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跳ね橋を破壊され、ガラガサ河の中洲にある地底監獄に取り残された格好になったロックたち解放軍は、突如、出現した砂の人形と戦うはめに陥った。
砂人形は背丈こそロックたちとそんなに変わらなかったが、体型はやけにずんぐりとしたものだった。腕も脚も丸太のようで、動きも人間ほどの俊敏さには欠けている。
しかし、そのパワーは脅威的だった。砂人形の出現にパニック状態になった男たちが、振り回した腕の餌食になり、大きく吹き飛んだ。素材は砂でも、人の形をしているときは岩のように固いらしい。その証拠に、吹き飛ばされた男たちの顔面は無惨にも砕けていた。
「みんな、慌てるな! 冷静に応戦しろ!」
囚人たちのリーダー、コルナスが大声を張り上げた。自らは長槍<ロング・スピア>を手にし、目の前の砂人形と戦っている。振り回された腕をかいくぐり、砂人形の胸に長槍<ロング・スピア>を突き立てた。
ドッ!
コルナスの長槍<ロング・スピア>は呆気なく砂人形の背中まで貫いた。その刹那、砂人形の動きが止まる。そして、かけられていた魔法が解けたかのように、砂人形は元の砂へと還っていった。
奇怪な怪物に思えた砂人形だが、コルナスの手によって、決して斃せない相手ではないことが証明された。及び腰だった者たちも、戦う勇気を取り戻す。果敢に所持した武器で勝負を挑んだ。
不死身の化け物ではないと分かれば、ガリの男たちは勇猛だった。次々に砂人形を葬っていく。血の代わりに砂があちこちに飛び散った。
「トニー!」
自分の目の前の砂人形を斬り捨て、ロックは背後から襲われているトニーを助けに走った。トニーは砂人形の太い腕に首を絞められ、失神寸前である。ロックはその後ろに回ると、砂人形の首を跳ね飛ばした。
「大丈夫か、トニー!?」
背中からかぶさるように砂が崩れるや、トニーは膝から崩れ落ちそうになった。ロックが慌てて身体を支える。トニーは苦しそうに咳き込んでいた。
「ゲホッ、ゲホッ! す、すみません、兄貴……」
またも危ないところをロックに助けられ、トニーは恐縮しきりだった。解放軍の一員にも関わらず、役に立つどころか、足を引っ張ってばかりで情けない。
そんなトニーの背中をロックはポンと叩いた。
「立て。まだ戦いの最中だぞ」
ロックからの檄を受け、トニーは慌てて立ち上がった。
だが、すでに勝負の行方は見えていた。砂人形が大したことないと分かるや、ガリの男たちは優勢に戦いを進め、一体、また一体と砂に還していく。戦ってみれば、ダクダバッド兵よりも歯ごたえのない相手だった。
やがて、すべての砂人形が駆逐された。粉々になった砂を踏みしめ、男たちは勝利の勝ち鬨を上げる。
そこへ、また、あの老婆の声が風に乗って聞こえてきた。
「ヒッヒッヒッヒッ、勇ましいことよのう。竜巻を前にして震え上がっていた同じ男どもとは思えんわ」
「黙れ! お前こそ、姿を見せずに卑怯ではないか!」
ロックが姿なき老婆に叫んだ。すると老婆はまた笑う。
「そんなにこの婆の姿が見たいかえ? ならば、見せてしんぜようぞ」
ぶわっと、再び突風が巻き起こった。足下の砂が舞い上がり、ロックたちは思わず目を覆う。老婆の嘲笑が段々と近づいてくる気がした。
「ヒッヒッヒッヒッ、それ、この婆の顔、とくと見よ」
ロックはすぐ目の前から声がしたような気がして、目をつむったまま長剣<ロング・ソード>を横薙ぎに振るった。剣は先程の砂人形同様、砂を斬っているような感触をロックの腕に伝える。手応えあり。それからロックは目を開けて確認してみた。
「ヒッヒッヒッヒッ、そんななまくらでは、この婆は斬れんよ」
ロックの眼前に、老婆が立っていた。砂の色をしたボロボロのローブを着て、頭にはフードまで被っている。そこから覗く顔は干からびたように皺々で、体中の水分が失われているかのようだ。不気味なのは、両腕の袖口から絶えず砂がこぼれ落ちていることである。
ロックは愕然とした。確かに手応えは何かを斬った感触がある。しかし、目の前の老婆はまったく平然としているではないか。まさか、この老婆の身体も砂で出来ているのかと、ロックは訝った。
姿を現した老婆に、コルナスが前に出た。油断なく老婆を窺う。
「魔術師か!?」
コルナスの問いに、老婆はひび割れたカサカサの唇を動かす。
「妖術師<ソーサラー>のジャニス。それが、この婆の名よ」
