←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→



吟遊詩人ウィル

叛乱の挽歌

6.退路なし

「退け!」
 まんまとダクダバッド側の策略にはめられたロックは、自分の迂闊さを呪いながらも、仲間に撤退命令を出した。敵は四百名の兵士。まともに戦って勝ち目はない。
 解放軍の戦士たちは、よく引き際を心得ていた。これまでも少ない精鋭で奇襲を仕掛け、素早く撤退する作戦を繰り返し実行してきたからである。その際、例え目的が達せられなくても命をムダにしないよう、男爵から重々、言い含められていた。だから、必要以上に戦おうとする者はいない。ただ一人を除いて。
「トニー、退くぞ!」
 ロックは未熟な弟分の名を呼んだ。そのトニーは騎馬隊に突っ込みすぎて、撤退命令も聞こえず、応戦に精一杯の様子である。ロックは舌打ちした。
「バカ野郎!」
 ロックは敵に対して容赦はしないが、味方に対して非情に徹せられる男ではなかった。何人かを斬り伏せながらトニーへ腕を伸ばし、その襟首をつかんで引っ張る。トニーは転びそうになりながら、ロックによって助けられた。
「あ、兄貴ぃ……」
 今にも泣きそうな情けない声をトニーは出した。剣の訓練も積んでいるし、作戦へも何度か参加しているが、これほどまでに厳しい戦いは初めての経験だったに違いない。ロックは向かってくるダクダバッド兵と斬り結びながら怒鳴った。
「早く、あそこへ逃げ込め!」
 ロックが示したのは、潜伏していた家屋の扉だ。他の仲間たちは、ロックたちが来るのを待っている。
 トニーは鼻をすすると、その中へ飛び込んだ。ロックも敵の一人を斬り捨ててから、それに続く。
 ロックが最後の一人だった。中に転がり込んだのと同時に、待機していた仲間が扉を閉め、素早く閂をかける。次の刹那、扉に体当たりする音が響いた。もちろん、一撃くらいでは扉はビクともしない。
 だが、即座に近くの窓が割られた。ダクダバッド兵たちは扉が無理らしいと判断し、そこから侵入するつもりなのだ。長くここへは留まっていられなかった。
「みんな、打ち合わせ通り、各自で判断して逃げろ! また生きて会おうぜ!」
 ロックは仲間たちに言った。皆、うなずく。そして、すぐに裏口から脱出した。
「オレたちも行くぞ!」
 ロックはベソをかいているトニーを強引に立たせると、最後に外へ出た。
「追え! 逃がすな!」
 後ろから怒号に似たダクダバッド兵たちの声が聞こえた。裏口へ回って、ロックたちを追いかけてきている者もいる。ロックとトニーは無我夢中で走った。
 追っ手の人数は多かったが、重装備のダクダバッド兵に比べ、ロックたちの服装は身軽だった。狭い路地では馬を乗り入れることも出来ず、そのため、徐々に両者の距離は開いていく。作戦は失敗だったが、どうやらうまく逃げ切れそうだ。
 そうロックが思った刹那だった。不意に頭上から女の声がしたのは。
「見〜つけた! いたよ! こっちこっち!」
 ロックは空を仰いだ。すると路地に連なる家屋の屋根を、小さな女の子が跳びはねながらロックたちを追いかけているのが見える。それはセリカ直属の配下、女ホビットのベルだった。
 ベルの声は、ロックたちを見失いかけていたダクダバッド兵たちを誘導した。一度は遠ざかったはずの足音が迫ってくる。ロックはほぞを噛んだ。
「クソッ!」
 ロックはベルを忌々しく思ったが、ここからでは屋根の上の相手に対し何もできない。ただ、ひたすらに逃げるしかなかった。
 だが、どこへ逃げようとも、ベルはしっかりと追いかけてきた。ダクダバッド兵たちが引き離されようとすると、ちゃんとこちらの位置を知らせる。これではいくら逃げても同じだ。
「兄貴ぃ、もう逃げられねえよ」
 一緒に逃げているトニーが弱音を吐いた。走り続けたせいで、もう顎も上がっている。スピードも明らかに落ちていた。
「しっかりしろ、トニー! 捕まったら終わりだぞ!」
 ロックは懸命にトニーを鼓舞した。しかし、いくら走ってもベルを巻くことは出来ない。いよいよ年貢の納めどきが来たか。
「ロックさん、危ない! 上!」
 突然、危険を知らせる声がして、ロックは反射的に上を見た。すると太陽の逆光の中に、スラリと立つ人影が。次の瞬間、その逆光の中から一本の矢が飛び出した。
 シュッ!
「ぐっ!」
