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扉が激しく叩かれた。
その音に、室内にいた全員が反応し、一枚の扉に視線を集める。中には腰の剣に油断なく手を伸ばす者もいた。
「オレです! トニーです!」
そう名乗った相手に、多くの者たちが脱力した。騒々しいヤツだ、と舌打ちする仲間もいる。しかし、彼らのリーダーたるロックは、トニーの声が切迫しているように察せられ、一人、緊張を解かなかった。
「どうした、トニー?」
そのロックの慎重さを見て取ってか、解放軍の男たちは、再度、神経を張りつめた。ここは自分たちの生まれ故郷だが、今は忌々しいダクダバッド軍によって占領されている。外を出歩くにも、不自由を強いられる状況下だ。ちょっとでも気を抜けば、命を落としかねない。
ロックに尋ねられ、トニーはすぐに答えなかった。どうやら、扉越しに呼吸を整えているらしい。そして、ようやく、
「ダクダバッドの連中に動きが……!」
と。
「入れ!」
ロックは素早く扉を開けると、トニーを中に引きずり込むようにし、すぐに閉めた。一瞬でも時を惜しみ、誰にも見られまいと用心しながら。
ロックに引っ張り込まれたトニーは、よろけそうになりながら、再び呼吸が落ちつつくのを待った。それにじれたのは、トニーからの報告を聞こうとする解放軍の同志の方である。一体、ダクダバッドの駐留軍がどうしたというのか。
深呼吸を何度か繰り返してから、やっとトニーは話せる状態になった。
「た、大変です……! ダクダバッドのヤツら、完全武装をして、どこかへ踏み込むつもりですぜ! オレ、あんなに殺気立った連中を見るのは初めてだ!」
口から唾が飛ぶのもかまわず、トニーは興奮気味に知らせた。同志たちは顔を見交わす。
「で、ヤツらがどこへ向かっているか、探ってきたんだろうな?」
ロックは自分の方へ顔を向けさせながら、トニーに尋ねた。こうでもして注意を向けないと、すっかりパニックに陥った今のトニーではまともに答えられなかっただろう。
信頼し、尊敬するロックに真っ向から見つめられ、トニーはわずかばかり動揺を抑えたようだった。だが、その視線はロックから外される。
「そ、それが……あまりにもヤバそうだったんで、確認する余裕もなく戻ってきた次第で……」
最後の方は歯切れが悪くなった。無理もない。トニーがしたことは、単に逃げただけのことである。それはあまりにも保身から出た行動だった。
ロックは、普段からトニーに目をかけてやっているだけに、今回ほど落胆を覚えたことはなかった。と同時に、これまで少し甘やかしすぎたかと悔恨の念に駆られる。自分を本当の兄のように慕ってくるトニーを、ロックは一端の兵士にしてやることができなかったと。
室内を重苦しい空気が漂った。このアジトに詰めているのは、約八十名ほど。ジノの街の各地に散らばっている他の仲間も、ひとつのグループに百名前後だ。もし、ダクダバッド軍が本気でどこかのアジトに踏み込めば、抵抗らしい抵抗も出来ず、一網打尽にされてしまうだろう。
そのときだ。またしても扉が強く叩かれたのは。
皆がドキリとした。まさか、このアジトの所在が明るみになったのか。それとも、またトニーのようなおっちょこちょいが駆け込んだけか。
激しいノックの音に、誰も返事をしなかった。
ノックの音がしばらく続いた後、苛立ったような声が外から聞こえた。
「我々はダクダバッドの者だ! ここに今、男が逃げ込んだのは分かっている! 取り調べだ! 開けろ!」
皆が一斉にトニーを見つめた。当の本人は縮こまるしかない。トニーはダクダバッド兵に発見され、あまつさえアジトの場所まで突き止められたのだ。皆の非難の視線は致し方ない。
しかし、今、トニーを責めたところで、何の解決にもならない。肝心なのは、この場をいかに切り抜けるか、だ。
ロックは無言のまま、手の動きだけで裏口を示した。そこから脱出せよ、という合図だ。仲間たちも黙ってうなずき、物音を立てないよう用心しながら、それに従う。数名だけは、ダクダバッド兵の突入に備え、ロックとともに剣を抜き、応戦の準備をする。
ところが、騒ぎは無警戒だった裏口で起こった。
「誰も動くな! 武器を捨てろ!」
裏口を開けた途端、そこからダクダバッド兵たちが雪崩れ込んできた。脱出しようとしていた解放軍の同志たちは、あっという間に中へと押し戻される。さらに、それに呼応するようにして、正面の扉も打ち破られた。
「解放軍の者どもだな!? 無駄な抵抗はやめ、大人しく縛につけ!」
押し込んできたダクダバッド兵は、数の上でロックたちを圧倒していた。あまりの多さに、ほとんどの者が茫然と立ちすくんでしまったほどである。表と裏を完全に塞がれ、万事休すといえた。
そんな中、ロックはダクダバッド側の動きに、引っかかりを覚えた。トニーを追跡して、このアジトを見つけた割には、あまりにも迅速で用意周到すぎる。そもそもアジトの裏口は巧妙に隠されていて、簡単には発見できないはずなのだ。それがなぜ、短時間のうちに見つけられてしまったのか。考えられるとすれば、トニーが逃げ込むより以前に、アジトの存在が知られていたことだが。