ジャニスの妖術師<ソーサラー>という返答に、取り囲む男たちの顔色が青ざめた。
妖術師<ソーサラー>は、白魔術師<メイジ>や黒魔術師<ウィザード>と違い、魔法使いではない。妖術師<ソーサラー>が用いるもの──それは魔法とは異なる秘術──呪法を基本とした妖術だ。
呪法とは呪いのことである。強烈な思念によって、物質や生物に影響を及ぼすのだ。死者が甦るアンデッド・モンスターも、この世への未練や怨念から生まれるとされる。
その仕組みは魔法のように解明されてはいないが、ただ言えるのは、人間の中には、たまに思念の力を物質に及ぼすことができる者が存在ということだ。ある研究者は、この能力が、代々、受け継がれていく事例が多いことから、異能者の家系――すなわち、“血”のなせる技だというが、少なからず例外も見受けられることもあり、真偽のほどは定かではない。いずれにせよ、生まれながらにして特異な力を持つ妖術師<ソーサラー>たちは、後天的に魔法を会得する魔術師よりも人々から忌み嫌われていた。
妖術師<ソーサラー>のジャニスを前にして、コルナスは長槍<ロング・スピア>を構え、腰を落とした。
「姿を見せたのが運の尽きだったな! 妖術を使う前に、この槍の露と消えろ!」
言うが早いか、コルナスの長槍<ロング・スピア>が、無情にも老婆の身体を刺し貫いた。怪しげな術を使われる前に仕留めるのは、対魔術師戦と同じだ。
痩せ細った老婆相手。長槍<ロング・スピア>の一撃は、ジャニスの息の根を止めるのに充分だと思われた。が──
「ヒッヒッヒッヒッ、もう終わりかえ?」
背中までコルナスの長槍<ロング・スピア>を通しながら、ジャニスは余裕の笑みを見せた。愕然としたのは、コルナスの方だ。
「バカな……!?」
矛先は背中まで貫通している。ひと刺しで命を奪えなくとも、平然と立ってはいられない深手のはずだった。コルナスは目の前のジャニスに凍りつく。これまで、大勢の敵兵に取り囲まれても死を恐れなかったコルナスが、生まれて初めて異形の存在に対する畏怖を抱いた。
そんなコルナスに、ジャニスは片目をつむった。どうやらウインクのつもりらしい。
「どれ、今度はこっちの番のようだね」
そう言うや否や、ジャニスの姿は砂に変じた。先程の砂人形と同じく、跡形もなく消えてしまう。コルナスは狼狽した。
次の刹那、コルナスの足下より砂が噴き上がるように盛り上がった。それはコルナスの背丈を越え、波しぶきのように覆い被さってくる。茫然と立ち尽くしていたコルナスは、避けることもできなかった。
「うわあああああああっ!」
コルナスはまともに砂に呑まれた。一瞬のことに、ロックたちは動くこともできない。仮に動けたとして、何が出来たであろうか。
砂の柱の中にコルナスは取り込まれた。唯一、空をつかむコルナスの手だけが見える。しかし、やがてその手からも力が失われた。
一瞬にして砂が引けると、そこにコルナスが立っていた。しかし、目は白目を剥き出しにし、口、鼻、耳という穴からは砂がこぼれている。ロックが近づこうとした途端、コルナスは倒れた。
「コルナス殿!」
ロック他、多くの戦士たちがコルナスに駆け寄った。抱き起こしたコルナスに、すでに息はなく、かつての部下たちはリーダーの死に絶句す。そんな彼らの前に砂が寄り集まり、妖術師<ソーサラー>のジャニスが再び姿を現した。
「ヒッヒッヒッヒッ、たわいもないものよのお」
ジャニスは哄笑した。ロックは剣を持つ手に怒りを込める。
「き、貴様!」
ロックは衝動的にジャニスへ斬りかかったが、またしても剣は老婆の肉体を素通りしただけに終わった。ジャニスの嘲弄はいつまでも尾を引く。
「ムダだということが、まだ分からないようだねえ。この婆の身体は砂同然。剣など役には立たないよ」
「だが、さっきの砂人形は剣で斃せた! 貴様も必ず斃せるはず!」
「笑止! これだから剣の腕に頼る能なしは困る」
「何ィ!?」
次の刹那、あちこちで砂柱が噴き上がった。そこから出現する砂人形。今度は先程よりも数が増え、ロックたちの倍はいるだろう。
「斃したのではない。一時的に砂へ戻っていただけじゃ。第一、剣で砂が斬れるわけがなかろう。砂は集まってはバラバラになり、また新たな形になる。それだけのことよ」
「くっ!」
「さあ、お前たち全員、その男と同じ末路を辿らせてやろうかね。この婆の恐ろしさをとくと思い知るがいい!」
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