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吟遊詩人ウィル

叛乱の挽歌

22.血の贄

 剣を構えたオランの姿に隙はうかがえなかった。さすがに若くして隊長を務めるだけのことはある。だが、ロックは自分が負けるところを想像できなかった。
 この半年というもの、ロックはダクダバッド駐留軍と、数え切れないほどに剣を交えてきた。元々の腕前に加えて、実戦を重ねながら身につけた経験は大きい。今や超一流の使い手とやりあっても互角に渡り合えるだけの自信がロックにはあった。
 それに対して、オランにどれほどの実力があるのかは知らないが、これまでにほとんど命のやり取りをするような真剣勝負をしたことがないはずだ。そもそも、ダクダバッドの駐留軍は、ガリ公国を攻め滅ぼしたコールギン将軍が更迭された際、そっくりそのままスカルダ将軍の配下と入れ替わっている。つまり、今、ジノの街に駐留しているのは、ろくな実戦経験も積んでいないような兵ばかりなのだ。その意味では、オランも同様だといえるだろう。
 トニーを殺され、半ば感情的に勝負を挑んだロックだが、それくらいのことは冷静に頭の中で巡らせていた。
 どれ、まずは小手調べと行くか、という風にロックが動いた。
「やあっ!」
 真っ向からロックは斬りかかった。その素早く、しかも鋭い先手に、一瞬、オランはひるむ。かろうじて出した剣は、ロックの攻撃を危ういところで受け止めた。
 ともすれば、手にしていた剣を弾かれてしまいそうなロックの強烈な一撃だった。ただの雑兵なら、これだけで命を落とすだろう。それほどの凄みのある攻撃。ロックは続けざまに次の太刀をくれた。
 キィィィィン!
 またしても、オランはロックの剣を防いだ。しかし、その火花が散りそうな斬撃には冷汗が出る。いつ殺られるか。オランはこのロックという男の強さを肌で感じた。
 一方、ロックも二の太刀をも堪えたオランに称賛を覚えた。エバンスなどを除けば、ロックと二合やりあって、一本を取られない者はいない。最初の一撃で剣を弾き、次の一撃で急所を突くのがロックの戦法だ。それを凌いでみせたダクダバッドの若き指揮官は、仮にまぐれだとしても、ただのお飾りではないという証しだった。
「オレの剣をよくぞ受け止めた。では、次はそちらの太刀筋を見てやろう。かかって来い」
 そう言ってロックは、オランからの攻撃を誘った。切っ先をやや下げ気味にする。それは相手を軽んじているようにも見受けられ、オランが激昂してもおかしくなかった。
 しかし、ロックの初手に圧倒されたオランは、なかなか自分から仕掛けるタイミングを逸していた。次にどんな斬撃が来るか、ありもしない残像ばかりがちらつき、どうしても受け身になってしまう。ロックは、たった二回の攻撃でオランを委縮させることに成功したのだ。
 ロックが一歩前に出れば、オランが一歩退く。ロックが右へ動けば、オランが側面を取らせまいと対面を維持する。オランは攻撃に窮していた。
 それを見て取ったロックは、自ら動いた。
「来ないつもりなら、こちらから行くまで!」
 再びロックの攻勢が始まった。力押しでオランを屈服させるつもりのようだ。激しい連続攻撃にオランは首をすくめつつ、後退を余儀なくされた。
 いくら八十名の解放軍が詰めていられる広い部屋だと言っても、四方は壁に囲まれている。退がるにも限界が。とうとう、逃げ場を失ったオランの背が壁についた。
「どうした、ここまでか?」
「くっ!」
 激しい鍔迫り合いをしながら、ロックはオランを押し込んだ。オランも負けまいと、全力を振り絞る。歯を食いしばり、二の足を踏ん張らせた。
 力勝負に関しては、ほぼ互角。そんなオランの爪先をロックはおもむろに踏みつけた。これにはたまらない。一瞬、オランの身体から力が抜けた。
 その隙を見逃さず、ロックは剣でなく、拳でオランの顔を殴った。剣ばかりを意識していたオランは、そのパンチをまともに喰らう。不覚にもよろめき、倒れそうになった。
 これに気色ばんだのはダクダバッド兵たちだった。オランの爪先を踏んだことが卑怯だと映ったのだろう。しかし、これは申し合わせのある試合ではない。命を賭した死合だ。
 オランは体勢を立て直しながら、口許にやった手を見つめた。鼻血が出ている。口の中も切ったのか、苦い味が広がった。
 しかし、これでひとつ吹っ切れた気がした。ロックに対し、あまりにも及び腰すぎた自分を恥じる。命を惜しんで勝利を得られようか。オランは目に力を取り戻した。
