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吟遊詩人ウィル

叛乱の挽歌

7.屋根の上の怪人たち

 名乗りを上げたウィルに対し、マハールとベルの二人は身構えた。ただの吟遊詩人が、なぜわざわざ屋根の上に登って、ダクダバッド軍である彼らの邪魔をするのか。
「ちょっと、何よ、アンタ!」
 女ホビットのベルが不機嫌な声を上げた。もう少しでロックたちを追いつめられるところだったのに。
 そのロックたちも追っ手の足が止まったことに気づいた。
「あれは……!?」
 振り返ったロックは、屋根の上に立つ黒衣の吟遊詩人の姿を認めた。
「ウィルさんですよ」
 即座に隣にいたアレスが答える。ロックは驚きに目を見張った。
「ウィルだと!? あの吟遊詩人が!? 一体全体どうして!?」
 ウィルのことはロックも知っていた。一ヶ月ほど前、突然、ロックたち解放軍の前に現れた吟遊詩人だ。これが本当に同じ男なのかと疑わしくなるくらい、恐ろしいほどの美貌の持ち主であるウィルは、いきなり、「お前たちの歌が作りたい」と言い出し、帯同を申し出たのである。
 当然、ロックは反対した。素性も分からぬ流れ者である。ダクダバッド側のスパイという可能性も否めないからだ。しかし、そこに居合わせた男爵は、どうも一目でウィルのことを気に入ったようで、あっさりと了承してしまった。
 かくして、この美しき吟遊詩人は解放軍のアジトの片隅で、日夜、歌作りに勤しんでいたのである。特に妙な動きを見せることはなく、解放軍の作戦に口を挟んでくるようなこともしてこないので、最近はロックも黙認してきたのだが──
「男爵が僕と一緒にロックさんを助けるよう頼んだんです」
 逃亡中につき、アレスは手短に説明した。ロックは耳を疑う。
「男爵が!?」
 少年ながら剣を扱えるアレスを差し向けたのは、まだ分からなくもない。だが、剣の腕前のほども分からぬ一介の吟遊詩人に助っ人を頼んで、何とするのか。ロックはいつものことながら、男爵が何を考えているのか、さっぱり分からなかった。
 そのロックを救出に来たウィルは、マハールとベルを、これ以上、行かせないというよりは、むしろ飄然と立ち尽くすだけであった。まるで、これから一曲弾こうかとでもいうように。戦いの緊張感など微塵も感じられない。
 自分たちのことなど眼中になさそうなウィルの態度に、ベルは拍子抜けした。
「やる気あるの?」
「一応は、な」
 ウィルはむっつりと言った。冗談ではないらしい。
「両国の争いに首を突っ込むつもりはなかったが、この身を置かせてもらっている以上、少しは働かないと外へ放り出されそうなのでな。悪いが、ここで引き返してもらえると助かる」
「それ、本気で言っているわけ?」
「無論だ」
「じゃあ、アンタを敵と見なして、ここで殺されても文句ないわね?」
 その言葉を言い終わらぬうちに、ベルはいきなり動いた。ウィルがそちらへ気を取られる隙に、素早くマハールが弓矢を射かける。迅速の矢はウィルの心臓を狙っていた。
 呆気なく終わるかと思われた刹那、ウィルはマントをはねのけた。そのマントに飛来した矢が弾かれる。驚異の神技。マハールの矢を見切っていなければできない芸当だ。
「ウソ〜ぉ!?」
 ベルが目を剥いたのも無理はない。そんなことをして見せた人間に、これまでお目に掛かったことなどなかった。
 一方、放った矢を弾かれたマハールは、まったく顔色を変えなかった。この蛮族出身の青年も、感情らしい感情を持っているのか怪しいものだ。ウィルの超技に動じることなく、続けざまに弓矢を連射した。
 今度は三本の矢がウィルに襲いかかった。ウィルは右手を振り上げる。
「ヴァイツァー!」
