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吟遊詩人ウィル

叛乱の挽歌

19.明日の道標

 男爵とマインは人気のない路地を選んで歩きながら、互いに声を潜めて会話を交わした。
「半年ぶり。──いえ、もう少し経っていましたか」
 確認するように男爵が言った。マインは隣でうなずく。
「ああ。このガリ公国が滅ぶ、二ヶ月ほど前だ」
「私はもう死んだのかと思っていましたよ」
「へっ。その方が、あんたには都合が良かったかな?」
「いえ、そういうわけではありません。あそこから、よく生還できたな、という意味で言ったまでです」
「オレは死なねえよ。第一、まだ成功報酬を受け取っていないからな」
「しかし、ガリは敗れました」
「関係ねえな。今は解放軍のリーダーなんだろ? 自由に使える金があるはずだ。それをよこしな」
「払いますとも。報酬をケチったという理由で、ここであなたに殺されたら、かないませんからね」
 マインの言葉の中に含まれたわずかな殺気を、男爵はいとも簡単に受け流した。マインはつくづく、食えない男だと思う。
「なあ、どうしてガリは負けた?」
 マインは尋ねた。ガリが敗れてからずっと、この男に訊いてみたいことだった。男爵の知略について、マインは充分に承知している。負けるのが不思議なくらいだった。
 男爵は明瞭に、かつ簡潔に答えた。
「元々、勝てる戦ではなかったのです」
 と。
 マインは腹の中に、冷たく重いものがわだかまる感覚を覚えた。
「じゃあ、どうして単身、オレをダクダバッドの傭兵団に潜入させた?」
 コールギン率いるダクダバッド軍がガリへ侵攻したとき、その軍勢は将軍直属の正規軍だけではなかった。様々なところから掻き集めた傭兵たちも、それに加わっていたのである。正規軍はガリの主要拠点を潰しながら、最短距離で首都を目指し、傭兵たちは周辺から戦力が結集しないよう遠回りをするように遊軍として働いた。いわばガリは、二方向から攻められることになり、ただでさえ脆弱な公国の戦力を集中させるに至らなかったのである。その後、五大王国のひとつ、ブリトン王国の介入もあり、なし崩しに敗戦へと追いやられた。
 ところが、それはダクダバッド軍の完全勝利に終わらなかった。遊軍として活躍していた傭兵団は、首都陥落の三日前、ガリ軍の奇襲を受け、壊滅したのである。その奇襲を画策したのが男爵であり、手駒として動いたのがマインだった。
「最初から裏切るつもりだったとはいえ、一時は仲間として一緒に行動したヤツらをはめるのは、さすがのオレも気が引けたぜ。今も死んでいったあいつらの悲鳴が耳から離れやしねえ」
 いけしゃあしゃあとマインは言った。ウソだ。その顔は露ほども胸を痛めていない。
 ダクダバッドの傭兵団に潜り込んだマインは、ある夜、見張りに立つと言いながら、近くに待機していたガリ軍を手引きし、不意討ちを仕掛けた。その作戦はまんまと成功したのである。当然、マインはこの功績を認められて、恩賞も思いのままとほくそ笑んだのだが、その数日後、肝心な後ろ盾であるガリ公国がなくなってしまったのでは、それも叶わない。仕方なく、この近辺を放浪する生活が続いた。
 男爵はどこか遠い目をした。
「あのとき、私はダクダバッドに勝てるなんて、これっぽっちも思っていませんでしたよ」
 意外な言葉に、マインは目を丸くする。
「なんだって? だったら、どういうつもりで──」
「勝てるとは思えませんでしたが、何とか進軍のスピードを緩めて、戦いを長引かせたいと思っていました。そうすれば、休戦に持っていけるんじゃないかってね。でも、それすらも不可能でした。コールギン将軍の統率力は、私の想像のはるか上を行き、アッという間にジノを陥落せしめた。私はいろんな対策を講じようとしましたが、それまでが公王や重臣の方々に覚えがめでたくなく、具申は届かず終い。あなたを送り込んだのは、私の独断だったんですよ。平素の私は、何の取り柄もない下級貴族でしたからね。ほとんどの人がボイド男爵なんて名を憶えていないでしょう。それが──」
 そこで男爵は思い出し笑いのように吹き出した。やや自嘲を込めて。
「それが戦乱の世になってから、自分の才に気づくとは。どうやら私は生まれてくる時代を――あるいは生まれてくる場所を間違えたのかもしれません」
「………」
 話しながら歩いているうちに、二人は新しいアジトの近くまで来ていた。男爵がマインに向き直る。
「報酬は届けさせましょう。お約束の額を間違いなく」
「地底監獄の解放にも手を貸してやったんだ。多少、上乗せしてくれ」
「分かりました。──ところで、これから、どうされるおつもりです?」
 立ち去ろうとするマインを男爵は呼び止めた。マインは肩をすくめる。
「そろそろ、この辺で稼ぐのも潮時だと思っている。ブリトン王国にでも行くぜ。あそこは現国王が病床に倒れ、たった一人の王子がいつ王位に就けるかと気を揉んでいるらしいからな。あのカルルマン王子、なかなかの戦好きと見た。このダクダバッドとガリの戦いにもしゃしゃり出て来たくらいだからな。何となく、きな臭い気がするぜ」
「そういうところこそ、あなたの居場所、というわけですね?」
「そういうこった」
「できれば、このまま残って、私を手伝って欲しいのですけれど」
 男爵の言葉に、マインはやる気を見せなかった。
「やめとくわ。男爵、あんたの知謀を認めちゃいるが、もう負け戦はしたくねえからよ」
「そうですか。残念です」
 マインは立ち去った。もう二度と男爵を振り返ることなしに。
「知り合いか?」
 不意に後ろから声をかけられ、男爵はビクッと身体を震わせた。マインに待ち伏せされていても臆さなかった男が。首を巡らせると、そこに気配も感じさせずに立っていたのは吟遊詩人のウィルだった。
「ウィルですか。威かさないでください」
 相手が美しき吟遊詩人だったと分かり、男爵は内心を隠すように苦笑した。
「アレスから聞いて、迎えに来た」
 ウィルはマインの小さくなっていく後ろ姿を見つめながら言った。男爵は、何でもないという風に、先にアジトへ向かう。
「ちょっとした顔見知りですよ。それよりも行きましょう。うろついている駐留軍に見つからないうちに」
 それきり男爵は口を閉ざし、ウィルの護衛で新しいアジトへ入った。