 そんなオランの様子は、ロックにも見て取れた。わざわざ相手に自信を取り返してやったようなものだが、まったく意に介さない。それは歯ごたえのない相手と戦うのが嫌という正々堂々さからではなく、絶対に自分が勝利するのだという確信からだった。
 今度はオランから仕掛けた。さすがにトニーを一刀のもとに斬り伏せただけあって、その剣は鋭い。だが、ロックに躱せないようなレベルではなかった。オランの剣を見切り、すぐに反撃へ転ずる。
 先程と同様にロックの剣は熾烈を極めたが、オランはひるむことなく、それらの攻撃を受け止めた。どうやら、ロックと剣を交えているうちに、その太刀筋になんとなく慣れてきたらしい。オランは臆さず、さらに一歩踏み込んだ。
 こうして、二人の戦いは長引く様相を呈してきた。元々、技量のあるオランは、ロックと剣を合わせるうちに、その実力差を急速に埋めつつあるように見える。何より、思い切りのいい一撃が、再三、繰り出されるようになり、ロックも攻撃と防御に意識を分散せざるを得なくなった。
 解放軍もダクダバッド兵も、固唾を呑んで勝負の行方を見守った。二人の一挙手一投足に、肝を冷やし、アッと声を上げそうになる。それほど熱を帯びた死闘になった。それでいて、誰もその場から動こうとしない。特に解放軍の男たちは、自分たちが置かれた状況について、完全に失念していた。
「やるな、お前」
「貴様もな」
 戦いの中で、ロックとオランは思わず笑みをこぼした。双方ともに実力を認め合ったゆえだろう。また、長引いた勝負は息切れをともなわせ、少し間を入れる意味合いもあったかもしれない。
 だからといって、攻め手を休めるわけにはいかなかった。気を緩めた途端、相手はその隙を見逃さぬはず。そこですべては決する。
 長期戦はオランの方が避けたかった。軽装のロックに比べ、オランは重い甲冑を身につけている。ただでさえ動きが阻害される上、決して軽くはない重量が刻々と体力を奪っていた。
 ロックもその点を優位と考えてか、先程より距離を取った戦法に切り替えてきている。少しでもオランを動かし、疲弊させるつもりだ。ロックの意図に対し、オランは一か八か、一気に勝負へと出ることにした。
「はあああああああああっ!」
 オランは突進した。少しくらいの攻撃は甲冑で受け止める覚悟で、ロックとの間合いを詰める。突出したところをロックの剣先がオランの左脇をかすった。それでも構わず、身体ごとロックに体当たりする。
 その捨て身の戦法に、ロックは弾き飛ばされた。甲冑を着込んでいる分、オランの体当たりは強烈だ。ロックはなるべく衝撃をやわらげながら、すぐに体勢を整えようとした。
 ところが、そのときロックに不運が襲った。後方へ出した右足が、ずるりと滑ったのだ。
 ロックの後ろにあったのはトニーの遺体だった。そこから流れ出した血だまりをロックが踏んでしまったのである。剣を構えるどころか、完全に体勢は崩れてしまった。
「覚悟ォ!」
 そこへオランの剣が突き出された。それは甲冑を着ていないロックの胸を易々と貫く。剣は背中まで突き抜けた。
「ロックゥゥゥゥゥゥッ!」
 解放軍の男たちから悲痛な声が上がった。皆、目を見開き、絶望に打ちひしがれる。すべてが終わったと思った。
 自分にもたれかかってくるロックの身体をそっと押しやりながら、オランは血に染まった剣を抜いた。ロックの身体から力が抜ける。倒れそうになるところをオランは素早く支えた。
 ロックの身をそっと床に横たえながら、オランは強敵の死を看取った。もし、ロックが血だまりで足を滑らせていなければ、こうなっていたのは自分の方かもしれない。だからこそ、あの瞬間をオランは見逃すわけにはいかなかった。
 死者への敬意を怠らずに、ロックの手を胸の前で組ませてやってから、オランは立ち上がった。数名の解放軍の戦士がロックの仇討ちをしようと躍起になる。そんな連中をオランは一喝した。
「やめろ! この男の言葉を忘れたか!? どちらが斃れようとも手出し無用だと! その約定を破るつもりなら、この男の死を侮辱するのと同じと心得よ!」
 オランの言葉に、血気にはやった男たちはうなだれた。そして、次々と剣を捨てていく。中には涙を流し、嗚咽を堪えながら。
 オランの命令によりアジトの解放軍は引っ立てられていった。室内にはオランと二つの遺体だけが残される。
 ロックはトニーの隣で死んでいた。仇討ちは果たせなかったが、自分の生き方を貫くことが出来て本望であっただろう。オランは強敵の遺体に黙礼した。



