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ガリ総督、スカルダ将軍に地底監獄で暴動が発生した一報が届いたのは、完全に陥落したあとだった。
それを命がけで知らせたのは地底監獄にいた青年騎士オランだ。オランは解放軍の一隊と剣を交えながらも、それを突破し、ジノの総督府までたどり着いたのである。同時に、老騎士ブローダーの見事な最期を涙ながら総督に伝えた。
当然、スカルダは鎮圧のための軍派遣を即決した。自ら出撃するつもりで甲冑に着替える。その間に、ダクダバッドから来た副官のセリカを呼んだ。
「お呼びですか、総督」
スカルダの御前に現れたセリカは、真夜中であったにもかかわらず、すでに金色の胸鎧<ブレスト・アーマー>を装着していた。まるでこの事態を予期していたかのように。
元々、解放軍が地底監獄に目をつけているという情報を持ってきたのは、このセリカだ。決してスカルダにも仔細を語ろうとしないが、ジノへやってきて、まだひと月も経たないというのに、独自の情報網を持っているらしい。それは、これまでの情報収集では得られなかった目新しいものばかりで、それゆえスカルダはセリカの独断行動を黙認していた。
しかし、解放軍の狙いを正確に捉え、なおかつ警戒しておきながら、こうも簡単に地底監獄を奪われたことに対し、スカルダは憤りを禁じ得なかった。加えて、解放軍を指揮している男爵に、またしてもしてやられたという屈辱がともなう。スカルダは、未だ正体不明の人物、男爵に激しい憎悪を抱いた。
「なぜ、もっと早くに解放軍の動きを察知できなかった?」
スカルダの怒りは、自然とセリカに向けられた。しかし、セリカは少しも表情を変えない。むしろ平然とスカルダの言葉を受け止めていた。
「この一週間というもの、解放軍は地底監獄周辺に出没してはいましたが、具体的な行動は何一つ示していませんでした。地底監獄より戻ったオラン殿の話からも、脱走は内部での暴動によるものとか。もちろん、解放軍が手引きしたに違いありませんが、それを悟らせないよう、周辺区域で示威行動を見せることによって、我々の目を巧みに外へ向けさせていたようです。これも男爵の作戦なのでしょう」
セリカは妙に落ち着いて、分析を述べた。スカルダは苛立つ。
「では、セリカ、お前ほどの女が、男爵にしてやられた、ということを認めるのだな?」
スカルダに言われ、セリカは思いの外、あっさりと首肯した。
「はい。おそらく、男爵と知略を競っても、私程度が勝つことは難しいでしょう」
あくまでも冷静な女だった。自分の能力を必要以上に誇張するようなことはしない。負けは負けと認める潔さがあった。
しかし、だからといって、スカルダがそれを享受できるわけがなかった。解放軍の勢力が大きくなれば、ダクダバッド駐留軍は孤立無援で戦うしかなくなる。本国へ無事に帰ることは難しいだろう。
「男爵も解放軍も、そして暴動を起こした囚人たちも、我らにとっては敵。このまま手をこまねいていられん。今から軍を率いて、解放軍を蹴散らしてくれるわ!」
スカルダはマントを翻すと、出陣しようと大股で歩き出した。
「お待ちください、閣下」
セリカはそんな総督の前を遮った。スカルダが眉根を吊り上げる。
「何のマネだ、セリカ」
「今、出て行ってはなりません。夜明けまでお待ちください」
思いもよらなかったセリカの進言に、スカルダは目を見開いた。
「なんと! このまま解放軍の戦力が増強されるのを黙って見過ごせというのか!?」
「閣下、今、我々が出撃すれば、解放軍は待ち伏せておりましょう。その餌食になるだけです」
「なぜ、そう言える?」
