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◆突発性競作企画第17弾「vs.Glim.」参加作品◆

吟遊詩人ウィル

黒の館

−4−

 ぴっ!
 不意に何かが裂ける音がした。そのとき、ウィルが目にしたもの。それはクローディアの背中の皮膚が左右に裂けていく様だった。
「この女も用済みだな」
 不気味な声が吐き捨てるように言った。
 次の刹那、クローディアの背中から細長い脚のようなものが、数本、出現した。まるで蜘蛛の脚である。それは床に降り立つと、だらりと力をなくしたクローディアの体を支えた。
「やはり、そこに隠れていたか」
 吐き気を催しそうな気味の悪い光景にも関わらず、ウィルはまったく目を逸らさずに呟いた。表情は相変わらずだが、その眼には怒りの感情が灯されている。この館の姉弟を狂わせたもの──
「気に入った。今度はお前の体に棲まわせてもらおうか」
 ウィルの方へ振り向いたクローディアの顔が、ガバッと真っ二つになった。そこから割って現れた、骸骨にも似たもうひとつの顔。
 魔界の住人、魔族。
 かつて《魔界大戦》において、創造母神アイリスらと戦った闇の勢力。千年にも及ぶ戦いの末、魔族たちは魔界へ駆逐されたが、その野望はついえることなく、今もこの物質界へ魔の手を伸ばそうとしている。非力な人間たちにとっては最大の脅威だ。個々に異なる、そのおぞましい姿から、“悪魔”とも呼ばれていた。
「ジュリアン、クローディア……そして、今度はオレというわけか?」
 恐ろしい魔族を目の当たりにしながらも、ウィルは少しも臆さなかった。むしろ、常人をたちまち凍りつかせる凄絶な鬼気をまとっている。さしずめ、氷貌の魔人か。
 そのとき、魔族は笑っていた。骸骨のような顔のせいで、声を立てていなければ、まったく分からなかったが。
「そうとも。何しろ、このゲゾ様を呼び出したのは、お前たち人間だ。恨むなら、そいつらを恨め」
 ゲゾと名乗った魔族は平然とうそぶいた。次の刹那、ウィルはマントをはねのける。
「ブライル!」
 マントの下から現れた女性のような華奢な繊手が、不気味な魔族に向けられるや、そこから問答無用のファイヤー・ボルトが発射された。それと同時に、ゲゾは蜘蛛の脚をたわめると、軽々と床を蹴る。わずかの差で外れたファイヤー・ボルトが床の上に火の粉となって飛び散った。
 跳び上がったゲゾは、逆さになって天井に張りつき、ウィルを睥睨した。そうしている姿は、クローディアという蛹から脱皮しようとしている本物の蜘蛛のようだ。
「白魔術<サモン・エレメンタル>か。大したことはねえな」
 ゲゾは人間であるウィルを完全に見くびっていた。頭上から嘲笑を浴びせる。
「ならば、これはどうだ? ──ディノン!」
 次にウィルは三発のマジック・ミサイルを撃った。マジック・ミサイルは決して狙いを外さない。目標を捕らえるまで追尾するのだ。今度はさすがのゲゾも避けられなかった。
「ぐわっ!」
 全弾がゲゾに命中した。だが、それでもクローディアと一体化した蜘蛛の化け物は天井から落ちてこない。
「なーんちゃってな」
 ゲゾは魔族のくせに、人間であるウィルをからかって楽しんでいた。まったくダメージを受けなかった余裕からだろう。そして、そのまま反撃に移った。
「今度はこっちの番だ。──デドラ・ナム!」
 ゲゾが唱えた呪文は黒魔術<ダーク・ロアー>だった。次の刹那、ウィルの身体がガクンと沈んだ。
「むっ……」
 美しき相貌がわずかに歪んだ。一見、何も起こっていないように見えるが、ウィルの身体には強烈な重力負荷がかけられていた。ゲゾが使った黒魔術<ダーク・ロアー>の効果である。
 ウィルの身体は目に見えない力によって、上から押し潰されようとしていた。ウィルはそれを懸命に耐える。背が丸まり、膝が折れそうになっても、なんとか立ち続けた。
「ケッケッケッケッケッ、いつまでそうやって耐えられる? 早く倒れて、楽になっちまったらどうだ?」
 悪魔らしい甘言をゲゾは口にした。しかも苦しむウィルを見て、楽しんでいる。
 ウィルは抗った。見えない力に屈することなく、真っ直ぐに立とうとする。
「おいおい」
 ゲゾはムダな努力だと思い、苦笑しかけた。この重力負荷に耐えられる人間などいるはずがないと。しかし、ゲゾは信じられない光景を見ることとなった。
