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路地を複数の足音が駆け抜けていった。
「待て!」
鋭い制止の声とガチャガチャと鳴る腰の剣。ダクダバッド兵は、不審な市民たちを追いかけた。
男爵が死してより一年。しばらくは散発的な騒動しか起こしていなかった解放軍であったが、このところ組織だった動きが再び見られるようになっていた。駐留しているダクダバッド兵たちは、その鎮圧と事前の抑止に忙殺されていたが、その規模は拡大しており、日に日に対応が難しくなってきている。肉体的にも精神的にも追い詰められ、ちょっとした市民の動きにも過敏になっていた。
そんな矢先の出来事だった。市民たちが広場に集まり、総督命令で禁止されている集会を開くという情報が入ったのは。これまで表立って、そういうことがなかっただけに、ダクダバッド兵たちは解放軍の一斉蜂起を予感した。
ただちに集会をやめさせるよう、駐留軍に出動命令が下った。抵抗する者は殺しても構わない。それが総督代理であるオラン・ホルストの決断であった。
ガリ総督であるスカルダ・バーグソン将軍は、昨年来、微熱と吐き気、それにともなう倦怠感に悩まされ続け、まともに職務を行えないでいる。医師の診察によれば、免疫力が極端に落ちる厄介な病気なのだという。それがセリカの置き土産であったことを、スカルダは、薄々、感じていた。スカルダは本国への帰還と総督の交代を希望したが、適任者不在として、現在も評議会からの返答は届いていない。
広場にダクダバッド兵たちが姿を現すと、集まっていた市民たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。部隊長は集会の首謀者とその目的を聞きだすべく、逃げた市民の逮捕を命じ、かくして大がかりな捕り物が始まったのである。ダクダバッド兵たちも分散して市民を追いかけた。
重装備を身につけながらの追跡は骨が折れた。市民たちは十字路などに差しかかるたび、申し合わせたかのように別れ、段々と人数を減らしていく。ダクダバッド兵たちも各個に追うべきか、誰か一人に狙いを定めて総力を挙げて追うべきか、判断に迷った。とりあえず部隊長は、逃げる市民に合わせて、隊を分けていくことにする。
ところが、その直後に、どこか遠くないところより悲鳴と怒号が聞こえてきた。その声にはダクダバッド訛りがある。どうやら、人数を減らしたところを敵に襲撃されている模様だった。
「ぬう、解放軍め! 卑劣な!」
部隊長はほぞを噛んだ。救出に行きたいところだが、駆けつけたときは手遅れということもありえる。元々、この集会そのものが駐留軍を誘い出す罠だったのかもしれない。彼らはそれにまんまと乗り、戦力分散の愚を犯したのだ。
「ならば――これ以上、オレから離れるな! 敵はオレたちを一人一人にして、始末するつもりだ!」
兵士たちは部隊長に従い、追跡を続行した。逃げる市民は一人、また一人と減っていく。部隊長は、その中で逃亡に指示を出している一人の人物を最重要目標とすることとし、他には目もくれなかった。
やがて、たった一人になった首謀者とおぼしき人物を追い詰めるに至った。袋小路だ。逃げ道はない。
その男は、一見したところ、武器を携帯している様子はなかった。しかも驚いたことに、まだ青年と呼ぶには若い、十五、六の少年に見える。なぜ、こんな少年が、と部隊長に疑念が湧く。しかし、油断はできない。逃亡で指示を出していたのは、間違いなくこの少年だ。部隊長は用心怠りなく、ゆっくりと近づいた。
「手を頭の上に! 抵抗しないのなら、こちらも手荒なことはせん!」
部隊長は少年に告げた。すると少年は、あっさりと両手を上げる。ただし、その表情に怯えも怒りもなく、なぜか笑顔だった。
「それは助かるな。こちらもムダな血は流したくないから」
