
しかし、現在のスカルダ将軍は苛立っていた。その証拠に外を眺めながらも、足は神経質そうに揺すられている。それにつれて、腰から下げた指揮官用のサーベルがカチャカチャと鳴っていた。
ドアがノックされたのは、そんなときだ。
「入れ」
スカルダ将軍は返事をすると、窓際から離れ、自分の椅子へ戻った。重い体をドッシリと沈める。
「失礼します」
ドアを開けて入ってきた人物に、スカルダ将軍は目を見張った。
それは眼鏡をかけた若い女性であった。オレンジ色に近い金髪をアップにまとめ上げ、ダクダバッド共和国のカラーである赤を基調にした軍服をびっしりと着こなしている。顎のラインが引き締まり、才女の雰囲気を兼ね備えていた。
その女性士官はスカルダ将軍に向かって敬礼した。
「初めまして。この度、総督の補佐を務めることになりましたセリカ・フランセルと申します。よろしくお願い致します」
声もその美しい容貌にふさわしく、凛としたものだった。そんな美貌の士官がやってきたことに、スカルダ将軍は眉をひそめた。
「オレの補佐役だと? 聞いていないが」
「これが評議会からの辞令でございます」
セリカは持っていたファイルを総督の机の上に差し出す。スカルダ将軍は、それにざっと目を通した。
「なるほど。そなたはオレのお目付役ということか」
「いえ、私は総督の補佐役として──」
「建前など、どうでもいい」
スカルダ将軍はセリカを遮った。そして、自嘲を髭だらけの口許に浮かべる。
「評議会は早くもオレの総督としての能力に疑問を持ったようだな。まあ、仕方ないか」
スカルダ将軍は、もう一度、腰を上げると、セリカに背を向けながら、また窓から外を眺め始めた。
「解放軍の動き、日に日に活発になっているようですね?」
一番気にかけていることをセリカはズバリと言った。スカルダ将軍は苦虫を噛み潰したような顔になる。スカルダは女好きとしても知られるが、自分よりも頭のキレる女は好かない。
ガリ総督の地位に登りつめたスカルダ将軍を悩ましているのは、このところ活動が表面化してきた解放軍の存在であった。コールギン将軍が駐留していた頃は、散発的なもめ事はあったものの、組織立った抵抗は見られなかった。しかし、スカルダが総督になってからというもの、解放軍を名乗る武装集団が現れ、ジノの街中でダクダバッドの兵士たちを襲う事件が頻発し始めている。それはすなわち、時間的経過によって組織がまとめ上げられたという理由もあるだろうが、事態を沈静化できないスカルダの手腕も問われる問題であった。
しかも、そのことがダクダバッド兵たちを精神的に追い込むことになり、規律を破って、無法を働く者も続発してきている。かといって、それらを処断することは、ただでさえ士気が低下している部下たちの反発を招く恐れがあり、スカルダとしては手をこまねくしかないような状況であった。
セリカはそのことを知って、評議会によって差し向けられたのだろう。何とか名誉挽回しなければ、総督の地位をただ失うだけではすまないかもしれない。それは出世欲の権化であるスカルダ将軍にとって、最も恐れるべきことであった。
「今日もまた、巡回中だった兵が襲われ、六名が死亡、一名が重傷を負ったとか」
どこで聞きつけたのか、セリカはさらりと言った。スカルダは歯ぎしりする顔を見られまいと、背を向け続ける。本当なら、うるさいと怒鳴ってやりたい気分だが、それで彼女の心証を悪くして、評議会にないことまで告げ口でもされれば、スカルダの命運はもっと早くに尽きるだろう。スカルダは辛抱した。
「総督、解放軍がこれ以上、組織を拡大しないうちに叩くべきではないでしょうか?」
セリカはスカルダ将軍の気も知らず、至極もっともな意見を具申した。スカルダ将軍は、やはりジノに到着したばかりらしい、事情の知らない女が言いそうなことだと思った。
「セリカとか申したな。そなたは知るまいが、ヤツらは巧妙に潜伏し、決して尻尾をつかませようとはしない。組織も通常はいくつかに分散させて、万一のときはトカゲの尻尾のように切り離すことが出来るのだ。そのようなヤツらを一網打尽になどできるものか」
忌々しそうにスカルダは吐き捨てた。
「私が得た情報によれば、解放軍を指揮しているのは男爵という男だとか」
セリカの眼鏡が光った。これまたどこでそんなことを仕入れてきたのか。スカルダ将軍はこの女性士官に、益々、警戒心を強めた。
「ふん、男爵か。そんな呼び名だけで、いるかいないかも分からぬような男! 捜すだけムダというものだ!」
男爵の名はスカルダ将軍の耳にも入っている。当然、どのような人物であるか調べさせたが、何も成果を挙げられなかった。ガリ公国に仕えていた者なのか、それともこの戦乱に乗じて流れてきた無頼の徒なのか。すべては謎のままだった。
