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吟遊詩人ウィル

叛乱の挽歌

18.束の間の祝宴

 スカルダ将軍が駐留軍を率いて地底監獄に到着したとき、すでに解放軍と囚人たちの姿はなかった。
 なにより驚いたのは、地底監獄への唯一の入口である跳ね橋が、無惨に破壊されていることであった。まるで、ここだけとてつもない嵐が襲ったかのようである。これではスカルダたちもガラガサ河を渡ることができなかった。
 念のため、地底監獄の中に身を潜めているかと警戒もしたが、それも徒労にすぎなかった。忽然と姿を消してしまった解放軍と囚人たちに、スカルダの顔は怒りに赤く染まる。
「どういうことだ、セリカ!?」
 スカルダは付き従う副官を問いただした。ところが、いつも沈着冷静なセリカが青い顔をして、言葉を発せないでいる。この状況は彼女にとっても予想外だったらしい。
「そんな……ジャニスは……ジャニスはどうしたというの?」
 セリカがうわごとのように呟いた。すると、配下の女ホビット、ベルと、蛮族の青年マハールが動く。二人は超人的な身軽さを駆使し、わずかな岩場を足がかりにガラガサ河の中州にある地底監獄へ赴くと、手早く偵察を済ませた。
「ダメだ、セリカ。ジャニスはやられている。ペシャンコさ」
 戻ってきたベルが、砂の妖術師<ソーサラー>ジャニスの死を確認した。それを聞いたセリカは愕然とする。その能力の高さでは、絶対の信頼を置いていたからだ。
 そんなセリカの様子を横目で見て、スカルダは少し憂さが晴れた。いつも彫像のように美貌を崩さないセリカも、やはり人の子であったことが分かり、劣等感を振り払うことができたからだ。とは申せ、元ガリ騎士団の囚人たちが脱走してしまったことは、今後への脅威に違いはない。
「おのれ!」
 一人、誰よりも憤りを隠せない騎士がいた。この地底監獄から脱走の急報をもたらした青年騎士オラン・ホルストだ。彼は総督府でひと息つく間もなく、スカルダに随従し、暴動を起こした囚人たちに再戦を望もうとしていたのである。それが戻ってみれば、地底監獄はもぬけの殻。これでは命を賭してオランを逃がしてくれた、老騎士ブローダーに申し訳が立たなかった。
「閣下」
 セリカがショックから立ち直りながら、スカルダに進言した。やや声がうわずっている。
「すでに彼らがここにいないということは、ジノの街へ向かったやもしれません。ここは一刻も早く引き返すのが肝要かと存じます」
 それはもっともな意見だった。今、ジノの総督府はわずかな警護の者を残してきただけで、襲撃を受けたらひとたまりもない。もし、総督府を奪われたら、駐留軍はこの旧ガリ公国にて帰る場所を失うことになる。スカルダは首肯した。
「よし、全軍、ただちに帰還する! 総督府の守りを固めるぞ!」
 スカルダは兵たちに号令を出し、ジノへ馬首を巡らせた。



