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吼えるように叫んだジャニスに呼応して、再び砂塵が視界を覆った。ジャニスの姿が見えなくなる。ウィルはマントで吹きつける砂を防いだ。
「うわああああああっ!」
砂嵐に見舞われたロックたちも、姿勢を斜めにして、耐えなければならなかった。とてもではないが目を開けていられない。砂粒が痛いほどに皮膚へ突き刺さった。
永遠に荒れ狂うかと思われた砂嵐だったが、意外と呆気なく止んだ。ようよう目を開けると、そのときすでにジャニスの姿はなし。ウィルは気配を探ったが、今度は完全に断っていた。
──と、そのとき、ウィルの足場が突如として消失した。正しくは砂地の地面が何の前触れもなく陥没したのである。ウィルは滑るように穴へと落ちた。
目の前で起きた怪現象に、ロックたちは驚愕した。何人かウィルへ近づきかけるが、穴は深くなるにつれ、その大きさも広がっていき、危うく自分たちも足を取られそうになる。むしろ安全を確保しようと後ろに下がった。
ウィルは立った姿勢のまま、穴へと吸い込まれた。ウィルの超人的な跳躍力をもってすれば脱出も簡単かに思えたが、その足が膝近くまで柔らかな砂に埋もれていては不可能である。ウィルに為す術はなかった。
それはまさしくアリ地獄だった。しかも恐ろしく巨大な。これも砂を操る妖術師<ソーサラー>、ジャニスの仕業に違いない。
だが、巨大なアリジゴクの恐怖は、それだけに終わらなかった。サラサラと砂がこぼれ落ちるアリ地獄の下を何かが生き物のように這いずり回っているのだ。その動きは傾斜しているアリ地獄の表面からも分かる。まるでウィルを獲物と見定めるようにして、砂の下で遠巻きに弧を描いていた。
バッ!
そいつはウィルの背後に回った瞬間、計ったように飛び出した。ジャニスが作り出した砂の大蛇だ。砂に足を取られて動けないウィルに襲いかかる。
飛びかかってきた砂の大蛇に対し、ウィルは身体を倒すようにしてかわした。ギリギリのところを砂の大蛇がかすめる。獲物を捕食できなかった砂の大蛇は、そのままアリ地獄の中に没した。
何とか攻撃を回避できたウィルだが、こうしてアリ地獄に捉えられている限り、窮地を脱したとは言えなかった。いずれは砂の大蛇に食われるか、アリ地獄の底へ没するか。死の砂時計を止める手段は、果たして──
再び砂の大蛇がアリ地獄の中をゾゾゾゾゾッと這い回った。今度はウィルへ向かって接近してくる。避けようもない近距離から襲うつもりだ。
だが、ウィルはそのときを待っていた。
「ヴィド・ブライム!」
ウィルは呪文を唱えた。右手に炎の塊が生まれ、一瞬にして膨れ上がる。ウィルはそれを近づいてきた砂の大蛇に投げつけた。
ドォォォォォォォン!
叩きつけられたファイヤー・ボールは、轟音とともに爆発を起こした。地中に隠れていた砂の大蛇も、この一撃はたまらない。かりそめの命を与えられた砂の怪物は、凄まじい火力の前に吹き飛んだ。
地表にいるロックたちは、足下の地面がグラリと揺れ、ふらついた。目の前のアリ地獄はまるで噴火を起こした活火山の火口のようだ。しかし、噴き上がったのは砂と火の粉だけではない。それと同時に、黒い影が宙を舞い上っていた。
「おおっ!」
ロックたちは空を見上げた。黒い影はまさしくウィル。この美しき魔人は、砂の大蛇を仕留めたファイヤー・ボールの爆風を利用して、自分の身体を吹き飛ばし、死のアリ地獄から脱出して見せたのである。
登場したときと同じく、華麗かつ優雅に、ウィルは地面に降り立った。その美しき相貌からは、先程までの窮地など、一切、感じさせない。まるで、そよ風にでも当たっていたかのようだ。
「しぶといね!」
ジャニスの歯ぎしりするような声が聞こえた。ウィルは声が聞こえた方を振り返る。すでに気配はかき消されていた。
「ならば、これはどうだい!」
ジャニスが言うや否や、周囲にばらまかれた砂が一カ所に集まり始めた。同時に風が渦を巻き始める。空気がゴーッという唸りを立てた。
「──っ!」
砂が作りだしたもの──それは見たこともない巨大な竜巻だった。天にも届きそうなほどの高さで、ねじれた姿を千変万化させる様は、それこそ大空の暴君、竜<ドラゴン>を思い起こさせる。ジャニスの竜巻は周辺の気象にも影響を与えたのか、瞬く間に暗雲がたちこめてきた。
「こ、今度こそ、本当にお終いだぁ!」
ロックの隣で竜巻を目の当たりにしたトニーが震え上がった。この凄まじい竜巻を前にすれば、誰でも足がすくむであろう。──たった一人の男を除いて。
ウィルは敢然と竜巻に立ちはだかった。
「死ね!」
憎悪に満ちたジャニスの言葉が吐き出された。竜巻は美しき吟遊詩人へ向かっていく。ウィルのマントが引きちぎられそうなくらいはためき、かぶっていた旅帽子<トラベラーズ・ハット>が彼方へと吹き飛ばされた。艶やかな黒髪が千々に乱れる。
「ヴァイツァー!」
迫り来る竜巻に対し、ウィルは風の上位精霊<ジン>の力を用いた。ウィルによって、新たな竜巻が生まれる。それは操られるままに、ジャニスの竜巻へ挑みかかった。
「風の上位精霊<ジン>か! だが、ムダよ!」
激突の瞬間、双方の竜巻は互角に見えた。が、砂混じりの竜巻は、ジャニスの思念によるものか、さらに勢力を拡大し、次にはウィルの竜巻をズタズタにしてしまう。そのとき、白魔術師<メイジ>であるウィルには、風の上位精霊<ジン>の悲鳴が聞こえた。
「だから、この婆が言うたではないか!」
ジャニスの嘲弄が強風とともに運ばれてきた。そのとき、ウィルは一瞬にして、姿を隠していたジャニスの位置を把握する。
「そこか。ヴィド・ブライム!」
ドン!
