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再び乱戦が始まった。
妖術師<ソーサラー>のジャニスの命により、ロックたちを数で圧倒する砂人形たちは、一斉に襲いかかった。相変わらず緩慢な動きだが、今度は一対一というわけにはいかない。例え一体の攻撃をかわしても、思いもよらぬ方向から次の二撃目が来る。多くの者たちが砂人形の餌食となっていった。
「みんな、バラバラに戦うな! 近くの者と組み、連携して戦え!」
すぐさま戦況を見て取ったエバンスが仲間に指示を出した。こういうことはロックよりもエバンスが長けている。ロックも近くのトニーと互いの背中を守り合った。
二人ずつが挟み込もうとする砂人形に対することによって、一挙に崩壊しそうだった劣勢を立て直すことが出来た。解放軍の戦士たちは迫り来る砂人形たちを次々に斬り伏せていく。仲間に背中を預けることによって、目の前の敵に集中できるようになったためだ。一体一体の砂人形は、そんなに手強い相手ではない。
だが、落ち着きを取り戻したのも束の間、すぐにそれが徒労に過ぎないことを思い知るのだった。
「ろ、ロックさん! こ、コイツら……!」
後ろにいるトニーが震えたような声を上げた。その理由は分かっている。斃していった砂人形たちが、砂へと還ったそばから、また復活しているからだ。
「ムダよ! この婆の砂人形たちは無敵さね!」
ジャニスが黄色い歯を剥き出しにして笑った。
斬っても斬っても、砂人形たちは甦ってきた。これではキリがない。やがて疲労で参っていくのは生身の人間であるロックたちの方だ。
「ど、どうします!? ロックさん!」
トニーに尋ねられても、ロックは答えようがなかった。この場をどうやって切り抜けるか。名案など簡単に浮かんでこない。
「どうやら、駐留軍の手をわずらわせる必要もないようだね。お前たちは、全員、ここで死ぬんだよ」
ガリ解放軍の苦戦を見て楽しんでいるジャニスに、ロックは一矢報いてやりたかったが、残念ながらそのような余裕はなかった。ロックの背中では、早くもトニーが音を上げ始める。
「も、もうダメです、ロックさん!」
「踏ん張れ、トニー! オレたちがあきらめたら、誰がこのガリ公国を守るんだ!?」
しかし、そのようにトニーを叱咤しながらも、ロック自身、ここが年貢の納めどきだと覚悟していた。やっと多くの同胞を取り戻し、これからダクダバッド駐留軍に反攻しようという矢先だったのに。それを思うと無念でならない。
「さあ、観念おし──むっ!?」
ジャニスがロックたちにトドメを刺そうとした、まさにそのとき。死闘が繰り広げられている頭上をひとつの影が横切った。
と、それを確かめる間もなく──
「ディル・ディノン!」
上空から無数の流れ星が走った。星空が降ってくる。否、流星に見えたものは白魔術<サモン・エレメンタル>による魔法の矢──すなわち、マジック・ミサイルだ。
シュババババババッ!
天より降り注いだ無数のマジック・ミサイルは、一瞬にしてロックたちを圧殺しようとしていた砂人形たちを正確無比に貫いた。あれだけ苦戦を強いられていた砂人形たちが、一体残らず、アッという間に全滅する。それまで戦っていた解放軍の戦士たちは、突然のことに、ただただ茫然とするしかなかった。
「何奴!?」
ジャニスだけが魔法を使った人物に気づいていた。それにつられるようにして、皆が空を見上げる。
日の出が近くなった空は、淡く青い薄衣のようなまん幕を広げていた。そこから、ふわりと舞い降りる漆黒の羽根。
それが人であると分かったとき、誰もが感嘆の吐息を漏らした。戦いの最中であることも忘れて。
その男が音もなく降り立つ姿は、神々しくすらあった。息を呑む美しさ。思わず我を忘れ、恍惚とし、時の流れを知覚しなくなる。ああ、このままずっとこの美しき男を見つめていたい。ただそれだけで幸せだと思えた。
「ほう、これは──!?」
ジャニスも何かを言いかけ、そして言葉を失った。目の前に現れた魔性の美しさに魅入られたのだ。
しかし、その空前絶後の美貌から凄絶な視線が向けられた刹那、恍惚は戦慄へと変わった。黒ずくめの痩躯から放たれる心臓を射抜くような鬼気。ジャニスは美しき魔王が降臨したのだと身が震えた。
「お前……!?」
ロックは見知っていた。エバンスも、トニーも。地底監獄に囚われていた者たちを除き、男爵の元に集った者たちは、そのアジトにて必ず一度は見かけている。そして、一度見たら絶対に忘れられない。忘れるはずがあろうか。
「悪いな。余計なマネだったか」
「ウィル……」
この絶体絶命のピンチに現れたのは美しき吟遊詩人ウィルであった。ロックが助けられたのは、これで二度目である。
ロックは絶句した。美しき吟遊詩人は、恐るべき魔法の使い手。何十人というダクダバッド兵をいとも容易く足止めさせ、蛮族の戦士や小妖精の少女を見事に翻弄して見せた実力を充分に目の当たりにしている。今とて、魔法の一撃で、ジャニスの砂人形を一瞬にして屠ったのだ。命拾いをしておきながら、誰がここで手出し無用と強がれるだろう。
ジャニスも、ベルからの報告があった魔術師が現れたのだと、警戒の念を強めた。