 夜が明けたジノの解放軍アジトでは、作戦成功を祝う酒宴が開かれていた。ロックら、この街に留まって戦ってきた者たちはともかく、長い間、地底監獄に押し込められていた囚人たちにとっては、久しぶりの酒と温かい食事である。皆、大いに食べ、呑み、母国の歌を唄った。
 そんな喧噪から離れて、今回の作戦を立案した男爵の部屋では、ロックとエバンスが深刻な顔をしていた。他には男爵とアレス少年しかいない。
「なぜですか、男爵?」
 ロックは、もう一度、訊いた。納得できなかった。
「どうして、みんなの前に出て行って、一緒にこの勝利を祝わないんですか?」
 男爵の隣で、アレスが気遣わしげに視線を送った。今回ばかりは、ロックの意見に賛同したかったからだ。
 しかし、男爵はあくまでも腰を上げようとはしなかった。
「そういうことは、あなたに任せますよ、ロック」
「男爵!」
 ロックは男爵に詰め寄った。すでに男爵が解放軍のリーダーであることは認めざるを得ない状況だ。ロックの心情など、この際、関係なかった。千名もの囚人たちを取り返した今こそ、ダクダバッド駐留軍への反攻のときだ。
 それなのに男爵は、戻ってきた同志たちの前には姿を現したくないという。それでは志気に影響するとロックは考えていた。
 息むロックを前に、男爵は平然としていた。だが、その眼差しだけはしっかりと受け止める。
「私は裏方に徹していればいいのです。敵も、この私の正体をつかみかねて、不安を掻き立てられているに違いありません。今、私が彼らの前に出て行ったら、人相風体が多くの人に知られてしまうことになる。そうなったら、どこから秘密が漏れるか分からないじゃないですか。私はその危険を冒したくないのです」
「では、男爵は一緒に戦う仲間たちを信用できないと言うんですか!?」
「そういうわけではありません。──いや、あなたの言うように、心の中ではそう思っているのかも」
 ロックはカッとなった。目の前の男爵に殴りかかりそうになる。その握り拳を作った右手をかたわらのエバンスが止めた。
「よせ、ロック。オレたちは男爵の言うことに従おう。これまで、それでうまくやってきたのだから」
「………」
 エバンスに説き伏せられ、ロックは黙った。代わりに、いささか乱暴にエバンスの手を振り払う。近くで見ていたアレスはヒヤヒヤしていた。
 すると男爵が急に立ち上がった。
「では、私は別のアジトに移ることにします。他の皆さんも、この祝宴が終わったら、手筈どおり、各アジトへ散るように。ロック、くれぐれも頼みますよ」
「ああ」
 ロックはぶっきらぼうに応じた。
「ダクダバッド軍は、我々が街のどこかに潜伏していると睨んで、必ず捜索をするでしょう。そのとき、全員が一カ所に固まっていては危険です。我々は決起のときまで息を潜め、ひたすら待つのです。いずれ、そのときは訪れます。それも近いうちに、です」
「分かっている」
 四人は部屋を出ると、ロックとエバンスは祝宴の会場へ、男爵とアレスは密かにアジトから脱け出した。
 道々、男爵は後ろからついてくるアレス少年を振り返った。
「キミもロックと同じように、まだ納得していないような顔ですね?」
 アレスは自分の心の中を見透かされたような気がして、ハッとした。つと目をそらす。
「このまま総督府を襲撃すれば、僕等の勝利は間違いなかったんじゃないでしょうか? それなのに、どうしてまた身を隠すようなことを? 僕等はいつになったら、この国を取り戻せるんです?」
 胸の中にあったわだかまりをアレスは吐き出した。すると男爵は生徒の質問を受けた先生よろしく丁寧に答える。
「焦ってはいけないよ、アレスくん。確かに、私は地底監獄を解放して、あとからやって来る駐留軍を郊外で迎え撃つつもりだったが、それは夜が明けるまでの話だ。こちらの位置を把握できない相手を闇討ちに出来る利点があったからね。しかし、夜が明けて、まともに正面から戦うとなれば、勝てるかもしれないが、こちらの損耗も大きい。そうじゃないかい?」
 説明されてみれば、男爵の言うことはもっともだった。男爵はさらに説明を続ける。