 一方、男爵と別れたマインは、わざと袋小路へ入り込んだ。
「オレが裏切らねえよう、見張っているつもりか? だったら、もう少しうまく気配を消せ。他のヤツにも気づかれちまう」
「見張られていると意識してもらった方が、裏切らないと思ってね。そうだろ?」
 マインの後ろで小さな影が躍った。女ホビットのベルだ。男爵と二人でいるときから、ずっと尾行してきたのである。
 マインは生意気な小妖精族を振り返った。
「妖術師<ソーサラー>の婆さんが殺されて、さぞや依頼主は躍起になっているんじゃねえか?」
 揶揄するような口調でマインは喋った。それはベルにとっても面白くないことだ。実際、セリカは焦りを感じ始めているように見られた。
「例の吟遊詩人の仕業かい?」
 ベルの目がネコのように細まった。ウィルにはベルも痛い目に遭わされている。ジャニスとはそんなに親しかったわけではないが、やはりウィルにやられたとなると、自然に歯噛みしてしまう。ウィルさえいなければ、もっと解放軍を慌てさせることができたはずだ。
 マインは他人事のように愉快だった。
「オレは直接、会ってないから知らねえが、どうやら、そうらしいぜ。まあ、オレの標的は、あくまでも男爵だからな」
「で、さっきのが新しいアジトなの?」
「らしいな。もっとも、あちこちにアジトを持っているみてえだから、また移動しちまうかもしれねえけどよ。男爵は用心深いヤツだ」
「ふうん。まあ、いいわ。セリカには報告しておく」
「おっと。それから依頼主に言っておいてくれ。そろそろオレは抜けさせてもらうからって」
「何ですって!?」
 ベルは耳をぴくりと動かした。自分よりも身の丈三倍はあろうかという大男を物怖じもせずに睨みつける。マインは苦笑いをした。
「おいおい、オレの仕事は男爵の居所をつかむことだぜ。いただいた分だけ、きっちり仕事を果たしたんだ。もう、オレに用はねえだろ?」
「さっきのブリトンへ行こうかって話はマジだったわけ?」
「ああ。いい加減、ダクダバッドとガリを行ったり来たりするのに飽き飽きしてきたからよ。あとはお前たちで、好き勝手にやりな」
 そう言うと、マインはベルの横を平然と通り抜け、立ち去ろうとした。ベルはベルトの短刀<ダガー>に手をかけかけたが、思い直してやめる。不必要に敵を作らぬよう、セリカから重々、申しつけられているのだ。
 ベルはただ見送った。二度と見ることもあるまい大きなマインの背を。


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