しかし、今はそんなことを疑問に思っている暇はなかった。戦うか、降伏するか、二つに一つを選ぶしかない。
「どうする、ロック!?」
追い詰められた仲間が尋ねた。こういうとき、エバンスがいれば、きっと慎重論を唱えただろう。そのエバンスは、幸か不幸か、各アジトの様子を見てくると言って、ちょうど出かけていて留守だ。ロック自身は、敵に捕まるような屈辱を受けるなら、華々しく戦って散りたかった。
だからといって、それを同志たちに強要するわけにはいかなかった。戦えば、まず間違いなく死ぬことになるだろう。いくら何人かのダクダバッド兵を道連れにできても、それは大局的に見て、解放軍のためにはならない。
そんな考えに至り、ロックは心の中で苦笑を覚えずにいられなかった。いつの間にか、男爵と接しているうちに、自分の私怨よりも、解放軍の仲間のこと、この国の行く末に重きを置くようになっていたようだ。以前の自分からは想像もできなかったことである。男爵のことを毛嫌いしながら、知らず知らずのうちに、あのアレス少年のように感化されていたのだと、自嘲のうちに認めざるを得なかった。
ロックは降伏を決めた。生きてさえいれば、地底監獄に収監されていた仲間のように、助け出されるチャンスが訪れるかもしれない。そうすれば復讐戦も叶う。
だが、ロックが決意を伝える前に、無断で動いた者がいた。誰あろう、ダクダバッド兵をアジトへ招き入れたことに後悔するトニーだ。
「わああああああああっ!」
トニーは喚き叫びながら、狂ったように剣を振り回し、ダクダバッド兵に斬りかかっていった。
「よせ、トニー!」
ロックの制止は間に合わなかった。狂乱状態のトニーに、うろたえたダクダバッド兵の一人が傷を負わされる。ダクダバッド兵たちは顔色を変えた。
「うわあああああっ! うあああああっ! あああああああっ!」
トニーはなおも剣を振るった。そのめちゃくちゃな動きに、剣術もへったくれもない。まるで癇癪を起した子供のようだ。
そんなトニーの前に、一人の男が進み出た。一般兵とは異なる甲冑姿。どうやら、この一隊を率いている指揮官らしいが、その顔を見る限り、ロックよりも若く見える。
その若い男は、無言で剣を抜き、鋭い一閃を見せた。白刃がきらめいたかと思うと、次の刹那には鞘におさめられている。と同時にトニーの動きが止まった。
「トニー!」
ロックは弟分の名を呼んだ。トニーはその声に振り返ろうとしたのだろうか。しかし、それは無念にもならず、その場に倒れ込んだ。
若き指揮官の一撃はトニーに致命傷を与えていた。
「トニィィィィィィィッ!」
白刃に倒れたトニーに、ロックは駆け寄った。ぐったりとした身体を抱き起こす。だが、トニーの命が風前の灯であることは、ロックの腕から伝わってきた。
「あ、兄貴……すんません……」
トニーは詫びた。自らの至らなさを。ロックにあこがれて解放軍への参加を決めたトニーであったが、彼に戦士としての生き方は酷だったのだ。けれども、それを誰が責められようか。トニーは彼なりにロックの役に立とうとし、懸命に働いてきた。それが分かっているだけに、ロックの目からは熱いものがあふれた。
「バカ野郎……どうして、お前は最期まで……」
あとは言葉にならなかった。これほど涙を流したのは、いつ以来だろうか。
ロックから涙声で叱られ、トニーは口許に微かな笑みを形取った。それが臨終である。
その間、解放軍も、ダクダバッドの駐留軍も、誰一人として動かなかった。
やがて、ロックが悲しみをこらえて立ち上がった。
「降伏する。いいか、誰も抵抗するな」
ロックは仲間たちに命じた。解放軍の同志たちはうなだれる。無念の思いは一緒であっただろう。
だが、すぐにロックは、トニーを殺したダクダバッドの若き指揮官の顔をキッと睨みつけた。
「降伏はする。――だが、トニーを殺したお前は許せない! オレはロック! この一隊を預かる隊長だ! お前に一対一の決闘を申し込む!」
ロックは剣を抜くと、その切っ先を若き指揮官へ向けた。ダクダバッド兵たちは色めき立つ。しかし、その指揮官は不敵に笑みを浮かべた。
「ほう。ガリの解放軍にも骨っぽいヤツはいると見える。――いいだろう。オレの名はオラン・ホルスト。オレも貴様の仲間たちに上官を殺された恨みがある。このまま剣を引くわけにはいかなかったところだ。その勝負、受けて立とう!」
今度は解放軍側がざわめいた。ロックの決闘を受けたオランに、敵意と賞賛のこもった眼差しを向ける。
「誰も手出し無用だ! どちらが斃れることになろうともな!」
「言うに及ばず! 我がダクダバッドは、卑怯な騙し討ちなどしない!」
解放軍と駐留軍が見守る中、ロックとオランの両雄は対峙した。誰も割っては入れぬ壮絶な火花を散らして。ロックもオランも、互いに自分の中での決着を剣でつけようとしていた。
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