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◆突発性競作企画第17弾「vs.Glim.」参加作品◆

吟遊詩人ウィル

黒の館

−2−

「ジュリアン」
 真っ暗な寝室の中にクローディアは呼びかけた。中で寝ているのは彼女の弟であり、この地方の領主であるジュリアンだ。クローディアは明かりも灯さずに中へと入った。
『姉さん』
 日に日に病に冒されていくジュリアンは、すでに言葉を発することが出来なくなっていた。しかし、姉であるクローディアにはジュリアンの言いたいことが分かる。姉弟でしかできない会話だ。
「いよいよ、あなたをその苦しみから救ってあげられるときが来たわ。大丈夫、今度こそ絶対にうまく行くから。それに、今度のはこれまでにないくらい素敵な体なの。顔も恐ろしいくらいの美形よ。ジュリアン、あなたもきっと気に入ると思うわ」
 クローディアは暗闇の中でジュリアンの手を探し、それを握った。
『姉さん……ああ、姉さん……僕は本当に助かるの?』
 ジュリアンは苦しげに喘いだ。クローディアは強く手を握り返す。
「助かるわよ、絶対に! 姉さんに任せておいて。きっとあなたを元気にしてみせるから。ジュリアン、あなたはここの領主なの。お父様やお母様、そして先祖代々から受け継いだこの土地をあなたが守っていくのよ。だから約束して! 姉さんを信じるって!」
『うん……分かった……約束するよ……姉さんを……信じている……』
 クローディアは立ち上がると、寝ているジュリアンの前髪を掻き上げた。そして、その額にキスをする。
「もう少しの辛抱だから。ジュリアン、次にあなたが目覚めるときは、新しく生まれ変わった姿になっているわ。そのときこそ、あなたの本当の人生が始まるの。今夜はその夢を楽しむといいわ。じゃあ、おやすみ、ジュリアン」
 もう一度、口づけすると、クローディアはジュリアンの寝室から出た。そして、表情を弟への慈愛に満ちた顔から、妄執に取り憑かれた鬼女の形相へと変える。クローディアは食堂へ戻った。
「──っ!?」
 食堂のドアを開けた途端、クローディアは驚愕した。そこにいるはずのウィルがいなかったからである。
 クローディアはテーブルの下にでも倒れているのかと捜したが、もちろん、そんなことはなかった。食堂から美しき吟遊詩人の姿が忽然と消えている。クローディアは血が滲みそうなほど唇を噛んだ。
 確かにウィルは葡萄酒を口にし、ひそかに混入させた睡眠薬によって眠らせたはずだ。それに、この館にはクローディアとジュリアンしかおらず、流れ者であるウィルを助ける輩などいない。考えられるのは二つ。ウィルに睡眠薬が効かなかったか、事前にクローディアの企みに気づいて、一芝居を打ったかである。
 クローディアは怒りに身をわななかせた。どちらにせよ、せっかくジュリアンのために連れてきた獲物だ。そう簡単に逃がしはしない。まだ、あれから少ししか時間は経過しておらず、徒歩で逃げたのなら、そんなに遠くまでは行っていないだろう。
 クローディアはすぐさま決断すると、館の外へ出た。そこへ何かに操られたように無人の馬車が走ってくる。クローディアはロングドレスの裾を翻し、その御者台に乗り込んだ。
 ピシッとムチが鳴り、クローディアの駆る黒塗りの馬車は、ウィルを連れ戻すべく、ここから一番近い町ミースへと取って返した。



