苦しげないななきを発しながら、クローディアの乗った馬車は館へと戻ってきた。
おかしい。逃げたと思われたウィルを発見できない。館の周辺には身を隠すような場所もなく、そんなに遠くへも行けないはずなのだが。
ただ一カ所、クローディアが捜していない場所があった。この館の中だ。
クローディアはひっそりとたたずむ館をねめつけるように見上げると、急いで中へと入った。そして、真っ直ぐジュリアンの部屋へ行こうとする。たった一人残された弟が心配だった。
その途中、クローディアの耳にどこかでドアの閉まる音が聞こえた。近くではない。その位置を把握しようとするクローディアの視界に、地下室への階段が飛び込んできた。
クローディアは近くの部屋から燭台を持ち出すと、それに明かりを灯して、地下への階段を降りていった。古い木製の階段が不気味な軋みを上げる。微かに人の気配が感じられた。
「そこね。そこにいるのね」
地下室にウィルが隠れていると思い、クローディアは呼びかけながら階段下のドアに近づいた。すると中からは、意外にもすすり泣きが聞こえる。どうやらウィルではなさそうだ。
しかし、それならば一体、誰がいるというのか。訝しく思いつつ、クローディアはドアをそっと開けた。
中に入った途端、強烈な異臭が鼻を突いた。無理もない。狭い地下室の中には、おびただしい数の死体が押し込まれていたのだから。
その手前で子供のように膝を抱えて泣いている者がいた。クローディアの弟、ジュリアンだ。
「ジュリアン!」
クローディアは驚いた。このところ、ずっと寝たきりだったジュリアンが、思いもかけず、こんな場所にいるのだから無理もない。
「どうしたの、ジュリアン? なぜ、こんなところに……?」
胸に動悸を覚えながら、クローディアはジュリアンに尋ねた。そのジュリアンの肩がピクリと震える。
「姉さん……もうやめてよ……僕のためにこんなに大勢の犠牲を……」
死体はそのほとんどが若い男のものだった。中には腐乱が進んで、年格好も分からなくなっていたが。
弟の言葉に、クローディアはうろたえた。
「な、何を言うの、ジュリアン! すべてはあなたのためよ! 魔族との合成も失敗してしまった以上、あなたに残された道は新しい肉体を手に入れることしかないでしょ? その病に蝕まれた忌まわしい肉体を捨てて、もっと健康な体さえ手に入れれば、あなたも私もきっと幸せになるわ! そのために私は、この何年もの間、あなたにふさわしい若い男たちを町で捜してきたのよ! ときには言葉巧みに、ときにはこの肉体をエサにして……。あなたのために、ただそれだけを考えてやったのに、そんな姉さんを責めるなんて、ひどいわ、ジュリアン!」
「でも、魂の移し替えはいつも失敗。そのたびに、こうして罪もない人々を犠牲にしてきた……」
「そ、それが何だというの! あなたの命に比べれば、他のヤツらの命なんて──」
「それは違うよ、姉さん。僕の命も、この人たちの命も変わらない。同じものなんだよ」
ジュリアンは顔を上げると、悲しみをたたえた目で、ヒステリック状態の姉を見つめた。そのとき、クローディアは目の前にいる弟に違和感を覚えた。
「──違う……あなた、誰? ジュリアンじゃないでしょ!?」
「………」
「そもそも、ジュリアンがこの地下室まで歩けるわけがない! 私に対していつも優しかったあの子が、そんな反抗的な態度を取るはずがないわ! 誰なの!? いい加減、正体を現しなさい!」
「……どうやら、本当の姉を欺くことは出来なかったようだな」
突如、ジュリアンの口調が変わった。そして、おもむろに着ていた服を剥ぎ取る。
バッ!
