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吟遊詩人ウィル

叛乱の挽歌

9.策士の顔

「兄貴!」
 十日ぶりにアジトへ戻ってきたロックの姿を出迎え、トニーは今にも泣きそうな顔で駆け寄った。ロックは出来の悪い弟分の情けない顔に苦笑を浮かべる。それはロックに付き添ったアレスも同じだった。
「何だ、トニー。そのツラは?」
「だってよお、兄貴──」
 トニーはロックに抱きつこうとしたが、左腕を包帯で吊っているのを見てやめた。ロックを負傷させたのは、未熟な自分のせいだと反省している。ロックが戻ってきた喜びも、すぐに半減してしまった。
 そんなトニーの頭をロックはクシャクシャにした。
「バカ野郎、気にすんな。このケガはオレの油断からだ。お前が気に病むことはない」
「兄貴……」
 ロックに慰められ、トニーは益々、泣きそうになった。懸命に堪えようとするが、顔は崩れてしまっている。
 そこへロックが留守の間、実戦部隊を指揮していたエバンスがやって来た。ロックの復帰に表情をやわらげる。
「どうやら、骨休みができたようだな」
「ああ。ちょっと長すぎて、体がなまっちまったんじゃないかと心配なんだが」
 実際、ロックはすぐにでも解放軍に戻りたくてうずうずしていた。それをテレサに引き止められていたのである。ロックがいくら凄んでも、テレサは平然と受け流した。まったく、とんだところに強敵がいたものだ。
「じゃあ、あとでよければ、オレが稽古の相手になってやる。その前に男爵がお呼びだ」
 エバンスに促され、ロックとアレスは男爵の部屋へ赴いた。トニーは大部屋で待機だ。まだ解放軍に参加して間もないトニーは、一度も男爵の顔を拝んだことがない。
「よく戻ってくれましたね、ロック」
 部屋に入ると、男爵が椅子から立ち上がって、ロックをねぎらった。その近くには黒衣の吟遊詩人ウィルもいる。ウィルは椅子に座ったまま、チラリと視線を投げただけだった。
「申し訳ありません、男爵。勝手な行動を取ってしまい……」
 男爵の指示に従わず、視察に出たスカルダ将軍を襲ったことをロックは詫びた。結局、あのスカルダ将軍はニセモノであり、解放軍のリーダーを狙ったダクダバッド軍の罠だったのだ。幸い、ロックたちは大きな損害を被ることなく逃げおおせたが、一歩間違えば一網打尽にされていただろう。命令違反を犯したそしりは免れないと、ロックは覚悟していた。
 ところが、男爵はロックを叱責するようなことはしなかった。元々、温厚な人物である。これまでにもミスした者を責めるようなことは一切していない。ロックに対しても同じだった。
「いや、あなたがおそらく動くであろうことは、私の予想の範疇でした。もし、あなたを本当に止めるつもりなら、もっと厳重に注意していたでしょう」
 それは、スカルダ将軍を襲うことを禁じておきながら、あえてロックにそう仕向けたということだろうか。ロックはこの何を考えているのか分からない男の顔を凝視した。
「それに、あなたのおかげで、どうやら敵の狙いが私であるらしいと分かりました。きっと、あの総督に知恵をつけた何者かが、ダクダバッドの本国から配属されたのでしょう。こんなケレン味のあるやり方は、前総督のコールギン将軍ならばともかく、スカルダ将軍やその部下たちが考えつくとは思えませんからね。ついでに、恐ろしい手練れの配下も連れて来たようで、これまで以上に手強くなりそうです」
 恐ろしい手練れとは、マハールと呼ばれていた蛮族の青年と女ホビットのことに違いなかった。そのことはアレスから報告済みだ。確かに、彼らは駐留しているダクダバッド兵とは異なる。もし、ウィルが助けに現れなければ、今頃、ロックの命はなかったかもしれない。
「そこで、ロックも帰ってきたことですし、例の計画を実行に移すことにしました」
「──っ!」
「例の……計画?」
 男爵の言葉を聞いて、ロックとエバンスはハッとし、アレスは何のことかさっぱりという顔をした。もちろん、ウィルは無表情のまま。話を聞いているのかどうかも判然としない。
 男爵は少しだけ口許に笑みを浮かべた。
「はい。我々が本格的にダクダバッドの駐留軍を打倒するために必要な作戦です」
「待ってくれ、男爵!」
 ロックが男爵の言葉を遮り、血相を変えた。そして、身を乗り出すように、男爵へ顔を近づける。
「アレスはともかく、この吟遊詩人がいる前で話すつもりか!?」
 ロックは男爵の傍らに控えるウィルを指差した。ウィルはロックの抗議にも、眉一つ動かさない。男爵も涼しい顔をしていた。
「何かまずいですか?」
「まずいかって──当たり前だろ! この男はガリの人間じゃない! 流れ者の吟遊詩人だ! そんな男の前で大事な作戦のことを話すって言うのか!?」
