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「今日はオレのおごりですよ! ジャンジャン飲んでください!」
トニーはエールが注がれたジョッキを、中身がこぼれそうなくらい高く掲げて言った。その言葉に偽りはないようで、アジトの大部屋にはエールが樽ごと運び込まれ、テーブルの上には香ばしい匂いのする鶏の丸焼きなど、豪勢な料理が所狭しと並べられている。それらを目の当たりにして、ロックとエバンスは驚いた。
「どうしたんだ、こんなに」
「へへ、昔からの知り合いに頼みましてね」
トニーは得意げだった。すべてはロックの快気祝いに用意したものだ。ロックのケガに責任を感じていたトニーにとっては、せめてもの罪滅ぼしのつもりだったに違いない。
しかし、ダクダバッドの占領下である今、あまり派手な行動を取るのは考え物であった。何から怪しいと勘づかれて、解放軍のアジトが露見するとも限らないからである。もし、ここに男爵がいれば、トニーの軽はずみな行為を見咎めていたことだろう。
幸いにも、男爵はすでに吟遊詩人のウィルとアレス少年を伴って、新しいアジトへと移っていた。ダクダバッド軍が解放軍のリーダーたる男爵に狙いを定めてきた感があるためだ。新しいアジトの場所は実戦部隊の長たるロックやエバンスにも秘密にされている。今後の指示や連絡等はアレスを介して行うと決められていた。
だからというわけではないが、ロックは細かいことをトニーに言うつもりはなかった。トニーとしてみれば、ロックのために良かれと思ってやったことだ。その気持ちを無碍にはできない。
ロックはトニーによってエールを注がれたジョッキを手に取った。この場に集った十二名の仲間たちの顔を見渡す。
「せっかくトニーが用意してくれたんだ。今夜は心置きなく飲もうか」
その言葉に仲間たちも相好を崩し、銘々、ジョッキを掲げた。ロックが乾杯の音頭をとる。
「祖国のために!」
「祖国のために!」
唱和とともにジョッキが打ち鳴らされ、ロックたちはエールを喉へ流し込んだ。ほとんどの者が一気に空にしてしまう。
あとは酒宴に雪崩れ込んだ。大いに飲み、大いに食べる。ずっとダクダバッド軍の目を気にし、息を殺して過ごしてきたせいか、久しぶりに口にする酒は非常にうまく、なおかつ酔いの回りも早いような気がした。
ところが、楽しいほろ酔い気分も、思わぬ闖入者によって一気に覚めた。
「どけ! 下っ端のお前じゃ話にならん!」
初めは、そんな怒声からだった。部屋の外で、それを必死に押しとどめようとする声が続いたあと、ガタンと扉に何かがぶち当たる音が響く。皆、何事かと入口を注視した。
すぐに扉が開いた。同時に見張りに立っていたはずの仲間が後ろ向きに転がり込んでくる。その奥から、のそりと大きな巨体が現れた。
「悪いな。ちょっと邪魔させてもらうぜ」
言葉とは裏腹に、まったく悪びれていない口調だった。人相の良くない大男は、中にいたロックたちを見て、ニヤリとする。背中には常人の膂力ではとても持てそうにない巨大な段平が。それを見た何人かは即座に剣を抜こうとした。
「待て」
仲間たちの先頭に立ち、ロックが軽く制止した。トニーに勧められるまま、エールをしこたま飲んだはずだが、動きはいつも通りで、言葉も明瞭である。そんな兄貴分の姿に、トニーは、さすがだ、と感嘆した。
ロックは大男と対峙した。
「酒場を探しているなら、他を当たってくれ。オレたちはただ、友人同士で飲んでいるだけだ」
喋る間、ロックは一度も視線を逸らさなかった。だが、大男はロックの言葉など信用していないのか、ニヤニヤするばかりだ。
「余所者は爪弾きかい? 冷たいねえ、ガリの人間は」
「何だと!?」
聞き捨てならなかった一人が憤った。それを今度はエバンスが抑える。ロックは少し斜めから大男を見上げた。
「見たところ、流れ者の傭兵のようだが」
「その通り。オレの名はマイン。金次第で動く傭兵だ」
マインと名乗った大男は不敵に笑った。
「その傭兵がこんなところに何の用だ? 戦争なら、とっくに終わっちまったぞ」
とはロック。決して警戒は怠らない。
「ここは解放軍のアジトなんだろ?」
さらりと言ってのけたマインに、ロックとエバンス以外の者たちが剣に手をかけた。ダクダバッド軍の刺客か。そんなことが頭によぎる。
ところが、マインは殺気立つ連中にも身構えるようなことはしなかった。それくらいの剛胆さがなければ、単身、ここへ足を踏み入れまい。
ロックは知らず知らずのうちに、このマインという男を値踏みしていた。
「解放軍? さあ、知らないな。それこそ、他を当たっちゃどうだ?」
ロックはわざとしらばっくれた。マインの素性が分からない以上、簡単にこちらの正体を明かすわけにもいかない。確かに流れ者の傭兵らしいが、ダクダバッドに雇われた可能性も否めなかった。
マインは背負っていた段平をおもむろに下ろした。警戒した一同の輪が少し大きくなる。しかし、マインは段平を鞘から抜こうとはしなかった。
「いいのか? オレほどの傭兵を買わないで。これでも、半年前にはガリ側の傭兵として戦って、ダクダバッドの傭兵団を壊滅させたんだぜ」