「なに!?」
ダクダバッド兵たちが訝った刹那である。袋小路の建物内から、一斉に大勢の武装した男たちが飛び出した。
それは明らかに、人数で数を減らしたダクダバッド兵たちを圧倒していた。少年はうっかりと袋小路に逃げ込んでしまったのではない。味方が待ち構えていたこの場所に敵を誘導したのだった。
唯一の退路も、後方からやってきた武将集団が塞ぎ、素早く包囲を完成させた。ダクダバッド兵たちはあっという間に数的優位をひっくり返され、狼狽を見せる。戦意は奪われていた。
「抵抗しないのなら、こちらも手荒なことはしない」
少年が、今し方、部隊長が言った同じセリフを口にする。それはダクダバッド側にとって屈辱でしかなかったが、その勧告に従わないわけにはいかなかった。唇を噛みつつも、次々と武装解除していく。
「やったな」
武装集団を率いていた男が作戦の成功を喜び、少年の肩を叩いた。少年ははにかむ。
「まだまだですよ、エバンスさん」
少年の肩を叩いたのはエバンスだった。一年前、アジトの一斉摘発が行われた際、エバンスはかろうじてダクダバッドの手を逃れ、バラバラになりかけた解放軍をひそかに存続させてきたのである。そして――
「何を言う。お前さんは、男爵の立派な愛弟子だよ」
エバンスは一年前よりも背が伸びた少年――アレスに笑いかけた。
あのとき、背後から刺され、瀕死の重傷を負ったアレスであったが、ウィルによって助け出され、解放軍の看護師であるテレサの懸命な治療により、危ういところで命を取り留めたのである。だが、のちにウィルから男爵が殺されたことを聞かされ――ウィルが駆け付けたときは手遅れだったそうである――、アレスは身を挺してでも守ることができなかった自分の未熟さを責めた。
「僕は男爵の足下にも及びません。この作戦だって、男爵が考えていらしたものを実践に移してみただけのことです。僕の力じゃありません」
集会を開くとの情報で駐留軍を誘い出し、街の路地を巧みに利用しながら、その戦力を削ぐという作戦は、アレスが提案したものだった。それは男爵が考案していた戦術の一つに過ぎず、それゆえに謙遜してみせる。しかし、エバンスは、すでにアレスを一人前と認めていた。
「いや、もう男爵はいないんだ。ロックも、共に戦っていた多くの仲間たちも。だが、それでもオレたちは足を止めるわけにはいかない。命がある限り戦い続ける。仲間たちの犠牲を無駄にしないためにも。このジノを、そしてガリを解放する、その日まで!」
エバンスの力強い誓いにアレスはうなずいた。そうだ。戦い続けなくてはいけない。男爵やロックたちの分も生きて、故国を取り戻す。それが死んでいった者たちへの唯一の手向けだ。
「さあ、このまま一気に総督府へ乗り込むぞ!」
「おおーっ!」
長きに渡って力を蓄えてきた解放軍は、エバンスとアレスを新たな指導者として、ジノの中心にある総督府へと進軍を開始した。その人数は次第次第に膨れ上がる。解放軍に参加していない民衆も粗末な武器を手にし、それに加わった。
誰からともなく、朗々とした歌が唄われ始めた。それはこの街に、わずかの間、滞在した一人の吟遊詩人が残していったもの。いつしか、それは口伝えで人々の知るところとなり、解放軍の歌、ジノの民衆たちの魂の歌へとなっていた。
清らかなる青き旗の下
たとえ故国を 奪われようと
この地 この国 我等の血潮
剣をかかげ 鉄の鎖を解き放て
不屈の闘士 ここにあり
見よ はためく青き旗の下
たとえ父母 失おうとも
涙 こらえる 悲しみ越えて
声を上げよ 敵の牙城を打ち破れ
正義の勇士 ここにあり
今 再び 青き旗の下
たとえ戦友 斃されようと
あおげ この空 誓いは不滅
明日を信じろ 心合わせて立ち上がれ
勝利の同志 ここにあり
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