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吟遊詩人ウィル

許されざるもの

−4−

 夜にも関わらず、テコムの中心にある広場には村人全員が集められ、一体これから何が起きるのかと、一同、騒然としていた。皆、それぞれの家でくつろいでいたところを急に呼び出されたのだから無理もない。しかも、その彼らの前には、物々しい武装をした騎士団四十名ほどが集結し、身じろぎひとつせずに睨みを利かせている。不安を抱かずにはいられなかった。
 幸いだったのは、先刻までの雨が上がったことだ。辺りをひんやりとした空気が包んでいる。
 村人たちの前に一人の男が進み出た。軍馬に跨ったまま、意匠の凝らされた甲冑を身につけ、おびえる村人たちを睥睨する。その眼光は射抜くように鋭かった。
「これで全員か?」
 軍馬の男は、村長に尋ねた。村長は、一度、背後の村人たちを見回してから、コクコクとうなずく。すっかり萎縮していた。
「よし。──村人ども、よく聞け! 私はブリトン王国ダクダバッド方面軍司令ヘルムカ将軍だ! 私は今、ある重要犯罪者を追っている! 国家の機密を盗み出し、他国へ持ち込もうとしている男だ! 我々は王都より追跡してきたが、ヤツはこの近くで消息を絶った! しかも、追跡していた私の部下を四人も殺してな! 先刻、この村の近くの沢で死体を発見した! おそらくは、この近くに潜伏しているものと思われる! そこで諸君の協力を得て、その罪人を捕らえたい! もし、怪しい人物に心当たりがあるなら、今すぐ、報告してくれたまえ!」
 ヘルムカは村人たちに対して、高圧的に言った。決して、協力などという生やさしいものではない。怪しい者を知っているなら、すぐに突き出せと言っているのだ。
 ダクダバッド方面軍と言えば、ブリトン王国の中でも実戦を重ねてきた猛者たちである。元々、ダクダバッドとガリの戦争に、ブリトンから援軍として送られた実戦部隊で、約二年もの間、ダクダバッドの友軍としてガリと戦った。その輝かしい戦歴は国中に知れ渡っており、ブリトン王国ではカルルマン王子直属の精鋭騎士団と並んで、最強と噂されている。
「恐れながら──」
 村長がおどおどしながら、ヘルムカに口を開いた。こんな役職でなければ、他の者の陰にでも隠れていたいところだろうがそうもいかない。姿勢を低くし、および腰で見上げた。
「ここに逃げ込んだという、何か確かな証拠があるのでしょうか? ひょっとすると、すでにもっと遠くへ逃げているかも知れません」
 村長の考えに、ヘルムカはニヤリとした。
「いや、ヤツはそう遠くへは行けないはずだ。なぜなら、ヤツはかなりの深手を負っているからな。──ボギー!」
 後ろを振り向いたヘルムカは、誰かを呼ぶかのように名前を叫んだ。すると騎馬隊が左右に道を開ける。その間を割るようにしてやって来るものを見て、村人たちから恐怖の悲鳴が上がった。
「グォオオオオオオッ!」
 身の毛もよだつ咆哮が上がった。ヘルムカに呼ばれたのは、彼の部下などではない。軍馬の倍はゆうにある、巨大な四肢を持った黒い犬であった。その凶暴性は明らか。眼は狂ったように血走り、鋭い牙が覗いた口からは大量のヨダレがしたたっている。首にはトゲだらけの首輪がはめられていた。
「キャアアアアアッ!」
 怪物のような犬を前にして、村人たちがその場にとどまれるはずがなかった。皆、一斉に逃げ出そうとする。だが、それを素早くヘルムカの部下たちが取り囲み、逃げられないようにした。
「静かにしろ! 逃げなければ、お前たちの安全は保障する! ただし、そうでない者は、このボギーが襲いかかると肝に銘じておけ!」
 ヘルムカの言葉に、村人たちは恐れおののいた。自然に身を寄せ合って震える。その中にはルンたち母子もいた。
「お母さん!」
「大丈夫! 母ちゃんがついてるよ!」
 幼いクリオとエイミーは、すっかりおびえ、泣きじゃくっていた。マーサがきつく抱きしめる。ルンも泣きはしなかったが、母の腕にすがりつくようにしていた。
 騒ぎが収まったのを見計らって、ヘルムカは続けた。
