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そんな二人の背中を押すように、マーサは食卓の方へと促した。
「考え事は後々! とにかく腹が減ったよ。──アンタも食べていきな。すぐ用意するからさ」
そう言って、マーサは台所の方へ先に行った。ルンがまだ濡れたままであるウィルのマントの裾を引っ張る。
「ウィル、ぜひともそうして! 服も乾かさなきゃ」
「いや、オレは……」
ウィルは断ろうとしたが、それよりも強引に、ルンは食卓へと招いた。すでにテーブルにはルンの弟妹たちが夕食を心待ちにしている。ウィルがそこへ姿を現すと、先程と同じように身体が固まったようになり、美麗の吟遊詩人を凝視した。
「紹介するわね。こっちが弟のクリオ。そして、妹のエイミー。十一歳と九歳よ。──こちらはウィルさん。ほら、アンタたち、ご挨拶は?」
ルンは弟たちに促したが、いずれも固まったままだった。すっかり緊張してしまっている。これにはルンも苦笑するしかなかった。
「ほらほら、いつまで突っ立っているんだい?」
マーサが籠いっぱいに盛ったパンを運んできた。焼きたてらしく、食欲をそそる香ばしい匂いがする。空腹にはたまらない。
「ウチはパン屋なの。だから、パンだけはお腹いっぱい食べられるのよ」
「パンだけで悪かったわねえ」
ルンの言葉に、マーサはトゲのある口調で返した。テーブルの真ん中へ籠に盛られたパンが置かれる。
「元々は父さんがこの店を始めたんだけど、死んでからは母さんの仕事になってね。本当は、私のお兄ちゃんが跡を継ぐはずだったのに、そのお兄ちゃんも二年前、もっとみんなに楽をさせてやるって、突然、ダクダバッドとガリの戦争へ行ってしまったわ。傭兵になって稼ぐんだって言って」
ブリトン王国の南方と接しているダクダバッド公国とガリ公国の争いは、単なる小国の小競り合いに留まらなかった。先にガリ公国へ攻め入ったのはダクダバッド公国である。政治的な理由と言うよりも、一部、軍部の暴走が招いた戦争だったらしい。だが、戦いが拡大していけば、どちらに非があるかなど関係なかった。あるのは、どちらが優勢であり、どちらに味方すれば得であるか、だ。
五大王国として名を馳せているブリトン王国だが、現国王ダラス二世が重い病に伏せて以来、国政に乱れが生じていた。その最たるものは、国内第二の都市セルモアの独立自治問題であろう。
セルモアは古来よりミスリル銀の産地と知られ、また大陸西方における流通の要であった。その経済力と天然の要害を盾に、セルモアの領主は独立権の獲得を主張し始めたのだ。もちろん、王国にとって、それは許されるものではない。だが、国王の代行として権勢を振るう無能な宰相──それこそ自分の地位と財産を守ることしか頭にない男──が、その難題を処理できるはずもなく、半ば暗黙の了解的に独立自治が行われてしまっていた。
本来であれば、ダラス二世にとって唯一の血筋であるカルルマン王子が、国王の代理、または跡継ぎとして立つのが筋であっただろう。
カルルマンは、すでに二十七歳。《鮮血の王子》という異名を持つように、主に戦において名を知らしめていたが、決して内政にも疎いわけではなく、その才覚は昔から認められていた。だが、父王ダラス二世との仲はかねてより険悪で、その王位継承も王の死が認められなければ適わぬとされていたため、余計に混沌とした状況が続いていたのである。
よって、王国としては大切な収入源であるセルモアが刃向かうとなると、他の部分での補填が必要であった。そのときに起こったのだが、隣国ダクダバッドとガリの戦争である。ブリトン王国の宰相はダクダバッドへの援助を早々に決め、補給物資の運搬や、ときには援軍の派遣なども行い、その後の見返りを求めた。
予想通り、ガリ公国は敗北したが、その直後、またしてもダクダバッド共和国では軍部による内乱が勃発してしまい、事態は未だ混迷を深めたままだ。もちろん、ブリトン王国への見返りなどは皆無である。国益を得るどころか、損なってしまった宰相の執政は、民衆たちの怒りを買い、カルルマン王子台頭を望む声も、日に日に高まっているという。
先行き不安な国のやり方に、民たちの心は暗く沈んでいたが、少なくともここに、戦争が終わってホッとしている少女が一人いた。
「でも、その戦争もこの前、終わったって言うし、留まっていたって、ダクダバッドはグチャグチャ。きっともうすぐ、お兄ちゃんが帰ってくるはず。そうなれば、昔みたいに家族五人で暮らせるわ」
ウィルに話しながら、ルンはその日を夢見た。すると、クリオとエイミーも騒ぎ出す。
「ホント? お兄ちゃん、帰ってくる?」
「いつ帰ってくるの? 明日? 明後日?」
二人の弟妹も、その兄が好きなのだろう。イスから立ち上がるようにして、姉に尋ねた。
だが、それに反して、母マーサの顔は不機嫌だ。
「帰ってくるとは限らないよ。勝手に戦争なんかに行っちまって。しかも、よその国の戦争だよ。まったく、命知らずのバカなんだから。ああいうバカは真っ先に死んじまうもんさ。あまり期待しない方がいいと思うね」
息子が出て行くとき、かなり反対したに違いない。マーサの口調には悔しさと憤りが含まれていた。
そんな母に、ルンは反論する。
「生きてるもん! そして、絶対に帰ってくる! 約束したもの! お兄ちゃん、絶対に戻ってくるって!」
「そんな約束、当てになるかい」
「大丈夫だよ! どうして母さん、お兄ちゃんに対して、そんなに冷たいの? お兄ちゃんのこと、心配じゃないの?」
次第に半ベソになりながら、ルンは訴えた。マーサは押し黙ると、興奮を静めるように努めながら、自分の席につく。
「もういいから。スープが冷めてしまうわ。早く食べましょう。──お客人、アンタも席にお着きなさいな。もう夜だ。どこかへ急ぐ旅でもないんだろ?」
マーサに促され、ウィルは濡れたマントの留め金に手をかけつつ、暖炉の方へ近づいた。ルンも鼻をすすって、食卓へ着こうとする。
家のドアが激しくノックされたのは、そのときだった。
家族が一様に顔を見合わせた。
「誰だろうねえ、人様の食事時を邪魔するのは」
嘆息を漏らしつつ、マーサが一度は座った席を立って、玄関へ応対に出た。ルンも気になって、誰が来たのかと覗き込む。
マーサが玄関のドアを開けると、そこに立っていたのはテコムの村長だった。禿頭にしたたる雨と汗を拭いながら、何やら慌てた様子だ。息も上がっている。
村長は大きく息をつくと、やっと言葉を切り出した。
「マーサさん。すまんが、みんなで広場へ集まってくれないか? 子供たちも、みんな一緒に」
思いもかけない話に、マーサは怪訝な顔をした。
「一体、どういうことです、村長?」
「軍隊じゃよ。軍隊がこの村にやって来たんじゃ。村の者全員を広場に集めるよう言っている」
「軍隊?」
マーサは後ろのルンを振り返った。ルンは胸騒ぎがして、息を詰める。
そして、村長は言った。
「どうやら、この村にとんでもない罪人が逃げ込んだみたいなんじゃ!」
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