 その頃、クローディアが捜していたウィルはまだ館の中にいた。
 実はミースの町で領主不在の話を聞いたときから、クローディアに対して警戒心を持っていたのである。だから葡萄酒も口にしたふりをしただけで、実際には飲んでいなかった。あのときのクローディアの反応で、疑惑は動かぬものとなったといえる。
 馬車が走り去った音を聞いて、ウィルは行動を開始した。この館の中には何か秘密がある。そう睨んだのだ。
 まずウィルが忍び込んだのは書庫だった。王都の学院にあるような大きなものではないが、小さな部屋の中にも本棚は囲うように配置され、その中にぎっしりと本が詰まっている。ウィルはその背表紙を目で追っていった。
 調べていくと、この地方の伝承や歴史に関する記述がほとんどであったが、一部に医学や薬学の専門書、そして神の奇跡を起こす聖魔術<ホーリー・マジック>に関する書が見つかった。多分、ジュリアンの病を治そうとかき集めたものに違いない。そして、おそらくはその膨大な知識をもってしても、薄幸な若き領主には何の役にも立たなかったのだろう。
 いくつかの本をあさっているうちに、ウィルは本棚の奥行きが妙に浅いことに気づいた。外側と内側の寸法が合わなさすぎる。どうやら奥は隠し戸棚になっているらしい。ウィルはそれを探り当てた。
 隠し戸棚を開けると、そこには大きな魔導書があった。かなりの年代物である。二千年前に栄えた魔法王国時代の古代文字を読むと、それが黒魔術<ダーク・ロアー>に関するものだと分かった。
 黒魔術<ダーク・ロアー>は、神の奇跡をもたらす聖魔術<ホーリー・マジック>とは対照的に、魔界の王との契約によって体得できる魔法だ。契約は自分の肉体の一部、ないしは自分の大切なものを犠牲にすることによって行い、それによって修得魔法も大きく変わってくる。それゆえ黒魔術師<ウィザード>は多くの人々から畏怖されていた。
 ウィルは魔導書を読み進めていくうちに、次第に表情が険しくなっていった。
 そこに書かれていたものは、人間と魔界の住人である魔族とを合成させる方法だった。
 魔法王国期に数々の魔法実験が行われ、数多の合成魔獣<キメラ>が誕生したが、さすがにそれを人間に施すことは禁忌とされていた。それが、よりにもよって魔族との合成とは。もし、それが成功するのなら、魔族の屈強な肉体を持ち、人間の精神を持つものを作り上げるのも夢ではない。しかし、その研究は未完成であったらしく、実行は危険だと記されていた。
 わざわざ隠し戸棚にしまっていた魔導書だ。姉弟はこの禁断の秘術を知っていた可能性は高い。そして、病弱なジュリアンを救うために、この未完成の魔法が使われたとしたら──
 ボッ!
 ウィルの手の中で、突然、魔導書が燃え上がった。それを黒衣の吟遊詩人は冷然と見下ろす。炎に包まれた魔導書は瞬く間に灰となった。これは世に存在していてはならない書だ。これで二度と悪用されることはないだろう。
 書庫を出たウィルは、ジュリアンの寝室を捜した。確かめておかねばならない。ジュリアンが魔族との一体化を試みたかどうか。
 ウィルは絵画で飾られた廊下を足早に進んだ。しばらく部屋はなく、まるで両側をギャラリーにしているかのようである。ただ、ここは玄関ホールから食堂にかけて飾られていた絵画と違って、やや凡庸な作品のように感じられた。ひょっとすると、ジュリアンが病に倒れる前に趣味で描いたものかもしれない。
 そうして一枚一枚の絵を見ているウィルの背後から、突然、得体の知れない魔の手が伸びた。
 予期せぬ不意打ちにも関わらず、ウィルの反応は素早かった。振り向くよりも先に頭から突っ込むようにして廊下を転がると、くるりと起き上がって反転する。そして、察知した殺気の正体を確認した。
 それは絵画の中から出てこようとしているかのようだった。廊下にかけられた一枚の絵画から絵の具が流れだし、まるでできそこないの粘土細工のような人の上半身を形取っている。それは意志を持っているか、ウィルに向かって手を伸ばしていた。
 おそらくは魔法王国期に生み出された魔法生物の一種だろう。様々な色彩が混じり合ったがために黒とも緑色とも分からぬ状態になった絵の具の塊は、まるでウィルを絵画の中へ連れ去ろうとするかのように襲いかかった。
 対するウィルは、食堂で短剣も取り上げられてしまい、今は素手の状態だ。しかし、美麗なる表情を少しも動かさず、冷静に、しかも正確な呪文の詠唱をする。
「ブライル!」
 次の瞬間、ウィルの右手から炎の矢が迸った。白魔術<サモン・エレメンタル>の攻撃魔法ファイヤー・ボルトだ。
 白魔術<サモン・エレメンタル>は、聖魔術<ホーリー・マジック>、黒魔術<ダーク・ロアー>ら三大魔法の中でも一番よく知られている魔法である。地・水・火・風などの精霊を使役することによって、その力を術者のものにするのだ。ファイヤー・ボルトには火の精霊<サラマンダー>の力が宿っていた。
 ボッ!
 ウィルのファイヤー・ボルトが命中するや、絵画の怪物はアッという間に火だるまになった。断末魔こそあげないが、魔法生物にも苦痛があるのか、炎の中で首と腕を動かして悶えている。やがて人の上半身を模した怪物はだらりと力なく倒れ込み、そのままドロドロに溶けて、廊下の上に異臭を放つ焼け焦げとなった。
 多分、クローディアかジュリアンが仕掛けた侵入者用のガーディアンだったのだろう。たくさんの絵画の中にひそませておくとは、なかなか考えたものである。しかし、このことによって、この領主の館には他人に知られてはまずい何か秘密が隠されていることは間違いなさそうだ。ウィルはさらに警戒を強めて先を進んだ。
 ギャラリーの廊下を抜けると、一枚のドアがあった。ウィルは聞き耳を立ててみたが、何も聞こえない。思い切ってドアを開けた。
 部屋の中は真っ暗だった。かろうじて廊下から射し込む明かりで、中にベッドがあるのが分かる。寝室だ。しかも誰かが寝ていた。
 闇に目が慣れたウィルはベッドに近づいた。そして、ベッドに横たわっている人物を確認する。
「なるほど。そういうことか」


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