再びウィルの右手より、砂の大蛇を一蹴したファイヤー・ボールが撃たれた。巨大な火球は竜巻の最下部を直撃しようとする。だが、命中する直前、ファイヤー・ボールは高速で回転している砂の渦に阻まれ、竜巻を突き抜ける前に破裂してしまった。
「ヒッヒッヒッヒッ、残念じゃったのぉ! この婆の位置を捉えたまではよかったが」
その言葉通り、ジャニスは竜巻の中にいた。しかし、ウィルのファイヤー・ボールでさえ、そこまで届かない。ましてや、生身のまま突っ切ることは自殺行為だ。ジャニスの竜巻は、まさしく攻防一体の妖術だった。
ジャニスは近づいた。竜巻にウィルの身体が浮き上がりそうになる。かろうじて、足を踏ん張らせた。
「ベルクカザーン!」
ウィルは次の呪文を試した。青白いライトニング・ボルトが迸る。しかし、これもまたジャニスの竜巻を貫くまでには至らなかった。閃光は儚い花火のようにかき消されてしまう。
「非力よのう!」
ウィルの魔法攻撃を無力化し、ジャニスは嘲笑った。自分に手傷を負わせた、この黒衣の魔人をどう料理してやろうか、舌なめずりする。
竜巻は今やウィルの目前にまで迫っていた。
「う、うわああああああっ!」
解放軍の何人かが竜巻の起こす突風に抗えず、身体を浮かせてしまった。その途端、アッという間に宙へ巻き上げられ、猛烈な渦の中へと吸い込まれる。自分の身を守るのに精一杯の状況の中、ロックを初め、その他の仲間たちに、彼らを助ける術はなかった。
ウィルもまた限界に近かった。
「くっ……ヴィム!」
ウィルが唱えたのは飛行呪文だった。だが、その選択は誤りだったと言わざるをえないだろう。魔法の力をもってしても、ジャニスの竜巻から逃れることは出来なかった。最初からコントロールが効かず、ウィルの身体は空中にて木の葉のように翻弄される。
「ヒッヒッヒッヒッ、愚かな!」
上空に巻き上げられたウィルは、一瞬にしてジャニスの竜巻に呑み込まれた。砂に身を削られ、暴風に五体をバラバラにされそうになる。ついに美しき魔人も斃れるときが訪れたか。
そのとき、ジャニスは勝利を確信したに違いない。が、しかし──
「エスラーダ・グレイス!」
ウィルは最後の呪文を唱えた。白魔術<サモン・エレメンタル>のひとつ、絶対零度の冷却魔法だ。氷の上位精霊<フェンリル>が、ジャニスの竜巻を上から下まで駆け抜けた。
「な、なんじゃとぉ!?」
あれだけ激しく回転していたはずの竜巻が、ウィルのブリザードによってゆっくりと凍りつき、動きを止めていく。竜巻は空洞を持った巨大な氷柱へと次第に姿を変えていった。
「ば、バカな……そんなバカな!」
氷に封じ込められた砂は、もはや妖術師<ソーサラー>であるジャニスの思念に反応しなかった。ジャニスは無防備。しかも、その頭上には氷のトンネルの中に浮かぶウィルがいた。
「お前の砂だ。すべてを返そう」
そう告げると、ウィルは何もせず、上へと去っていった。ジャニスは意味が分からぬという顔をする。今、トドメを刺そうと思えば、簡単に出来たはずだ。
しかし、その必要がなかったことをジャニスはすぐに悟ることとなった。
ねじれた形で氷結した竜巻は、バランスが悪く、徐々に自らの重さに耐えられなくなった。最も脆い箇所から崩れ始める。一度、崩壊が起こると、あとは連鎖的だ。崩れた氷の塊がジャニスの頭上へと落下した。
「ギャ、ギャアアアアアアアッ!」
ジャニスはそれを目撃して、悲鳴を上げた。だが、逃げようにも周囲は氷の壁が立ちはだかっている。ジャニスは両手で叩いてみたが、もちろん、びくともしない。
「た、助けて! 助けておくれぇぇぇぇぇぇぇっ!」
ズズゥゥゥゥゥゥン!
断末魔の後、地響きとともに氷柱が崩れ落ちた。ジャニスはその下敷きとなって、息絶えたに違いない。老妖術師<ソーサラー>を滅ぼしたものは、彼女自身が用いた砂だった。
ウィルは空中で、ジャニスの最期を見届けた。竜巻が呼んだ暗雲は薄れ、代わりに東の方角より黎明の兆しがこぼれ始めている。眼下の地底監獄では、ロックたち解放軍の勇士たちが、流浪の吟遊詩人を名乗る黒き魔人を見上げていた。
「そろそろ夜が明ける。ダクダバッドの駐留軍もこちらに迫っているぞ」
ウィルは激闘を目撃して気を抜かれたようなロックたちに新たな危機を教えながら、竜巻によって吹き飛ばされ、運良く近くを漂っていた自分の旅帽子<トラベラーズ・ハット>に手を伸ばして捕まえた。
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