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吟遊詩人ウィル

狼の祭壇

−3−

 夜は何事もなく明けた。
 あれだけの数の狼は何処へ行ったものか、忽然と姿を消していた。
 ウィルは朝一番に宿屋を出た。昨日来た道を戻って村を出る。道沿いに森へ踏み入った。
 複雑に枝分かれする道をウィルは少しの躊躇も見せずに進んだ。地元の者でもこうはいかないであろう。
 清水が流れる川へ出たところで、ウィルはふと足を止めた。
「いつまでついてくるつもりだ?」
 振り向きもせずウィルが言った。
「何だ、バレてたのかぁ」
 岩陰からリィーナがひょっこりと顔を出した。昨日は森に入るのを意識して、動きやすい軽装だったが、今日は女の子らしさの出た麻のドレスを着ている。リィーナが持っている服の中で一番上等なものだ。手にはバスケットを提げていた。
「村を出ていくあなたを見かけたものだから、追いかけてきちゃった」
「バスケットを提げてか?」
「エヘヘ、あの宿屋の親父が作る食事じゃ美味しくないと思ってさ。朝食、まだなんでしょ? 食べようよ」
 大きな岩の上にウィルと並んで座ると、リィーナはバスケットからサンドイッチを取り出した。朝早く起きて手作りしたものだ。
「はい」
 ウィルはマントの下から竪琴を取り出すと、それを肩から降ろし、サンドイッチを受け取った。一方、リィーナはウィルの竪琴に目を奪われる。見たこともない美しい竪琴だった。
「わあ、素敵な竪琴。銀で出来ているの? これを弾きながら歌うのね」
 リィーナの指が竪琴の弦を弾いた。
 澄んだ音色と耳障りの良い余韻。
 まるで心が洗われるようだった。
「《銀の竪琴》……」
 そう、それは伝説の《銀の竪琴》だった。
 ウィルはそっとリィーナの手から竪琴を引き寄せた。
「ねえ、何か聴かせて」
 リィーナはウィルの身体にもたれかかった。
 ウィルは《銀の竪琴》を奏で始める。
 荒野をゆく男と女の歌を。
 ウィルは驚くほどの美声で歌った。とても男の声とは思えない。妖精が歌えば、こんな感じかも知れなかった。
 《銀の竪琴》の繊細な旋律。
 男と女は安住の地を求めてさまよった。
 故郷を遙か、海を越え、山を越え、幾年月に渡る厳しい旅だった。
 やがて女が旅を続けられなくなった。病床に伏したのだ。
 男は女の看病をしようと思った。
 だが、女は旅を続けるよう男に言った。
 男は女のいたわりに涙した。
 女は男の優しさに微笑んだ。
 女の病を治すため、男は黙って旅立った。
 女は男が夢を求めて旅立ったのだと信じ、無事を祈った。
 幾月が経ち、男は薬を手にして女の元へ戻った。
 だが、女は死んでいた。自ら命を絶ったのだった。
 手紙が残されていた。
 女が男に宛てた手紙だった。
「生きてください」。
「そして幸せに」。
 男は泣いた。
「キミのいない世界にボクの幸せはない」。
 男は女の後を追った。
 男と女は幸せだったのか。
 それとも──
 曲はそこで終わった。
 リィーナはウィルに身を預けながら、ジッと動かなかった。泣いていたのだ。
 ウィルもそのまま動かなかった。
 二人の前を川だけが静かに流れていた。