「そして、もぬけの殻になった総督府を奪い取る案だが、これは街を戦場にして、一般の人たちを巻き込む危険性がある。なにしろ、ダクダバッド軍にとっては、遠く離れた本国を別とすれば、総督府以外に帰る場所はないのだからね。是が非でも死にもの狂いで取り返そうとするだろう。そのとき、どんな卑劣な手段を講じるか。非戦闘員を人質にし、街を焼き払うかもしれない。この国を攻め落としたコールギン将軍は、そんなことをしなかったがね。だが、もし、そういうことになったら、我々はどう戦えばいいだろう? いいかい、アレスくん。戦いは勝てばいいというものではないよ。いかにして犠牲をなくすか。そのことも考慮しておかないと」
 相も変わらず、男爵の先見の明には感心せずにいられないアレスだった。なんてすごい人なんだろう。アレスは男爵の元で、もっともっと、いろいろなことを学んでみたかった。
 できるだけ人目につかぬよう裏路地を選んで移動していたアレスたちの前に、一人の偉丈夫が背を壁にもたれかかるようにして待ちかまえていた。アレスは緊張し、腰の剣へと手を伸ばす。剣の腕前では、男爵よりもアレスの方が立つ。
 そんなアレスを男爵は制した。
「必要ありませんよ」
 偉丈夫は男爵たちに気づくと、悠然とこちらへ近づいてきた。筋骨逞しい傭兵だ。背中の大きな段平が仰々しくさえある。
「あんたが男爵だな?」
 段平の傭兵がニヤリと笑った。男爵は大丈夫だと言ったが、アレスは警戒を怠らない。何かあったら、自分が相手をして、男爵を逃がすつもりだ。
「やめとけよ、坊主。お前じゃ、オレの相手にならねえし、第一、敵意があるわけでもねえ。ただ、噂の男爵殿にお会いしたかっただけさ」
 ややからかいを含んだ口調を、傭兵──マインは崩さなかった。
「あなたでしたか。新しく入った腕利きの傭兵とは。確か、お名前はマインでしたね? 流れの傭兵の」
「久しぶりだな。薄々、そんな気はしていたんだが、本当にあんたが解放軍を率いているリーダーだったとは」
 どうやら二人は知り合いのようだった。アレスはマインに対して、胡散臭いものを拭えなかったが、渋々という感じで剣から手を離した。それを見て、マインがせせら笑う。
「たった一人の護衛。それもこれが子供と来た。不用心じゃないか?」
 やっぱりアレスは、このマインという男が好きになれそうもなかった。ロックもぶっきらぼうな性格だが、このマインはさらに他人を見下したような不快さがある。
 一人、男爵だけが穏やかな表情をしていた。
「あなたが思っているほど、この子は役立たずでも無力でもありませんよ。地底監獄からガリの騎士団を助け出せたのは、アレスくんのおかげです」
「ほう」
「毎日、地底監獄へ食事であるパンを届けていた荷馬車の少年こそ、彼の変装だったんです。そうやってパンの中に隠していた脱獄用の小道具や小型の武器、それに作戦の手筈を書いた手紙を届けさせたのですから」
 ダクダバッド軍の誰もが見抜けなかった脱獄の手助け。もちろん、男爵の策略によるものだ。このことを知っているのは、脱走に成功した囚人たちを除けば、あとはロックとエバンスと工作を行った数名しかいない。
 知らされていなかったマインは頭を掻いた。脱帽だ。
「策略で、あんたの右に出る者はいないんじゃないか、男爵?」
「さあ、それはどうでしょうか」
「──ところで、ちょっと顔を貸してもらいたいんだが?」
 マインは男爵に目配せした。アレスはそれに気づいたが、何を意味したものか分からない。ただ、男爵はそれに応じた。
「分かりました。──アレスくん、先に行っていてください。ウィルが待っているはずですから。私は彼と少し昔話をしてから行くことにします」
「で、でも……」
 アレスはためらった。するとマインが分厚い胸板をドンと叩く。
「安心しろ。オレが無事に送り届けてやっから」
「アレスくん」
 男爵の命令では従わないわけにはいかなかった。アレスは言われたとおり、一人でアジトへ向かうことにする。
 マインは男爵と二人だけになると、声を潜めるようにして、耳元で呟いた。
「さあ、行こうか。ボイド男爵」
「ええ、参りましょうか」
 二人は連れ添って歩き始めた。


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