その話はロックも聞いたことがあった。ダクダバッド共和国のコールギン将軍は自分の配下だけではなく、自国や他国から傭兵も募って、ガリ公国に攻め入った。その傭兵団はかなりの手練れ揃いだったという。だが、ある夜、ジノの東方に広がるビシュナの森で奇襲に遭い、全滅したと伝えられている。当時はあの傭兵団をよくも壊滅できたものだと、ロックたちの間では語りぐさになっていた。
その立て役者の一人が、このマインだというのか。だとすれば、ロックたちの味方として、これほど心強いものはない。
しかし、それでも完全に信用は出来なかった。
「そんな勲章があるなら、胸を張って故郷に凱旋でもしたらどうだ? さぞや英雄扱いされるだろうよ」
ロックには、まだマインの真意が見えなかった。本当に自分の腕を買ってもらいたいだけなのか。
マインは無精ヒゲの目立つ顎を撫でた。
「確かにな。だが、肝心の報酬をもらう前にガリは負けちまった。オレはただ働きってワケだ。これじゃ、故郷にも帰れやしねえ。せっかく、またきな臭くなってきたんだ。キッチリ仕事はするからよ、たんまりと稼がせて欲しいものだな」
「………」
ロックは悩んだ。こんな怪しい男を加えるべきだろうか。実際、今は一人でも人出が欲しいのは確かだ。マインの鍛え上げられた体格や巨大な段平を見る限り、決してコケ威しということはないだろう。
もし、ここに男爵がいたならば、どうするだろうか。男爵は、素性も分からない吟遊詩人を身近に置き、まだ子供に過ぎないアレスを重用している。おそらく、マインもいくらかのリスクを承知で、登用を決めるように思えた。
マインは逡巡しているロックにしびれを切らしたらしく、眠たげな表情を作ると、段平を肩に背負った。
「どうやら、信用できねえって顔だな。いいぜ、それならそれでもよ。オレはこの足で総督閣下のお屋敷に行くだけだ」
「何だと!?」
手の平を返したような言葉に、一同は色めき立った。マインはこのアジトの場所をダクダバッド側に売るというのだ。
「まずは半年前、共に戦ったガリ側に義理立てしようと思ったが、お前らにその気がないなら、オレはあっちへ移るだけさ。なにせ、傭兵なんでね。オレは金さえもらえれば、正義も大義も関係ねえ」
嘲弄するかのようなマインの口調から、どうやら本気らしいと分かり、解放軍の男たちはバッと出口を固めた。剣を抜き、ここから一歩も外へ出さないつもりだ。
一方、マインは段平を抜く理由ができたことにほくそ笑み、腰を沈め、抜刀しようと身構えた。戦いが楽しくて仕方ないらしく、舌なめずりをする。
「待て!」
両者の動きを止めたのは、リーダーたるロックの鋭い一声だった。ロックは剣も抜かず、戦わない意思を見せながら、正面からマインに近づく。
「分かった。お前を仲間に加えよう」
「そうこなくちゃな」
右手を差し出したロックに、マインは破顔し、トニーたちは動揺を浮かべた。こんな男の力など必要ないと言いたげに。
だが、ここで不必要な騒ぎを起こすわけにはいかなかった。何より、近々、大きな作戦が迫っている。何としても、それを成功させたかった。
「オレの名はロック。悪いが、オレの指揮下に入ってもらうぞ」
「あいよ、隊長さん」
マインは売り込みが成功し、満足そうな笑みを見せた。
その後、マインも加えて、酒宴は夜遅くまで続いた。
一緒に酒を酌み交わしていたマインだが、夜も更け、多くの者たちが酔いつぶれたのを見計らうと、ちょっと小用に立つフリをして外へ出た。すでにジノの街からは明かりが消え、周囲は真っ暗である。
マインが家屋の塀に小便をしながら辺りを見回すと、不意にネコの鳴き声が聞こえた。
「待たせたな」
マインはネコに声をかけた。
「まったくだよ」
ネコも気だるそうに答える。いや──それはネコではなかった。
「それで首尾の方は?」
ネコの鳴き声を真似たのは、女ホビットのベルであった。マインに見張りがついていないか、油断なく周囲を窺う。どうやら、その心配はいらなかった。
マインは立ちションを続けながら、小さな声で喋った。
「とりあえず潜入成功ってとこだな。かなり疑われちゃあいるが、まあ、しょうがねえわな」
「で、男爵は?」
「いなかった。別の場所に移ったらしい。策を巡らすだけじゃなく、勘の方も働くようだぜ」
「ふーん、まあいいわ。セリカには私から報告しておく。何か動きがあったら、例の方法で連絡して」
「あいよ。それから雇い主にも言っておいてもらおうか。約束の金はちゃんと用意しとけって」
用を足し終え、マインはぶるぶると身体を震わせた。ベルは顔をそむける。
「そんな心配は無用よ。それよりもアンタは、連中に正体がバレないよう、せいぜい気をつけることね。それから、万が一にでも裏切ったら、私やマハール、それにジャニスが許さないわよ。いいこと?」
「へいへい。肝に銘じておくよ」
「しっ! 誰か来た! じゃあ、しっかり頼むわよ」
マインにそう言い残すと、身軽な小妖精族は夜の闇の中に姿を消した。
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