 ロックの左腕に矢が突き刺さった。もし、危険を知らせてくれた声がなかったら、とっさに動くことも出来ず、心臓を射抜かれていたかもしれない。ロックは路地の壁にぶつかるようにして倒れた。
「兄貴!」
 ロックが倒れたのを見て、トニーは青くなって立ち止まった。戻って、ロックを助けようとする。
 そこへ二本目の矢がロックに向けて放たれた。
 トニーよりも早く、倒れているロックへ覆い被さるようにし、なおかつ身体を回転させながら助けた者が現れた。矢は外れ、地面に突き刺さる。その命の恩人の顔を見て、ロックは驚いた。
「お前……!?」
「よかった。間に合いました」
 安堵の笑みを見せたのは、一週間ほど前、リブロの村からやって来た少年、アレスだった。新参者の少年は、ロックと共に急いで路地の陰に身を隠す。それはうまく狙撃者の死角となり、次の攻撃を中断させた。
「どうして、ここへ!?」
 アレスが解放軍へ加わったことはロックも知っている。だが、アレスは男爵の預かりとなり、ロックの下では働いていない。今回の作戦はロックたち一部が独断で起こした行動であり、男爵やアレスがこのことを知っているはずはなかった。
 困惑気味のロックに、アレスは少し得意げな顔を見せた。
「男爵からの指示です。多分、ロックさんが危ないだろうから気をつけるようにって」
「オレが? 危ない?」
 喋っている間にも、アレスは屋根の上の襲撃者を警戒していた。この数日、いろいろなことを男爵から教わり、驚くべき早さで吸収しているのだろう。十五歳の少年は、すでに一端の戦士だ。
「男爵が言うには──と、今はそんなことを説明している場合じゃないみたいですね」
 再び屋根の上に襲撃者の影が見えた。アレスはロックを立たせようとする。
「走れますか?」
「ああ」
 ロックは左腕に刺さった矢を抜くと、歯を食いしばった。
「あ、兄貴〜」
 どこからか、心配するトニーの声が聞こえた。 「トニー、お前は一人で逃げろ!」  ロックは命令した。このまま固まっていたら、トニーも殺されてしまう。 「で、でも、兄貴ぃ……」 「いいから、言うとおりにしろ!」  ロックは怒鳴った。そこへ新たな矢が飛んでくる。アレスがロックの身を屈めさせた。 「ロックさん、僕らも!」 「分かっている!」  無事にトニーが逃げおおせてくれることを祈りながら、ロックはアレスと共に路地を走り始めた。アレスの言ったとおり、襲撃者は完全にロックを標的としているらしく、屋根の上を移動する音が後から続いている。
「もう、マハールったら外しちゃって! 何やってんの!?」
 女ホビットのベルがキーッと歯をむき出しにした。ロックを狙撃しているのは、蛮族の青年マハールだ。マハールはガリガリに痩せ細った身体で屋根の上を移動し、再度、ロックを追いかける。その動きは俊敏なコヨーテを思わせた。
 逃げても逃げても、ベルとマハールは追いかけてきた。危ないところをアレスに助けられたとは言え、ピンチに変わりはない。
「おい、小僧。オレのことなど放っておいて、一人で逃げろ」
 ロックは隣で支えてくれる少年に言った。言葉は乱暴だが、アレスのことを思ってのことだ。
 しかし、アレスは従わなかった。
「もう少しです。そうすれば、多分、あのひとが……」
「あのひと?」
 ロックが負傷したことによって、ダクダバッド兵たちも追いつきつつあった。まさに前門の虎、後門の狼。
 しかし、ロックたちを追いかけていたマハールの足が、不意に止まった。それに気づいたベルが怪訝そうな顔をする。
 二人の行く手に一人の男が立っていた。
 ここは屋根の上。身の軽いホビットや身体能力に優れた蛮族の青年ならいざ知らず、普通の者がおいそれと登れるところではない。
 だが、その男はマハールの行く手を塞いでいた。銀色の竪琴を手にしながら。
「誰!?」
 マハールの代わりに、ベルが誰何した。銀色の竪琴を持った男は、全身黒ずくめという出で立ちだ。黒い旅帽子<トラベラーズ・ハット>に、黒いマント。その下の旅装束も黒一色に統一されている。
 黒ずくめの男の顔が旅帽子<トラベラーズ・ハット>の下から覗いた。服装に反して、色白の美しい顔。女のように長く伸ばした黒髪が風になびいた。
 その男こそ──
「オレの名はウィル。ただの吟遊詩人だ」


<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→