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そこへ、
「何をしておるか!」
重苦しい雰囲気を破ったのは、大きな一喝であった。馬群が二つに割れ、その中央からヘルムカ将軍が現れる。部下たちは一斉に敬礼をした。
「ヤツを捕まえたのか?」
ヘルムカは輪の中心に目を向けたが、そこに違う人物を認めて、顔を強張らせた。
「な、何者だ、貴様!?」
「オレはウィル。ただの吟遊詩人だ」
平然と名乗るウィルに、ヘルムカは眉を痙攣させるように動かした。そして、部下たちを見回す。
「ヤツはどうしたんだ?」
部下たちが答えられず困っていると、
「あれはオレが魔法で姿を変えたものだ」
と、ウィル自ら暴露した。もちろん、それを聞いたヘルムカが黙っていられるはずがない。
「貴様が!? 姿を変えたということは、直接、ヤツを知っているということだな!? ヤツの仲間か!? どこへ逃がした!?」
矢継ぎ早に詰問するヘルムカに対し、ウィルはただ冷めた眼差しを向けるだけだった。そして、反攻の口火を切る。
「お前が追っている男が機密を盗んだという証拠、どこにあるか教えてもらおうか。そうすれば、こちらも男を引き渡そう」
ウィルの交換条件に、ヘルムカの表情はより険しくなった。
「何をバカなことを。そんなものは当人を捕らえれば分かること。第一、吟遊詩人風情などに教える必要はない!」
気色ばむヘルムカに対し、ウィルはあくまでも冷静であった。
「では言おう。すべてはお前が仕組んだことではないか? この追跡行は自分への疑いを逸らすためのフェイク。うまい具合に部隊を抜ける男に罪をかぶせ、追跡という名目で亡き者にする。大体、ヘルハウンドなどという魔獣を差し向けたこと自体、容疑者の生死を問わないやり方だ。機密を盗んだのであれば、それを取り戻すことも重要なはず。だが、お前のやり口は、すべてをうやむやにしてしまおうという意図が見える」
「貴様、言わせておけば……」
「ダクダバッド方面軍の司令ともなれば、向こうとのパイプも強くなるだろう。今のブリトン王国は、事実上、空位状態で、行く末は不透明だ。一方、現在のダクダバッドは混乱しているものの、やがて強力な支配者が誕生しそうな気配。体制も一新されるだろう。お前が手みやげを持って、取り入ろうという考えを持っても不思議ではない」
「ボギー!」
怒りに身を震わせたヘルムカは、魔犬の名を呼んだ。すると、凄まじい唸り声を上げて、黒い巨体が沢下から飛び上がってくる。その恐ろしい光景には、普段からボギーを見ている騎士たちでさえも震え上がった。
「その男を殺せ!」
空中でボギーの眼がウィルを捉えた。新しい獲物。先程の軍馬を屠った牙が、まだ赤い血をしたたらせている。ガッと口が開かれ、美しき吟遊詩人に襲いかかった。
だが、ウィルは少しも慌てなかった。まるで夜空を月を愛でるかのように見上げ、静かに呪文の詠唱を口ずさむ。
「ヴィド・ブライム」
ボギーに向かって突き出された右手に、小さな炎が点った。それは渦を巻くように回転し、次第に大きな炎へと膨れ上がる。ファイヤー・ボール。瞬く間に両抱えほどの大きさになると、矢のごとき速さで発射された。
ドーン!
避けることもままならず、ボギーはまともに火球を喰らった。その勢いのまま、再び沢へと落ちていく。
長く尾を引いた炎は、夜空に美しい軌跡を描き、一瞬、川面を赤く照らしてから消滅した。その華麗なる魔法を見せた吟遊詩人は、ゆっくりとヘルムカ将軍の方へと振り向く。
ああ、ウィル──美しき魔人。彼の前には、何者も無力なのかもしれなかった。
だが、それでも抗おうとする者はいる。ヘルムカもその一人であった。
「う、動くな! こちらには人質がいるのだぞ!」
ヘルムカの合図で、さらに後方から軍馬に乗った騎士が進み出た。その懐に抱かれるようにして騎乗しているのはルンだ。その顔色は、夜目にもすっかり蒼白だと分かった。
「う、ウィル……」
追っていた男がルンに助けられたと目星をつけたヘルムカは、万が一の場合に備え、卑劣にも無抵抗な少女を人質に取ったのであった。言うまでもなく、命の恩人を見殺しには出来ないであろうという考えからだ。結果的には、その相手こそ違えども、この策はウィルの動きを止めることに成功した。
ヘルムカは抵抗を示さなくなったウィルを見て、愉快そうに笑った。やっと余裕を取り戻す。だが、彼の部下たちは、そんな上官の姿を見て、少なからず失望した。一般の、それもまだあどけなさの残る少女を人質にするなど、ブリトン王国の気高き騎士道にあるまじき行為だ。
「大人しくしていろよ。──おい、何をやっている! 早く縛り上げないか!」
動かない部下たちに対し、ヘルムカは荒げた声で命じた。だが、彼に従う者はいない。むしろ、反抗的な目が集中した。
「お前たち──!」
ヘルムカの怒りが爆発する寸前だった。何かが急速にこちらへ近づいてくる音が聞こえた。
「ガアアアアアッ!」
魔獣の咆哮。再び沢下から身を躍らせたのは、ウィルのファイヤー・ボールで吹き飛ばされたはずのヘルハウンド、ボギーであった。実際、頭から前肢にかけて覆っていた黒毛は燃え尽き、醜く焼けただれた皮膚が露出している。だが、川に転落したお陰で、思ったよりもダメージを受けなかったのか、それとも持ち前の生命力が強靱であったのか。こうして再び舞い戻ってきた。すべては自分に傷を負わせたウィルに復讐するため。
「ウィル、危ない!」
人質であることも忘れて、ルンは叫んだ。ボギーはさらなる凶暴性を剥き出しにして、美しき吟遊詩人に飛びかかる。
もちろん、それに気づかぬウィルではなかった。復活した魔犬に怜悧な眼を向ける。
頭からかぶりつこうとするボギーを、ウィルはしゃがむような格好で回避した。だが、ボギーも巨体ながら、その反応と動きは素早い。一撃目が空振りに終わったボギーは、着地と同時に身をひねり、間断のない二撃目へと移る。普通の者であれば、この二段攻撃でおしまいだ。だが──
黒い美影身は軽やかに宙を跳んでいた。ボギーの二撃目など、この吟遊詩人はとっくに見抜いていたのである。その場にいた者たちは、皆、見とれたようにウィルの跳躍を追いかけた。
驚異的な跳躍力で崖の頂上に降り立ったのと、心地よい旋律が聞こえてきたのは同時だった。
いつの間に手にしたのか、ウィルの腕に抱かれているのは伝説の《銀の竪琴》だった。女神が竪琴を奏でているような繊細で優美な装飾がほどこされ、その調べは聴く者の魂を虜にする。それは、この美麗の吟遊詩人の手にこそふさわしいものだった。青白い月光が妖しく演奏者を輝かせる。
「クッ! 愚弄しおって!」
感嘆の吐息を漏らさなかったのはヘルムカだけであった。命のやりとりをしている最中に、突然、竪琴の演奏を始めたウィルに歯ぎしりする。その美、その余裕、その完璧さ。すべてがヘルムカの気にそぐわなかった。
「ボギー、ヤツを殺せ!」
ヘルムカは魔犬に命令した。ボギーもまた飼い主と同じく、ウィルに憎悪を向けている。低い唸り声を上げ、体勢を低くして構えるボギー。四肢に力が蓄積され、それを一気に開放した。
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