 徐々にウィルの背中と膝が伸ばされ、やがて重力負荷の影響を感じさせぬほど真っ直ぐに立った。それと同時にゲゾの魔法が破られる。人間であるウィルが、魔族であるゲゾの黒魔術<ダーク・ロアー>に打ち勝ったのだ。
「ば、バカな……!」
 ゲゾは驚愕に言葉を失った。そんな魔族を黒衣の吟遊詩人はチラリと見上げる。
「どうやら、お前の魔法も大したことがなかったようだな」
 ウィルは涼しい顔で言ってのけた。
 自覚があろうとなかろうと、誰しも魔法の根元である魔力を持っている。それは魔法を用いるときに必要となるものだが、反対にかけられた魔法から身を守る盾にもなった。このように自らの魔力を高めることによって、魔法に抵抗することを、魔術師たちは“レジスト”と呼んでいる。
 ウィルがゲゾの重力負荷を破ったのも、このレジストによるものだ。しかし、普通の人間であれば、明らかに魔力の高い魔族に対し、抵抗しきれるものではない。それをやってのけた美しき吟遊詩人。やはり、この男は魔人だ。
 まだショックを受けているゲゾに、ウィルは再び攻撃魔法を仕掛けた。先程のマジック・ミサイルはいかほどの痛痒も与えられなかったが──
「ベルクカザーン!」
 ウィルの重ねた両手より、凄まじい電撃が迸った。白魔術<サモン・エレメンタル>最強の電撃呪文、ライトニング・ボルトだ。
 魔法の雷は天井に張りつくゲゾを直撃した。その身が電撃に包まれる。今度はマジック・ミサイルのときと違い、レジストしきれなかった。
「ギャアアアアアアアッ!」
 ゲゾが凄まじい悲鳴を上げた。そのまま天井から床へと落ちる。仰向けになったゲゾの八本の蜘蛛の脚とクローディアの手足が激しく痙攣していた。
「今度のは少し利いたようだな」
 ウィルは皮肉めいた口調で言い、床に転がるゲゾを見下ろした。
 それも当然。ウィルが撃ったライトニング・ボルトの威力は、マジック・ミサイルの比ではなかった。ゲゾが張りついていた天井には痕跡となる大きな穴が開き、電撃の走った室内の空気は灼け焦げたようなきな臭さを漂わせている。いかな魔族であろうとも、この一撃を喰らってただで済むはずがなかった。
「き、貴様ぁ……!」
 ひっくり返ったゲゾは、しばらく手足をバタバつかせると、やっとこさ起き上がった。人間ごときにやられた屈辱に身を震わせている。
 しかし、あくまでもこの孤高の吟遊詩人ウィルの眼は冷徹であった。
「所詮、お前は下級の魔族に過ぎない」
「な、何だと?」
 ウィルの言葉に、ゲゾは色めき立った。聞き捨てならない言葉だ。
「お前は魔族の中でも下の下だと言っているんだ」
「ふ、ふざけるな! このゲゾ様を侮辱するつもりか!」
「ならば尋ねよう。なぜお前はジュリアンからクローディアへ棲み家を替えながら、彼女は自分の意志を保って動けたのか?」
「ぬっ……」
「本当ならお前が彼女を意のままに操っていただろう。しかし、彼女は自らの狂気に囚われていたとは言え、弟のジュリアンのために行動をし続けた。それはなぜか?」
「………」
「答えは明白。お前は取り憑いたつもりでいたのだろうが、彼女は完全に押さえ込んでいたからだ。病弱だったジュリアンはともかく、しっかりとした意志を持った彼女に対して、お前は何もできなかった。彼女の自我が崩壊するまではな」
「だ、黙れ!」
「お前は人間ひとりも支配できない低級の魔族だ」
 ウィルに指摘され、ゲゾは激怒した。人間であれば、顔を真っ赤にしていたに違いない。
「ならば、オレも言ってやるぜ! 貴様、この女の中にオレがいると知っていながら、こいつを追いつめただろ? この人でなしめが! あのまま人間として生涯を終えられたかもしれねえってのによ! この女をオレに奪わせたのは貴様だ!」
「……そうとも」
 ウィルは静かに認めた。相変わらず無表情だが、少しは悔恨の念があるのだろうか。
「お前の言うとおり、オレが彼女を追いつめた。しかし、彼女はその命で償わなくてはならないほどの大罪を犯した。当然の報いだ」
「だから、この女の肉体をオレに支配させたと? 貴様……それでも人間か?」
「オレは吟遊詩人。物語を紡ぐのが仕事だ。そして、この二人の姉弟の物語は、すでに終わっていた」


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