「このジノの街の中であればともかく、一歩外へ出れば、そこは異境の地。真夜中の進軍は明かりなしで行えません。そこでヤツらは、たいまつを持って近づく我らに、矢の雨を降らせればいいのです。いえ、例え、明かりを灯していなくても、接近を知れば、同じように奇襲をかけてくるでしょう。それに対し、我々はヤツらの位置を正確に把握できておりません。今なお、地底監獄に留まっているとは限らないのです」
セリカの憂慮にスカルダは唸った。数ではまだスカルダたちに有利だが、こちらの動きを読まれ、逆に敵の位置が分からないとなれば、むざむざと殺されに行くようなものだ。とはいえ、このまま地底監獄の囚人たちを解放軍と合流させたら、これまで以上の脅威になってしまう。
「ご安心ください。夜が明けるまで、連中を地底監獄へ釘付けにしておきます」
「できるのか?」
セリカはハッタリを言わない。そのことはスカルダも分かっていたが、つい尋ねずにはいられなかった。大体、兵も動かさずに、そのような方法が存在するのか。
「お任せください」
半信半疑のスカルダに、セリカは冷笑を浮かべた。
その頃、ロックたちは地底監獄から抜け出した虜囚たち──旧ガリ公国の騎士たちと対面していた。そのリーダーであるコルナスが進み出て、解放軍を率いてきたロックやエバンスとガッチリ握手を交わす。
「コルナス殿、よくぞ、ご無事で」
「おお、お前はロック。それにエバンスか。二人とも、よく今までダクダバッドの連中相手に抵抗してくれたな。それに我々をこうして救い出してくれて」
コルナスの顔は半年に渡る獄中生活の中でかなりやつれていたが、その目にはまだ戦士としての闘志が燃えていた。他の囚人たちも同様だ。誰もが、今からでもダクダバッドを討とうという気構えに満ちている。ロックたちにとっては、この上なく心強い味方だった。
「話はあとでゆっくりと。今は少しでも時間が惜しいですから。間もなく、駐留軍の連中がここを鎮圧しに来るでしょう。早くここを立ち退いた方がいい」
ロックは総督府がある北の方角に注意しながら、コルナスたちに言った。そこはコルナスたちも心得ている。地底監獄から脱出したのは、まだ作戦の第一段階に過ぎないのだ。
このあと、鎮圧しに来た駐留軍と一戦を交え、そのままジノへ進撃し、総督府を制圧するのが彼らの目的だ。できれば、夜が明ける前までに。
コルナスたちはロックたちが運んできた武器や防具を手早く装備した。間に合わせのものだが、ないよりはいい。コルナスたちは久しぶりの戦いを前にして血がたぎった。
「トニー、駐留軍の動きは?」
見張りに立てていたトニーに、ロックは尋ねた。トニーは大きく首を横に振る。
「まだ見えません!」
「よし! コルナス殿、行きましょう!」
ロックはコルナスを促すと、やがて駆けつけるであろう駐留軍を迎え撃つため、地底監獄から離れようとした。ところが、突然、耳元で不気味な声が響き渡る。
「そうはいかぬわ」
それはしゃがれた老婆の声のように聞こえた。ロックはハッとして周囲を見渡したが、それらしき人物の姿はない。他の者も同様に声の主を捜していた。
やがて、これまで少しもそよがなかった風が吹き始めた。地底監獄に突き立てられた旧ガリ公国の青い旗が音を立ててはためく。そのうち、風は急速に強さを増し、流れる黒い雲が頭上の三日月を覆い隠した。
突然の天候の異変に、ロックたち解放軍の戦士は固唾を呑んだ。強風はやがて砂を舞い上げ、渦を巻き、跳ね橋の対岸に巨大な竜巻を作り出す。それは彼らの進路をまるで塞ぐように立ちはだかった。
「ロックさん、竜巻が──!」
トニーに言われるまでもなく、ロックたちには見えていた。このタイミングで発生した竜巻に、皆、茫然とする。そもそも、この地方で竜巻など見たこともない。エバンスがロックに耳打ちした。
「ヤバいぞ。このまま、ここで足止めを食ったら」
