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その洞窟からは、血臭が漂ってきた。それも濃い。中の凄惨さが容易に想像できた。
ウィルは自らの黒い姿を洞窟の闇に溶け込ませると、周囲を見回した。
ゴブリンたちがいた。累々と転がる死屍となって。
ヴァンパイア・ウルフはいなかった。
ウィルはゴブリンの死体を調べた。
どれも喉笛を一撃で噛みちぎられている。武器を手に取る間もなかったようだ。死後半日──つまり、昨夜のうちに殺られたことになる。
もはやヴァンパイア・ウルフの復活は疑いようもなかった。
ウィルは洞窟を出ると、火炎魔法を唱え、ゴブリンたちを火葬してやった。
そしてモンタルンの村に迫った危機を知った。
村の静けさは異様だった。
人間の気配は絶え、家畜たちの姿もない。
安全であるはずの村で、リィーナはとても不安になった。
「きゃっ!」
それに追い討ちをかけるかのように、教会の鐘が鳴り、リィーナは身を引きつらせた。いつもはさして気にならない教会の鐘なのに、今は他人を威圧するような波動がある。何がこうも変えたのだろうか。
もうひとつ気づいたことがあった。それは──
「リィーナ」
すぐ後ろで声がして、リィーナは慌てて振り返った。自分でも異常なくらい素早い反応だったと思う。見慣れた人物が立っていた。
「どうしたんだい、そんな怖い顔をして」
「お婆ちゃん!」
声の主はジェシカ婆さんだった。リィーナがホッと胸を撫で下ろす。
「脅かさないでよ」
ジェシカ婆さんはニコニコしていた。
「今まで何処にいたんだね?」
「ウィルと一緒に“狼の塚”まで行ってきたの」
「“狼の塚”だって?」
「ええ。そりゃ、行っちゃいけないって知ってはいたけど。──あっ、それより大変なのよ、お婆ちゃん! ヴァンパイア・ウルフが甦ったの!」
「知っておるよ」
ジェシカ婆さんは驚くこともなく言った。リィーナは怪訝な表情になる。
「知っているって……」
「みんな、教会に集まっている。あそこならば安全じゃ。リィーナ、お前も来なさい」
「でも、ウィルが……」
「さあ」
ジェシカ婆さんは有無を言わせず、リィーナの手を引いた。骨張った指に、信じられぬ力強さが感じられる。半ば強引にリィーナは教会の前まで連れて来られた。
神聖なはずの教会からは、いつもの清らかさを微塵も感じなかった。あるのは邪悪なる気配。ここにいてはいけないと思った。
そこで初めて、リィーナは抵抗した。
「イヤッ! 離して!」
だが、ジェシカ婆さんは手を離さない。むしろ痛いほどに力が込められた。
「どうしたと言うんだい? 教会の中ならば安全なのだよ」
「違うわ! その教会は違う!」
「ホホホッ、聞き分けのない娘だねえ。さあ、来るんだ!」
「イヤッ!」
リィーナは思い切り手を振り払った。すると何かが抜ける感覚。見れば、リィーナの手首から何かが垂れていた。それは土気色をした人間の皮膚──ジェシカ婆さんの右手の皮膚だった。
「キャアアアッ!」
それを見たリィーナは、悲鳴をあげて失神した。倒れかかるところをジェシカ婆さんが支える。
「馬鹿な娘だよ。黙ってついてくれば良かったものを」
ジェシカ婆さんは気を失ったリィーナの顔を覗き込んだ。そして、左手で皮膚のなくなった右手をさする。
「さて、この娘を生け贄としようかね」
皮膚の代わりに、狼の剛毛に覆われた腕をさすりながら。
ウィルは疾風の如く駆けていた。
黒いマントは翼のように翻り、かぶる旅帽子<トラベラーズ・ハット>が風を切る。人知を越えた脚力だった。
木々の合間にモンタルンの村が見えたとき、ウィルの頭上から三匹の狼が襲った。方向、スピードとも申し分ない攻撃。三つの咆吼が迫った。
その刹那──
ウィルは疾走から跳躍に移った。翔んだのである。空を。
「ベルクカザーン!」
標的に逃げられ、空中で交差した狼たちに、真上から電撃の呪文が叩きつけられた。白魔術の一つである。一瞬にして黒焦げにされた。
ウィルは餌食となった狼に目もくれず、着地するや否や、再び村へと走った。
村から教会の不気味な鐘の音が聞こえた。
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