次の瞬間、孤高の吟遊詩人ウィルが早変わりで現れた。いつの間に取り戻したのか、マントや旅帽子<トラベラーズ・ハット>をも身につけている。クローディアは驚きのあまり、息を呑んだ。
「あなた……何者?」
「オレの名はウィル。ただの吟遊詩人だ」
ウィルの答えは素っ気ないものだった。ただの吟遊詩人があれほどに巧みな変装を披露するだろうか。
驚嘆しているクローディアに、ウィルは懐から出した一枚の書状を見せた。
「そこの死体のひとつから見つけたものだ。これは新領主の任命書。どうやら、着任してきた新領主を誰にも知られないうちに殺したようだな」
動かぬ証拠を突きつけられて、クローディアの表情が強張った。思わず、後ずさる。
「そ、それが何よ? ここの領主は弟のジュリアンよ。病気さえ治れば、あの子はきっと立派な領主になれるわ。新しい領主なんて必要ない!」
「だから、邪魔な新領主を殺したか。まったく、ムダなことをしたものだな」
「ムダですって?」
「そうだ。お前の弟は、すでに領主の務めを果たせなくなっている」
「ウソよ! そんなことはないわ!」
「ウソではない。そろそろ現実から目を背けることをやめたらどうだ?」
「い、イヤよ! さっきも言ったように、あの子は──ジュリアンは私にとってのすべてなのよ!」
クローディアは半狂乱気味に叫ぶと、手にしていた燭台をウィルに投げつけた。ウィルはそれをこともなげに避ける。しかし、その隙にクローディアは地下室から出ると、扉に魔法をかけた。
「ダナ・クエス!」
それは黒魔術<ダーク・ロアー>の施錠の魔法だった。しかも鍵は術者自身か、合い言葉を知る者にしか開けられない強力なものである。扉は重々しく閉じられ、ウィルは地下室に閉じこめられた。
人間と魔族の合成を研究していたことから、クローディアが女黒魔術師<ウィッチ>であることは予想されたことだ。だが、思いの外、かなりの使い手だと見るべきだろう。
クローディアによって閉じこめられたウィルは、少しも慌てることなく精神を集中させた。
「ディノン!」
ファイヤー・ボルトのときと同じく、ウィルの右手から魔法が放たれた。ただし、今度は六発の光弾──すなわち、マジック・ミサイルだ。
マジック・ミサイルは地下室の扉を粉々に吹き飛ばした。ウィルは壊れた扉をくぐり抜け、逃げたクローディアを追う。行き先はおそらく、ジュリアンの寝室に違いない。
その予想通り、クローディアはジュリアンの寝室に駆け込んだ。そして、未だベッドで横になっているジュリアンの体を揺さぶる。
「ジュリアン! ジュリアン! 起きて! 逃げるのよ!」
ウィルの口から新領主殺害の件を公にされたら、きっとクローディアは極刑に処されるだろう。そうなれば病弱なジュリアン一人が残されることになる。その病に冒された体で、受け継がれてきた領地も、唯一の家族も失うジュリアンのことを考えると、クローディアは何としても二人で逃げなくてはと思った。
しかし、クローディアがいくら揺さぶっても、ジュリアンは目覚める気配を見せなかった。それならばとクローディアは弟の体を抱え上げようとする。が、所詮は女の細腕、持ち上げることに失敗し、クローディアはジュリアンの上に覆い被さるようにして倒れ込んだ。
「ムダだと言ったはずだ」
背後からウィルの声が澄み渡った。地下室に閉じこめたにもかかわらず、もう追いついたのだ。
クローディアはそのままジュリアンにしがみついた。
「いやよ! 私は絶対にこの子から離れない! 離れるものですか!」
ブロンドの髪を振り乱しながら、クローディアは喚いた。
だが、彼女を追いつめた黒衣の吟遊詩人はあくまでも冷静沈着だ。
「よく見ろ、お前の弟の姿を。──エメナ!」
ウィルによって光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>が呼び出され、真っ暗だった寝室が照らし出された。
「──っ!」
その刹那、クローディアは絶句した。
クローディアがジュリアンだと思って抱きしめていたのは、白骨化したミイラであった。空虚な瞳が天井を向いている。
「そ、そんな……ウソよ……」
クローディアは気が動転した。そして、逃げるようにしてミイラから離れる。ジュリアンは確かにここにいたはずだ。さっきだって会話したばかりである。それなのに、なぜこのような薄気味悪いミイラと入れ替わっているのか。
「それがお前の弟、ジュリアンの本当の姿だ」
美しき吟遊詩人は、驚きに言葉もないクローディアに対して、冷徹に告げた。
その瞬間、クローディアは自ら封印していた過去の記憶を呼び覚ました。
ジュリアンの病がいよいよ思わしくなくなり、クローディアは最後の手段に出た。すなわち魔族との合成。それは禁断の魔法であったが、弟の命を救うため、背に腹は代えられなかった。
その結果、合成そのものは成功したと言える。だが、ジュリアンより生命力も精神力も強い魔族は、クローディアの愛する弟を次第に支配していった。
これでは病で死を迎えるどころか、いつか完全な魔族として取り込まれてしまう。それを危惧したクローディアは、今度はジュリアンを魔族から切り離し、代わりに別の人間の肉体に移し替えようとした。再び難しい魔法への挑戦である。そのために多くの若い男たちを犠牲にしてきた。そして──
ベッドに横たわっているジュリアンのミイラ化死体。これがすべてを物語っていた。愛する弟を救うというクローディアの願いは、とうとう叶えられなかったのだ。
ジュリアンの死を受け入れられなかったクローディアは、その後も若い男を館に連れ込んでは、新たな犠牲者としてきた。まだ、ジュリアンが生きていると思い込み、妄想の中で会話をしながら、その遺体と暮らし続けていたのだ。
「ああ、私は……私は……」
真実をすべて思い出したクローディアは、放心したように、膝からその場に崩れ落ちた。