「お主がベルたちの邪魔をした男だね? なかなかの色男よ。この婆、年甲斐もなく心が動かされそうになったわ」
醜悪な老婆からおぞましい色目を使われたが、ウィルは何とも感じないかのように眉ひとつ動かさなかった。ただ、黒瞳の眼光だけは冷たく鋭い。
「お前は妖術師<ソーサラー>だな」
ウィルはジャニスの正体を看破していた。ジャニスはクックと笑う。
「左様。名はジャニス。故あって、セリカ殿に雇われた妖術師<ソーサラー>さね」
「ダクダバッド側の動きに変化が見えるようになったのは、やはり、お前たちのせいか」
「ほほう。見事な洞察力だね。まさか、お主がこやつらを率いている男爵とやらかい?」
「違う。オレの名はウィル。ただの吟遊詩人だ。今のは男爵の受け売りに過ぎない」
「そうかい。益々、男爵という輩の顔を拝みたくなったね」
「それは無理な相談だな」
「なぜだい?」
「お前はここで斃される運命にあるからだ」
死闘の幕は、突然、上がった。マントをひるがえすウィル。右手がジャニスに向かって突き出された。
「ディロ!」
単発のマジック・ミサイルが小さな老婆の身体を貫いた。華麗で非情なる先制攻撃。ジャニスには避ける間もなかった。
だが、マジック・ミサイルが着弾するや、ジャニスの身体は呆気なく崩れ去った。マジック・ミサイルに人間を蒸発させるほどの威力はない。それなのにジャニスは跡形もなく消えた。
「ヒッヒッヒッヒッ、ムダよ!」
コルナスのときと同じく、ジャニスの肉体は砂同然であった。姿が消えたにもかかわらず、声はどこからともなく聞こえてくる。
「この婆には剣も魔法も通用せん。これだけの色男を殺すのはもったいないが、死ぬのはお主の方よ」
ジャニスがそう言うや否や、ウィルの四方からドッと砂柱が噴き上がった。それは一瞬にして砂人形と化す。ウィルは囲まれた。
四体の砂人形が、一斉にウィルへ襲いかかった。猛牛をも一撃で殴り殺す硬い砂の拳が振り上げられる。
しかし、この美しき吟遊詩人は少しも慌てなかった。軽く身を沈めるや、その場で回転しつつ、バッ、とマントを広げて振り払う。真上から見れば、あでやかな黒い花が咲いたようだ。
単なる旅装束のマントに過ぎないものが、ウィルの驚嘆すべき技量によって刃へと変じた。取り囲んだ砂人形たちを一閃して薙ぎ払う。振り上げられた砂の拳は途中で止まり、砂人形たちは芥<あくた>としてこぼれ落ちるように地面へ還った。
ホッと息をつくのも束の間、一際大きな砂柱がウィルの背後から噴出した。多くの者たちは、それを見てギョッとする。砂柱がまるでヘビのように鎌首をもたげ、ウィルの頭上から襲いかかったからだ。
ウィルはそれを軽く跳躍するようにしてかわした。砂の大蛇は、ウィルがいた地面へと頭から没する。しかし、すぐにまた姿を現し、黒衣の吟遊詩人を執拗に狙った。
砂漠にはサンドウォームという巨大で凶悪なミミズに似たモンスターがいるが、このジャニスが作り出した砂の大蛇は、それを彷彿とさせた。逃げるウィルを地中から、はたまた頭上から呑み込もうと追いかける。ウィルの命運もここまでかと思われた。
否──
「バリウス!」
ウィルは振り向きざま、聖魔術<ホーリー・マジック>の攻撃呪文を唱えた。目には見えない真空の刃が背後に迫っていた砂の大蛇を切り刻む。風に砂が撒き散らされ、ジャニスの下僕は粉微塵と化して消滅した。
「やるね。だが、いつまで魔法を撃ち続けられるか」
ジャニスの声がウィルを揶揄した。確かに、砂人形らはいくらでも復活し、その数でも圧することができるが、たった一人のウィルがそれに抗い続けるには限度がある。形のない砂に対するということは、幻と戦っているようなものだ。
それでも、この沈着冷静で、麗しき美貌を少しも崩さない吟遊詩人は焦らなかった。こんな状況の中にも、勝機はある、と言いたげに。
「ディロ!」
再びウィルがマジック・ミサイルを撃った。しかし、それはまるで見当違いの方向で、まったくのムダ弾に思える。マジック・ミサイルは砂がばらまかれた何の変哲もない地面に吸い込まれた。
「ギャアアアアアアアッ!」
その刹那、おぞましい絶叫が迸った。老婆の悲鳴。すると、マジック・ミサイルが着弾した地面より、ジャニスが飛び出してきた。
「あひいいいいいいっ!」
ジャニスは地面を転げ回った。どうやら、まともにウィルの攻撃魔法を喰らったらしい。ジャニスの目はカッと見開かれ、口からは舌を出し、酸素を求めるように大きく喘いだ。
「くぬううううううっ、この婆の位置を見抜きおったか!」
「今度こそ、お初にお目にかかるな」
冗談めかしたウィルの口調は辛辣だった。
ロックやウィルたちの前に姿を見せていたジャニスは、砂人形と同じ作り物だったのである。だからこそ、コルナスの槍に貫かれても、ウィルの魔法を喰らっても平然としていられたのだ。
しかし、砂を自在に操る以上、術者は必ずどこか近くに潜んでいる。それを看破したウィルこそ、驚嘆に値するといえよう。
吟遊詩人ウィル──彼こそ美しき魔人だ。
「もう許さん! 許さんぞぉ!」
手傷を負わされたジャニスは憤怒の形相で逆上した。
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