エバンスが言うように、おっつけ駐留軍に囲まれてしまうだろう。そうなれば真っ向から戦わなくてはならず、解放軍の数的不利が響くことになる。それは避けたいところだった。
「何とか突破できないか?」
コルナスが勇敢にも提案した。しかし、竜巻は為すすべなく立ち尽くすロックたちを嘲笑うかのように荒れ狂うばかり。その中へ突っ込むことは自殺行為だと思えた。
こういうとき、出入口が一つしかない地底監獄はアダになった。裏口の一つでもあれば、そこから出ることも可能なのだが。
「ヒッヒッヒッヒッ、どうやら、お困りのようだね」
また老婆の声がした。決して気のせいなどではない。ロックは剣を抜いた。
「この竜巻、貴様の仕業だな!? 魔術師か!?」
高位の魔術師は天候すらも自在に操るという。ロックは、あの吟遊詩人の男も同じことができるのだろうかと思った。
相変わらず姿は見せないものの、老婆の哄笑だけはいつまでも耳に残った。
「ヒッヒッヒッヒッ、うろたえるがいい、このウドの大木どもめ。この婆の恐ろしさ、とくと味わえ」
竜巻はまるで生き物のように、ロックたちの方へと向かってきた。逃げまどう男たち。ロックとエバンス、それにコルナスは、それでも踏みとどまった。
バリバリバリバリッ!
竜巻は下ろされた跳ね橋にぶつかると、その圧倒的な破壊力を見せつけた。木製とはいえ、かなりの頑強さを誇るはずの跳ね橋が、まるで板きれのようにフワッと浮いたかと思うと、今度は凄まじい渦の中でねじれ、継ぎ目から崩壊していく。地底監獄の跳ね橋は、瞬く間に分断された。
「うわあああああっ!」
竜巻は跳ね橋の木片を吹き飛ばしながら、地底監獄にいるロックたちへ襲いかかってきた。あれに取り込まれたら、人間などひとたまりもない。かといって、逃げ場などこの中洲のどこにもなかった。
「ひとまず中へ隠れろ!」
コルナスが叫んだ。地底監獄の中なら、竜巻もやりすごせるだろう。しかし、あまりにも入口が狭すぎた。今すぐ、全員を避難させるのは困難だ。
そうこうしている間に、竜巻が眼前にまで迫った。もう逃げられない。
ロックは覚悟して、歯を食いしばった。舞い上がる砂埃に目を開けていられなくなる。
やられる、と思った刹那、急に吹きつける風が消滅した。暴風の唸る音も大人しくなる。ロックはかがめていた頭を起こし、恐る恐る目を開けてみた。
「──?」
どういうわけか、竜巻はロックたちの前から忽然と消えていた。ただ跳ね橋のみを破壊して。ロックたちは、全員が同じ悪夢でも見ていたのかと疑った。
すると、また老婆の声が聞こえた。
「ヒッヒッヒッヒッ、お前たちを葬ることなど造作もないこと。命令はお前たちをここに足止めさせることだったが、ここは、もう少し楽しませてもらおうかね」
次に何が起こるのかと、ロックたちは身構えた。しかし、すぐには何も起こらない。それでも、あの恐ろしい竜巻を見せられたあとでは、単なる脅し文句だとは思えなかった。
「ギャッ!」
突然、背後でトニーの悲鳴がした。ロックたちは剣を握る手に力を込めて振り返る。そこに襲われているトニーがいた。
トニーを襲っているもの──それは人の形をしてはいたが、決して人間ではなかった。いうなれば、砂で出来た人形。そいつはトニーの後ろから腕を回し、首を絞めあげていた。
「トニー!」
ロックはすぐさま助けに行こうとした。すると、その目の前に、いきなり地面の砂が盛り上がり、人の形を為す。それはロックの前ばかりでなく、エバンスやコルナス、そして、この場にいる全員の前にそれぞれ出現した。
「さあ、私の可愛い人形たち。そいつらを始末しておしまい」
未だ姿を見せぬ老婆が、砂の人形に命令を下した。
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