 男爵をつける影を追って、アレスは急いでいた。
 あれは男爵を狙うダクダバッドの刺客かもしれない。男爵も一応は剣を携帯しているが、その扱いには自信がないと、いつも屈託なく笑っていた。実際、剣の腕前は素人同然だ。それゆえに男爵は自分がお守りしないと。アレスは剣を握りしめながら、全力で走った。
 やがて、男爵の後ろ姿らしきものを見つけた。どうやら無事らしいとホッと胸を撫で下ろす。それも束の間、その行く手に何者かが立ち塞がっているのだと分かった。
「男爵!」
「アレスくん……!?」
 男爵は各アジトの様子を見に行かせたアレスがやってくるのを見て、驚いた様子だった。アレスは剣を抜き、男爵の前に立つ。
「どうして、キミが?」
「男爵にもしものことがあったら大変です! ここは僕が引き受けますから、男爵は安全なところへ逃げてください!」
「しかし……」
「お願いです!」
 アレスは後ろの男爵を見もせずに懇願した。
 二人の前には三人の人物が立っていた。あまりにも特徴が違いすぎる三人だ。アレスの出現にも余裕の表情を浮かべていた。
「随分と可愛い護衛を連れているのですね、男爵」
 赤いダクダバッドの軍服を着た女が艶然と微笑んだ。その右側にはひょろりと背の高い蛮族の青年。反対には対照的に背の小さい女の子。屋根の上を飛びながら男爵を追いかけていたのは、この女の子だとアレスには分かった。
「どうやら、私の正体をつかんだようですね」
 敵を前にしながら、男爵は少しもうろたえていないようだった。いつも通り、落ち着いた声音である。
 すると、真ん中の美女が軽くうなずいた。
「ええ。是非とも、お会いしてみたかったですわ、ボイド男爵」
 ボイド男爵。それが男爵の本当の名なのかとアレスは思った。
 女も名乗る。
「私はセリカ・フランセル。本国より派遣されたスカルダ将軍の副官です。今日は折り入って男爵にお話ししたいことが――」
「黙れ!」
 男爵に代わって、アレスが叫んだ。蛮族の青年は相当やりそうな感じだが、あとは女。命に代えても男爵を逃がすつもりだった。
「お前たちに男爵は渡さない! 男爵にはお前たちを叩きだし、ガリ公国を復興してもらうんだ!」
「まあ。可愛いだけでなく、元気もいいのね」
 セリカに褒められ、アレスは顔を赤くした。照れからではない、見下された怒りからだ。
「うるさい! 男爵には指一本触れさせないぞ!」
「あら、そんなことできるのかしら?」
「子供だからって見くびると痛い目に――!」
 それ以上、アレスは二の句を継げなかった。なぜならばアレスの腹部に、背後から細身の剣が貫いていたからである。


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