 突如、ウィルを中心として突風が巻き起こった。マハールの矢は、その強風の影響を受けて、空高く舞い上げられてしまう。ベルは呆気に取られたように、大口を開けて天を仰いだ。
「この男……魔法使いなの?」
 地・水・火・風などの精霊を使役する魔法を白魔術<サモン・エレメンタル>と呼ぶ。今、ウィルが使った魔法は、風の精霊<シルフ>の力を解放したものであった。
 しかし、ウィルの魔法は三本の矢を無力化しただけに終わらなかった。
「──っ!?」
 上を見上げていたベルは、マハールの矢が落ちてくるのを捉えた。次の瞬間、それらが自分とマハールへ向けて飛んできているのだと悟り、背筋が凍りつく。
「危ない、マハール!」
 ベルは仲間に警告しつつ、慌てて飛び退いた。マハールも反射的に避ける。
 一瞬の後、矢は二人が立っていた場所に突き立った。矢の行方を気にしていなかったら、きっと貫かれていたに違いない。
 これもウィルが使った魔法のしわざ。ベルは敢然と立ちふさがる黒衣の美青年に戦慄を覚えた。
 吟遊詩人ウィル、恐るべし。
 その間に、ロックを追って路地に殺到したダクダバッド兵たちが駆け込んできた。屋根の上でベルたちと黒い美影身が対峙しているのを見つけて、一同がどよめく。
「アンタたちはとっととあいつを追って! あっちへ逃げたわ!」
 立ち止まりかけた兵士たちに、ベルは指示を出した。一見すると小さな女の子にしか見えないホビット族だが、スカルダ将軍の補佐として着任したセリカに厳命されているのだろう、兵士たちは従順に動く。ダクダバッド側の目的は、あくまでもロックなのだ。
 そんなダクダバッド兵の動きに、ウィルは反応した。
「ヴィド・ブライム!」
 ロックたちを追いかけようとするダクダバッド兵たちへ向けて、巨大な火球が作り出された。火の精霊<サラマンダー>の力を借りたファイヤー・ボールだ。それはウィルの眼前で見る間に膨れ上がる。
 白魔術<サモン・エレメンタル>の中でも恐ろしい攻撃破壊魔法を目の当たりにし、ダクダバッド兵たちは硬直した。あれを撃ち込まれたら、ひとたまりもない。その恐怖がパニックを引き起こし、前は立ち止まり、後ろは押しかけて、狭い路地に固まってしまう。
 ドン!
 ファイヤー・ボールが発射された。しかし、その狙いはダクダバッド兵たちではなかった。その先に建てられた家屋の屋根だ。着弾したファイヤー・ボールは轟音とともに屋根を吹き飛ばした。
「うわああああああっ!」
 破壊された建物の瓦礫がダクダバッド兵たちへ崩れてきた。ここに至って、ようやく呪縛が解けたかのように、兵士たちは後方へ逃げ出す。間一髪、退避に成功し、誰も生き埋めにならずに済んだ。
 だが、崩れた瓦礫は路地を完全に塞いでいた。これではロックを追うことが出来ない。ベルは悔しさに唇を噛んだ。
「小癪なマネを!」
 ウィルがファイヤー・ボールを兵たちの中心へ撃ち込まなかったのは、おそらくわざとに違いない。やろうと思えば、簡単に出来たはずだ。無用な犠牲を出さずに、兵たちを足止めする。その心憎いやり口に、ベルはこの男の底知れなさを垣間見た気がした。
 しかし、そのウィルへ果敢にも戦いを挑む者がいた。マハールだ。
 ウィルがダクダバッド兵たちに気を取られている隙に、マハールは一気に間合いを詰めた。弓矢を捨て、腰の後ろに下げていた鉈のような山刀を手にすると、強靱な跳躍力を見せる。
 ウィルは跳んだマハールを見上げた。だが、そこへ丁度、太陽の光が重なる。マハールの狙いは、まさにそれ。ウィルは思わず眩しさに眼を細めた。
 太陽を背に、マハールが襲いかかった。山刀を逆手にして振り下ろす。ベルは仕留めたと思い、舌なめずりをした。