 ウィルには命を救ってもらったが、ロックは完全に信用したわけではなかった。今はこちらの陣営に身を置いていても、明日にも敵に寝返る可能性だってある。
 だが、男爵はまったく意に介さなかった。
「ウィルはそんな男ではありません。彼はただ、私たち解放軍のことを歌にする。それだけが望みです。私は彼を信用しますよ」
「しかし──!」
「もし、ウィルが裏切ったりしたら、そのときは私が責任を取ります。それでも不満ですか?」
 不満かと問われれば、その通りだった。ウィルからダクダバッドへ情報が筒抜けになれば、解放軍は壊滅状態に追い込まれるだろう。そうなれば、男爵の責任云々など関係ない。とはいえ、ロックも命令違反から、仲間たちを危険な目に遭わせた負い目がある。今、必要以上に男爵に逆らうわけにもいかなかった。
 多分、男爵はそんなロックの心理状態も読んでいるに違いない。失敗したばかりのロックが、強硬に反対できないことを。ロックはみすみす男爵の手口に引っかかり、胸をムカムカさせた。
「では、よろしいですね? ──皆さん、こちらの地図を見てください。特にアレス君。キミはこのジノへ来て日が浅いですから、よく頭に入れてくださいね。キミにも重要な仕事がありますから」
「はい」
 ロック、エバンス、アレスの三人は、男爵の机の上に広げられた地図を覗き込んだ。このジノの街と、その周辺について詳細に描かれたものである。それは男爵の手製で、常に最新のものに更新されていた。食い入るようにしている三人と異なり、ウィルは特に関心もないのか、そっぽを向いたままだ。
「私たちにとって足りないもの。それはダクダバッド駐留軍三千名に対することが出来る戦力です。そこで駐留軍をこの街から追い出すには、手っ取り早く戦力を整える必要があるわけですね」
「なるほど。じゃあ、一般市民に蜂起を促すんですか?」
 男爵の説明に、アレスが自らの考えを口にした。二人は出会って以来、常に教師と生徒だ。
「最終的には、そうなるだろうね。でも、満足な訓練もしていない市民が戦おうとしても、いらぬ犠牲を出すだけだ。私はムダな血を流したくないし、それで勝てるとは思っていない」
「では、どうやって?」
「戦える者を呼び戻す。ここからね」
 男爵は地図の南方を指した。ジノの南にあるガラガサ河だ。西から東へ走ったガラガサ河には中洲がある。そこに小さな砦が築かれていた。
「ここは?」
「ジノの地底監獄。様々な罪人たちが収容されているところだ」
「監獄……」
「しかし、今、ここに入れられているのは、ダクダバッド軍にとっての罪人。つまり、かつてガリ公国で公王に忠誠を誓い、侵攻してきたダクダバッド軍と戦った者たちだ」
 男爵の言葉に、アレスの目が見開かれた。少年の目は眩しいくらいにキラキラと輝いている。
「それじゃあ……」
「そうだ。ここに閉じこめられている者たちを解放すれば、我々は一挙に大勢の味方を得ることになる。それこそ、駐留軍とまともにやり合えるだけの数がね。さらに一般市民の協力を得られれば、駐留軍を駆逐することは難しくないだろう」
 男爵が述べる展望に、アレスは興奮を覚えた。まさか、こんなに早くジノ解放が実現するかもしれないとは。アレスは改めて、目の前の師、男爵を尊敬してやまなかった。
 しかし、ロックとエバンスは、アレスのように素直に喜べなかった。男爵の言うとおり、地底監獄にいる戦友たちを救い出せれば、解放軍の戦力が増大することは自明の理だ。しかし、それをどう実現させるかが問題であった。
 地底監獄はガラガサ河の中洲にあり、そこへ行くには一本しかない跳ね橋を通らねばならない。一気に攻め込むにしても、跳ね橋を上げられてしまったら手出しできなくなってしまう。仮に河から舟で近づくにしても、砦の壁をよじ登ることは困難に思えた。
 男爵が地底監獄の守りについて聞かせると、アレスの表情も強張ってきた。いかに攻略が容易でないか、理解したのだ。
 すると男爵は、難問に頭を悩ます生徒に、とっておきのヒントを出すように問いかけた。
「アレス君。キミだったら、どうやって地下にいる囚人たちを救い出すかね?」
「……分かりません。入口は一カ所だけ。例え、少ない人数で侵入できても、全員を外へ連れ出すのは容易じゃありませんし」
「そうだ。そのことを頭に入れて、考えるといい。この監獄の特徴を踏まえて、ちょっと発想を変えてやればいいんだ」
「発想を変える?」
 そうは言われても、アレスには分からなかった。しかし、男爵には確実に何か奇抜なアイデアがある。それだけは間違いなかった。


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