「しかし、総督。解放軍は明らかに誰かによって指揮されています。兵士たちが襲われたこれまでの事例を見ていきますと、手際が非常に鮮やかであると言えましょう。これはひとえに、優れた指揮官が存在する裏付けになっていると考えます。さらに言うなら、その指揮官さえ捕らえてしまえば、解放軍など烏合の衆に過ぎません」
セリカの言うとおり、優秀なリーダーさえ押さえてしまえば、数で勝るダクダバッド駐留軍は負けやしないだろう。だが、スカルダから言わしてもらうなら、その前に正体不明のリーダーをいかにして捕らえるかが問題であった。
「そなたには何か策があるというのか?」
当然、ここまで言うからには具体的なものを持っているのだろうと、スカルダは尋ねた。セリカはニコリともせずにうなずく。
「はい。敵をうまく誘い出します」
「ほう、どうやって?」
「総督閣下をエサにして」
「何だと!?」
スカルダは耳を疑って、冷静沈着な女性士官を見つめた。もちろん、冗談を口にするようなタイプではない。セリカは至って真面目だ。
「こちらが男爵を押さえたいように、解放軍も総督の首を狙っているはず。ならば解放軍が総督を狙うよう仕向けるのです。そこに罠を張る」
「むう……少し危険ではないのか?」
スカルダは冷や汗が出るのを感じた。将軍という立場だが、決して武勲でのし上がってきたわけではない。評議会への働きかけと、競争相手を蹴落とすことによって得た地位だ。この総督の椅子にしても、たまたまコールギンが更迭されたことにより転がり込んできたものである。実戦は未経験であった。
そんなスカルダに、初めてセリカは微笑んだ。
「私に任せていただければ、必ずや閣下の御身をお守りいたします」
セリカの言葉を鵜呑みには出来なかった。何しろ、議会が差し向けたスカルダのお目付役だ。すでに総督としての地位を剥奪するつもりで、解放軍鎮圧に利用しようという魂胆なのかも知れない。
スカルダ将軍はゴシゴシと髭を撫でた。
「オレに忠誠を誓えるのか?」
「元より」
「信用できんな」
「では、その証をご覧に入れましょう」
セリカはそう言うと、おもむろにアップにしていた髪を下ろした。オレンジ色に近い金髪が広がって揺れる。それをセリカは無造作につかむと、いつの間にか手にした短刀<ダガー>で、ためらいもなく断ち切った。
スカルダが止める間もなかった。セリカはあっさりと自分の髪を切って見せた。その髪の束を総督の机の上に置く。
「これが閣下に対する私なりの忠誠です」
「………」
自分の体の一部を相手に捧げる行為。それはダクダバッド共和国において、広く知られた風習であった。主に結婚する女性が、自らの髪の一部を切り、相手の男性に贈ることが多い。セリカはそれをして見せたのだ。
髪を短くしたセリカはさらに言った。
「閣下、私の四人の部下をご紹介します。──入れ」
セリカが声をかけると、ドアが開き、一人の男が入ってきた。蛮族の出身なのか、肌は褐色で、ひどく痩せこけたように見える。そのせいでやけに腕と足、そして首が長く感じられた。
「彼の名はマハール。弓の名手です」
セリカはそうマハールを紹介した。マハールは黙ったまま、スカルダに一礼する。だが、執務室へ入ってきたのは、そのマハール一人だけだった。
スカルダは訝しんだ。
「四人と言わなかったか?」
「四人だよ」
不意に声がして、スカルダは驚かされた。総督の椅子がくるりと回り、スカルダの方へ向く。
「へっへっへっ、この椅子、なかなか座り心地がいいね! 気に入っちゃった!」
椅子の上ではしゃいでいるのは、女の子のようだった。しかし、スカルダは知っている。
「ホビットだと!?」
それは草原の妖精族だった。
「ベル、やめなさい」
「はーい」
ベルと呼ばれた女のホビットは、総督の椅子から飛び降りると、すぐにセリカの隣に立った。ホビットらしい素早い身のこなしだ。それ以上に驚くべきことは、いつの間にこの部屋へ入り込んだのか。ホビット族は生来の盗賊と言われているが、スカルダは何となくそれが理解できた。
しかし、これでも四人のうち、二人が揃っただけである。セリカは天井を見上げた。
「ジャニス」
それが三人目の名前であったか。すると天井からサラサラと砂が落ちてきた。どうして総督府の執務室の天井から砂が落ちてくるのか。そんなことを怪しんでいるうちに、砂は床の上にたまっていく。それが人の形を為していく様に、またしてもスカルダは驚愕した。
砂の塊はローブをまとった老婆の姿になった。奇妙に袖口が広く、重そうに引きずっている。元より曲がっている腰をジャニスという魔導士風の老婆は折った。
「ジャニスめにございます。どうか、お見知り置きを」
まるで呼吸困難に陥ったかのようなかすれた声だった。スカルダはうなずくしかない。
「あと一人いるのですが、すでに動いてもらっているので、ここにはおりません。私たち五人、総督の御為に働く所存。どうか、ご信頼ください」
セリカと奇怪な三人は、もう一度、スカルダに向かって頭を下げた。
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