 ところがウィルはとっさに左腕を出し、マハールの一撃を防いだ。山刀を振り下ろしたマハールの右手を左腕がガッチリと受け止める。鈍色の刃は旅帽子<トラベラーズ・ハット>の手前で止まり、わずかに届かなかった。
 ウィルとマハールは、互いに弾かれたように離れた。マハールの逆光を利用した攻撃も見事なら、それを凌ぎきったウィルも見事。どちらも屋根の上という足場の悪さを感じさせなかった。
 ベルも自ら短刀<ダガー>を抜いた。ウィルの魔法は厄介だが、呪文を唱えさせないよう接近戦に持ち込めば勝機があるかも知れない。そのためにマハールと連携を取るつもりだった。
 マハールもベルの意図を汲み取ったのだろう。再び山刀でウィルに仕掛けた。手足の長いリーチを活かして、山刀を振るう。
 白魔術<サモン・エレメンタル>の使い手である吟遊詩人の腰には、護身用と思われる短剣<ショート・ソード>が装備されていた。しかし、それを抜こうという仕種をまったく見せない。あくまでも素手で相手をしようというのか。
 ウィルの黒いマントがひるがえった。マハールは視界を遮られて、幻惑される。無闇に山刀を突き出してみるものの、ウィルとの距離感を狂わされた。
 そこへベルが助太刀に来た。
「これだけ近づけば、魔法なんか!」
 ベルはホビット族特有の身軽さ、すばしっこさで、ウィルに斬りかかった。そのベルにも吟遊詩人の黒いマントが覆い被さる。
「うわっぷ!」
 一瞬、闇の中に囚われそうになり、ベルは攻撃を中断した。その間に、マハールが後ろへ回り込もうとする。
 ウィルの身体がくるりと回転した。その手がマハールの山刀を持った右の手首をつかむ。当然、マハールは振りほどこうとしたが、ウィルはそれを許さなかった。
 一体、どこにそんな膂力があるというのか。二人とも細身の体型をしているが、マハールが全身バネと筋肉なのに対し、ウィルはいささかの鍛練も積んでいないように見える。それなのに、マハールの手首をつかむウィルの握力は凄まじかった。
「えいっ!」
 挟み撃ちにしようとしたベルが、再びウィルに斬りかかった。ウィルはマハールの腕をグイッと引くと、その蛮族の青年の山刀でベルの短刀<ダガー>を弾き返す。相手の武器を利用するとは。そのとっさの判断と技量に、ベルは舌を巻いた。
 ウィルはそのまま遠心力を利用して、マハールの身体を投げた。マハールは踏みとどまれず、ベルにぶつかる。
「キャッ!」
 体の小さなベルにはたまったものではなかった。吹き飛ばされて、屋根から転げ落ちそうになる。何とか持ち直したのは、ホビット族ならではの身のこなしだった。
「ここまでだ」
 マハールとベルを翻弄したウィルは、突然、冷たく言い放った。何を意味したものか、一瞬、ベルには分からない。
 次の刹那、ウィルは三つ目の呪文を唱えていた。
「ディノン!」
 ウィルの手から魔法の光弾が迸った。マジック・ミサイルだ。
 二発のマジック・ミサイルは、マハールとベル、それぞれに命中した。五体をバラバラにされそうな衝撃に、二人は身体をくの字に折り曲げる。
「はうっ!」
 ベルは意識が飛びそうになった。魔法をかけられたときは、意識を強く持って自らの魔力を高め、抵抗を試みるといいというが、そんなに生易しいことではない。ベルは屋根の上に倒れ込み、悶絶した。
 次にベルが目を開けたのは、マハールに助け起こされたときだった。マハールの顔にもダメージの色が濃いが、多少はレジストに成功したようである。ベルはどうやら自分が気絶したようだと知り、慌てて飛び起きた。
「あいつは?」
 ベルの問いに、マハールは静かに首を横に振った。
 吟遊詩人ウィルの姿は忽然と消えていた。そして、ロックたちにもまんまと逃げられてしまったのだった。


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