「諸君に紹介しよう。これが私の愛犬、ボギーだ。もちろん、普通の犬ではない。ヘルハウンドというモンスターだ。私はこいつが赤ん坊の頃から育ててな。今はこうして良くなつき、一緒にダクダバッドの戦場へも行ったことがある。私の信頼できる相棒だ」
 そう言って、ヘルムカはすり寄ってくるヘルハウンドのボギーを撫でた。確かに、ヘルムカには従順らしい。だからといって、村人たちがすぐさま可愛いペットだなどと信じ込めるわけがなかった。
「今、追っている罪人もボギーに追わせたのだが、先刻までの雨でヤツの痕跡が流されてしまったらしい。その代わり、ボギーはヤツからもぎ取った左腕をくわえて帰ってきた。つまり、ヤツには左腕がないというわけだ。どうだ、そのような人物は訪れなかったか?」
 ヘルムカは村人の一人一人に疑わしい視線を向けながら尋ねた。
 身をすくませたのは、ルンたち母子である。左腕を失った男。ウィルが運んできた、あの男に違いなかった。
 真実を話すべきか、ルンは迷った。広場に集まったのはルンたち家族四人だけで、家にはウィルと負傷している男が残っている。マーサたち一家が行ってしまったら、誰も看護する者がいなくなってしまうからだ。しかし、もしも手当てをした男が、この陰険そうな将軍の言うような罪人であれば、素直に引き渡した方がいいだろう。
 ルンは母マーサの顔を見た。だが、マーサの目は、言うな、と告げている。どうして、と唇の動きだけでルンは尋ねた。返事の代わりに、ルンの背中に回されたマーサの手が、ギュッと握りしめられる。
 誰も告発しそうもない様子に、ヘルムカ将軍は再び邪な笑みを浮かべた。何かを企んでいる。村人の誰もが確信し、イヤな予感がした。
「まあ、いい。一軒一軒の家を調べさせてもらおう。そんなに手間取らないだろうからな。その前に──村長!」
「は、はい!」
 首をすくめるようにして、村長は馬上のヘルムカを見上げた。
「ボギーのために食事を用意してもらおうか」
「しょ、食事ですと?」
 村長は気の毒なくらい顔が真っ青になっていた。ヘルムカはニヤリとする。
「そうだ。なーに、贅沢は言わん。生きた仔羊の一頭もいれば足りるだろう」
 理不尽とも思える要求に、村長を初め、村人たちは総毛立った。ヘルムカの隣には、ヘルハウンドのボギーが低い唸り声を漏らしている。要求が叶えられなければ、村人の誰かを餌食にすると言わんばかりに。
「……ヨゼフ、すまんが、お前のところに年老いた山羊が一頭おったな」
 村長は村人の一人に声をかけた。そのヨゼフという村人の目が見開かれる。
「そ、村長……」
「頼む。みんなのためと思って、連れてきてくれ。あとで村のみんなで償いはさせてもらうから」
 村長の頼みに、ヨゼフは渋々ながら了承した。いや、この状況で断ることは出来ないだろう。ここには老若男女を問わず、村人全員が集められているのだ。
 ヨゼフは二人の騎士に見張られながら、一度、家に戻り、飼っていた一頭の白い山羊を引っ張ってきた。かなり年老いた山羊らしく、歩くのもやっとという感じだ。
「随分とくたびれた山羊だな。まあ、いい。お前は下がれ。でないと、お前もボギーの餌になってしまうぞ」
 そう言って、ヘルムカは笑った。
 ヨゼフはがっくりと肩を落としながら、ボギーの前に山羊を置いたまま、村人たちの中に戻った。そんなヨゼフを村長や他の村人が慰める。
 ボギーは必死に食欲に耐えるかのようにジッとしながら、主人であるヘルムカの合図を待っていた。置いていかれた山羊は逃げようともしない。まるで自分のさだめを受け入れたかのように。ただ一度、村人たちの中で見守っている飼い主のヨゼフの方を振り返って、一声、悲しげに啼いた。
「いいぞ、ボギー」
 ヘルムカの合図と同時に、ボギーは生け贄の山羊にかじりついた。その勢いと猛々しさ。バキッという骨が噛み砕かれる音が広場に響いた。女子供ばかりでなく、多くの村人が目を背ける。肉を咀嚼する、クチャクチャというおぞましい音。広場の地面に染み広がった血。その生臭さが村人たちの気分を悪くさせた。


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