「“狼の塚”を知っているか?」
 再び先を進み始めたリィーナに、ウィルが尋ねた。リィーナが驚いて振り返る。
「どうして“狼の塚”のこと、知ってんの?」
「キミのお婆さんから聞いた」
「ジェシカ婆さんから……」
「キミも知っているようだな」
 リィーナはコクリとうなずいた。
「モンタルンの村は傍目には平和で、事実、村人の多くがそう信じているけど、実は長年に渡って狼たちと血で血を洗う戦いが陰で繰り広げられていたの。これを知っているのは、私とジェシカ婆さん、村長に、教会の人くらいのものだわ。普通なら狼が村を襲うわけはないんだけど、ヴァンパイア・ウルフという怪物の魔力に操られ、教会の人たちと戦ったの。そのときの司祭様は偉大な力を持った人でね、見事、ヴァンパイア・ウルフを斃したのよ。もう十年以上も前の話だけど」
「その司祭<ビショップ>、今はどうしている?」
「ヴァンパイア・ウルフを斃した後、病で亡くなったそうよ。なんでもヴァンパイア・ウルフの呪いにかかったとか。それでわざわざ“狼の塚”なんてものまで作って、ヴァンパイア・ウルフの霊を鎮めようとしたらしいわ。──それがどうしたの?」
 ウィルは答えなかったが、リィーナが必要以上に食い下がってきたので、重い口を開いた。
「昨夜の狼たちの咆吼、聞いたか?」
「え、ええ。あんなことは初めて。気味が悪かったわ」
 リィーナは辺りを窺いながら、身震いした。馴れているはずの森も、時折、異質な面を見せる。
「ジェシカ婆さんは甦ったのだと言っていた」
「まさか!?」
 リィーナは青ざめた。ヴァンパイア・ウルフの復活。
「オレはそれを確かめるように依頼された。また、甦ったのだとしたら、その退治を」
 リィーナには、ウィルがただ美しいだけの吟遊詩人に思えなくなってきた。
「ウィル、あなたは何者なの?」
「吟遊詩人だ」
「ただの吟遊詩人が魔法なんて使うわけないわ。あのマジック・ミサイル、白魔術<サモン・エレメンタル>でしょ? ──あなたは何処から来て、何処へ行くの?」
 今度こそウィルは一言も答えなかった。
 森はさらに深くなり、陽光も差し込まなくなってきた。今は小鳥のさえずりより、獣たちの唸り声の方を耳にしてしまう。木々のアーチが不気味な世界を描き出していた。
 リィーナは知らず知らずのうちに、ウィルのマントの端をつかんで離さずにいた。ウィルが気にかける。
「怖いか?」
 この男には珍しく、からかうような口調があった。誰もが気づく程度のものではないが、リィーナには分かった。
「こ、怖いもんですか」
 リィーナは強く否定した。すると、どうだろう。本当に怖くなくなってきた。
 ──彼なら、絶対に私を守ってくれる。
 そんな確信めいたものが、ふつふつと湧き上がってきた。
 より暗い所に足を踏み入れると、そこが“狼の塚”であった。墓標はなく、ただ土が山盛りにされているだけのもの──だったはずだ。が、今は何者かに荒らされたのか、盛られたはずの山は崩され、代わりに穴が掘られていた。
「ひどい! 一体、誰が!?」
 リィーナは憤りを感じて言った。ウィルの方はと言えば、周囲の地面を何やら調べている。視線は足下から、森のさらに奥へと向けられた。
「この先には何がある?」
 唐突な質問に、リィーナはキョトンとした。
「え? ──ああ、ゴブリンたちが棲んでいる洞窟があるわ。昨日、私が追いかけられていたのは、その近くまで行ってしまったからなの。つい、薬草を採るのに夢中になっちゃって」
「どうやら、ここを掘り出したのはヤツらのようだ」
「ゴブリンが!? まさか!」
「見ろ。昨日のうちについた足跡がある。人間のものにしては小さい。しかも森の奥へと真っ直ぐに続いている」
「んー、それは分かったけど、どうしてまた?」
「さあ、な。だが、足跡と一緒に何か重い物を引きずった痕跡がある。おそらくはヴァンパイア・ウルフの死体……」
「ウソよ! 十年も前に死んだヴァンパイア・ウルフの死体が、そのままの姿で残っているわけがないわ!」
「では、生きていたと仮定すればどうだ?」
 リィーナはゾッとした。十年前に死んだと信じられ、その実、土の中で生きていた怪物。ヤツは十年も怨念を持ち続け、地上へ出ることを待ち望んでいたのだろうか。
「キミは帰れ。帰って、ジェシカ婆さんにでも、このことを告げるのだ」
「ウィル、あなたは?」
「オレはこの足跡を辿ってみる」
「ダメよ! 危険だわ! あなたが行くなら、私も行く!」
「戻れ」
「イヤッ!」
「今夜は満月だぞ」
 リィーナは満月と狼の伝説を思い出し、ハッとした。ヴァンパイア・ウルフが目の仇にしているのは村の教会の僧侶<プリースト>たち。襲うとすればモンタルンだ。ジェシカ婆さんたちが危ない。
「分かったわ。戻って、ジェシカ婆さんたちに知らせる。──だから、あなたも気をつけて」
 ウィルは答えず、森の奥へと消えた。
 リィーナはそれを見送ってから、村へと急いだ。


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